ソラの伝言
アテナとニケはしばらく手綱基地へ滞在した後、浮き島へ帰っていった。
教会にスパイ嫌疑を掛けられるかもしれない、という危惧をアテナは一蹴。そんな嫌疑をかけてくる奴を逆に斬り伏せてやると豪語していた。
ソラがジャンヌに新しく書き直したレポートを持って行くと、ジャンヌはその去り際を思い出したのか、うんざりした様子で話しかけてくる。
「流石戦争の女神。好戦的だとは思わない?」
「でも、いい人だよ?」
ソラが言い返すと、ジャンヌは呆れた口調で言葉を漏らす。
「あなたの基準じゃ誰でもいい人になるでしょ?」
確かにそうかもしれない、と思いソラは反論できなかった。
「ニケが可哀想だわ。あの子と私が組めば最強になれると思って何度もスカウトしてるのに、アテナ一筋って言って聞いてくれないの。私、可哀想だと思わない?」
解析室のデスクの前に座って、アンニュイなため息を吐くジャンヌ。ソラは言葉に迷った。ニケが可哀想という話ではなかったのか。
「あー、うん、そうだね」
「いくら私が美しく賢く素晴らしいからと言って、世界と神様の嫌がらせが酷いと思うのよね」
などと不満を漏らすジャンヌだが、ジャンヌ・ダルクは神に嫌がらせをされた英雄などではない。むしろ神に祝福された英雄なので、一体何を言ってるのだろうという想いがソラの中を巡る。
しかし、生来の人の良さからソラは口に出すことはせず、テンプレートな回答で同意することにした。
「うん、そうだね、酷いよね」
「でしょう? あなた、本当にいい子だわ。他の人に言ってもボロクソ言われるだけなのに。あなたの心眼は本物よ! 鑑定士になるべきね」
ジャンヌはソラのレポートを受けとり、中身を速読で読み取る。そういうジャンヌの方が鑑定士に向いているのではないかと思ったが、それも言葉にはしないでおく。
一通り目を通したジャンヌはやっぱりか、と納得したように呟いた。
「あなたは死者の声を聞き、死者のビジョンを読み取っていた。いえ、感じ取っていた。……あなたの急激な成長速度はそのせいね」
「……死んだ人の強さを、継いでいるって感じ?」
「だいたい合ってる。ネクロマンサーとはまた違う、ヴァルキリーという独自の魔術形態なのかもね。懸念すべき項目は変身していない状態でも影響を与えているって部分。変身している時なら、そういう特性を持つって理解できるんだけど、このままだとまるで」
「まるで?」
何か言わんとしたジャンヌにソラが問い直したが、ジャンヌは言いづらそうに目を逸らした。
「いえ、これは仮説だし、もうちょっと練り込んでから教えるわ。……私の専門分野は歴史改変と創作付与なのよ? どうしてこんなよくわからない兵器の研究をさせられてるのかしら」
「でも、ジャンヌさんしかできる人いないよ?」
「ああ、やっぱり! 可哀想な私!」
ジャンヌはくねくねと身体をよじらせ、自分好きさを余すことなくアピールしてくる。
ソラは苦笑しながら、その場を離れることにした。恐らく、性格残念美人というのはジャンヌのような女性を指すのだろう。
どうでもいいことを考えながら通路を歩き、外へと出る。基地には、戦場となった滑走路周辺を工事する音が響き渡っている。
これがVTOL機ペガサスが量産された理由の一つだった。滑走路は魔術師の襲撃ですぐに使い物にならなくなる。だから、僅かなスペースさえ確保すればすぐに発着できるVTOL機が必要だったのだ。
その点、ヴァルキリーはどこでも変身できて、どこからでも空を飛ぶことができる。ある意味、ヴァルキリーこそが防衛軍が欲した個人型多目的戦術兵器なのかもしれなかった。
(でも、ヴァルキリーは人殺しの兵器じゃない)
ブリュンヒルデとの適合率が上がるごとに、ソラは確信していく。これはもっと大きな目的のために創られた魔道具だ。魔術の全てを網羅して、科学のよいところを吸収する。戦争で虐殺するためではなく、平和を創るための装備。
強大な敵に対抗するべく作られた力だ。
「敵……。私の、敵」
その単語の悲しさを振り切ろうと、ソラは周囲を見回す。すると、防衛軍が手綱基地へと送った巨大な砲台が目に入った。
