破滅をもたらす者
「ほう、やはり生きていたか」
ゴディアックはほくそ笑む。全方位モニターには、青白の鎧を身に纏うブリュンヒルデが映っていた。
予想できたことではある。ヴァルキリーシステムは強固な装甲と防護魔術によって保護されている。そのため、よほどの攻撃でない限り即死は有り得ないのだ。
てっきり自分に謀を仕掛けたケラフィスが隠匿していたものだと思っていたが、彼の反応を見るに彼もまたブリュンヒルデが死んだものだと思っていたらしい。
「よくもまぁ、中身のわからないものを使用する気になったものだ」
ゴディアックは余裕の表情で笑う。ヴァルキリーシステムの情報は全てアーサーから与えられている。攻略法は頭に叩き込んである。不意の増援と言えども、嗤わずにはいられない。
素晴らしいボーナスタイムだ。不覚を取ったが、ヴァルキリーを三機とも鹵獲すれば自分の株も上がるというもの。
「巨人には勝てんぞ、ブリュンヒルデ」
ゴディアックはブリュンヒルデへと照準をロックする。――恐れるものなど、何一つない。
※※※
「クリスタルは後方から援護をお願い」
ソラはクリスタルに頼んだ。クリスタルの力では、ゴーレムに真っ向から勝負を挑むのは難しい、という戦術的判断だ。
しかし、それを聞いてもクリスタルは不満げだった。というより、ソラのことを心配しているのだろう。
ゴーレムは強敵だ。さらにまだ武装を隠している。目に見えてわかりやすい銃や砲ではなく、内蔵されている魔術の技を。
「本当に大丈夫なの? ソラ」
「大丈夫大丈夫。私が成長しているところ、クリスタルに見せてあげるよ」
昔のソラはクリスタルに頼りっぱなしだった。彼女の背中にぴったりとくっついて、嫌なことがあると情けなく泣き出す無力な子ども。それがソラだった。
しかし、今は違う。今の自分には力がある。人を、友達を守れる力が。
ゆえにソラは退魔剣を引き抜いた。退魔剣ならば、重力魔術が発動されても因子を切り裂ける。
「硬くて速くて、火力もある、デタラメな兵器よ」
『クリスタルさんの言う通りだ。下手に接近すると最悪死にかねない』
「大丈夫だよ、ヤイト君。それにヴァルキリーは丈夫だし」
クリスタルの最高威力の砲撃を食らっても、ソラは生きていた。瀕死の状態であり、ミュラに治療を施されていたが。
盾で防御さえできれば、即死は避けられる。とりあえず様子を見て、戦術を組み立てなければ始まらない。マリに教わり、みんなで実践する対魔術師戦闘の基本だ。
「とりあえず、あの……大きいロメラちゃんとモルさんを助けないと。ホノカはこっちにいないの?」
『今向かってるー!』
ソラは巨兵から目を離し、眼下で重傷を負うメローラとモルドレットに気を配る。その様子を見て、クリスタルが懐かしんだ笑みをみせたが、反対にゴディアックは嘲笑の声をスピーカーから響かせた。
『他者を気に掛ける余裕があるのか? ブリュンヒルデ!』
「――っと!」
向こうもまずは様子見らしい。ゴーレムが右ストレートを打ち放つ。ソラは得意の空中機動で難なく避けて、敵の攻撃速度の素早さを知った。ブリュンヒルデでは対応が難しそうだ。
なので、グラーネを呼び出す。グラーネフォームへと変化して、バイザー越しに敵の弱点を探る。
「やっぱり関節……かな」
『その見立ては正しい』
初めて話すが、既知である。同じ第七独立遊撃隊所属のローンウルフから通信が飛ばされた。彼は自分が観察し見抜いた弱点をソラに教えてくれる。
『メローラによるゲイ・ボルグの刺突を、ゴーレムは回避した。今までの戦闘記録から踏まえると、あの機体を操る男は傲慢だ。もし効かない攻撃ならば、避けることなく受けて立つ。しかし、槍に対してはわざわざ迎撃行動をとってみせた。関節にダメージが入ることを忌避している』
『ゴディアックはカバラ秘術を使い、巨人兵を扱う古参マスターの一人だ。三年程前から突然姿を消し、行方不明となっていたが、よもや防衛軍内部に潜り込んでいたとはな』
