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戦乙女の鎮魂歌  作者: 白銀悠一
第八章 選定
63/85

死者の降霊

「いやー面目ない負けちゃいましたー」


 申し訳なさを微塵も感じさせず、シャークは謝る。それで構わないとアーサーは思っていた。

 無事、仕事は果たしてくれた。生贄をきちんと捧げ、さらに情報までも持ち帰ったのだ。何の文句が口を衝こうか。


「これが敵拠点の座標の断片です」

「よし。解析作業を続けろ」

「了解」


 渡された羊皮紙を一瞥した後、アーサーは下級騎士に手渡す。騎士が転移して執務室を去った。

 ヴィンセントが杖を片手に問いかける。


「解析は順調か、アーサー」

「ああ。流石に一度の交戦で敵地を特定できるほど連中は無能ではない。しかし、回数を重ねれば、いずれ断定できる」


 現状は敵の撃破というよりも、敵地の特定に重きを置いている。もちろん生贄の殺害や回収も進めているが、目下の障害はフレイヤだ。ヴィンセントとも既知である彼女は、こちらの内情を深く知り過ぎている。聡明な彼女ならば、何らかの対抗策を講じてくる可能性があった。その脅威をみすみす放置しておくほどアーサーたちは愚かではない。


「……もうひとつの方は見つかったか?」


 アーサーは部下に問う。部下がすぐに魔術で返答。


『申し訳ありません。まだ捕捉できず……』

「何の話です? 他に敵さんいましたっけ。ヴァルキリーたちはガウェインとかが対応しているんでしょう?」

「お前の罠につられて現れたフリョーズ。そしてエイル。レギンレイヴもまた、選定に勤しんでいる。……ブリュンヒルデを除いてな。奇妙だとは思わんか? 成長率が群を抜いて高いのはブリュンヒルデだ。レギンレイヴの性能もなかなかのものだが、所詮その程度でしかない。対応策は既に確立済み。一度は敗北を喫したガウェインも、次戦では勝利することだろう。しかし、ブリュンヒルデについては未知数だ。フレイヤも目にかけている切り札。そんな奴が、何の行動もしないなど有り得ん」

「だから、フリョーズと同時に別の場所へと転移して……こちらに捕捉されないようにした。その上で、何らかの企みをしていると?」


 察しのいいシャークはアーサーの思惑を全て代弁した。その通りだ、と答えてアーサーは熟考する。

 一番最悪な展開としては、ブリュンヒルデが強化されることだ。ブリュンヒルデにはグングニールが搭載されている。あれは人を殺さない改良をしたヴァルキリーシステムに唯一装備される殺傷兵器。フレイヤは、ブリュンヒルデに自分かヴィンセントを殺させるつもりでいるのだ。

 絶対に外れることのない必中の槍を、さしものアーサーも避けれない。しかし、防ぐことはできる。だからこそ、ブリュンヒルデが力を手にすることだけは避けたかった。奴が進化することによって、その防御も困難になる可能性がある。


(ただでさえオーロラドライブに関しては奴らの方が詳しい。何か策を打ってくるかもしれん)