レールガンであると説明されたそれは、高速で動く魔術師を捉えるべく新開発された大型電磁誘導兵器だ。
「……ん?」
何かが気になって、ソラは真っ黒なそれに近づいた。注意深く観察してみる。
「数字……?」
数字が浮かび上がっている。型式番号だろうか。
0と7の表記があった。右側には。ぐるりと回って反対側に行くと、そこにも7と0が。
しかし、こちらは反転している。何かカタカナで説明も記してあった。
「アレフとヘット? アレフヘット? ヘットアレフ? それに……emet?」
何が何だかさっぱりわからない。ソラは首を傾げつつレールガン砲を後にする。
今気にすべきことは兵器の型式番号ではない。浮き島に帰ったアテナとニケ、そして、クリスタルだ。
「アテナさん、ちゃんと伝えてくれたかな」
私に任せて、と意気込んだアテナの顔を思い浮かべながら、ソラは浮き島に想いを馳せる。
※※※
丁度その頃、アレックの屋敷にアテナが訪れ、クリスタルが話を聞いていた。
ニケもいる。何者かに記憶が改変されているが、自身が精神をいじられたことは明白で、下手に家にいるよりもアレックの屋敷にいる方が安全だと考えたからだ。
「本当に大丈夫なの?」
「もちろん。今の私は本物。生きる死者なんかじゃなく、未来を見据えている生者。全部ソラのおかげよ」
ソラの名が出てクリスタルはホッとする。ソラは地上で戦った相手をジャンヌ・ダルク以外全て浮き島へと帰していた。そのせいか、彼女と戦った魔術師の中にも戦争続行を疑問視する声が上がっている。マスターオドムの死とマスターレオナルドの一件を経てまだ殺伐とした空気が教会内を支配しているが、このまま続けば誤解だということにみんなが気づいてくれるかもしれなかった。
「ソラ、か。あの子は優しいから」
と同調するように呟くが、クリスタルの胸中は一抹の寂しさに包まれている。昔のソラはよく知っているが、今のソラをクリスタルはよく知らない。二度の戦闘を繰り広げたが、結局まともな会話をできていない。
自分のせいだ、という想いはあった。ソラはクリスタルとの和解を望んでいたのだ。だが、二度に渡る戦闘のどちらも自分の強情さのせいで台無しとなっている。どうにかしなければ、と思う反面、ソラの対応についていまいちいいアイデアが浮かばない。
「珍妙な顔をしているわね。あなたらしくもない」
「それを言うなら、そこまで活き活きとしたあなたの顔を見るの、今日が初めてなんだけどね」
アテナはご機嫌だ。敵に負けたというのに、晴れ晴れとしている。そのことを指摘すると、私はあの子より技能も体力も優れているわよ、と臆面なく言った。負けているのは心だけ、とも。
心技体の内、一番大事とされている部分が心だ。そこが負けていたのだから、敗北は仕方ない。でも、次は負けたりしない。もし、次があればだけどね。アテナは笑いながら言葉を続けた。
「正直なところ、私の勝ち負けはどうでもいいの。ソラからあなたへ伝言を預かってるわ」
「ソラから……」
ごくり、とクリスタルは息を呑む。一体何を言われるのかと、緊張の眼差しでアテナを見つめた。今のソラの言動をクリスタルは予測できない。あれだけ色々酷いことを言ったのだ。罵倒されても文句を言えなかった。
だが、アテナが伝えたのは、至極単純な言葉だった。
「約束、覚えてる? だって」
「約束……? もちろん」
忘れるわけがない。幼い頃、お気に入りの花畑の真ん中でまた会おうと指切りをした。再会できなければはりせんぼんを呑まされる。そのはりせんぼんが、針千本なのか、それとも魚のハリセンボンなのか、どちらであるかというくだらない話を二人で交わしていたことを、クリスタルは思い出した。
ふふ、と笑みを漏らすと、だったら後は自分で何をするべきかわかるでしょう、とアテナは澄まし顔で言ってくる。
その顔に、少しクリスタルは嫉妬した。まるで、今のソラの思考を全て理解していると言わんばかりの顔だ。
(ソラの親友は私なのに……)
そう思ってしまったことが、クリスタルの運の尽きだった。
「面白い顔ね、クリスタル」
「な、何よ」
