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戦乙女の鎮魂歌  作者: 白銀悠一
第六章 復讐
44/85

マリと相賀

「どういうことですか!!」


 室内に響き渡るほどの大きな声が、会議を交わす隊員たちの耳を貫いた。第七独立遊撃隊は今、作戦室に集まり、分析し終えた新型兵装の割り当てを決めているところだった。


「落ち着け、マリ」


 相賀が叫んだマリを諫めようとする。しかし、マリの興奮が治まる様子は見られなかった。

 ある意味、仕方のないことだ。周囲の皆はそう思って、マリの叫びを聞いている。

 しかし、マリだけは仕方ないの一言で片づけられない事情を持っていた。せっかくの機会をみすみす失っては敵わない。


「なぜヤイトに新型を……! ヤイトは狙撃支援担当でしょう! 私が適任のはずです!」

「……いや、マリ。今のお前にはふさわしくない」

「なぜですか! 私とヤイトの実力は同じ――! まさか」


 マリが信じられない、といった目つきで相賀を見上げる。冷静さを持ち合わせていないマリは、目を見開いたまま立ち上がった。衝撃で、椅子が後ろに倒れる。


「私が姉さんの妹だから、ですか。死んだ恋人の妹だから」

「そういうことじゃない」

「嘘です! 私を特別扱いしてる!」

「違うぞ、マリ。……今のお前は適任者じゃない。だから、ヤイトに新型を任せる」


 と説明する相賀だが、マリにはさっぱり理解できなかった。どう考えても自分が最適任者なはずだった。これは自己贔屓ではない。工作員として、軍人として下す戦術的判断だ。

 マリには、どうしても相賀が個人的感情に流されているようにしか思えなかった。相賀は幾度なく自分に戦場から離れて欲しいと願っている。だから、ヤイトに新型を渡すのだ。自分をのけ者にして、復讐の機会を奪おうとしている。

 赦せなかったし、認めたくなかった。例え自分の保護役だとしてもだ。


「納得、してない! 認めません!」

「お前が納得するかどうかは関係ないし、認められる筋合いもない。今の自分に何が足りないか、お前ならもう気付いているはずだ。なのに、未だ気付けてないということは、お前が不適格の証だ」

「……っ!」


 マリは怒った子どものように相賀を睨み付けた後、作戦室から走り去っていく。子どもじみた、ある種、思春期特有の行動だった。相賀はそれを咎めることなく、無視する。そのことにマリはますます腹が立った。このまま逃げてしまえばいい、と相賀は考えているはずだ。

 相賀としては、自身が嫌われてもマリが安全であればそれでいいのだ。余計なお世話だ。姉の幻影を自分に押し付けるな。

 姉に自分を重ねるな。私は天音ではなく、マリだ。


「何してんだよ」


 廊下を掛けていると、不意に、あまり仲がよろしくない同僚と鉢合わせた。メグミが変色した赤いポニーテールを揺らして首を傾げている。

 本来ならば、会議に出席しているマリがこの場にいることを不自然に感じているのだろう。しかし、マリは意にも留めない。変な奴に何と思われようがどうでもいい。ぶっきらぼうな態度で、別にいいでしょと答え先に進もうとする。


「何でイライラしてんだよ。お前らしくもない」

「あなたに私の何がわかるの!」


 言ってしまってからマリは自分の迂闊さ、情けなさを呪う。これでは聞き分けのない我儘な子どもだ。思えば、今朝から自分らしさがどこかに吹き飛んでいる。スパイとして培われた状況判断能力や、どんな出来事に対面しても保たれる平常心が、どこかに行ってしまっている。

 メグミの放った言葉が自分の脳裏に復唱される。私らしくもない。以前の自分なら、相賀の方針に不満を抱くことはあっても、反目することはなかった。心情では反対しても、理性では賛成していたはずだ。

 しかし、さっきのあれはなんだ。私らしくもない。もう一度、マリはメグミの言葉を借りて、自分を諫めた。


「ごめんなさい。少し取り乱したわ」

「しおらしいな、おい。熱でもあるのか?」


 熱はないはずだが、あった。空中機動をも可能にした新型パワードスーツにあてられた。今までの陸戦用パワードスーツガーディアンとは違い、ツバメスワローのコードを持つ新型は、今までの貧弱な武装とは比べ物にならない力を秘めているのだ。