 そこまで考えて、アーサーは最悪な仮説から順に可能性を消すことにした。


「アイスランドをくまなく探せ」

「アイスランド? 北欧神話ゆかりの地?」

「そこには私の師がいる。魔術剣士の導師がな」


 アーサーはエクスカリバーの柄に手を置く。師匠殺し。その準備はいつでもできていた。



 ※※※



「精神を集中しろ。辺りに満ちる魔力を感じるのだ」

「…………」


 ソラは木々の中で正座をし、意識を集中していた。瞑想をし、余計な考えを捨てて、世界と一つになる。

 魔術剣士とは、剣であり魔術そのものだ。人である前に、一つの武器となる。

 世界の理をその身に刻み、己の力として扱う。

 理屈ではない。感じるのだ。考えるのではない。知るのだ。

 ファナムの教えを頭の中で復唱し、ソラは驚くべき早さで感じ取る。――足のしびれという厄介な代物を。


「う、し、しびれ」

「甘いぞ!」


 魔動波で吹っ飛ばされる。ソラは近くにあった木とキスするはめになった。


「は、初めてが木に奪われたよ……」

「邪念を捨てろ。世界と同調するためには、心を無にしなければならない」

「で、でもメローラさんとか、セレネとかは……」

「一度無の境地に達し、世界と同調することができれば、お前の精神は自由。だが、同調できない限り、魔術剣士の技を会得することはできんぞ」

「でも、一度だけ使えたような……」


 あれはセレネの遺志と対話した時だ。ソラは咄嗟に魔動波を使い、アテナを吹き飛ばしたことがある。

 しかし、ファナムはそれが何だ、と突っぱねた。まぐれで一度使えた程度では、自分の物にしたとは言えない。


「魔動波は衝撃波とは違う。ただの衝撃波であれば、今のお前でも十分にできるだろう。魔術の技を扱えるものなら誰でもな。だが、ただの衝撃波では打ち消される。しかし、魔動波によって発動された衝撃ならば――」

「例え、どんな攻撃を受けても跳ね返せる、ですね。わかってます。やってみますよ」


 ソラは土埃を払って、再び正座。瞑想を始める。捨てるのは邪念だけではない。一度心の中を空っぽにする。良いことも悪いことも、少しの間出て行ってもらう。ソラが欲するのは世界だ。世界の意思であり声、想いなのだ。


 ――助けてくれ、誰か、救ってくれ――。


「……っ!」


 ソラが目を開く。すると、ファナムが肩に手を置いた。


「惜しいな、乱されたか」

「だ、誰かが助けてって……今」

「人は無意識に助けを欲している。強き者も弱き者も平等に。彼らの遺志が世界に残っているのは、お前も知っているな」

「はい……。ヴァルキリーシステムは死者の想いを力に変えるシステムですから」

「善人も悪人も救いを求めている。世界は救済を望んでいるのだ」

「救済……だったら」


 とやるべきことリストに項目を増やそうとしたソラを、ファナムが制する。


「驕るな、ソラ。ひとりの人間に世界を救うことなどできん」

「でも、それじゃあ彼が」

「そうだ、救われない。そういう運命だ。全ての人間が幸せを享受することなど不可能。ゆえに、人は昔から競争をしてきた。それぞれのやり方で、幸せを手に勝ち取ろうとして争ってきた。本能だよ、これは」

「でも、本能のまま生きるだけじゃダメです……。人は、本能と、その身に宿る宿命とずっと戦ってきました」

「お前の言わんとしていることはわかる。だが、お前がそう思えても、他の者はそうは思わん。愚者は多い。自分を賢いと思っている愚か者は、とても多い。そもそも、俺たち自身も愚者だ。人は本質的に愚者なのだ」

「それは否定しません。でも、だからって甘えちゃダメなんです。もちろん休憩は必要ですし、たまには譲歩しなくてはいけません。それでも、自分の中の本能と対話していかなければ……人は救われません」


 ソラはすっかり気落ちして、俯いた。ファナムが懐かしい光景を見るように目を細めた後、ソラを立ち上がらせる。


「急がば回れだ。急いても何もよいことはない。休憩にしよう」

「……はい」

「お前は本当にセレネとよく似ている」


 ファナムは微笑をみせる。ソラは褒め言葉と受け取って笑顔を浮かべた。

 隣では、セレネの幻影が自分と同じように笑っている。



 ※※※



 ソラは修行疲れかすぐに眠ってしまった。ファナムは毛布を取り出し、椅子の上で眠りこけてしまった彼女に被せる。

 ふと、セレネの姿と彼女が被り、ファナムは複雑な表情となった。

 同じ過ちを繰り返そうとしている。そんな気がしていた。しかし、違う結果になるのではという期待もある。一度、ファナムはセレネの行動に賛同した。手を貸していたのだ。人を救うというセレネの目的に。

 人助けなど無意味だと言うことは千年も昔に悟っている。ファナムは十字軍とイスラム勢力の戦争に介入し戦を止めようとした。その戦争が無益だと知っていたのだ。そもそも十字軍遠征はファナムの仇敵であるオフィビムによって引き起こされた策略戦争。エルサレムを独占し、魔術師の聖地として君臨しようとした彼をファナムは討ち取ったが、時すでに遅し。多くの血が流されてしまった。

