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戦乙女の鎮魂歌  作者: 白銀悠一
第七章 破滅
53/85

死の胎動

 魔術書や古文書が並ぶ本棚、それがいくつもある研究所の一室で、人が丁度ひとり入りそうなカプセル状の容器が音を立てて開く。そして、中から全裸の少女が現われた。銀髪が美しいその少女は自分の容姿を見下ろして不満を露わにする。


「やはり、素体の成長が間に合いませんでしたか」

「おはようございます、マスターエデルカ。転生は成功です」

「そのようですね、エル」


 服を差し出してきたエルに応え、エデルカはローブに身を包む。予定通りだった。アーサーに言われなくとも、実力で彼に敵うことはないと他ならぬエデルカ自身が理解していた。これは、敵を欺くための偽装である。アレックはエデルカに多くの事柄を託していた。

 エデルカは自分の重要性を把握している。ゆえに、わざとアーサー自身の手にかかって殺され、身の安全を確保したのだ。


「不思議と若返った気がしますね、エル。準備は進んでいますか?」

「もちろん。必要な書類は全て転送済みです。……こちらはどうしますか?」


 エルは水晶をエデルカに向けて差し出す。その球体にはエデルカの心が封印されていた。感情の排斥は、場や個人的思想に流されず精確に物事を執筆できる。ゆえに、エデルカのような執筆者は無心を手に入れるために必要最低限以外のものを全て水晶の中に封じ込めるのだ。


「……移動中は危険でしょうし、身体に馴染ませねばなりません。一度、私の中に戻しましょう。でも、その前に」

「如何しましたか?」

「浮き島の様子はどうなっていますか」


 エデルカの問いを受けて、エルは冷徹な表情のまま事実だけを告げる。彼女もまた、エデルカのように必要最低限の感情しか持ち合わせていない。


「マスターハボックが死亡。ミルドリアは裏切りました。ハルフィス様やレオナルド様は存命です。フィリック様は行方が知れません」

「そうですか、残念ですね。……クリスタルは」


 ハボックの件は残念だが、他の二人が生きているとならば心配は無用である。ここで一番存在が危ぶまれるのはクリスタルだった。アレックはクリスタルを大切に育てていた。彼女の死は避けなければならない。


「生きてはいるようです。ですが……」

「生きてさえいれば、結構です。ここからは私たちの仕事。迷惑を掛けますね、エル」

「問題はありません。では、心を戻します」


 エルは空中に光る文字を書き、水晶に封じられた心をエデルカに戻す。前以て備えていたが、やはり心理的衝撃を抑え込むことができない。エデルカは床に倒れそうになる。

 感情の奔流。その渦に呑み込まれる。心とは理不尽で不可解。今まで隔離していた心が一気に取り戻されて、エデルカは感情の波に囚われた。


「くっ!」

「大丈夫ですか、マスター」

「え、ええ、問題、ありません……っ」


 泣きながらエルにそう告げる。一番制御が難しい感情が悲しみだ。他の感情は抑えられても悲しみだけはどうしようもない。

 ロシアでは、悲しみは海ではないから飲み干せる、ということわざがある。どんな悲しみだとしても海ではない。克服も可能だという意味合いだが、飲み干すにはしばらく時間が掛かりそうだ。


「なぜ……上手く、いかないもの、ですね」


 かつての師に弟子入りした時の条件が感情の隔離だった。執筆者は公平でなければいけないからと。

 魔導書の執筆は心を捨てる覚悟がある者だけが従事できる特別な職務だ。他の流派や派閥では、心を持ったまま魔術書や魔道書を記そうとする者がいる。だが、大抵途中で気が狂ってしまうのだ。長きに渡る探究の成果をまとめる過程で。