 実際にシャークがマスタークラスの魔術師を新型を使って追い詰めてみせた。この武装の持つ魅力に、訪れた復讐のチャンスに、頭がやられていたかもしれない。


「……」


 もはや何も言い返せず、マリは俯く。一体自分はどうしてしまったのか。

 そんな元気のないマリの姿を見て、メグミが調子が狂った、と言わんばかりに頭を掻く。落ち着ける場所に行こうぜ、とマリを誘い、建物外に出た。建物の中は軍人がたくさんいて窮屈なのだ。

 開放的な外に出て、マリは幾ばくかの平静さを取り戻した。ちょっとした庭園、ソラのお気に入りのベンチにメグミはマリを座らせ、自販機に飲み物を買いに行く。

 そして、ぼーっとするマリの首筋にきんきんに冷えたコーラを当ててきた。きゃっ、と女の子らしい悲鳴を上げて驚いたマリは、抗議の視線をメグミに向ける。


「何するのよ」

「いつものくそムカつくしゃべりはどこに行っちまったんだよ。まぁ、今ぐらいのテメエの方が私は気分がいいけどな」

「うるさいわね。あなたに付き合ってあげる気力が湧かないだけよ」


 と普段の調子に戻そうと、文句を言う。が、まだまだ完全とは言い難かった。

 さらには、コーラを飲んだせいで余計な記憶が蘇ってくる。姉に同伴してデートに連れて行ってもらった時の話だ。世間が戦争状態なのに、どうして平然とデートできるのか不思議に思ったものだが、姉曰く、いつ死ぬかわからないからできる日にデートをするのだという。

 あの時もマリはこうしてベンチに座っていた。独りでコーラを飲んでいた。


「どうしたの? マリ? つまらない?」

「……どうしてわたし、ここにいるの?」


 幼いマリはそう問いかけた。ませた質問を投げられて、天音は困った顔を浮かべる。


「恥ずかしいからよ、まだ。二人でデートするのが」

「……うそつき」


 マリはそっぽを向いた。明らかにデートの主賓は姉でも、恋人である相賀でもない。自分だった。自分を遊ばせる名目に、姉と相賀はデートをチョイスしたのだ。


「わたしのことは、どうでもいいのに」

「我が妹ながら、どうしてこんなにませてるの。もう少し、無邪気にさ、遊ぼ、ほら」


 麦わら帽子を被る姉は、どうにかして妹を歳相応の少女のように遊ばせようと奮闘している。

 だが、無駄な努力だとマリは冷ややかに思っていた。そんなことをしても無駄だ。何だかんだ言って、姉は相賀とのデートを愉しんでいる。さっさと自分など放っておいて、するべきことをしてくればいい。

 ――そんな、姉と妹の譲らない戦いに終止符を打ったのは、相賀だった。


「何してるんだ二人とも」

「あ、大尉……」

「こんな時に大尉は止めてくれ。今はプライベートだ」

「あ、そ、そうでした。祥次さん」


 たじろぐ姉の姿は新鮮で、意図せず嫉妬心が相賀に対して渦巻いた。しかし、相賀は気付いているのかいないのか、恋人である姉よりも自分を掴んで持ち上げてくる。


「なっ、何を」

「せっかく遊びに来たんだ。楽しまなきゃ損だろう。俺には家族がいない。休日に家族がどんな風に過ごすのか、俺に見せてくれ」


 そう言って、相賀は強引にマリを連れ出した。抱っこされて身動きが取れない。彼の後ろを歩く姉の笑顔は、とても幸せそうだったことを覚えている。


「……余計なことを」

「何だよ、連れないな」


 記憶の相賀と姉にマリは文句を垂れたのだが、現実のメグミにも伝わってしまった。別に構わない、と思う。彼女も自分に余計なお節介をしているのだから。

 そういう奴は本当に多い、とマリはしみじみ思い耽る。メグミもそうだし、ソラもそうだ。姉さんだって、相賀だってそうだ。


(放っておいてくれて構わないのに……)


 しかし、それらの好意を悪くないと思う自分もいる。マリは幾ばくかすっきりした顔つきとなり、メグミに対して悪口を言った。いつも通りに。


「粗暴な物言いのくせに気は利くのね。流石私の奴隷」

「てめっ、あれはもう決着ついただろうが!」

「ええそう。あなたが自ら奴隷宣言して私の下僕になった」

「違うだろ! ったく……」


 メグミは怒っているのか笑っているのか判別付かない微妙な表情となる。

 それを見て、マリはコーラを一気に飲んだ。むせそうになったが堪える。そうでもしなければ、思わず本音が漏れそうだったからだ。


「ぷはっ」

「大丈夫かよ、おい」

「あなたみたいに軟弱で恋愛脳じゃないから」

「それとこれとは関係ないだろ……どこ行く」

「ちょっと散歩」


 メグミがついて行くか悩んだ素振りをみせたが、結局彼女は付いて来なかった。それでいい。マリはホッとしながら無骨な基地内を歩いて行く。

 ――どうしてあなたは、復讐を止めたの?

