復讐の闇
闇は深い。そして、狭い。
自身を閉じ込める真っ黒な牢獄。そこに自分は自ら進んで入ったのか、それともいつの間にか囚われていたのか。
もはや思い出せない。もう自力で脱することはできない。
だからだろうか。出たいのかいたいのかもわからないまま、入り口で誰かがカギを開けるのを待っていた。
「うそつき……」
か細く、小さな声で呟く。あの男に向けて言った怨嗟を。
仕方ない、と理性では思っていた。敵は強大であり、こちらは脆弱。勝ち目などない。生きて帰って来れただけでも僥倖である。
それでも感情は、彼を嘘つきだと訴えていた。
「姉さんを守るって、言ってたのに。家に帰してやるって……」
約束ごとを恨み言のように呟く。そうして、仕方ない、しょうがなかった、と頭の中で反復する。
なのに、心は違うという。嘘つきだと声を上げる。
相反する想いに頭が割れそうになる。彼が自分のことを想ってくれてるのはわかる。だが、いつもその想い受け止める時、心の中で別の気持ちが湧き上がるのだ。
うそつき、だと。
「……すまない」
自分が嘘つきだと責めた時、彼は小さな声でそう謝罪した。かつての自分はその言葉を聞いて、怒りを鎮めたのだ。
――それで本当に、あなたは満足したの?
「まん、ぞく?」
どこかから声が聞こえてくる。いつの間にか、相賀が前に立っている。こちらに背中を向けて。
無防備だ。軍人として鍛錬を積んだ自分なら、間違いなく殺せる。
さらに、いつの間にか手元には銃が握り絞められていた。
――躊躇うことはない。奴は姉を見殺しにした張本人。さっさと殺してしまえ。
「姉さんを殺した……」
プロ然として手つきで、銃が構えられる。片手で向けたが、両手で構えなくとも反動を制御する術は身に着けていた。
――そうだ。こいつこそ、あなたが殺すべき相手。復讐するべき相手。
「私の殺すべき……相手」
声に従い、自分の中の欲求に従い、銃を向けて引き金を引こうとする。
だが、引けなかった。違う。相賀はベストを尽くして姉を守ろうとしていた。それを失敗しただけなのだ。子どもの時ならわからなかっただろうが、今の自分は大人だ。理解している。彼は敵じゃない。味方なのだ。
――冗談はやめろ。大人なら、自分の復讐を他人に押し付けたりしないでしょう?
「ち、違う……よ、よせッ! 違う違う違う!」
マリの手は、自分の意志とは正反対に相賀の背中を撃ち抜いた。
「――――」
絶叫を上げて、マリは飛び起きた。そして、今まで見ていたのが夢だったと認識する。
汗でパジャマが濡れていた。頭に手を当てて、自らの不調を呪う。
(こんな夢……今まで見たことは)
ない、と断言しようとしたが、できなかった。もしや、見たことがある……かもしれない。
マリは相賀を糾弾したことがある。姉が死んだと彼の口から聞いた時に。記憶にはないし、心の表層にも出てきてはないが、無意識化では相賀を恨んでいるかもしれない。
約束を破ったことに、腹を立てているのかも。そう思って、そんなふざけた考えは捨てろ、と自身の心に念を送った。
「有り得ない。相賀大尉は恩人よ。私の……家族よ」
言い聞かせるように呟く。自分の家族であると。
怒ったことはある。理不尽に感じたことも。だが、憎んだことはない。復讐の対象なわけがない。
ただでさえ相賀は魔術教会からではなく防衛軍上層部からも睨まれているのだ。そこに自分が加わってどうする。
「落ち着け……落ち着け……」
どうにかしてマリは自分を落ち着かせることに成功した。
ベッドから起き上がり、姉の写真を一目見た後、洗面台で顔を洗う。
「酷い顔」
鏡に映るマリの顔は、お世辞にも健康的とは言えなかった。
※※※
「奇妙だとは思わんか?」
「何よ、突然。確かに私たちが防衛軍の基地にいるっていうこの状況は奇妙で不思議でとんでもないけど」