 だが、セレネのひたむきな姿に、忘れていた情熱を思い出した。その結果がこのザマである。まんまと弟子に出し抜かれ、セレネを殺されてしまった。

 それをわかっていながらも、ファナムはソラに期待している。我ながらなんと情けない、と独りごちながらファナムは食事の準備を始めた。


 ――マスターに救われた時、私も誰かを助けなきゃって思ったんです。


 気付くとセレネが横にいて、料理の手伝いをしている。過去の亡霊。魔術剣士は霊感が強い。

 ヴァルキリーとはまた違った方法で、魔力の残滓に残る記憶を覗き見ることができる。アテナが壊れたのは魔術剣士だったのも一つの要因だ。


「ただの気まぐれだった」


 ファナムは過去と同じようにセレネに語りかける。ファナムはたまたまその場に居合わせたに過ぎない。明確に、誰かを助けようとして向かったわけではなかった。ただの通りすがり。助けても、助けなくてもどちらでも良かった。

 しかし、結果的にあの子を救った。それがあの子の呪いとなった。セレネは救済に意義を感じるようになってしまった。

 ゆえに、破滅。あの破滅は自分が引き起こしたのと同義だ。此度のアーサーの件も自分のせいだ。

 そのため、二度と世俗には干渉しないと誓った。なのに、こうもあっさりと揺らいでいる。


「愚かな奴だ、俺は」

「そんなことないですよ」


 寝ていたはずのソラが立ち上がる。すぐにソラではないことがわかった。

 それはソラの身体を使って、当然のようにファナムの横に着く。そして、手伝いを始めた。


「ここまで自由に顕現できるものなのか?」

「ここだから、ですね。私があなたと修行した、この場所だから」


 そうセレネは言いながら、包丁を使って野菜を切る。ファナムは何て声を掛ければいいか悩み、結局何も言えなかった。こういう会話は苦手なのだ。泣けばいいのか、喜べばいいのか。それすらもわからない。


「マスターの気持ちはわかってます。私の気持ちも、師匠は察してくれている。そうですよね」

「……そう、だな」

「私は後悔してません。ただ、申し訳ない気持ちがあります。みんなに迷惑をかけっぱなしで。私が死んだことで多くの人を傷付けてしまった。本当は、みんなに一言謝りたかった」

「謝罪などは――」

「私が言いたいだけです。言えば、冥界に行けるかもしれない」

「去るのか? この世から」

「寂しいですけど、去らなければ。新たな旅路に向かわなければ。死者が生者を縛ってはいけないんです。この世界は生者のものなのだから。遺志だけを残して消えるべきです。他者の思想を塗り潰すのではなく、前例として想いを残す。こういう人がいたんだよ、という考えを残していく。それだけで、もう十分なんです」


 そう言って、セレネは柔らかな笑みを残す。彼女が満足しているのならば、ファナムとしても異論はなかった。


「そうか」

「……寂しいですか? マスター」

「お前は故人だ。俺は既に何百人もの友人を亡くしている。死の痛みとは、無縁だ」

「嘘つかないで下さいよ。あなたは本当は悲しんでる。それを心の奥に押し隠しているだけ」

「魔術師というものはそんなものだ。人は慣れる。死の痛みに、慣れる。だが、そろそろ疲れたことは確かだ。俺ももう歳だな」


 ファナムは笑ってみせた。セレネが悲しい顔となり、ファナムに抱き着いてくる。不安な瞳で見上げてきて、ファナムは彼女の、ソラの頭を撫でた。


「そんな顔をするな」

「しますよ、ダメです。ここから逃げてください。あの人はあなたを狙っている」

「知っている。しかし、魔術剣士の修行をするうえで、この場所ほど最適なところを俺は知らない。ここでないとダメだ。ソラを鍛えなければ。でなければ、彼女の精神が危うい。そうだろう?」

「それは……そうですけど」

「フレイヤはヴァルキリーシステムを安全だと言い張っているが、そんなことはない。いずれ、魂が死者に上書きされてしまうはずだ。だから、その前に魔術剣士の技を身に着け、抗う術を手に入れなければ、ソラは死者に呑み込まれてしまう」