 ゆえに、記録者足る者は感情を捨てなければならない。そうしなければ務まらない。

 そう教えてられてきたし、理解もしている。そして、今日新たにエデルカは確信した。


「やはり、感情はいらないもの、ですね……。仲間の死がこんなに、悲しいことだとは――」


 エルが支度を整える合間にも、少女へ若返ったエデルカは涙を流し続けていた。



 ※※※



「……空砲?」


 銃声が響き渡ったが、弾丸が命中しない。自分が魔術を発動したわけでも、マリという少女が狙いを逸らしたわけでもない。

 ゆえに、クリスタルが思いついた言葉を発すると、マリは微笑を浮かべて拳銃を下ろした。


「そうよ。どっかの誰かさんにやられた時の八つ当たり。これでソラとメグミを殺したとうじうじするあなたは死んだ」

「終わったみたいだね」


 クリスタルとそう歳の変わらない少年が入室してくる。無表情の中に僅かな優しさを見出し、クリスタルは部屋内にいる四人の顔ぶれを見比べる。

 疑問はたくさん湧き出ていた。どうして殺さない? 仲間を殺した仇なのに。


「今、あなたはどうせしょうもないことを考えてるでしょう。敵なのにどうして殺さないのって。なら、答えてあげるわ。敵じゃないからよ」

「敵じゃない……?」

「そう。魔術教会と防衛軍の上層部は繋がっていた。今までの戦争は邪魔な奴を減らすための手段にしか過ぎない。だからお互いに戦争状態を維持し続けていた。軍が無策にも等しい戦略をとっていたのはそのため。最初から自滅させる目的だったんだから、奴らは無能じゃなく有能よね。腹立たしいけど」

「そ、そんなまさか……」

「本当よ。現に今、浮き島では反乱が起きてるわ。今、敵は自分たちの勢力を一纏めにしている最中。アーサーが筆頭となって色々としているみたい」


 同じ魔術師であるジャンヌに言われ、クリスタルは反目せずに受け入れる。こんな状況だから、という理由だけではない。ソラの仲間だった人々なのだ。無条件で信用できるに決まっていた。

 ソラのおかげで信用できる。そう思うと辛い物が込み上げて来て、クリスタルは俯いた。


「ソ、ソラ……私は」

「ダメだよ、クリスタルちゃん。泣いちゃダメー。ソラちゃんもメグミちゃんも、クリスタルちゃんを救おうと頑張ってたんだよー。だから、今はダメ」


 エイルを纏っていた少女、ホノカが務めてクリスタルを励まそうとする。クリスタルは全て覚えていた。自分がソラの親友を殺したことも。ソラを爆殺してしまったことも。

 だが、泣きそうになったところを堪える。彼女たちに報いるためにも、今は涙を流している場合ではない。


「そうね。何をすればいい」

「察しがいいわね。あなた、本当にソラの友達? あのバカとは大違い」

「……いい反面教師だったのよ、ソラは」


 クリスタルは身を起こす。外傷は全てエイルが治癒を施してくれたようだ。すぐにも動けた。これも、ソラが自分を傷付けないよう戦ってくれたおかげだ。

 その事実がいちいちクリスタルの心を抉るが、先程決意した通り、泣くよりもすべきことが山積している。


「作戦室に来て。一度話し合わないと」

「敵を倒すの?」

「いや、脱出が目的だ。僕たちも態勢を立て直さないと」

「向こうは魔術師が数十人。こっちはたったの六人しかいない。まともにやり合うのは無理ね」


 ジャンヌが魔術師だけを勘定に入れた計算を諳んじる。事実として、対抗できるのはヴァルキリーエイルを含めて七人だけ。さらに、エイルとジャンヌは支援タイプと来ている。彼女たちの言う通り、まともに交戦するのは無謀だった。