モルドレッドの問いかけに、ジャンヌは困惑気味に答える。違う、そういうことじゃない、とモルドレッドは否定し、早朝の、少人数の巡回兵しかいない基地内を我が物顔で歩いて行く。
「ちょっと、見つかるわよ」
「見つかっても問題ないだろう? 今のオレは絶世の美女にしか見えない」
「だから、美少女二人が基地の中をうろうろしてたら不審がられるでしょ」
とジャンヌは恥じらう様子もなく言い返して、モルドレッドは鼻で笑う。
「ふん、自分で言うか」
「あなたに言われたくないわ」
ごもっともの意見。モルドレッドはそれ以上取り合わず、躊躇なく先に進んでいく。もし、防衛軍兵士に鉢合わせても魔術を行使する必要すらない。巧みな話術、もしくは物理的睡眠方法を用いて、丁重に対応するつもりである。
しかし、幸か不幸か、目的の場所に辿りつくまで軍人と出会うことはなかった。
そして、自信満々にモルドレッドは目当てのそれを指して言う。
「オレの言った通りだろう」
「レールガン? これがどうしたの」
ジャンヌはぴんと来ないようで首を傾げている。ふむ、とモルドレッドは顎に手を当てて思考し始めた。
「よほど高度なものか。それとも、オレの知覚能力が上がったか? なるほど、女体になるとこういうメリットがあるのか」
「急に何? 理由つけて私をどこかに連れ込もうとしてるんじゃ」
「それはとても魅力的だが、残念ながら今日は違う。期待に応えられなくて残念だ」
「期待なんかしてない!」
「恥じらうなよ、ジャンヌ。オレに抱かれなかったことを未だ後悔しているのはわかるが、案ずるな。全てが済めばオレは男に戻れる。その時は存分にお前を悦ばせてやるとしよう」
ちょっと! というジャンヌの異議を無視し、モルドレッドは黒く巨大な砲台に近づく。凸のような形をしている大砲だった。いや、これを大砲というのは無理があるか。
一本の長身の砲身は旧来の砲塔に比べ四角い形となっている。そこに電磁力を供給し超高速の弾丸を撃ち放つ対魔術師用兵器。現存の科学力ではこれほど巨大になってしまうと聞いているが、それでも人間を舐めている魔術師相手には脅威である。
「防御膜であぐらを掻いてる奴には効果覿面だ。嘆かわしいのは、そんな奴を倒したところで無意味なことだが」
「だから防衛軍もこれは量産するつもりないんでしょ。コストかかるだけだし……」
ジャンヌがメローラの分析を復唱する。モルドレッドはでは、と彼女の言葉を引き継ぐ。
「どうして防衛軍はこれをここに? これを設置すべき重要な拠点はいくつかあるはずだが」
「そこまで私は知らないわ。それに、相賀たちは無能じゃない。これに罠が仕掛けられてないかはチェックしてるはずでしょ。私も手伝わされたし」
「ふむ、だからこそ奇妙なんだ」
モルドレッドは砲台の周りを歩き始める。ぐるぐると観察するように。
「形式番号もなし。コードネームか何か、呼称を付けるはずだが」
「それは彼らも奇妙に思ってたわ。ただ、真っ黒なだけ。でも中はハイテク機器が詰まってたわよ……ってちょっと! 勝手に入るのは流石に!」
「お前も解析して、気付かなかったか。やはり……」
とモルドレッドはジャンヌの制止も聞かず扉に手を当てた。
そして、
「…………」
と黙して固まる。全くの無表情で。
「モルドレッド?」
「……どうやらオレの勘違いだったようだ。戻ろう」
「え? え?」
戸惑うジャンヌを置いて、モルドレッドは先に歩き出す。その背中をジャンヌが慌てて追いかけていく。
彼女たちの後ろでは、0と7、emetの文字が浮かび上がっていた。
※※※
軍人となり、面倒だが義務である訓練というものが追加されてからも、ソラの日常と生活はそこまで様変わりしたとは言えなかった。
