神槍対雷霆
左眼の眼帯に映る画面には、アテナの脅威度をAとする旨の表示がされている。
肉眼である右眼から覗くアテナは、呆けた表情を浮かべていたが、すぐに小さな笑みへと変わった。
「私を救う者? あはは、何それ」
「……アテナさん」
アテナはグラムの切っ先を喉元に突きつけられても動じない。ソラが敵を殺さないと知っているからだ。
「私のことは私が救う。私はセレネに会いたい。そのための生贄としてお前とクリスタルを選んだ。それとも、クリスタルを改造しようとしている私を殺す? グラムは古ノルド語で怒りの意味を持つ剣。怒ってるんでしょ? お前は」
「怒ってないです」
「嘘おっしゃい」
「……そうですね、怒ってます。あなたにこんなことをさせた人に、怒ってます」
ソラがグラムを下ろすと、アテナは気に食わないというように顔を歪めた。
「何なの、それは。私に怒れ! なぜ当事者に怒らない? お前は殺人を理由があれば見逃す性質なのか!?」
怒るアテナに難題を問われた。恐らくこの問いはセレネにも投げられたものだろう。
セレネは何て答えただろうか。自分は何と答えるだろうか。
ソラは考えて、思考を止めた。考えるべくもないことだった。
「理由にも、よります」
「ふざけんなッ!!」
アテナは再び念力のような技をソラに向かって行使してくる。だが、ソラの左眼に装着された観測眼帯が魔力の波動を分析し、どういう経路で放たれたのかを正確に表示してくれた。
そのため、グラムで魔術を叩き斬ることは容易だ。先程は命中した攻撃を防がれて、アテナの反応が遅れた。
「何だ、何で――! 何で、お前たちは! お前も、セレネも! おかしい、有り得ない! お前が赦せても私が赦せない! 私はセレネを殺した人間が憎い!」
魔動力が効かないとわかったアテナは迫るソラに剣をがむしゃらに放つ。しかし、ソラはそれを全て防ぎきる。斬撃が視えていた。眼帯を通して。セレネの心と通じて。
「くそ、何だ何だ何だ! 私は魔術剣士だ!」
「……でも、今のあなたはアテナじゃない!」
「何ッ!!」
ソラは力を両手に込めて、グラムを横に振り切った。
「今のあなたは、あなたじゃ、ない!!」
フルパワーで放たれたソラの横切りに、アテナは後退させられる。
今のアテナはアテナではない。アテナは戦争の女神。その戦争とは防衛戦争、すなわち誰かを守るための戦争だ。アテナは都市国家の守護者として崇められた女神だった。殺戮や暴虐の限りを尽くすアレスとは真逆の神であり、それがゆえにアテナはアレスに勝利している。
だが、今のアテナには誰かを守る意志がない。ただ敵を殺すために生きる機械に成り下がっている。
「私が、私じゃない……?」
アテナは剣を落とし、愕然とした表情で両手に目を落とした。
手が震えているのがソラからも見える。震えているのは手だけではない。心だ。心が泣いている。
ソラにはそれがわかる。セレネにもそれはわかったはずだ。
ソラはアテナに共感している。
ソラはセレネに感化されている。
「あ、あ」
『――強力な魔力反応。予備兵装であるパイルランサーの使用を推奨』
「パイル、ランサー?」
困惑しながら呟くと、ソラの左腕に棒状の兵器が召喚された。
パイルランサー。伸縮式の槍が敵対象に射出され強力な一突を繰り出す、シグルドリーヴァのサブウエポン。
グラーネが機動特化の形態なら、シグルドリーヴァは火力特化の形態である。
「死ね! 人間は死ねぇ!」
「ぶっつけ本番!」
ソラは射出槍の照準をアテナへと合わせる。アテナはクリスタルが撃ち放ったように、周囲全てを吹き飛ばす衝撃波を放つつもりだ。全て、眼帯が解析してくれている。
「行けぇ!!」
「吹き飛べ――ぐぁ!!」
射出された槍が、アテナの左肩に直撃。アテナの放った衝撃波が不完全な形で消失。