「ケラフィスに支援者の当てがあるみたいだし、一度そこに逃げて、その後反攻作戦に出るわ」

「……勝てるの?」


 思わず問いが口を衝く。マリは歩みを止めて振りかえった。


「勝つか負けるかは問題じゃない。やるだけよ」


 クリスタルは無言で頷く。一同は医務室を後にして、廊下を進み、作戦室へと入っていった。



 ※※※



 ふかふかの温かい毛布にくるまれて眠っている。半ば意識が覚醒すると、耳に奇妙な音が聞こえてきた。

 乱雑な呼吸音が聞こえる。生きているのか死んでいるのか、定かではない音が。


「……ん」


 その音を怪訝に思い、ゆっくりと目を覚ます。目を開けて、自分が知らない場所にいると気付く。


「どこ、ここ?」


 と身体を起こし、周囲を確認しようとして、


「へ……」


 と間抜けな声を漏らす。隣の丸椅子に座っていた存在に、目を奪われていた。

 腐敗した身体。生気のない呼吸音。明らかに死人であるソレは――。


「ぞ、ぞぞぞゾンビッ!?」


 驚いて飛び上がる。その間にも、ゾンビは鳴き声なのかよくわからない声を出す。


「起きたぁ?」


 だが、部屋の扉から声が聞こえて固まった。ドクロの首飾りを掛け、白と黒が入り混じった装束の少女が扉から現れる。


「あ、だ、ダメ! ゾンビに食べられちゃう!!」


 咄嗟に少女を逃がそうとしたが、少女はその様子を見て不思議がる。そして、合点がいったように手を合わせてゾンビへと近づき、平然とした様子でその頭を撫でた。


「大丈夫、怖くないよ? セバスは私の世話係だもん」

「せ、セバス?」

「そうよ。あなたをセバスが見つけてくれたの。うふふ、寝ぼけてるの? お名前言える?」


 問われて、拍子抜けしながらも答えた。自分の名前は青木ソラだと。


「ソラ、だよ。青木ソラ」

「そうそう、しっかりしてね。じゃあ、今日からよろしく」

「う、うんよろしく。……あれ?」


 何かが引っかかりソラは首を傾げる。だが、違和感はすぐに消し飛んだ。

 ゆっくりとソラの記憶がよみがえり始める。ソラは彼女――ミュラと親戚同士であり、今日からしばらくここで過ごすのだ。外は恐ろしい戦争をしているから、この孤島に疎開する羽目になったのである。


「……何か手伝う? ミュラ」

「いい、いいのよ。私とあなたは親友同士だし」

「うん……うん……?」


 何か奇妙な感覚が奔ったが、すぐに知識に補填される。幼い頃、よく遊んだ仲だ。小さい頃、かくれんぼなどをして――。


「あ、あれ? かくれん、ぼ……」


 おかしい。かくれんぼは苦手だったはずだ。ソラは頭を押さえる。

 かくれんぼは嫌いだった。あの子と離ればなれになってしまうような気がしたから。それだけではなく、何か大切なことを忘れているような気がする。

 そもそも大事なアレがない。首から掛けていた大事なアレが――。


「ミュ、ミュラ? 私、私――!」

「大丈夫、大丈夫よ? ソラ。あなたは少し、疲れてるだけ。疎開の途中で大変な目に遭ったから、混乱しているだけ」


 ミュラは振り子を取り出して、ソラの眼前で左右に振る。振り子にはルーンが刻まれていた。ソラは催眠にかかったようにとろんとした目つきとなる。


「混乱、してる……」

「そう。すぐに元のあなたに戻る。私の親友であるあなたに。……あなたと私の出会いは運命。どこにも行かさないよ。あはは」


 ミュラは笑った。ソラも釣られて笑う。

 だが、手元だけはずっと同じ動作を繰り返していた。今は身に着けていない、クリスタルがくれたペンダントを掴むしぐさを。


「ォォォ……ゥ」


 セバスという名のゾンビだけが、悲しそうに鳴いていた。



 ※※※



 ソラは催眠を掛けてすぐ眠りこけてしまった。揺り椅子で寝てしまった彼女に毛布を掛け、ミュラはひとり自室へとこもる。周囲の世話はセバスが全てやってくれる。ミュラは、部屋でゆっくりと余韻に浸れる。