知らない魔術師がソラに解説を送る。上層部に紛れ込んでいたのがいつの時期からは知らないが、もしずっと昔から紛れていたとすれば、この戦争自体が仕組まれていた可能性がある。
つまり、この戦争は茶番なのだ。人間と魔術師が互いを恨んでいたことさえ、本当なのかどうか怪しくなってくる。
「私とソラが離ればなれになったのは、こいつが原因……?」
クリスタルが思い付いた考えを口に出す。それを聞きとったゴディアックがミサイルをソラとクリスタルに放ちながら話し出した。
『いいや、全ては人が愚かなせいだ。他人に流され、自分の考えを確立できない愚者が多くてな。ちょっと手を加えるだけで、勝手に戦争は起こる。火種はそこら中に転がっている。そこへ風を送って燃料を投下すれば、自然と炎上してくれるというわけだ』
得意げに語るゴディアックだが、ソラは冷静さを維持し続ける。彼にはたくさん話を聞かなければならない。
『ふざけたことを抜かしてるな。気にするな。そもそもこいつはただのパシリだと俺は睨んでいる』
『気が合ったな、ケラフィス。俺の推測でもそうだ。こいつは防衛軍内部に潜入し、浮き島にいる黒幕から雑用を任された。……恐らく、アメリカがわざわざ無効化される核ミサイルを浮き島に向かって撃ち放ったのも奴らの仕業だろう。……大統領は操られていた節がある』
ウルフとケラフィスという男が通信でそれぞれの持ち得る情報を交わしていく。その間にも自身がバカにされていると気付かないゴディアックは、上機嫌にソラを殺さんとガトリングを穿つ。
それをグラーネフォームの機動力で回避。グラーネに跨ったまま騎兵槍による刺突を試みたが、ゴーレムの回避速度は凄まじく、横にスライドされて避けられた。
そもそも、この槍で効果的なダメージを与えられるか疑問である。直撃させる時だけ、シグルドリーヴァの火力が必要かもしれない。
「どうすれば……」
ソラはグラーネに跨って、放たれたランチャーを避けながら思案する。そこへ、ヴァルキリーシステムが語りかけた。
『部分展開の使用を推奨。一部武装の換装が可能です』
『ソラちゃん、またブリュンヒルデとの適合率が上昇しているわ! 新機能がアンロックされてる!』
戦闘模様をモニターしていたコルネットが報告してくれる。思えば、すんなりセバスと意思疎通できたのも適合率が上がったおかげかもしれない。
部分展開が可能ならば、右手に魔剣グラムを構えることができる。ソラは右手だけをシグルドリーヴァのパーツに変化させた。手にグラムを握りしめ、再び突撃する。
『――ふん、予想済みだ』
しかしゴディアックは動じない。重力魔術が発動され、グラーネの機動力と浮遊力が落ちる。ソラは左手で退魔剣を取り出し魔術因子を裂いたが、その隙にゴディアックは追加魔術を発動させていた。地面が隆起して、一本の槍となる。鋭利な突起が、地面から生えグラーネに直撃せんとした。
「……いけない!」
グラーネを喪うにはまだ早い。ソラは巧みに馬を乗りこなし、コンクリート槍の刺突を避ける。バイザーがゴーレムに搭載されている魔術の傾向を読み取った。――土属性だ。
(ユーリットさんが使ってた四大属性の一つ……)
土は一見地味に思えるが、とても強力な属性の一つである。地球そのものを武器へと変換できる優れた魔術だ。
眼下に広がる大地全てが、ゴディアックの武装である。ソラは戦略の立て直しを余儀なくされた。
これほど強力な相手だというのに、不思議と負ける気はしていない。なぜだろうか、とソラは考えて、
「どうするの、ソラ」
という自信の源の声を耳にする。
「参ったね、下手な攻撃じゃ意味なさそう。どうすれば……あ」
つい昔のくせで、クリスタルに頼ろうとしてしまう。思わず口を噤んだソラだが、むしろクリスタルは嬉しそうに表情を綻ばせて思案を始めた。
「そうね、関節もいいけど、目を潰せばいいかも」
「目潰し?」
「そう、目潰し。どうですか?」
クリスタルが周囲にいる仲間たちに訊ねる。全員から肯定的意見が返ってきた。同時に、注意警告も。