 そう聞いてしまいそうだったから、一人になれて、マリは心から安堵していた。



 ※※※



「いいんですか、大尉」

「良いも悪いもないだろ。さっきの件でお前も彼女が不適格だと再認識したはずだ」


 ヤイトの問いかけに相賀は応える。軍人としては当然の判断だ。

 ヴァルキリーがマリを選択しなかったのと似たような理由だった。マリは復讐に憑りつかれている。ヘルヴァルドに対抗する力を求めている。それ自体は――個人的に言いたいこともあるが――いい。問題は、いざヘルヴァルドと戦闘する時にしばしば独断行動をとってしまうことだった。

 普段のマリなら考えられない行動をとる。それは部隊を、なによりマリ自身の命を危険に晒すことになる。

 ゆえに、相賀は冷静な判断を下せるヤイトに、スワローを任せた。思うところはあるが、その判断が正しいと確信している。

 しかし、先程ヤイトが放った問いは、スワローの処遇についてではなかった。


「マリのこと、です。……このままでいいんですか」

「それ、私も気になります」


 いつものハイテンションではなく、軍人として真面目な対応をするコルネットが口を挟む。そうだな、とため息を吐き相賀は頭を抱えた。


「このままではダメだろう。それはわかっているが、俺はそこまで器用じゃない……」

「でもこの前言っていたでしょう。マリの扱いは――」

「わかってる。俺がどうにかしなきゃならない。死神が追い付く前に」


 だが、だからこそ難しい。こういう時、相賀は天音ならどうするかと頭を回す。彼女ならどうするか。彼女なら、どう妹に接するか。

 そう努めようとして、結局自分としてマリに応じてしまう。マリが求めているのは天音のはずなのだ。

 相賀祥次ではない。


「……ソラなら何とかしてくれると思うが」

「大の大人が人任せー? なっさけないなー」

「コルネット」


 呆れたのか、小馬鹿にする口調でコルネットは話しかけてくる。言い方に不満はあれど、彼女の言う通りである。相賀は頷いて、黙考した。

 一番はマリが復讐を止めることだ。しかし、自分が言っても彼女は聞かない。なぜなら――自分自身が、天音の復讐を止めることができないから。

 さらには、このままでは復讐を果たすどころか、彼女に新たな大義名分を与えてしまう可能性がある。

 もし自分が死ねば、マリは歯止めの効かなくなった歯車のように摩耗して壊れるまで回り続けるだろう。それだけは避けねばならない。


(そのためにはどうすりゃいい? 天音)


 心に棲む天音に問いかけて、すぐに答えに気が付いた。

 ――自分が死ななければいい。しかし、残念なことにそれは避けられない。死の予感が、身の回りに充満している。



 ※※※



「喧嘩した顔、しているよ」

「なにそれ」


 寮の部屋の前で鉢合わせたソラは、開口一番そう言った。

 こういうところに敏感なのがソラだ。マリは鬱陶しくも、心強くも思う。このバカの底なしの優しさのせいで、第七独立遊撃隊は今まで生き長らえてきた。

 もし、ソラが欠けたら装備の拡充が済んだ今でさえただでは済まないだろう。逆に言えば、マリたちがいなくともソラさえいればいいのだ。

 その事実に、この能天気は気付いているだろうか。いいや、気付いていないに違いない。自分の重要性を言葉では認識しても、実感を伴っていない。


「あなたはバカね」

「ええっ? いきなりバカにされた……」


 ここまでバカバカ言われればなれそうなものだが、ソラは毎回精神的ダメージを受けている。センチメンタルなのか、鈍感なのか。ソラの心は未知数だ。ヴァルキリーに選ばれるぐらいには謎だ。