 ファナムはヴァルキリーの本質を見抜いていた。フレイヤという神話再現をした女魔術師と科学によって創られたシステムなようだが、安定したシステムとは言い難い。知識に乏しいファナムにも、その危険性は感じ取れる。


「ミュラ、というネクロマンサーは薄々勘付いているみたいですけど、ソラ自身はわかっていない……。仮にわかったとしても、その危険を承知で進むのでしょうね」

「自己犠牲か。忌まわしい」

「……同族嫌悪、ですか?」


 諭す瞳で言われて、ファナムは黙した。ファナム自身、自分を犠牲にしてでも希望を繋ごうと考えている。ファナムではアーサーとの相性が最悪だ。ファナムはアーサーに技術の全てを教え込んだ。優秀かつ聡明な男だったのだ……かつては。しかし、今はあの頃の面影はない。

 いくら精神面に変化が起きても、剣の腕前は変わりない。それだけではなく、アーサーは他の魔術も会得している。ただでさえ、歳を取っているのだ。今まともに戦って、奴を仕留められるかどうか。


「どうしてもダメなんですか」

「弟子は師に似るものだ。俺もお前と同じで頑固でな」


 ファナムは笑みを見せ、セレネも諦め交じりの笑顔となった。こうなったファナムが譲らないことを弟子であるセレネが一番よく知っている。ソラを無理に弟子入りさせた時とは違う、屈強な意志だ。


「この子は最後の希望だ。古き人間は、そろそろ世界から去るべきだろう」

「マスター……」

「お前はこの子を守ってやれ。友達として、姉弟子として」

「わかり、ました。……一つ、いいですかマスター」

「何だ?」


 ファナムが問いかけると、ソラの瞳に迷いのようなものが生じた。セレネは何らかの葛藤を抱いている。


「この子に、フレイヤの秘密を伝えるべきでしょうか」

「お前はどう思うんだ? 伝えるべきだと、思ったのか」

「悩んでいます。この子には知る権利がある。そう、思うんです。でも、フレイヤの気持ちも尊重しなければいけません」

「……ならば、黙っていることだ。いずれ気付く。いずれ、時が経てば」


 その秘密が何なのかファナムは知らない。しかし、確信している。ソラを無条件に信頼していた。ソラには無限の可能性を感じている。その可能性を潰さずに生かすことが自分の使命だ。


「俺が鍛える最後の弟子だ。大切に扱わなければ」

「魔術剣士の技術は、彼女を最期に喪われる……」

「いや、モルドレットやメローラ、アテナがいる。あの金髪共は、魔術剣士の技術を後世に伝えるだろう。多少形は変化してもいい。むしろ、今までがおかしかった。魔術とは、時代と共に変化していくものだ。俺は時代に、世界に縛られていた」