 やっと出会えた、天からの大切な贈り物。その邂逅を噛み締める。両親とセバスの言う通り、彼女は現れてくれた。


「私を受け入れてくれる、大切な友達……」


 微笑を浮かべながら、テーブルの上に飾ってある置物に目を向ける。念のため遠ざけた彼女の所持品もそこにはあった。


「金の指輪。青いペンダント。どちらも魔道具。……彼女からは死の臭いが香る。でも、邪悪なものじゃない。温かくて優しいもの」


 ミュラはペンダントを摘まみ、小箱の中に仕舞う。こちらの処理は簡単である。綺麗で美しいが、術式的には簡易な代物だ。問題は指輪の方だった。高度な魔術で精製され、厄介なことに誘因の力がある。

 指輪は封印処置をして防護を掛けたランジェリーボックスの中に仕舞っておく。これでこの指輪に記される理は無効となる。


「まさか、運命を操るだなんて。ヴァルキリー……な驚異的な魔術。でも」


 感慨深く呟きながら、その二つを金庫の中に入れる。魔術でロックを掛けたので、ソラにはもう解除できない。これで、彼女と接続されていたブリュンヒルデの力が弱まる。普通の魔術師だったら彼女と指輪を結ぶ因果を捉えることはできないだろうが、ヴァルキリーの魔術はミュラのそれととてもよく似ていた。

 ミュラならば、因果を断ち切ることができる。


「因果を絶つということは、新しい運命をこの手に掴むということ。ソラ、あなたはここで幸せになるのよ。私といっしょに」


 外はとても恐ろしい。死が身近な存在であるミュラにはよくわかる。

 これからたくさんの人が死ぬ。死神が地球を覆い、魂を狩り取る瞬間を今か今かと待ちわびている。

 だが、それ自体はさして驚愕に値しない。それよりも恐ろしいのは、この指輪の創り手が死者を利用するつもりだということだ。

 ミュラのような曖昧さではなく、もっと明確に。

 それこそ死者の媒体として、ヴァルキリーを利用している。


死霊使いネクロマンサーである私よりも、死者の秘術に詳しいなんて……。でも、あなたはここには来れない。ここは心の清らかな人しか来れない場所」


 この島は世界に存在しない。いや、この島こそがミュラにとっての世界である。

 ここは言わばユートピアだ。存在しない楽園。誰もが羨む理想郷。邪悪な者はここに入って来れない。

 そういう結界が周囲に敷かれている。外で戦争をしていようが、ここならば安全だ。


「パパとママが作ってくれたミュラのお家だもの。ソラに忘却のルーンを使うのはちょっと心苦しいけど、彼女を守るためだもの、赦してくれるよね?」


 壁に立てかけてある両親の絵に向かってミュラは笑いかける。絵は喋らない。何のアクションも起こさない。

 死神に魂が奪われる前だったら、両親の魂を留めることもできたかもしれない。セバスのように。しかし、ミュラが死霊使いネクロマンサーとして覚醒したのは両親が死んだ後だった。