「で? 特技兵様が何?」

「急によそよそしく……。大丈夫なの? 相談に乗る?」

「あなたのそのポンコツ頭で解消できる悩みなんて、この世に存在するのかしらね」

「あるよ、あります! 実証をさせてよ!」


 ソラはマリの相談に乗る気だ。断ってもよかったが、マリは招き入れた。

 部屋の中に入り、ソラが中をきょろきょろと見回す。目ぼしいものがないか探しているのだ。

 だが、何もない。そうだろう。この部屋には何もない。あるのは、姉の写真だけだ。


「悪かったわね、何もなくて」

「いや、そんなことは……」


 ソラが申し訳なさそうな顔を浮かべる。本気である。これもまた、ソラのいいところであり悪いところ。

 自分にはない、彼女しか持っていない素質だ。いや、下手をすればメグミやホノカにもない。


「最強のヴァルキリー、か」

「え?」

「何でもない。ほら、適当に腰かけて。私の話、聞いてくれるんでしょ?」

「うん」


 マリとソラはテーブルを挟んで座った。ソラはマリに頼られたのが嬉しいのか、きらきらとした眼差しでこちらを見つめている。

 だが、そんな真摯に見つめられると、いじめたくなってくるのがマリのさが


「私さ、メグミを暗殺しようと思うのだけど、どう思う――?」


 などとデタラメを吹き込んでやると、


「え、ええっ!? だ、ダメ! ダメだよマリ! メグミは友達だよ、仲間だよ!! メグミと喧嘩したの……?」


 と本気で捉えてくるものだから、マリは堪え切れずに吹き出した。


「ははっ。冗談よ」

「じょ、冗談。マリが言うと冗談に聞こえないんだけど」


 ソラが引きつった笑みをみせる。そこから派生してからかってもよかったが、今日はさっさと本題に入ることにした。


「相賀大尉のことよ。お察しの通り、私は大尉と喧嘩したの」

「相賀大尉とマリが? 喧嘩?」


 意外そうな顔をソラは浮かべる。意見の対立はあれど、喧嘩まで発展することは少ない……と彼女は思っているのだろう。だが、それはマリがソラと仲間になる前の話だ。昔はしょっちゅう喧嘩していた。

 嫌いだったのだ、相賀が。他人のくせに自分に関わってくるあの男が。

 人に復讐するなと言いながら、自分は復讐するつもりでいるエースパイロット様が。


「そうよ、喧嘩。いつものことではあるけど」

「……」


 ソラは黙って耳を傾けている。マリは彼女のこういうところが好きだ。


「たぶん、そのうち、どうでもよくなる。いつの間にか仲直りしてるわ」


 マリは相賀との喧嘩で明確に仲違いしたことがない。しばらく口を利かなくなったりするが、自然と元通りに戻っている。どこかで彼の言葉が正しいと知っているからだ。マリにとっての喧嘩は一時的な反抗でしかない。

 しかし、今回はいつもと少し違った。姉に関わることだ。ヴァルキリーは自身に適性がないゆえに諦めがついた。だが、スワローは違う。誰でも装着できる兵装だ。自分でもヘルヴァルドに届く力だ。

 それが相賀に奪われる。自分の手から剥奪されると思うと、マリは奇妙な感覚に包まれる。

 怒りとはまた違った、別のものに呑み込まれそうになる。

 だから急いで、彼の元から抜け出した。おかしいとは思う。しかし、そのおかしさの原因がわからない。

 そのためのソラ。彼女の話を聞けば、彼女に自分の言葉をぶつければ、何かわかるかもしれないと考えた。

 そんなマリの想いを知ってか知らずか、ソラはマリを心配するように訊ねる。


「マリはそれでいいの?」

「それでいいも何も……仲直りできるならそれに越したことないでしょう?」


 それはソラがいつも言っていたこと――とマリは不思議に思ったが、ソラは違った。とにかく意見を、気持ちを伝えないと始まらない。ソラは真顔で当たり前な、しかし実行が難しいことを言ってくる。


「間違いなのか正しいのかは、この際どうでもいいんだよ。ただ、自分がどう思っているか、どう感じているかを伝えること。人の意見がぶつかっちゃうのはしょうがないことなんだ。わかり合いって、他人に合わせて流されることじゃない。自分の意見をきちんと伝えて、ぶつけて、それでもなお仲良くすることなんだよ。反対意見の人とも、仲良くすることなんだ」


 底が浅そうに見えて、深い。自分ならそもそも思考回路に乗せない、薄っぺらいキレイゴト。しかし、そんなキレイゴトをスカした態度で受け流し、クールだと言って人殺しをするよりは、当然のことを、わかり切っていることを、何度も何度も繰り返し言っている方がずっといい。