『あれほどの巨体を頭部センサーだけでカバーしているとは考えにくい。油断するなよ』
『魔術によって第三の眼を確保している場合がある……が、お前たちならわかるだろ?』
ウルフとケラフィスに言われて、ソラたちは返事をした。とりあえず頭を潰す。敵の行動に注意しながら。
方針が固まれば、後は実行するだけである。ソラはグラーネを顕現させたまま、シグルドリーヴァフォームへと切り替えた。薄い青色が濃くなり、馬の精霊が狼の精霊へと姿を変える。
「回避しないの?」
機動特化から火力特化へと形態をチェンジしたソラにクリスタルが訊いた。
ソラは頷いて、自分の攻撃方法について説明する。
「するけど、まずは敵の攻撃を促すよ。グラムならあれの拳を弾き返せるし」
加えて、パイルランサーを使った遠距離攻撃も可能である。左眼の観測眼帯で敵を観測しながら、ソラは右手に魔剣を持ち、左腕に伸縮槍を装着する。
『警告。敵機に動きあり。迎撃行動を推奨』
「クリスタルはッ!」
打撃が来たので、グラムで弾き返す。ほほう? とゴディアックが好戦的な声を漏らした。
「――どうにかして、センサーだけを撃ち抜ける?」
ソラはゴディアックに対応しながら、クリスタルに問いかける。クリスタルはゴーレムを見据えながら、二つ返事で了承した。
「わかった」
クリスタルはソラの元から少し離れてマスケット銃を構える。鋭い射撃なら頭部に搭載されているメインカメラを破壊できるはずだった。
ソラもまた、パイルランサーで頭部へと狙いをつける。こちらは本命ではなく囮の意味合いが大きい。
ゴディアックは案の定、ソラのことしか注目していなかった。クリスタルの火力ではゴーレムを傷付けることはできない。そう妄信しているのだ。
(……でも、クリスタルなら)
ソラはクリスタルに絶対的な信頼を置いていた。彼女なら状況を打開してくれる。昔からいつもそうだった。何かトラブルが起きた時、ソラはいつもクリスタルに頼っていた。自分は何もできずに隠れて泣いていただけだ。
しかし今は違う。二人で協力して強大な敵を倒すことができる。悲劇はあった。誤解はあった。それでもソラとクリスタルの関係性は崩れない。
『ヴァルキリーなら勝てると踏んだのか? 魔術師でもない、他者の力を借りているだけのお前が? 今までの勝利はブリュンヒルデの性能のおかげだ。お前自身の強さではない』
ゴディアックはそう言いながらガトリング砲と、地面を変化させた隆起攻撃を繰り返してくる。ソラはステップを踏んで地面から生えるトゲを避け、弾丸をグラムで斬り落とす。パイルランサーの照準はゴーレムの頭に向けられているが、敵の攻撃が苛烈で発射できない。
しかし、怖じず焦らず。ソラは平静さを保ちながら、敵の猛撃に対応していく。
「グラーネ! 行って!」
狼モードのグラーネにゴーレムへと突撃させる。狼は空を駆けガトリング砲目掛けて進み、右腕部に装着されている砲身に噛み付いた。繊細な砲身では狼の牙を防げない。取るに足らないとばかり思っていた狼に武装の一つを破壊され、ゴディアックが怒り狂う。
『えい、お前!』
「よし!」
その隙に伸縮槍の発射態勢を取る。地面が隆起してもなんのその。グラムで邪魔を仕掛ける土槍の術式を斬り壊しながら発射する。
狼に気を取られていたゴーレムは、咄嗟に回避行動をとった。しかし、完全には避けられず、頭の右半分にダメージ。右側頭部の装甲が削られ、穴が開いた。
「クリスタル!」
「言われなくても!」
クリスタルは既にソラの開けた装甲の穴に狙いをつけている。精確な射撃で弾丸が吸い込まれた。内部に命中したマスケットの弾丸は見事穴を貫通。さらに、前以て仕込んでいた追加術式により爆発を引き起こした。
巨体の動きが止まる。その一瞬を衝いてソラがグラムによる斬撃を関節部分に放つ。
気合の叫びと共に、一閃。左脚部の膝関節が真っ二つに両断された。
機体がバランスを崩し、左側へと倒れていく。
「やった!」
『――などと思ったか、愚か者め!』