これも敵を殺さない非殺傷概念兵装だが、痛みはグラーネの騎兵槍よりも増加している。苦悶の表情を浮かべたアテナに申し訳なく思いながらも、ソラは追撃を止めなかった。
「起爆」
『承諾。起爆します』
「あああああッ!」
槍が突き刺さった部分から、爆発が起きる。パイルランサーはただの伸びる槍ではなく、刺した部分が爆発する起爆槍だ。
槍が抜け、爆風が風に流されて、コンクリートに打ちのめされるアテナの姿が露わとなる。
鎧は左側がほとんど壊れて、白い肌も露出している。例え神具でさえも、シグルドリーヴァなら打ち壊せる。シグルドリーヴァはブリュンヒルデの別名だ。ブリュンヒルデはシグルドリーヴァであり、シグルドリーヴァはブリュンヒルデなのである。
右手に携える剣は、シグルズの父であるシグムンドが名も無き老人の試練を経て入手した魔剣。
シグムンドもシグルズも、常に勝利を重ねてきた剣である。
「もう、やめませんか。あなたの勝ちでいいですから」
「……お前もそうだ。ムカつく、イラつく! あの子もいつもそうだった! 自分の方が強いくせに、そうやって、他人に勝ちを譲ろうとする!」
身を起こしたアテナはヒステリックに叫んだ。ソラは悲しい顔でその叫び声へ耳を傾ける。
彼女はそう言っているが、実際の強さはアテナの方が上だとソラは考えている。邪悪な部分を強化され、狂わされ、本領を発揮できないアテナは倒せるが、彼女が本来持っていた力を取り戻せば、ソラは例えシグルドリーヴァフォームへと切り替えても負けるだろう。
別にそれでいいのだ。一番になりたくて戦っているわけではない。誰かに勝利したくて、武器を執ったわけじゃない。
そんな心構えだからこそ、ソラはシグルドリーヴァにも形態変化できた。勝利を促す者へと変わることができたのだ。
「もうわけがわからない! おかしい! 何なのこれは!」
アテナは錯乱し始めた。チャンスだとソラは思う。
徐々に心が戻り始めている兆しだ。
「アテナさん。いや、フレデリカさん」
ソラはアテナの本名を口にしながら近づく。アテナが目を見開いて、後ずさった。
「な、何で私の名前を」
「セレネから教えてもらいました」
直接名前を教わったわけではない。それでも、ソラは確信していた。
あれはセレネのメッセージだ。今ならジャンヌが相賀に言わんとした言葉を理解できる。
死者の声を、ソラは聞いていた。死者のビジョンを、ソラは見ていた。
理屈も原理もわからない。でも、単純な事実としてそうだった。
今の私は、死者の代弁者だ。セレネの想いをフレデリカさんに伝える担い手だ。
ソラは自分をそう定義して、アテナに接近していく。
「セレネが? バカな! 有り得ない! セレネは死んだ! 人間に殺された!」
「そうですね。でも、あなたの中で生き続けてます」
大事な人を亡くした人に送る、ありきたりなメッセージ。ありきたりでいい。普遍でもいい、平凡でもいい。大切なことが伝わればそれでいい。
「そ、それが、何だ。それで本当に、私が」
『警告。周囲の魔力数値が上昇。要警戒レベル』
ヴァルキリーが警告を放つ。同時に、動揺するアテナが動いた。
「私が絆されると、本気で思ったのか!!」
狼狽しながらも、技能だけは真っ直ぐだった。
アテナは魔動波でソラに先制攻撃し、ソラはその波動をグラムで叩き斬る。
だが、次に繰り出されたアテナの攻撃で、魔剣グラムは折られてしまった。
金色に輝く、雷の槍。基地奇襲時に撃ち放った、ゼウスの雷霆――。
「ケラウノスは、宇宙すら破壊する最強の武器! 魔剣など敵ではない!」
魔剣グラムは、シグルズの父シグムンドへオーディンが贈った剣だった。シグムンドは魔剣グラムであらゆる敵を打ち倒したが、最後は戦場に割って入ったオーディンによってグラムを叩き折られてしまう。
もとより、上位存在の武器には太刀打ちできない武装なのだ。グラムでは、ゼウスの雷霆には抗えない。