 さらにソラは自分の発言の難しさを理解している。だから、彼女はオドムにわかり合いではなく共生を勧めたのだ。アテナに、人間に対する復讐心を発散させたのだ。

 わかり合いを押し付けない。そして、悲劇も起こさせない。

 強情のようで柔軟な、軟弱なようで鉄壁な思想や意志を、彼女は持っている。


(ヴァルキリーが私を選ばないわけだ)


 ソラの言葉を聞いていると、ソラを甘ちゃんと形容した自分に相賀が言った言葉が脳裏に浮かんでくる。

 ――過去ばかりを見ている人間に女神は微笑まない。微笑むのは悪魔だけだ。

 さらには、ソラならマリの友達になってくれるという言葉も思い返した。

 確かに、彼女なら間違いなく自分の友達になってくれる。いや、もうなっている。

 相賀は正しい。だから、マリは相賀を疎ましく感じてしまう。

 彼の意向に沿えば、マリは復讐者じゃなくなる。それではダメなのだ。メグミのように絆されてしまってはいけないのだ。


「……ありがとう、ソラ」

「え? まだ何も」

「あなたの存在に救われてるの。だってあなたは――」

「私は?」

「バカだもの。あなたを見ると、自分がバカじゃないって再認識できるから」

「えー……酷いよう」


 ソラは苦く笑う。マリも表情には出さないものの、心の中に苦い物が広がっていた。

 バカにはするが認めている。悔しいが、ソラはマリにないものを最初から手に入れている。

 他の部分では勝っても、そこだけは勝つことができない。

 でも、今はそれでいい。自分の目標は復讐をすることだから。

 ヘルヴァルドに勝てれば、それでいいのだ。


「本当に、大丈夫?」


 ソラは今一度マリを心配してくる。


「ええ、大丈夫よ、本当に……」


 マリは昏い決意を湛えて、頷く。



 ※※※



「うそつき」


 こだまのように、重石のように、その言葉は襲いかかってきた。

 その時の衝撃を今でも覚えている。昨日のことのように感じられる。


「うそつき、うそつき」


 その責め苦を甘んじて受け入れた。自分が取らなければいけない責任だ。責め立てられることに異論はない。

 だから、黙って聞いていた。しかし、その少女はいくら自分を責めても表情が晴れることはない。


「うそつき……うそつき……」


 嗚咽混じりに嘘を吐いたと責められる。もっとだ。それ以外に言うべきことがあるだろう。

 俺を怒れ。俺を憎め。そうだ、全ての咎は俺が引き受ける。だから、お前は俺だけを憎んでいろ――。

 そうずっと男は思っていたが、少女は彼の意向に従わなかった。


「……コルネット、機体に異常は見られない。動作確認を終了する」


 コックピットから相賀はペガサスのシステムチェックを行うコルネットに無線を送った。

 りょうかーい、という軽薄な返答が帰ってくる。相賀は特に不満を漏らさず、狭苦しいコックピットハッチを開けた。

 ここにいると、どうしても過去を思い出す。戦闘機乗りのくせに、コックピットの中は苦手だった。


「誰かマリを見かけたか?」


 無線と前で携帯端末をいじるヤイトに問いかける。コルネットからの返答も、ヤイトからの答えもほぼ似たようなものだった。


「知りません。きっと、部屋に戻ったんでしょう」

「部屋か……やれやれ」


 説得には骨が折れる。かといって、素直に相賀の指示に同意されても困る。

 マリは行動力に溢れている。もし仮に、文句ひとつも延べず相賀の出した命令を承諾しても、恐らく何か裏がある。実際にヘルヴァルドが現われた瞬間に、ヤイトから機体を強奪するつもりのはずだ。

 しかし、同意しないなら同意しないで、それはそれで難しい。どちらにしろ困難なのだ。

 相賀は追加ブースターを装着したペガサスから降りると、寮に向けて歩き出した。


 