どうやら表情で出てしまっていたらしい。クリスタルは慌てて顔を逸らす。
だが、アテナは魔術剣士という職業柄、相手の感情を機敏に察するスキルを所持している。全て、見透かされていた。彼女の、年相応の微笑ましくも面倒くさいどうしようもない嫉妬心を。
「あなたに過去のソラの話は聞いていたけど、今のソラの方が魅力的だわ。セレネに似た、いやそれ以上にいい子ね。あなたの代わりにソラの救済を代行していいくらいには」
「ソラが泣き虫じゃないのは、私に怒られないようにするためよ。今のソラは私が育てたと言っても過言じゃないわ」
何を言っているのか自分でもわからないが、とりあえずクリスタルは言葉を紡いでいく。何はともあれ、アテナが今のソラを自分よりも知っているという事実が気に食わなかった。
「あら、そうね。あなたが育てたのね、ソラを」
「そうよ」
「そのくせあの子に裏切った、とか罵倒したんでしょ? 酷い子ね」
「……っ! そ、それは知らなかっただけよ!」
アテナがクリスタルをからかう。今まで、アテナがクリスタルにこんなちょっかいを出してきたことはなかった。そのため、クリスタルは普段の冷静さを失い、子供じみた態度で言い返す。
「だいたい、あなたがソラの何を知っているの? 私はソラがこんなに小さかった時からいっしょなのよ?」
クリスタルは手で幼いソラの身長の高さを表した。昔のソラはあまり背が高くなく(今も平均より少し低いぐらいだが)、クリスタルは自分の背中を追ってとことこ付いて来る彼女を妹のように思ったものだ。
「でも、友情に時間は関係ないでしょ?」
「……私も、そう思う」
「ミシュエル?」
突然ドアが開き、部屋へと入室してきたのはミシュエルだった。長身の彼女はずかずかと部屋の中を歩き、木の椅子に我が物顔で陣取った。
「重要なのは時間じゃない。当人の意志。私がソラちゃんを求めている。それだけで十分」
「あら、ライバルが増えたわね」
「ライバルとかそういう問題じゃない! 一体何なの?」
せっかくソラの伝言を聞いて懐かしい思い出に想いを馳せたかと思えば、ソラの取り合いが起きている。こういう状況を諫めるのが得意なレミュは街にお使いへ、きらりはツウリと魔法少女趣味で意気投合し今はアニメ鑑賞に耽っているはずだ。リュースはカリカの宿り木代行をさせられ、ケランはカリカに召使のように付き添っている。
かといって、屋敷に滞在中のエデルカに助けを求めるわけにはいかない。何よりこう、ソラのことを自分が一番よく知っている、という態度がクリスタルは気に入らないのだ。
「だって、私ソラちゃん好きだもん。でも、クリスタルは一回もそんなこと言ってない」
ミシュエルに指摘されて、クリスタルは言葉に詰まる。そもそも、ミシュエルの好きとクリスタルの好きはまた意味合いが違うだろうという考えも、今のクリスタルではおぼつかない。
ある意味、ソラはクリスタルの弱点と言っても過言ではない。クリスタルの秘密であり、大切な存在。心の拠り所と言っても間違いない。アレックを始めたくさんの仲間ができたが、それでもソラは自分の心の一角を占めていた。
心を土足で踏み荒らされている気分になる。今までクリスタルにソラの話を求めた人は、みんな丁寧にノックをし、家主の応答を待ち、きちんと靴を脱いで、礼儀正しく話を聞いていた。しかし、これは一体何なのだ。ノックもなしに人の部屋に入って来たかと思えば、得意げに自分の大切なものを自分より知っているかのように語る。
滅多に怒らないクリスタルも、ソラの時だけは別だ。彼女たちは、クリスタルのデリケートな部分に触れたのだ。
「い、言わなくても問題ないでしょ!」
気付くと声を張り上げていた。大人げないかとも一瞬思ったが、ミシュエルも臆することなく言葉を返していた。
「そういうのがダメ。言わなくてもわかってる、なんて言い草は理由をつけて言いたくないだけの逃げ言葉。現に、ソラちゃんの心はクリスタルから私に揺れている。ソラちゃん、私のこと大切だって言ってくれたもん」
それは怒ったツウリと別れた後のミシュエルが、ソラといっしょにベンチに座っていた時のこと。