実際にはかなり変化しているのだが、能天気のせいで危機感がない。いや、例え危機が訪れようとも、自分の力で乗り越えてみせる。そう覚悟しているおかげだ。
だが、さしものソラも遠慮がちに訊かれたメグミの問いには驚かされた。ええっ! という驚声がトレーニングルームに響き渡る。
「……め、メグミ、今なんて……?」
驚愕した顔の見本のようなものを表情に張り付けて、ソラは訊き返した。
メグミが顔を赤らめて、恥ずかしさを充満させて、もう一度言い直す。
「だから……マリの野郎、大丈夫なのかって」
「…………」
「お、おい、何とか言えよ」
メグミが押し黙るソラに再三訊ねるが、ソラは驚き顔を維持したまま。
普段なら、ハッキリとしないソラの態度にメグミは一喝するものだが、今日はしない。いつもとは違うのだ。
そう、とうとうメグミはマリとその身を案じる間柄になったのだ。そのことにソラは驚いて、
「や、やったねメグミ! やっと私たち以外に親密な友達が……!」
「だぁー! 違えよ! そんなんじゃない! ただ、あいつの態度が、ちょっと、なんていうか、その」
「心配だった?」
ソラは恐ろしいくらいにこにこしていた。メグミは彼女のペースに呑まれないようにするためか、腕を組んでガードする。
「ま、まぁ、捉え方によってはそうなるかもな。お前のポンコツ頭じゃ、そんな風に理解しちまうのもしょうがねえ。おお」
まるでソラの頭に欠陥があるかのような言い方だが、ソラは反論しなかった。そうだねぇ、私が変なだけなんだよねぇ、とにやにやしながら、マリを心配するメグミの顔を直視する。
そんなにじろじろ見んじゃねえ、と照れ隠しの打撃を食らってしまったところで、ソラはぶたれた頬を擦った。
「い、痛い……」
「あ、う、すまん、つ、つい」
申し訳なさそうに謝るメグミ。だが、正直なところソラはちっとも痛くない。
むしろ、親友の変わった姿を見られるのなら、もう二、三発ぶたれてもいいぐらいだ。あくまで心の中でそう思っただけで、実際に殴られるのはごめんこうむるが。
「ふふ、ふふふ!」
「気持ち悪い笑みするんじゃねえ! で、どうなんだ? 手鞠野郎は」
メグミはマリに手鞠という暴言もしくはあだ名のようなものを付けている。ソラは意地悪ではないので、これ以上焦らさずに教えてあげた。
「マリはねぇ、ちょっと不調だったみたいだけど問題ないみたいだよ」
「だったら、どうして今日の訓練には来なかったんだ?」
「お寝坊しちゃったとか」
「は? お前じゃあるまいしそれはないだろ」
素で言われた。ソラは軽くショックを受ける。しかしメグミは気にせずに話し続けた。
「……な、なぁ、この後、何か予定ないか?」
もしや、マリの部屋に訪ねるのでは? と期待して、ソラは満面の笑みで回答した。
「ないよ! 全然ないよ!」
「そ、そうか。だったら、お前、私の代わりに……」
「あーっ! 思い出したよ! お出かけするんだった!」
どうやらメグミはソラに頼もうとしていたので、慌ててソラは予定を組み立てた。これは嘘ではないのだ。いや、嘘かもしれないが、友達のために吐く優しい嘘なのだ。それに、出かけるのは本当だ。もしかするとその出かけは、出撃と変換されるかもしれないが。
「む、だったらホノカに――」
「ほ、ホノカとお出かけするんだよ!」
「テメエら私をのけ者にするつもりだったのかよ!?」
なぜかメグミが驚いている。その声を聞いてソラも、どうしてこうなったの、と心の底から思う。
チクショウ、私だけ仲間外れかよ……と本気で気落ちしている。どう言い訳するべきか、とソラが悩んでいると丁度ホノカがやってきて、会話の輪の中に加わった。
「なになにー? 何のお話しているのー?」
「お前とソラが私をのけ者にしてお出かけするって話だ」