 しかも、セバスとて不完全である。もう少し実力をつけなければならない。不老の魔術を獲得しなければ。

 幸い、貴族だったミュラの両親は魔術書を遺してくれている。死霊使いネクロマンサーの秘術を。


「パパ、ママ、私頑張るよ。だから、抱きしめて」


 ミュラはテーブルに置いてあるオルゴールを鳴らした。ミュラはうっとりした表情で吐息を吐き出す。

 この音色はミュラにとって父親と母親だった。この音だけが両親と自分を繋げてくれている。

 まるで世界から隔離されたかのように、美しいオルゴールの音色は止まらない。外で何が起きようと、オルゴールは鳴り続ける。



 ※※※



「繋がったか?」


 アーサーが通信相手に問いかける。相手もすぐに返答をした。


『良好だ、同胞よ』

「それは良かった、ゴディアック。無事、防衛軍は掌握しただろうな?」

『目ぼしい敵は手綱にいる者だけ。全軍、機能停止している。戦争のおかげで、反抗するような奴らは皆死んでいる』

「……前以て説明して欲しかった、アーサー」

「これは失礼、最古の魔女ミルドリア」


 玉座の間に揃う同志ミルドリアにアーサーは謝罪する。だが、ミルドリアはあまり気を悪くしていない。

 きちんと低俗な人間を殲滅するため、と口添えしたからだ。魔術師足り得ない者も抹殺し、本来の魔術社会を取り戻す。そのような説明で、ミルドリアはあっさり説得できた。

 利用するべきは不満を持つ者である。満ち足りたものには、良い条件を提示しても現状から脱しようとしない。しかし、不満を抱く者は手放しで同志となってくれる。……あるいは、道具と呼ぶかもしれないが。


「アレックのような愚かな男に煩わされるのはうんざりだった。ハボックのガキも好かんし、エデルカはなおさらだ。われにとってこの状況は好ましい。太古より続いた魔術の歴史に、新しい風が吹いたのだな」