「マスター」

「俺の人生の集大成を彼女に注ぎ込む。……俺の知り得る最強の魔術剣士にしてやるさ」

「私は最強じゃなかったんですか?」


 セレネがくすくす笑いながら訊く。無論だ、と真面目な顔をしてファナムは答えた。


「お前みたいな自由奔放な奴が、最強の魔術剣士なわけあるまい。お前は……最高の魔術剣士だよ」

「――っ」


 セレネは、ソラの表情を驚愕に染めた。ごめんね、とか細い声でソラに謝り、彼女の身体で嗚咽を漏らす。


「ごめんなさい……泣かない、って決めてたのに」

「謝る必要はない。好きなだけ泣け。ソラはお前を赦してくれる」


 ファナムはソラの身体に宿るセレネの背中に腕を回して抱きしめる。父親が泣きじゃくる娘を抱擁するように。

 セレネが泣き止むまで、ずっとあやし続けていた。



 ※※※



「回収してきました」

「ご苦労だった。しばしの休息の後、また仲間を救いに赴け」

「了解。ふう」


 クリスタルは安堵の息を吐きながら、宮殿の中を進んでいく。すると、コルネットとノア、エデルカの三人がタイプライターに何かを打ち込んでいるのを目撃した。


「何してるの?」

「ミスクリスタル。見ての通り入力ですよ」


 そんなことは言われなくてもわかる。そういうことではなくて、とクリスタルが言い直した。


「何の入力をしているのか訊いたのよ」

「ああ、なるほど。システムチェックですよ。ボクは魔術師ではないのでね、こういうのに詳しそうなミスエデルカの協力を仰いだのです。非常事態に備えるのは当然ですから」

「非常事態……」

「ごめんね、クリスタルちゃん。これはオフレコなの。まだ公表できないから、楽しみにしてて」

「はぁ」

「この状況下では情報の集約は好まれません。今回のことは見なかったことにしてくれますか、クリスタル」


 少女の姿となったエデルカに頼まれてわかりました、とクリスタルは了承する。しかし、慣れない。エデルカはいつもの淡々としたものから、ぎこちないながらも感情のようなものをみせている。排斥した感情を、新しい身体に慣らす間はずっとこの状態なのだと彼女からは説明を受けていたが、そのうえで、戸惑う。

 この前など、エデルカは泣きながら作業をしていた。少し前は、大爆笑しながら羊皮紙に文字を書き込み、昨日に至っては怒りながら心の平静を保たなければなりません、と魔術師たちに説教していた。


(感情のコントロールができていないのかな……)


 もしかすると、エデルカは人一倍感受性の高い人間なのかもしれなかった。だからこそ、無用な産物として感情を取り除いていたのだ。


「その視線……好きじゃないですね。少し、怒りのようなものを感じます、クリスタル。いらつき、と言うべきでしょうか」

「あ、えっと、すみません」


 興味本位に見ていたことがお気に召さなかったらしい。以前なら絶対しない発言をして、自分とそう変わらない少女同然のエデルカは怒ってくる。と、馴れ馴れしい態度でコルネットがエデルカの肩に手を回した。


「まぁまぁエデルカちゃん。そうかっかしないでさぁ、楽しくやろうよ」

「そう言いますが私はあなたよりも二百歳程年上なんです。あなたの発言は不快です」

「でもこの前エデルカちゃん、魔術師に年齢は関係ないって言ってたよねえ」

「それはアレックの受け売りで……だからと言って軽率な態度で接していいというわけではありません!」


 エデルカが情緒不安定な子どものように怒鳴る。クリスタルは苦笑して、早々にこの場を離れることにした。

 異空間の生活は不自由ないが、一つだけ不満点がある。それは空見ができないことだ。偽物の空なら見ることができるが、やはり本物には敵わない。空は毎日違う色を見せてくれる。その違いが異空間の空にはなかった。魔術師は優れているがゆえに、本物よりも小奇麗にしてしまう。独特の汚れすら消し去ってしまうので、それが他者に見抜かれる原因になったりもする。

 レミュの元にでも行こうかしら、と思いつきソラはレミュの部屋の戸を開ける。どうぞ、と声が聞こえて入室したクリスタルは顔を青く染め上げた。


「れ、レミュ!! 髪が、白く! とうとうストレスで……!」

「何をおっしゃっるのですか、クリスタル! これは私の地毛ですよ!」


 言われて、レミュが光属性ゆえの白髪に耐え兼ね、黒色の染髪とカラーコンタクトを併用していることを思い出した。安堵して、大丈夫? と問いを投げる。白髪自体は色素変異のせいかもしれないが、染髪を止めた原因については思い当たっていた。


「きらりのことでしょう?」

「……、あの子がいないと、張り合いがなくて困りますね。いつも通りお喋りして、いつも通り注意しないと元気が出ません。ストレス発散のために、岩を砕く必要もなくなってしまいました」


 しょんぼりしながらレミュは言う。それを受けてクリスタルは心配した。

 レミュの心ではなく頭髪を、不安視する。


「そんなに深く考え込むとハゲちゃうわよ。若ハゲほど悲惨なものはないって聞いたわ」

「な! ハゲるわけないでしょう、うら若き少女である私が! 全く、どうしたのですか、クリスタル。どういう風の吹き回しですか」

「きらりならこういうんじゃないかと思ってね」


 柔和な笑みを見せると、レミュは納得したように息を吐いた。


「はぁ、そうですね。……そうでした。不思議と元気が出ました。そうです、頭が足りないあの子を正しく導くのは、保護役である私の務めですからね。今は反抗期のようなものです。げんこつを喰らわせて、お家に帰ってきてもらいましょうか」