ミシュエルがソラに自分が大切か訊ねると、ソラは二つ返事でそう答えたのだ。生来の性格として、ソラは平等に全ての人間、魔術師を大切に想っている。それがゆえに出た回答だったのだが、今のクリスタルにはそこまで頭が回らない。
さらには、同調するように私も言われたわよ、とアテナも言う。こちらはアテナがソラに改めて見舞いに訪れた時の話だった。
「な、な――」
「クリスタル、自分の気持ちをソラちゃんに伝えてない。だからこうなる」
「そうね、ミシュエルの言う通りだわ。例え心が通じ合っていると思う相手にも、言葉に出して気持ちを伝えなきゃダメよ。人も魔術師も、声を通さなければ想いが伝わらないのだから」
もはや恋愛指導のようになってきた会話の流れを、クリスタルは断ち切れない。
猛烈な不安に襲われてくる。見当違いな予想を立ててしまう。
(もしかして、さっきの伝言……。私の態度があまりにも素っ気ないから、怒って残した言葉なんじゃ)
言葉と言うものは基本的に装飾されるものだ。表情やトーン、話し方という様々な要素が組み合わさって、相手に想いを伝える触媒へと成りうる。しかし、伝言や文字など、直接相手と相手が対峙しない方法を取った場合、あらぬ誤解を植え付けてしまう。言葉や文字に、受信者が勝手にイメージを付加してしまうのだ。
一度誤解をすると、それは奔流や雪崩のように襲いかかって、まともな判断を取れなくなる。発信者の想像を超えた意味を受け取ってしまう。
クリスタルは有り得ない仮説を立てて、ソラに嫌われたのではないかと怯えた。本当に嫌われているのならそもそも伝言など残さないという部分を都合悪く忘れて。
「ま、まさか、そんな有り得ない」
「魔術に有り得ないは有り得ない。魔術師ならまず言うことのないセリフね。世界は無限の可能性でできている。可能性とは厄介な代物だって、あなたも理解できてるわよね」
人も魔術師も、可能性を消すことに命を懸けている。自身の予想を超える事態が起きてしまうのは好ましくない。自身の予想できる範囲で、望む答えを手に入れなければならない。その究極が科学であり、魔術なのだ。
理論体系を追求し、想定外の事態に巻き込まれることのないよう念密に吟味を重ね、科学も魔術も発展してきた。――努力とは、自分の可能性を狭めることを指すのだ。
……などと大ごとのようにクリスタルは思考を回すが、実際には大したことのない些事だという事実に、彼女は一向に気付く気配がない。
「ソラが私のこと、嫌ってる……?」
「かもね。可能性とは恐ろしいものよ」
そう、例えば今のように。アテナは真実を知っているので、にまにまとした笑みを崩さない。
ソラが柔和なら、クリスタルは堅物である。ガチガチに凝り固まった水晶である彼女が、ありもしない想像に振り回されて、くそ真面目に悩む姿を愉しんでいるのだ。
これこそがレミュやきらり、ソラでさえもがどうにかならないのかと気を揉むクリスタル第二の弱点。
この性格を矯正するべき師であるアレックもまた硬派な人物であり、師がそうであるならとクリスタルの融通の利かなさも強化されている。そのため、クリスタルの性格は昔のままだ。時折、きらりに窘められてはいるが。
だが、だからこそ、からかいがいがあるというもの。アテナはクリスタルいじりを続ける。
「それに、今ソラは魅力的な友達に囲まれてるし。あなたのことなんて、ただ昔のよしみで救おうとしているだけかもね」
と楽しそうにアテナは呟いて、次にはぎょっとした表情を浮かべていた。
クリスタルが椅子を倒し、床に崩れ落ちたからだ。ただの冗談をここまで本気にとられるとは思いもしなかったに違いない。
それはミシュエルも同じであり、驚きの表情を顔に張り付けていた。そそくさと立ち上がり、ミシュエルはお暇を宣言する。
「わ、私、ツウリと遊んでくる!」
「ま、待ちなさい! あ……く、クリスタル? 今の話は全部冗談よ? 知り合いがくだらないジョークを言うようになってたから、どういう心境の変化かと思ってためしにやってみたの。そしたら、思いのほか楽しくて」