 導師の称号を持つハボックとエデルカは始末した。しかし、エデルカについては不明確である。

 アーサーの疑問は尽きない。あの知的な女性が無意味に自分の前に姿を現すのか? 敵わないと百も承知でいたはずだ。

 ミルドリアは、エデルカがアレックに惚れていたせいだ、などと言っている。復讐のためだと。

 しかし、エデルカは復讐などと言うありきたりな理由で戦う女ではない。その程度で利用できるなら手駒に加えている。ミルドリアのように。

 アーサーは思考を中断し、ゴディアックとの通信に戻った。


「話を戻そう。ヴァルキリーについてだが」

『オーロラドライブ搭載機には、面倒なプロテクトが掛かっている。エイルの解析は後回しだ。先にスヴァーヴァをそちらに送った。……あれには面白い機能が備わっていてな』

「ふむ。……クリスタルを回収したと聞いたが」


 どちらかというとアーサーが訊ねたかったのはクリスタルについてだった。正確には、なぜそちらにクリスタルが回収されたのかということだ。

 浮き島と手綱基地では手綱の方が、ブリュンヒルデとクリスタルの交戦地点に近い。ゴディアックが回収班を準備して、クリスタルを連れ帰ったのなら異論はない。

 しかし、クリスタルを回収したタイミングで、彼は手綱基地を制圧していた最中だったはずだ。だからこそ気にかかる。


『志願者が私の元に届けてくれた。何でも、私を尊敬しているのだとか。悪い気はしない。ブリトマートもこちらに……』

「愚かな、ゴディアック。そんな虚言を信じたのか」


 危惧していた通り、彼は無能な仕事ぶりを発揮してくれた。アーサーは追加で指示を出す。


「既に敵は動いている。殺せ。生かす必要はない」

『し、しかし基地は私の手の中に』

「その手から零れ落ちそうだと言っている。……一度でも私が過ちを犯したことがあったか?」


 有無を言わさずゴディアックを動かせる。ゴディアックは了承し、部下に基地内の調査を命じた。

 通信を終え、アーサーは広間に集う皆を見る。ひときわ存在感を放つ茶髪の男、ヴィンセントが歩み寄ってきた。


「首尾は上々か?」

「今のところは。仮に失敗しても、どのみち処分する予定だった男だ。痛手ではない」

「部下にファナムとリーンを殺すよう命じたようだが、恐らく見つかるまい」

「リーンに関してはおのずと出てくる。……ファナムに関しては、私が直々に相手取るつもりでいる」

「師殺しか、アーサー。懸命な判断だ。魔術剣士は魔術世界において最強」


 ある程度会話を交わすと、アーサーはパーシヴァルを呼んだ。紫の鎧に身を包む男が、困惑するぼさぼさ頭の学者風の男性を連れてくる。


「あ、ああ、アーサー……」

「これはこれはマスターフィリック。久しぶりだな」


 手かせをされた男は床に投げ出され、挙動不審となっている。元々偏屈だった男がさらに悪化していた。

 ひび割れた眼鏡を通し、フィリックはアーサーを見上げ、言葉に詰まりながら声を放つ。


「ど、どうしてこんなことを。魔術教会の仲間じゃなかったのか?」

「つまらん話はよせ。“本”について話してもらおう」

「な、何のことだかさっぱり」

「そうだな、忘れている。下がっていろ、アーサー」


 ヴィンセントは杖を構えて、フィリックの頭に魔術を発動する。すると、フィリックは悲鳴を上げた。意図的に隠されていた記憶が蘇ったのだ。


「そ、そそそうだ! 思い出した! 昔にもこんなことが――! ま、まさか僕の記憶をいじっていただなんて!」

「しかし、完全ではなかった。お前はアレックに告げ口をしたのだからな。あの時ほど、お前を殺さなかったことを後悔した時はない」

「し、仕方ないだろう! 君は世界を壊そうとしていた! 君に勝てるのはアレックだけ! だから僕は……ぐぅ!!」

「黙れ。……さて、全て思い出したな。話してみろ」


 ヴィンセントは杖でフィリックを殴り、話を続けさせる。フィリックはしどろもどろになって言いよどむ。


「だ、ダメだ、あれは、無闇に触れちゃいけない……。い、言わば、世界の綻びを治す調律装置なんだぞ! 君は世界の調律者とは成り得ない!」

「御託はいい。……発動条件があったな」

「そ、そそうだ! あれには器と生贄が必要だ! 何の準備もしていなければ――」

「聖杯はここに」


 聖杯の守り手であるパーシヴァルが祭壇に祭られている聖杯を映し出す。絶句したフィリックは力尽きたように腰を落とした。


「ほ、本気で使う、つもりなのか。あれは、人間が愚かだと知っていた偉大な者たちが残した最終手段。どうしようもなくなった時に、世界を正す救済策だ」

「今こそ世界を救済する時。そうは思わんかね? アーサー」

「そうだとも、フィリック。我々に協力してもらおう。……世界の平和のために」


 広間に笑い声が響いた。皮肉をぶつけられ、フィリックは悔しそうに歯噛みする。


「上位者と交信したお前だからこそ、仕える術や知り得る知識がある。大いに利用させてもらおう」

「誰が君たちなんかと――」

「私は協力しろ、と命じたか? 利用させてもらうと言ったのだ」


 アーサーがフィリックに手を翳す。フィリックは慄いて後ずさることしかできない。

 いくら導師とは言え、抵抗できない魔術師を洗脳することなど造作もない。昏い瞳となったフィリックは従順とパーシヴァルについていく。


「外宇宙の存在は使わないのか? アーサー」

「威力が高すぎる。破滅とは急くものではない。だろう?」


 アーサーが返答を返すと、ヴィンセントは満足げに頷いた。切り札は最後までとっておく。まずは使えるものから使っていく。

 そのことに異論を挟む者はいない。

 後は邪魔な敵を始末し、条件を満たすだけだ。


「手綱基地、青木ソラ、クリスタル。そして、ヴァルキリー。願わくば、私の思い通りに事が運んでくれると助かるのだが」


 スヴァーヴァ到着の知らせが届き、アーサーはヴィンセントと共に広間を後にする。

 手綱基地についての関心よりもこちらの方に興味がある。今の今まで隠し通してきた秘密。それらを全て晒すべき時が来ていた。


「さて、戦争を始めよう。本当の戦争を」


 二人は薄暗い廊下の中を進んでいく。その歩みには一切の迷いも躊躇もなかった。

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