やさぐれてメグミが言う。え? ときょとんとするホノカにソラは手でジェスチャーめいたものを送る。
すると、なるほどー、と頷いてホノカは、
「そうだよー。だって、メグミちゃんと出かけても全然全く微塵も楽しくないからねー」
恐ろしいことを言い放った。メグミがぐふっ、とみぞおちに強烈なパンチでも喰らったのかとも思える声を漏らす。
「ひぇっ」
ソラが思わず悲鳴を上げる。適当に送ったジェスチャーに、まさかそのような意味が含まれているとは。
「……マジか、マジなの……?」
メグミがソラとホノカを交互に見る。最終確認の眼差し。どうか冗談だと言ってくれ、という一縷の望みを掛けた瞳。
それをホノカはばっさりと切り捨てる。男子をときめかせる極上の笑顔で、無情にも。
「うんうん。今までずっと、我慢して付き合ってたんだよー? ちっとも楽しくなかったけど、可哀想だからーって」
「あ、あう……そんな」
「ほ、ホノカ! それ以上は!」
ソラがどうにかして彼女の口を塞ごうと奮戦する。が、死んだ目をするメグミにロックオンされて、ひぅ! と悲鳴を上げて目を瞑る。てっきり怒って暴れると思ったソラだが、メグミは無気力にうなだれるだけだった。
「そ、そうか、だからお前さっき、私に友達ができたってあんなに喜んでたんだな……」
メグミはとてもネガティブでいらっしゃる。ソラは違うよ! と大声で否定したが、一度マイナス思考になるとなかなかいい方向へは流れが変わらない。
「いい、いいよ、気を使わなくて。私、新しい友達創るの頑張るわー。あは、あははは」
乾いた笑い声を出し、ゾンビめいた足取りでふらふらとメグミは去っていった。
「わーっ、どうしよう!? どうしてあんなこと言っちゃったの? ホノカ!」
「えー? だって、メグミちゃんの悪口言えってジェスチャー送ったでしょー?」
「あのジェスチャーにそんな意味が……! 違うよ! メグミがマリのところに行くっていうから、出かけるって言って誤魔化してたんだよ! 合わせてくれればそれでよかったの!」
「あー、そうだったんだー」
間延びしたトーンで笑うホノカ。大して気にしていないようだ。
反面、ソラはメグミのことが気掛かりでしょうがなかった。うーん、どうしようとしばしの間悩みに悩み、そうだ! と威勢よく声を出す。
「お出かけ、しよう!」
「どこにー?」
ホノカが訊いてくる。ソラはとびっきりのドヤ顔を披露した。
「メグミの尾行! こっそりと! 潜入ミッションに出撃だよ!」
潜入の基本は自然との調和である。大気や自然が奏でるリズムと自分のリズムを同期させ周囲から自分の存在を認識できなくする。一流のスナイパーやスカウトが会得できる超絶技巧を、ソラはそつなくこなせ――るわけがなかった。
なので、音声解読機能付き高性能双眼鏡を用いて盗聴もとい見守りをしている。寮の反対側に位置する建物の屋上から。
「うーん。ばれちゃう気がするけどなー」
ホノカが目から双眼鏡を外して、苦笑する。ソラは大丈夫だよ! と根拠のない安心を振りかざした。
「この距離ならばれないって!」
「この距離で察知するのがマリちゃんのお仕事な気がするよー?」
「今回はマリじゃなくてメグミだから大丈夫だよ!」
もし仮に見つかってもメグミがどうこう言って押し通せばいいのだ。問題ない。……たぶん。
初めてやる追跡というのはなかなか背徳的で、ソラはそうやって自分を励まし続けなければ耐えられない。こんなことなら素直にいっしょに行けばよかったか、という想いが僅かに脳裏をかすめたが、気を取り直してメグミの動向を探っていく。
メグミは精神的ダメージを受けた顔をしており、足取りもぎこちないものだったが、それでも歩先にはマリの部屋があった。
やはり、マリのことが心配なのだ。小声でぶつぶつ嫌われただの仲間外れだなどと呟いているのが気になるが。