さらに、魔剣グラムの喪失により、シグルドリーヴァフォームは解除されてしまう。グラーネフォームがグラーネを憑代とするように、シグルドリーヴァも魔剣グラムを核としていた。
絶体絶命。万事休す。最強の武具に追い込まれたソラに、アテナががむしゃらに雷の槍を突く。
「私を惑わす存在は、死に絶えろ――!!」
「……ッ!」
ソラは咄嗟に槍を呼び出し、雷霆へと合わせた。槍と槍が穂先を交じわせ、拮抗する。
ソラは平然としていたが、アテナの動揺は非常にわかりやすかった。防げるはずのない攻撃を、ブリュンヒルデの状態であるソラが防いだ。その事実に驚きを隠せない。戸惑いながら、口を開く。
「ば、バカな……有り得ない。こんな奇跡有り得ない! ケラウノスはギリシャ神話最強の――。い、いや、待て。もし、もしそれを防げるとするなら……まさか、その槍」
アテナがソラが両手に握る銀色の槍へと目を移す。雷霆の力で具現化した雷槍と同等の威力を持つそれはソラがよく使用していた銃槍などではなく――。
「ま、まさか、それは」
思い当たったアテナの言葉をソラが引き継ぐ。
「グングニール、です!」
ソラはオーディンが使用していた神槍グングニールを操り、雷霆を押しのけた。
これこそがブリュンヒルデが持つ最高の武器。北欧神話の最高神、オーディンが用いた武器。
一度投げれば確実に標的へ命中し、必ずその手へと戻ってくる必中の槍。そして、何物にも絶対に破壊されない槍。それがグングニール。ブリュンヒルデの奥儀であり、必殺武器だった。
「なぜブリュンヒルデ如きがそのような槍を!」
「ブリュンヒルデだから、ですよ!」
ソラはアテナと槍撃を繰り広げる。突いては防ぎ、斬られては弾く。
ヴァルキリーを象徴する武器が槍なのは、オーディンの主武装がグングニールだったからだ。さらには、北欧神話をモチーフとした作品群の中には、ブリュンヒルデをオーディンの娘とするものがある。
アテナが父の武器を使えるのなら、ブリュンヒルデが父の武器を使えても何も問題はない。
これがヴァルキリーシステムの有利性。古代魔術で驚異的な力を獲得しながら、近代魔術の理を経て、現代魔術の柔軟さをも併せ持つ。魔術教会のマスターたちが、ヴァルキリーを恐れる最大の理由である。
「そ、それが……何だ!」
アテナは槍状に収束した雷霆でソラの足元を掬ってきた。ソラは跳躍して回避しアテナへ向けて槍を突く。アテナはぎりぎりで避けたが、彼女の後ろへ着地したソラの後ろ蹴りをまともに喰らった。
冷静な判断ができていない。前のアテナなら避けれた攻撃を、今のアテナは避けれない。
「グングニールが、何だ!!」
アテナは雷撃を交えながら槍で突いてきた。ソラは刺突を回避しながら、グングニールで雷を防ぐ。
「セレネの意志が、何だぁ!!」
アテナは雷を広範囲に撃ち放った。ソラは槍を回転させて防御するが、全ては防ぎきれない。
雷撃を腹部に受けて、苦悶の声を漏らす。後ろへと後ずさったが、踏ん張って前を向く。強烈な痛みだ。致命傷ではないものの、数発受ければ意識を手放してしまうだろう。
「私が気に食わないんだ! 私が憎いんだ! そこにセレネは関係ない!」
「そうです、ね! そうかもしれません!」
槍を振るいながらソラが応える。アテナは雷がソラにダメージを与えていることに気付き、小規模な雷撃を槍で攻める度に放ってきた。さしものソラも小さな雷には反射できない。じわじわとした痛みが身体を抉る。
「でも、私は! セレネは!」
痛みで頭がどうにかなりそうになる。アドレナリンは分泌されているが、この痛みは遮断できない。
だが、ソラは屈しなかった。ここで膝をついたら、誰よりも自分自身が赦せない。
「あなたに、その手を汚してほしくない!」
「無理な相談だッ!」