「間違っても脳天を砕かないように、ね? レミュのメイスはげんこつなんてレベルじゃないんだから」

「特大のを喰らわせてやります」


 にや、とレミュは笑ってメイスを取り出す。そして、手入れを始めた。きらりを元気づけられて満足したクリスタルは、隣に座って彼女の作業を見守った。



 ※※※



「――というわけで、これが今の世界の現状じゃ。理解できたかの?」

「せんせーい、質問でーす」

「ふむぅ? 何なのじゃ?」


 学校の教室が再現され、教師役として教鞭をとっていたリーンが訊き返す。白髪の幼女である彼女はとても教師に似つかわしくなかったが、それでも生徒たちは少し驚いただけで受け入れていた。

 生徒はユーリット、ユリシア、ハル、ミュラの四人である。世俗と切り離されていたか、長い間眠り続けていた子どもを対象に、世界の歴史と魔術の歴史、本来学んでいたはずだった勉強を教えるのがこの学校の目的だった。


「そこの変なのは何て言うのー?」


 ユリシアが教室の隅に蠢くおぞましいものを見て訊く。リーンは複雑な表情をしながらもきちんと回答。


「セバスと言ったかの……。全く、どうして教室にゾンビがいるのじゃ」

「セバスは私の執事よ。いないと私は何もできないの!」

「へー、すごいんだねー。このゾンビ? さん」


 ミュラが嬉しそうに大声で答える。

 返事を聞いてユリシアが喜ぶと、ユーリットも何の疑問もなく同意した。


「ホントだねー」

「ミュラよ、それは得意気に言うセリフかのう。ふぅ、これはちと骨が折れる」


 リーンは頭を抱える。この教室にいる生徒全てが天然の気があった。

 ミュラは自慢げに自分の生活力のなさをアピールしているし、ユーリットとユリシア姉妹はオドムに監禁されていたため常識を知らない。ハルも、年頃のおなごだというのに無邪気にヤイトと同じベッドで寝ようとしたため離された。仕方ないこととはいえ、子ども好きのリーンを持ってしても、彼女たちの教育は手に余る。


「エデルカの奴には断られてしまったしのう。困った」

「ふん。所詮、お主自身も我儘な子どもだからの。お主の手には余ろうて」


 ハルフィスが教室に入ってきた。傍から見れば手助けであり、彼の協力はリーンとしても助かるのだが、彼女は不満を隠す様子もなく小言を漏らした。


「ふん、クソジジイが。いつまでもねちねち鬱陶しいのう」

「お前がドルイドの修行をほっぽり出したのは事実だろうて。お前のせいで私がドルイド長になるはめになったわ」

「わらわのおかげだと言って欲しいのう。どうせ、あの頃はどの魔術師も仲良くしておったわ。魔術師にとって良き時代だった」


 リーンが懐古の念を抱いて言い放つと、ハルフィスも同意するように目を細めた。


「そうじゃのう。そこについては同意じゃ。魔術師とは、元々世界の理を解明し、人々を救うために始まった偉業。ふむ、聞いたかのう? 少女たち。魔術師は最初期、一つだったのじゃ」

「知ってるわ。創世の魔術師たちは元々一つの集団を形成し、人々に助言を与えていた。人々が世界に散らばると共に魔術師も世界に拡散。様々な流派が創られた」


 世俗から隔離されていながらも、本の虫であったミュラが答える。死霊使い(ネクロマンサー)であるがゆえに、歴史については調べているのだ。


「目的の差異、誤解もな。いつしか魔術師たちは己の探究のみに明け暮れるようになっていった。嘆かわしいことじゃ。人を救うためには始めた魔道で人を傷付けるようにもなった。……しかし彼らだけを責められん。人も魔術師への尊敬を忘れ、攻撃的になっていった。歴史を改変して魔術師の存在を抹消した例も多々ある」


 子どもたちが学校で習う歴史は、ほとんどが人為的に歪められたものだ。歴史に記されているもの以外にも数多の戦争が起きており、世界地図から消滅した大陸もある。不自然な形で幕切れとなった戦争は、大抵魔術師に介入されていた。