ソラが勝利を確信した矢先、ゴーレムが右手でソラを掴んだ。目を潰されていたはずの機体による反撃にソラも驚きを隠せない。いや、目が見えない中での反撃なら予想内。問題なのは、足を壊された機体が正常のバランスを取り戻したことだった。
「どうして!?」
拘束されながらもソラが叫ぶ。ゴディアックは笑いながら告げた。
『足など所詮飾りに過ぎん。この機体の強さは、私そのものだ! 私さえ生きていればどうにでもなる!』
「だったらあなたを倒せば終わるわけね!」
クリスタルがゴーレムに肉薄し、ゴーレムの周囲に形成される重力場の術式を解除する。所詮、自動で管理される術式なので、この程度ならエデルカに教わった解除術で一時的に停止できる。
バランサーの再起動に手間取っている間に、ソラが脱出を果たした。後は、ゴディアックが操縦しているコックピットへ攻撃を加えればいい。ご丁寧に、ゴディアックは弱点を教えてくれたのだから。
「ソラ! 一気にたたみかけて!」
「わかった!」
ソラがパイルランサーの狙いをコックピットがあると予想される胴体部分へ照準。間髪入れずに射出する。
『――何!?』
ゴディアックが悲鳴を上げて、外部スピーカーが雑音を響かせる。
パイルランサーは非殺傷概念武装のため、敵の生死については心配しなくていい。直撃した槍が胴を貫く。
機体が断末魔と共に、崩れ落ちた。喧しい轟音を立てた後、戦闘不能となり沈黙する。
「よし……一応確認しよう」
ソラがブリュンヒルデへと戻り、仰向けに倒れたゴーレムの胴部分を確認する。予測と観測眼帯の分析では、そこには間違いなくコックピットがあり、ゴディアックが気絶しているはずだ。
覗き込むと、そこにはコックピットがちゃんとあり、見事に貫かれていた。
しかし、ゴディアックの姿がない。穴の反対側から逃げたわけでもない。
「ま、まさか!?」
『私がいつ、その機体に乗っていると言った?』
気付いた時には、無人の機体が拳を振り上げていた。回避も防御も間に合わない圧倒的速度で。
瞠目したソラは、反応すらできなかった。ゆえに、横から繰り出されたタックルにも気が付かなかった。
「危ない!」
クリスタルがソラを救うべく体当たりをする。ソラが機体から飛ばされる。
彼女の代わりに、クリスタルがゴーレムの殴打をまともに喰らう。
『ただの殴りではない! 遠距離打撃だ!』
「クリスタル!!」
さらに追い打ちとしてゴーレムは右腕を射出した。腕の後部に装備されたジェットが火を噴き、右腕が射出装置として機能する。クリスタルはそのまま、建物にぶつかって潰された。ブロッケン山で見た悪夢のように、叩き潰された。
「……え?」
ソラは理解が及ばない。一体何が起きたのか。
先程までいっしょに連携して、ようやく強敵を倒せたのだ。今度ばかりはきちんと会話して、わかり合えると確信していた。
なのに、クリスタルは拳に潰されてしまった。血が激突箇所に付着しており、探せばクリスタルがいるだろうと着弾地点へ目を凝らす。だが、ソラの眼から見てもクリスタルは見つからない。眼帯も生命反応はなし、と伝えてくる。
「え?」
もう一度疑問の声を出す。同時に高笑いが響いてきた。ゴディアックが機体の上に姿を現し、直接コックピットに乗り込んだ。すぐに再生機能によって、破壊した機体のパーツが修復される。
『遊びは終わりだ。そろそろ本気で殺そう。己の無力さを知れ、ブリュンヒルデ!!』
ゴーレムが再起動し起き上がる。放心しているソラに再度叩きつけを行う。
――ソラの視界が真っ暗になる。
※※※
「……あれ? ここは」
気付いた時には、昏い世界にいた。周囲には何もない。さっきまで死闘を繰り広げていたはずなのに、上下左右すら判断つかない空間へと飛ばされている。
「いけない。こっちに来ないと」
急に声が掛けられて上を見ると、ブリュンヒルデを纏った自分が浮いていた。
「わ、私……?」
「そうよ、私。急いでこちらに来なくちゃダメ。呑み込まれちゃう」
「何に……?」
疑問は尽きない。ここはどこなのか。形態変化を獲得した時と同じように、また心象空間にいるのか。