アテナは後方へ跳び、ソラから距離を取った。そして、槍投げのフォームとなり、殺意をソラへと飛ばす。
ソラの第六感が疼いた。これは危険だ。当たれば死ぬ。そう自分の中の何かが訴えかける。
咄嗟に、ソラも槍投げの構えをした。狙いを対象へと定める。
「お前はうるさい! 私を邪魔立てするハエだ! 雷で焼き殺してやる!」
「いいですよ。私に怒りをぶつけてください! 私に憎しみを投げてください! 全て私は受け止めます!」
「だったら、望み通り死ねッ!」
二つの槍が投げられる。ギリシャ神話の最高神と北欧神話の最高神の槍が。
ゼウスの雷霆は稲妻の如き鋭さで、ソラを狙い、グングニールはアテナではなく雷霆へと迸った。
瞬間、眩い光が場を包む。ソラとアテナは眼を覆うように手を前へ出した。
「く――な、何だ!」
「負けるなッ! でも、勝つなッ!」
ソラは矛盾した言葉を叫んだ。自身の槍グングニールに向けた言葉だった。
矛対盾の勝負ではないが、この状況は一種の矛盾だった。
最強の槍対最強の槍。最高対最高。女神対女神。
出自は違えど、近しい存在。どちらが上かは定かではない、概念と概念との勝負。
ゼウスの雷霆は宇宙すら破壊する力を持つ。対して、グングニールはあらゆる物を絶対に貫く。
単純概念ならグングニールの勝利だろうが、雷霆の破壊力も凄まじいものだ。
だからソラは、勝利でも敗北でもなく、引き分けを望んだ。勝つ必要はないし、負けてはならない。
――この戦闘を止められれば、それで十分。
ソラがそう思った瞬間、光が消え、グングニールも雷霆も同時に消滅した。
「な、何で……」
消え去る最高の神器を目にして、アテナが膝をつく。ソラも満身創痍の状態だったが、震える足に喝を入れて、アテナの傍へと近づいた。
「私はアテナ。お前に負けるはずが、ない……。技能も、体力もないお前に」
「……でも、今のあなたはアテナとしても魔術剣士としても完全ではありません」
ソラはアテナの顔を覗き込む。無警戒な動作だが、問題はなかった。アテナの戦意は喪失している。徐々に心も戻りつつある。
勝っても、負けてもいない、とソラは思うがアテナは違かった。呆然と、虚ろな眼をソラに向けている。
「なぜ。なぜなの。おかしい、でしょう。友達を殺されたら、普通、敵を、憎む」
「……」
ソラは黙ってアテナの声を聞き続けた。言葉を噛み締めるように。
「セレネは殺された。人間に殺された。なのに、私は、人間を憎んじゃいけないの?」
「憎んで欲しくはありません。全ての人間が、魔術師を殺したがってるわけじゃありませんから。でも、難しいとは思います。その人が好きであれば好きであるほど、きっと怒りを感じて、憎悪して、復讐をしたくなると思います。そんな人たちを何人も見てきました。私も、同じような気持ちを抱いたことがあります」
復讐や憎悪とはまた違うが、ソラ自身もクリスタルのことを庇うべく両親と口論を交わした。
結果として、ソラは両親と疎遠になってしまった。精神病を患ってしまった両親と、ソラはまだ和解していない。
親とも仲直りできない奴が何を言う、と言われるかもしれない。それでも、いや、だからこそ、アテナには過ちを犯して欲しくない。
「けど、憎しみって悲しいんです。怒りって、痛いんですよ。心に鋭く突き刺さって、ズタズタにしちゃうんです。人を人じゃなくしてしまうんです。そんなのって、あんまりじゃないですか。とても、悲しいじゃないですか」
ソラは本心を口に出す。これが最後だった。もうこれ以上の手立てをソラは持ち合わせていない。
これで和解できないなら、現状でのわかり合いは不可能に近いだろう。
足が震えて、頭がくらくらしてくる。視界がぐらぐらと揺れている。しかし、ソラはずっと立ち続けた。
アテナと目を合わせ続けた。真剣な眼差しで。
「もう止めませんか。お互いのために。セレネのために」