 アレックがヒトラーを自殺に見せかけて暗殺した件は記憶に新しい。


「……歴史に載らないこと自体に不満はない。しかし、攻撃されるのは……悲劇が繰り返されるのは好かんのじゃ。人が皆、子どものように無邪気な心を持っていれば、世界の平穏は保たれるのにのう」


 リーンが悲しげな顔となった。リーンが子どもの姿を維持し続けるのは、子どもこそが原初の魔術師の想いを忘れずにいられる存在だからである。大人になると汚れ、自らの本質が視えなくなり、何がしたかったのかを忘却したまま無意味な行動を繰り返すようになってしまう。

 なぜ生きるのか、それすらも忘れ社会の歯車となる。意志がシステムに吸い取られてしまうのだ。

 そうなってしまった人間に、もはや自由意志などない。自分に意志があると誤解したまま、誰かがプログラムした通りに動く人形だ。

 社会が魔術師を迫害する風潮だからと、何の疑問も持たずに多くの人間が社会に左右されてしまったのがいい例だ。それがヴィンセントの仕組んだ策略だと気付かずに、彼の掌の上でで踊ってしまった。魔術師もまた然りだ。


「世界とは悲劇。悲しいのう」

「なら、喜劇に変えましょう。リーンさん。私はヤイト君と共に、美しい世界を見たいんです。多くの人と魔術師が世界の美しさを知れば、きっと戦争を止めるでしょう」


 ハルの意見にリーンはそんなことはない、と反射的に反論が脳裏に浮かんだ。しかし、口には出さなかった。

 ハルが言ったのはただのキレイゴトだ。頭ごなしに否定するのは簡単。しかし、キレイゴトの一つも言えない世界などとんでもないクソ世界である。理想の一つも振りかざせない世界などは滅んでも致し方ない。

 だから、リーンは否定しなかった。隣のハルフィスが視えた! と急に声を荒げる。


「視えた、視えたぞ! ドルイドには予言の力があるのじゃ。もうしばらく経つと世界は平和になり、君たちも美しい世界を観光できるようになる。大賢者である儂が保証するぞ」


 とハルフィスは言うが、ドルイドの予知能力の精度は高くない。様々な事象を踏まえ、精霊と交信しながら行うため、予言の内容が毎回違うことなど当たり前だ。

 しかし、それでも否定はしない。子どもには希望が必要なのだ。絶望を背負うのは大人だけでいい。


「たまには良いことを言うのう、ジジイ」

「いつも良いことしか言っておらんぞ、ババア」


 リーンとハルフィスは互いを罵倒して、笑みを浮かべた。



 ※※※



 自室にこもり、フレイヤは剣を磨いていた。フレイヤは魔術に長けた女神であり、主神オーディンにさえ魔術を伝授したこともある。

 その魔術こそ、セイズ。魂を司る魔術だった。


「ソラは恐れ知らずにブリュンヒルデなり過ぎた、か」


 ソラが自身の思惑を通り越し、完全なる不殺を行おうとしている。フレイヤは危機感を抱く。

 グングニールは対象を外すことなく確実に屠る概念武装。これを回避できる存在はこの世にはいない。例え神でさえもこの概念からは逃れられない。

 だが、どれほど強力な兵装でも使われなければ意味がない。ソラは例えグングニールを使うべき局面であっても、極力槍の顕現を避けてきた。

 それでは困る。あれはたったひとりを殺すため、フレイヤ自らが創り出した殺傷武器なのだ。


「ヴィンセントを殺せ。生かす意味がないのだ、あの男は。救う必要などない」


 ――それでもソラは救いますよ、フレイヤ。

 ――私の妹を救った少女ですから、あの子は。


「セレネ、天音」


 かつてフレイヤがヴァルキリーシステムを扱うに足るとして呼びかけた幻影が姿を現す。フレイヤは死者の幻影から顔を背け、作業を続ける。


「ならば私自ら剣を執る。異論はあるまい……」


 フレイヤの言葉通り、セレネも天音も異論はない。

 代わりに想い浮かべる悲しみだけが、手狭な部屋に満ちていた。

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