(この双眼鏡すごい……っていうか、もしかしてマリこれを使って私を監視してたの……)
ほんの小さな独り言まで、高性能双眼鏡は集音している。しかも、覗く対象の音声だけを取得するので、環境音に悩まされることもない。しかし、これほど性能高い一品であっても、恐らく有効なのは人間相手のみであろう。魔術師は不意打ちや監視の恐ろしさを理解している。もし仮に盗聴できたとしても、聞き取れるのはどう足掻いても防衛軍の技術レベルでは太刀打ちできないものだけだ。
そんなことをソラ個人が考えてもどうしようもないので、頭を振って監視に集中する。
「メグミちゃん、部屋についたみたいだよ」
ホノカに言われた通り、メグミはマリの部屋に辿りついていた。チャイムを押し、二言三言会話をして、彼女はすんなり部屋に入っていく。一悶着あると思ったが、意外とスムーズだ。
このまま部屋に入られてしまうと、ソラたちの位置からは視えなくなる。なので、ソラは携帯を取り出して偵察ドローンにアクセスした。
静音機能によって、プロペラの音を立てない隠密用のドローンが音を立てずに飛翔する。
「ストーカーさんの手に渡っちゃいけない代物だよね、これ」
「ある意味、私たちもストーカーさんみたいなものだと思うけどねー」
ホノカの苦言をしかとして、ソラは携帯を横持ちし、コントローラのように操作していく。
ドローンは光学迷彩を起動し、部屋の窓側へと移動。窓から、二人の会話を盗聴し始めた。
『何の用?』
マリが淡々と訊ねる。いつもなら文句の一つも出るところだが、メグミは、
『本当はお前が心配だったんだが……それどころじゃなくなっちまったぜ、あはは』
と乾いた笑い声で応対する。マリはその態度を訝しみ、メグミを座布団の上に座らせた。
『何よ、やけに素直ね。ソラたちとなんかあったの?』
マリは鋭い。メグミは核心を突かれてたじろぐ。それが単なる誤解だと知らないまま。
『い、いやぁ、うん。そう……だな……。どうにもあいつらは私に無理に付き合ってたみたいで』
『……あなたそれを本気に捉えたの? 変なところで繊細ね』
『い、いやだって、私は本当につまらない奴だし……』
『ソラがつまらないとかいう理由であなたを嫌ったりすると思うの? 自分を嫌う人ともどうにかして仲良くなれないか考える大バカ者よ?』
「メグミがつまらないって部分は否定しないんだ……」
励ますようで結構酷いことを言っている。だが、今の傷心のメグミには、いい部分しか聞こえていないらしい。主に、ソラがバカで、生まれついてのお人好しだという部分しか。
そのため、メグミはパッと顔を明るくさせた。普段ならここで彼女を絶望に叩き落すのがマリの性格。しかし、今日はどうやら様子が違った。マリもマリでしおらしい、というのがソラが彼女を俯瞰した感想だ。
『そ、そうだな、うん。あのバカソラがそんな理由で私を嫌ったりするわけがない。というか、ホノカもたぶん……いや、あいつはよくわからねえ……』
「えー酷いよーメグミちゃん」
と隣で携帯を覗きながら、ホノカはくすくす笑っている。のほほんとしているホノカは、悪口を言われても一向に気にするそぶりがない。
そのマイペースさを若干羨ましがりつつ、ソラは二人の監視を続行する。
『とにかく、あの子たちのことだから、どうせあなたを私の部屋に向かわせようとしてたんでしょう。全く、余計なお世話ね』
と言いながら、マリは脈略なく携帯を取り出した。そして、タップして何か操作をする。と、急にソラたちにキーンとした耳鳴りが起きて、ソラとホノカは画面を凝視する恰好のまま身動きが取れなくなってしまった。
「あ、あれ、こ、これ……なに……」
「やっぱりー。ばれちゃったねー」