「セレネの、ため……」
アテナが呆然自失のまま呟いて、周囲を二、三度見回した。コンクリートに蹲るメグミと、ニケ。気力を振り絞って二人と自分に治癒を施すホノカ。沈黙が支配する手綱基地。黄昏から夕闇へと切り替わり、沈んでいく夕日。
そして、ゆっくりと現れつつある大きな月。
「……私、最低だ」
ぼそりと、アテナは呟いた。目尻からは涙があふれ出す。
「セレネは争いなんて、望んじゃいなかったのに。私は、なんてことを……」
「間違いは正せばいいんですよ。ふぅ」
とうとう立っていられなくなり、ソラは座り込んだ。間違いを正す、と一息つくソラの前でアテナは復唱し、
「そうね、正さなきゃ」
唐突にナイフを取り出して、自分の胸元へと刃先を向ける。
何の躊躇もなかった。一瞬の出来事だった。
アテナは自殺するべくナイフを自身の左胸に突き立て――ソラに阻まれる。
「ダメですよ、アテナさん。それは誤りです」
笑いながら、ソラはアテナを諭す。ソラはナイフの刃の部分を右手で掴んで、止めていた。血がたくさん手のひらから溢れ出ている。それなのに、ずっと微笑のままだった。
「でも! 私は、あの子に顔向けできない……! 死なせて、お願いだから!」
「死なせません。約束しました。セレネと。あなたを死なせないって、約束しました」
口約束をしたわけではない。もはや当然の事項だから、わざわざ約束を交わす必要はなかった。
朦朧とする意識の中でも、手の力だけはしっかり籠っている。自身の血が漏れ出ようと躊躇わず。
「わ、私――私は」
ようやく、アテナはナイフを手放した。そして、両手を付く。涙が溢れて止まらない。
ソラは気力で身体を動かし、アテナを優しく抱きしめた。どうして動けたのか、自分でもわからない。
あるいは、セレネの助力のおかげかもしれなかった。嗚咽を上げるアテナを慰める。
「ごめんな、さい……ごめんなさい! わたし、わたし!」
「間違いは誰でも、するよ……仕方ない、ことだよ……」
もはやまともに意識を維持することは難しい。ふらふらと揺れながら、ソラは回復したホノカの叫び声を聞いた。
「ソラちゃん! 大丈夫!?」
「あ、ホノ、カ。うん……だいじょぅぶ……。でも、みぎてが……からだが、ちょっと、いたいか……も」
「ソラちゃん!? しっかりして!!」
体力と気力を限界まで酷使したソラは、そこで意識を手放した。
※※※
血がたくさん溢れて、止まらない。死の淵に少女は立たされていた。
「く……ふっ」
血を吐き出す。草原の真ん中だというのに、自然の温もりは全く感じられない。
辺りで倒れるのは、銃を装備していた兵士たちだった。タクティカルベストを装着した軍人たちだ。
全員、生きている。セレネが不殺を貫いた結果だ。
「見事だ。自分を殺そうとする敵を全て生かすとは」
真っ黒のローブを構えた男が近づいてくる。立ち上がろうとしたが、力が入らなかった。
男はフードを被っており、顔が見えない。だが、男の邪念と、右手に持たれる拳銃は眼に入った。
「てき、じゃない」
「なぜだ? お前を撃った敵だ」
「ちがう。かれらは……おどされていた。あなたに」
剣を通して、彼らの心を読み取った。彼らには本気の殺意がなかった。全て策略だったのだ。
男はセレネの殺し方を承知済みだった。セレネが最も苦手とする相手は、悪意を持って自分を殺しに来る悪人ではない。
他者に脅され、悲しみを背負って襲いかかってくる善人である。
「よく気付いた。察しが良いな。お前の思想さえまともなら、仲間に引き入れたものを」
「わたしが、まともで……なぃ、と」
言葉を発する途中で辛くなって、セレネはまた血を吐き出す。咳き込むたびに、自分の命を散らしていく感覚に襲われる。
だが、まだ諦めない。最後の一撃。今まで不殺を貫いていたが、マスターファナムはセレネによく言いつけていた。