慌てて場を取り繕うと努めるアテナ。だが、ショックを受けていたクリスタルは、それ以上に加味された真相に、怒りを隠せない。
すっ、と立ち上がると、アテナを睨み付ける。言葉にしないでも、何を言わんとしているかわかる。
ふざけるな――。
「まぁ、少々空気を読まなかったことは認めるわ。うん、申し訳ないと思ってる。……くそ、メローラの奴はどうやって――。う、ううん何でもない。私はとにかく……逃げる!」
般若の如き形相を浮かべるクリスタルを前にして、アテナは逃げの一手に講じた。しかし、獲物を見す見す逃がすクリスタルではない。師に習った銃術のように正確な投擲で、アテナに手近にあったカップを投げつける――。
「ひぃ!」
「クリスタル、少し話が――……ん?」
悲劇は何の前触れもなく起きた。クリスタルがカップを投げたと同時に、ドアが開いたのだ。
アテナは魔術剣士として体得した驚異の身体反射速度でクリスタルの投擲を避け、カップは部屋に入室した第三者へと直撃する。
そして、紅茶に濡れた人物を目の当たりにし――クリスタルは戦慄する。
「ま、マスターアレック……」
たまさか、紅茶を浴びたのは自身の導師だった。
一般的な攻撃ならアレックも回避や防御をしたことだろう。しかし、敵意も殺意もないカップアタックにいちいち反応したりはしなかったのだ。必要な時以外に魔術を使わないことも、アレックの教えの一つである。
「……クリスタル」
「も、申し訳ありません!」
クリスタルはハンカチを取り出し、アレックのローブの汚れを落とそうとした。しかし、必要ないと手で制される。簡易魔術を使ってアレックは衣服の汚れを一瞬で落とすと、床に転がるアテナと呆然と立ち尽くすクリスタルを見比べて、
「今後のことで話がある。二人とも、工房に来なさい。それと、クリスタル」
「な、何でしょうか……」
「後で個人的な話がある」
「はい……」
滅多に怒ることがないアレックによる説教を、クリスタルが覚悟した瞬間だった。
アレックの話は、防衛軍側と教会側のパワーバランスを踏まえてのヴァルキリーに対する処置についてだった。
もちろん、その話の後に、アレックからの個人的な説教も受けた。私以外の者に当たったらどうするつもりだったのだ、と。
お叱りを受けて、クリスタルはしょんぼりしながら浮き島の端に座っている。
「はぁ……」
「元気出しなさい、クリスタル」
「元はと言えばあなたが……はぁ」
クリスタルは二度もため息を吐く。横に座るアテナが恨めしかった。
しかし、アテナは気にしていないように空見を楽しんでいる。青い空。ソラが焦がれた大きな空。
アレックに叱られたことはともかくとして、クリスタルとソラと取り巻く状況は進展の兆しをみせている。
アレックは一度ソラたちと接触するべきだと考えていた。武器を伴った争いではなく、言葉を交わす交渉の機会を取り持つこと。それが、クリスタルに教えられた次なる手段だ。
いくらマスターとして様々な権限を与えられているアレックと言えども、独断で敵陣の兵士と接触するのは難しい。しかし、今回はマスターレオナルドがこちらの陣地で静養中なのが幸いした。
アレック、ハルフィス、エデルカ、そしてレオナルド。四人のマスターによる合意を得られれば、いくら評議会としてもこちらの意向を無視することはできない。
連中は墓穴を掘った、とアレックは言葉を漏らしていたが、彼は他にも何か考えているようにも見えた。
ゆえに、アレックは先に自身が先行して接触を図ることクリスタルに約束させ、二人に解散を命じたのだ。
「良かったじゃない。私があなたたちのキューピットとなったわね」
「はぁ? 私とソラはそういう関係じゃ」
「あなたたちは本当にそっくりね。それなのに、どうして私なんかに嫉妬したんだか」
訳知り顔でアテナが嘆息する。どういうこと? と訊ねたがアテナは肩をすくめるだけだった。こういうしぐさをクリスタルは嫌いである。
「アテナ?」
「あなたとソラは似た者同士ってこと。これで十分でしょう? たまには私の空見に付き合いなさい」
そう言ってアテナはそれ以上取り合わなかった。クリスタルはしぶしぶ前に向き直る。