 マリはヤイトの見立て通り、部屋にいた。先程まで来客があったようで、コップが二つ置かれている。


「ソラだな」

「流石エース様。よくおわかりですね」

「よせよ。……怒ってるか」


 相賀は遠慮なく腰を下ろして、問う。厄介なことにマリは首を横に振った。


「いいえ、怒ってません。大尉は私の上官ですから、上官の命令には絶対……でしょう」


 あれだけ再三部下としてではなく仲間として接しろと言っておきながら、この態度である。むしろ、そう言いながらもマリに装備の不使用を強要した自分へのあてつけなのか。


「マリ……」

「わかってますよ、理性では。私はヘルヴァルドと出くわしたら、見境をなくす。作戦行動に支障が出てくる。だから、外したんでしょう? わかってますよ……」

「そもそも俺は復讐自体に反対してる」


 相賀は改めて、自分の意志を伝えた。

 それすらも、わかっていますよ、と平然を装ってマリは返してくる。

 わかっている。そう、マリは確かにわかっている。

 わかった上で、相賀とは別の考え方と行動を取るのだ。


「俺はお前に無茶をして欲しくないんだ。……天音に頼まれたからな」

「そこで姉さんを出せば、私が復讐を止めるって思うんですか?」

「いいや」


 その程度で止めてくれるのならば、マリは今頃学校に通っているはずだ。だが、彼女は今もここにいる。

 虎視眈々と復讐の機会を窺っている。姉の、相賀の想いなどどうでもいい。

 ただ自分がしたいから復讐するのだ。


「お前の意志は俺が引き継ぐと何度も言ってるんだが」


 相賀が何度も繰り返した文句を口にするが、マリは黙って無視をする。

 相賀の復讐のそもそもが、マリに影響されたものだった。天音を殺したヘルヴァルドに憎しみや憎悪を抱いているが、それ以上に天音の意志を尊重したいという想いがあった。

 天音は世界の平和を、戦争の終結を望んでいた。そんな彼女が復讐を望むかと聞かれれば、相賀は自身を持ってノーと言える。

 天音は復讐を望んでいない。しかし、マリは復讐を望んでいる。

 この復讐は憎悪から発生したものではない。義務だった。罪滅ぼしだった。

 本気でヘルヴァルドを憎んでいるかと問われれば、相賀ははっきりと答えられない。恐らく、その態度もまたマリの気に食わない部分なのだろう。

 ゆえに彼女は、相賀の指示に従わない。


「……一応言っておくが、もし勝手に機体を奪ったら」

「そんなことすると思いますか? 私は軍上層部に楯突く、反逆者の一員ですよ?」

「あのなぁ」

「もういいでしょう。これ以上話しても平行線だってことはあなたも知ってるはずです。……そろそろシャワーを浴びたいので。それとも、姉さんの代わりに私に手でも出しますか?」

「わかった。……また後でな」


 相賀は降参し、部屋を出ていく。マリの鋭い視線が背中に浴びせられている。


「ええ、また」


 マリは不機嫌そうな声色を僅かに含んで、そう応えた。



 ※※※



「…………」


 嫌悪感を隠す様子もなく、ヘルヴァルドはアーサーを睨み付けていた。

 しかし、アーサーもまた特に気にするそぶりは見られない。いつも通りの酷薄な笑みを顔に張り付けている。


「では、以前伝えた通りに」

「わかっている。もう一度、ヴァルキリーを襲撃すればいいのだろう」

「そうだとも。……アレックに援護を頼んだが、断られた。お前が鍛えたクリスタルを同行させられずに大変遺憾だ」


 アーサーは申し訳なさを全く感じさせずに言う。ヘルヴァルドも、誠意の欠片も見せずに応じる。


「だろうな。別に構わない。私一人でも問題ない。誓約の恩恵もあることだしな」


 ヘルヴァルドはアーサーの後ろで煌々に燃え盛る誓いの炎に目を向けた。


「そろそろ決着をつけられるように祈っておく。戦果を期待しているぞ」


 言いたいことだけを言い残し、アーサーは去っていく。ヘルヴァルドも留まる理由はないので、そそくさと退出していった。

 キャメロット城を出て、薄暗い市街地を歩いて行く。街中では、人間に死を! と訴えるデモが行われている。彼らが言うには、中世や近世で人間たちが行った魔女狩りのように、木に人を括りつけて、惨たらしく燃やしてしまえばいいらしい。


 ――死だけが、戦争を止める方法じゃない。私はそう信じてる――。


 その光景を見て、そんな腑抜けた理論を提唱した女の声が、ヘルヴァルドの脳裏に響き渡る。


「本気でそう思ったのか、お前は」


 独り呟いたが、返答はない。当然だった。独りだから、という意味ではない。

 もうその人は故人であるから、二度と回答は返ってこない。あの、紫髪の女は……。


「呪いとは、人とは、恐ろしいな。なぁ……テュルフィング」


 代わりに、抜剣すれば必ず敵を殺すという逸話がある剣に問い直す。

 当然ながら、ヘルヴァルドの問いは虚空に吸い込まれていくだけだった。

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