だが、やはり一番気になるのは、もうひとりの自分の言葉。呑まれるという部分についてだった。
「どういうこと? 何に呑まれるの」
ソラが訊ねるとブリュンヒルデは答えを口に出した。だが、ノイズが奔り全てを聞き取れない。
「わかって……よ……じ……の……みに」
「……え? ちょっと!!」
ブリュンヒルデは答えを伝え損ねたまま消失する。ソラが困り果てていると、今度は下から声が掛かった。
視線を下方に送ると、ブリュンヒルデでも、その派生のフォームでもない、新しいヴァルキリーのようなものがいた。青を基調とした色合いではなく。黒。この空間のように昏い、黒。声がなければそこにいるとわからなくなってしまいそうになるほど、漆黒だ。黒のベールを頭に被っている。
「――ようやく出られたね。今まで息苦しかったよ」
「あなたは……?」
「私はディース。私が今まで頑張って隠してきた部分」
「私が隠した?」
ソラは困惑しながら訊き返す。やだなぁ、わかってるくせに。ディース……黒い自分は、ゾッとする笑みを浮かべながら応える。
「ヴァルキリーには殺意や敵意、憎悪は不必要。一定の心理状態を維持しなければ使用不可。何でそんなリミッターがわざわざ設定されていたかわかる? 私のせいだよ」
「あなたの、せい?」
「そう。私は破滅をもたらす者だから。元々、ヴァルキリーシステムは殺戮するために作られた正真正銘の虐殺兵器。半永久的な魔力源を搭載し、誰でも扱える大量破壊兵器。これは世界を壊すシステムなの。世界を救うシステムではなく」
「そ、そんな……。例え元はそうでも、今は違うよ!」
なぜ否定するのか自分でもわからないまま、ソラは声を荒げる。そうしないとなぜか自分が保てなくなるように感じていた。
そもそも、リミッターが設定されていたはずなのに、どうしてディースが表面に出てきたのか? 脳裏に浮かんだソラの疑問にディースは快く答えてくれた。
「私が恨んだから。世界をね」
「何を言って……」
「元々、私は他者に対する憎しみや恨みが弱かった。それらを思っても、自分の中で消化できていた。他人に憎しみや恨みを募らせない者は人間じゃないからね。私も人間である以上、それらからは逃れられない。……ヴァルキリーシステムに設定された安全装置は、憎しみや恨み、怒りを抱かない人を対象にしているのではなく、それらを思っても、自分の中で割り切れる者にのみ扱えるようになっている。でも、一定の適合率を超過すると、その装置はまともに動作しなくなるんだ。だから、私はずっと待っていた。私が強い破壊衝動に呑み込まれるのを」
「わ、私は誰も傷付けたくなんか」
「今まではそうだったね。破壊衝動が発生しても、すぐに私の心は対処した。鬱陶しい、うざい奴が来ても慈悲の心で見逃してあげていた。でも、それももう終わり。ねぇ、知ってる? 常時怒りっぱなしの奴と、普段滅多に怒らない人間と、どちらが真に恐ろしいのか。前者の行動は予測できる。でも、後者はいつ怒り、そしてどんなことをするのか見当がつかない。私は後者だよ、ソラ。そろそろ私に甘える皆さんに、相応の報いを受けてもらおう?」
「だ、ダメ……!」
ソラは逃れようとした。浮かび上がってくるディースから。己の中に潜んでいた負の情念から。
しかし、逃げられない。確かにソラは今、怒り、悲しみ、憎悪している。
理由は明白だ。クリスタルが死んでしまった。ゴディアックに殺されてしまった。
なのになぜ、自分はまだ生きていて、親友を殺した相手を殺さないように戦っているのだろう。
「だ、ダメ! そんなことしたらもうどうしようもなくなる!」
「表面で取り繕っても無駄だよ。あなたの内面は運命に抗いたくてしょうがない。喜んで? ディースは運命に抗う女神。漆黒のディースは、世界の運命を破壊する。聖杯が完成し道ができれば、原初の本に辿りつくことができる。そこに一言書き加えれば、クリスタルは蘇るんだよ? 何で躊躇する必要があるの?」
「な、な……」