さして気にする様子もなく言うホノカ。そこは気にしようよ! とソラは訴えるが、携帯が受信したメールを見てそれどころではなくなる。
――他人の部屋を勝手に盗聴するなんて、随分いい趣味してるわね。しばらくそのまま固まってなさい。
メールにはそんな内容が記されていた。携帯もさっきの単純操作でハッキングされてしまったようで、ソラが動けなくても勝手に映像を受信し続ける。
しかし、奇妙なのは盗撮映像がずっと映り続けていることだ。これは、二人に自分たちの会話を聞いて欲しいという意志の表れである。
不思議に思いたかったが、不思議がる余裕がない。ソラはずっと同じ態勢のまま、画面を見続ける。
『今、何したんだ?』
『ちょっとしたお仕置き。……それはおいといて、せっかくだから、あなたに訊いておきたいことがあるの』
『何だよ、改まって』
マリがきちんとした正座となったので、メグミも態度を改める。マリは、先程の呆れた調子から一転、真面目な雰囲気が漂っていた。
『……復讐のことよ』
『復讐? どうやったらヴァルキリーになれるのかっていう話か?』
『あなたはどうして復讐を止めたの』
単刀直入に、マリは斬り込んだ。一歩踏み入った質問だが、メグミは言葉に詰まることなくすらすらと応じる。
『前に言わなかったっけか? 私は復讐よりもあいつらを選んだ。それだけだ』
『親を殺されたのに?』
マリはメグミに食いつくが、メグミは達観したような顔で応えた。
『そもそも父さんと母さんが私に復讐を望んでいたかって言うと、な。復讐ってのは自己満足だ。自分勝手な生き様だ。……ソラを生かすことと、復讐を果たすこと。どっちがいいかなんて考えるまでもなかった』
『…………』
怒るかとも思われたマリだが、メグミの意見には反論しなかった。復讐とは個人的なものだ。それに、メグミが復讐を止めなければ、マリは殺されていた。奇妙な因果が働いている。
『……家族や友人、恋人を殺されて復讐に奔る奴は多い。そいつが自己満足だってわかってやってればいいんだが、恐らくほとんどの復讐者は違うだろうな。だから、相賀大尉たちが言うように、戦争を長引かせたい奴に復讐心を利用されてる』
これはむしろメグミよりマリがよく知っている事柄のはずだった。しかし、マリは押し黙り、噛み締めるようにメグミの話を聞いている。
葛藤しているのだ。それに、何かを恐れているようにも見えた。きっと、理性ではメグミの言った言葉を理解できている。だが、感情の方はそうもいかない。人間は理性だけで動いても、感情だけで動いても、必ず大きな間違いを犯してしまう。片方だけではなりたたない生き物なのだ。二つの機能を納得させて初めて、人は人らしく行動できる。
今のマリは、ちゃんと人らしく行動できるのだろうか。ソラの疑問を払拭するように、マリは口を開いた。
『……実は、変な夢を見たの。今までじゃ絶対有り得なかった夢を』
マリは訓練を休んだ理由を告白した。メグミが親身になって話を聞く。ソラとホノカも、彼女の発言を聞き逃すまいと集中した。
『どんな、夢だ?』
『そ、それは……。わ、私が……復讐を……相賀、大尉を』
どうしたのだろうか。その先の続きを、真剣に訊こうとしたその瞬間。
――基地の中にサイレンが響き渡った。
『……ッ!』
マリが携帯を操作して、ソラたちに自由を与える。音波拘束から脱したソラは、上空に接近中の魔術師へと目を走らせた。
「ヘルヴァルド、さん……」
最悪なことに、手綱基地を襲撃したのは深紅の魔剣の異名を持つヘルヴァルドだった。
単独で現れたヘルヴァルドを見上げて、ソラとホノカはヴァルキリーシステムを起動。マリの不調を気にしながらも、ブリュンヒルデとエイルが青い空の中へ飛翔する。
『ヘルヴァルドが……きた……』
敵の報告を受けたマリが、昏さを感じさせる口調で無線を飛ばした。