思えば、アテナと並んで空見をするのは今回が初めてだった。いつもアテナは、クリスタルより一歩後ろで虚空に目を向けながら過去を見つめていたのだ。
たまには、こういうのも悪くないかもしれない。クリスタルはそう思って、アテナと共に空見を続けた。
※※※
アレックは他者の好奇や嫌悪の視線にさらされながらも動じることなく堂々と、キャメロット城の門を通った。
門番に奇異の眼差しを注がれたが、意にも留めない。歩みを止めることなく進んで、目当ての部屋へ歩いて行く。
「こんにちは」
通りかかった青い衣を着た騎士に挨拶をされる。アレックは会釈を交わすだけで、特に声を掛けたりはしない。
しかし、向こうはそうではなかった。一方的にアレックへと話を投げてくる。
「……油断が過ぎるのでは? マスターアレック。アテナの一件、あなたならもう気付いているんでしょう」
「それを言うならお前もだ、メローラ。……身の安全を考えろ」
「お気遣いどうも。でも、あなたは私の師ではない」
「しかし、あの気難しい剣士とは交遊があった。ファナムなら間違いなくこう忠告したはずだ」
そう歩きながら顔を見ずに言うと、メローラの表情がムッとしたものに変化した。
アレックに全てを見透かされているようで気に食わないのだろう。しかも、魔術を用いた読心術などではなく、単純な推理の結果で。
「――死ぬかもしれないと思うな、あたしは」
「……それが何だ?」
そこで初めて、アレックはメローラに顔を向けた。恐れ知らずの顔だ。
死など歴戦の魔術師にとっては恐れるに足らない。若き世代が持ち合わせることのない、勇敢かつ屈強な意志を瞳に宿している。
「……不審な輩がいるようだ。注意しろ。お前は自分が想っている以上に危険な立場にいる」
「自分の心配よりもあたしの心配って訳? あはは、あなたがあたしの父親だったら、あたし、だいぶ幸せだったと思うなー」
アレックは視線の先にいた兵士を一瞥しながら言う。アレックに見られた兵士はそそくさと去っていったが、その後を、黒のローブを着込んだ怪しげ男が追って行く。その男は自分の息のかかった者ではないが、気にする必要はないと即座に理解した。敵意がない相手は、放っておくに限る。
「忠告はしたわよ、マスターアレック」
「私もだ、メローラ。お前は自分の秘密がばれていないと思っているが、それは思い上がりだ。……次に向こうへ渡ったら、こちらへは戻ってくるな」
「……どうも」
メローラは顔をしかめながら、アレックとは反対の方向へと歩み始める。
メローラの偽装は優れているが、完璧だとは言い難い。多くの魔術師は気付いていないが、アレックはとっくに見破っていた。もし、彼女が格下の相手を憚るつもりならまだしも、メローラは自身よりも実力が遥か上の相手を騙そうとしているのだ。もうこれ以上迂闊な行動はとらず、一定箇所に隠れるべきだった。
しかし、残念なことに彼女はアレックの忠告を聞かないだろう。アレックには予感があった。
ゆえに、こちらも行動を早めねばなるまい。アレックは歩を進ませる。
そして、目的の部屋である、アーサーの執務室に辿りついた。
「アーサー」
「よく来たな、同志」
「世辞は止せ。本題に入ろう」
「皆まで言うな。わかっている」
アーサーと目が合い、二言三言会話を交わすだけで、既にこちらの目的は伝わっている。
そのことを、アレックは特に驚きもしなかった。だろうな、と合いの手を打ち、さっさと問いを放つ。
「で、可能か? 不可能か?」
「現状では不可能だ。今、私は新たな問題に直面し、その対応策に追われてる。……ヘルヴァルドを使うが、貴君の弟子を派遣して頂けるか?」
「いや、無理だ。……そちらの問題が早急に片付くことを切に願う」
評議会の招集が断られたのなら、これ以上この場に留まる意味はない。アレックは早々に踵を返した。
ほくそ笑むアーサーを後目にし、自らの屋敷に帰還する。
「訪問、感謝する。マスターアレック」
「ではな、アーサー」
通常の魔術師では感じ取れない、一触即発の空気を漂わせながら、アレックは部屋を後にした。