闇の魅力に憑りつかれそうになる。逃げようと周囲を見回したが逃げ場がない。辺りには、ソラを囲うように亡霊たちが姿を現していた。ディースはヴァルキリーの反対存在。辺りには敵を憎み、殺したいと願う死者たちが集っている。
「殺そうよ。殺して殺して、殺しまくろうよ。私は平和を望んでいた。だったら直球で平和を作ろう。世界の人間を全て殲滅すれば、世界は恒久的な平和を手に入れるよ」
「私はそんなもの、望んで……な……い……」
しかし、そう言葉を発してもソラは抗えない。漆黒に染まり、閉じ込められる。
助けを求めようにも、周りに自分を救ってくれる者はいない。最後の希望は殺されてしまった。
※※※
『ヴァルキリーシステムヲ中断。強制介入。ディースシステム起動。オペレーティング再開』
「な、何だ……? これは」
ゴディアックはモニターを食い入るように見つめていた。戦意喪失したはずのブリュンヒルデがゴーレムの叩きつけを片手で受け止め、漆黒に染まり始めている。
「どこにこれほどの力を……この機能はなんだ? 聞いていない!」
アーサーからの報告には隅から隅まで目を通してある。彼の送ってくれた報告書には、このようなシステムは記載されていなかった。
『ふむ、起動したようだな』
「アーサー!? どういうことだ!?」
突如アーサーからの回線が開き、ゴディアックは叫び訊く。アーサーは予定調和というべき口調で淡々と言い返した。
『そういうことだ、ゴディアック。ご苦労だった』
「な、お前、最初から私を殺すつもりだったのか!?」
『私とヴィンセントが必要だったのはお前ではなく、お前が持つカバラ秘術だ。ゴーレムの量産体制は確立された。一機失ったところで痛手ではない』
「ふざけるな! お前は私に恩義があるはず――」
『恩着せがましいな、ゴディアック。……余所見をしている暇があるのか?』
「貴様――!!」
アーサーとの通信が途絶えた。同時に機体が大きく後退する。ディースに押されたのだ。ディースの力はヴァルキリーを大幅に上回っている。自分持ち得る魔術と技術をつぎ込んだゴーレムよりも。
それに、痛さを感じるほどの殺気が辺りに充満している。ディースから放たれているのだ。
先程まで、自分に対して非殺傷攻撃を行っていた相手が、本気の殺しを行おうとしている。
「く、くそ……バカな!」
眼下でディースが漆黒の剣を取り出した。感情のない瞳でゴーレムを見上げる。
「脅威判定終了。――最優先破壊対象ヲ抹殺スル」
「ええい、所詮は人型! この巨体には敵うまい!」
威勢よく叫びながら、ゴディアックは全力でディースに対応する。重力魔術と、土属性の攻撃を併用。全武装の標的をディースへと定めて一斉射撃。
だが、どの砲身も銃身も、沈黙したまま起動しない。慄くゴディアックに警告音が鳴り響く。武装が破壊されました、との表示と共に音声ガイドが響き渡っている。どの武装も攻撃する前に壊されたのだ。
「何だこの力は! 今まで手加減をしていたのか? これがお前の本気なのか!」
ディースの動きは素早く、こちらが反撃に出ようとした瞬間には行動を制されている。既に魔術発動装置も斬り壊され、近接武装も格納されたまま破壊された。右腕が斬り落とされ、次に左腕。右足、左足と壊して仰向けにダウンした後は、胴体周りの装甲を一枚一枚抉り壊し、じっくりとこちらをいたぶっている。
「何だと? 私はマスターだ! “巨兵の使い手”の異名を持ち、魔術評議会に名を連ね、ディアゴとして防衛軍に潜入し、世界に戦争を引き起こさせた。世界は私の手にあるのだ。それをお前如き矮小な人間に!」
轟音と共に昏い閃光が煌めき、コックピット前の装甲が吹き飛んだ。眼を見開くゴディアックの前に漆黒の戦乙女が姿を現す。
恐怖のあまり、ゴディアックはプライドを捨て命乞いを始めた。
「ま、待て。謝罪しよう。悪かった。私も被害者なのだ。お前は他者の事情を鑑みて、敵を赦す女神だろう? ならば――」
「殲滅、スル」
ソラは漆黒の剣を逆手に持ち、ゴディアックへと振り下ろす。鮮血が周囲に飛び散った。