殺さなければならない相手も存在する、と。それが恐らくこの男だ。
男はセレネが人を殺さないと達観し、饒舌に話を続けた。
「まともではないとも。お前は人間も魔術師も平等に受け入れる。有り得んな。そこいらに転がる人間などクズであろう」
「ちが、う」
「違わない。お前は人の心の光を信じるなどと豪語する性質だろうから、わからんのだろう。人間は愚かだ。この世に生きる者のほとんどはクズだ。生きる価値のないゴミだ。……この世には必要ない」
「ひつようのない、いのちなんて――」
「あるとも、あるのだ! まだわからぬか!」
男は激昂し、怒りの眼差しと共に銃口をセレネに向ける。
今だ、とセレネは直感した。逆手に持った剣の柄を握りしめ、油断しきった男へと斬撃を放つ。
「……っ。あなた、は」
だが、剣が男の首を刎ねることはなかった。最後の最期で、感じた。この男の復讐心を。
昏く、悲しい、心の闇を。
「あなたは、救われるべきだ」
それがセレネの最期の言葉だった。その言葉はあらゆる恨み言よりも男を激怒させたに違いない。
この少女も他のクズと同じだと思っていたばかりに憤り、男は感情的な態度を取った。
「き、貴様ッ! 貴様!! 貴様!!」
男は引き金をがむしゃらに引いた。それは弾が切れてスライドが開くまで、セレネがぐちゃぐちゃの肉塊へ変わり果てるまで、続いた。
※※※
「あ、あれ……私」
ソラは医療ルームのベッドの上で目覚めた。右手には包帯が巻かれて痛々しい。さらには、身体中がずきずきとした痛みを発していた。雷を何度も喰らったせいだ。浅く刺された左胸にも包帯が巻かれている。
「いた、たたた……」
痛みのあまりに苦悶の声を漏らすと、ソラの起床に気付いた誰かが足音を立てて近づいてきた。覗き込んできた顔を見てソラは驚く。
「アテナさん?」
「ごめんなさい」
アテナはしおらしく謝った。ソラは慌てて身を起こし、大丈夫ですよと言おうとして顔をしかめる。
「い、痛っ。何で……エイルで治療したんじゃ」
「それを使っても数日は痛みが残るそうよ。本当にごめんなさい」
「べ、別に謝らなくてぇ、いいですよ。しかった、のないことぉ、ですからぁ」
身振り手振りをしようとするだけで、ソラに持続ダメージが入ってくる。顔を歪ませるたびに、アテナは頭を下げ、それを訂正させようとするソラがまた痛がるという構図がしばらく続き、ようやっとひと段落がついた。
「私はあなたに酷いことを……」
「だ、だっ、から、も、もういい……。あなたが謝るたびに私にダメージが入るんで、その、もうやめて……」
本気で謝罪中止を懇願すると、アテナはしぶしぶながら了承してくれた。
「……あなたは、本当に私を救う者、だったのかもしれないわね」
アテナが感慨深く呟く。私じゃないですよ、とソラは謙遜したが、アテナに即刻否定された。
「いいや、あなたのおかげよ。あのままだったら私、きっと壊れていた」
「何があったんですか……」
「よくわからないの。ただ、昏い闇の中に閉じ込められて、情けなく泣きじゃくっていた」
アテナが顔を俯かせる。ソラは元気づけようと声を発した。
「情けなくなんてないですよ。私も泣き虫ですし。最近ちょっと頑張って泣かないように努めてますけど。本当は……」
「あなたは強いわ。私なんかよりも。技能も体力もまだ私には劣るかもしれないけれど、私よりも遥かに強いものをここに持っている」
アテナは自分の胸を叩く。そう、ですかね、とソラは笑いながら相槌を打った。
「だったら、いいんですけど。……その」
「クリスタルのこと、ね」
アテナはソラの表情から察して、ソラの友達のことを話し始める。
「クリスタルは私をずっと励ましてくれた。仲のいい友達よ。でも……あなたほどじゃないけどね」
「クリスタルは元気、ですか」
ソラが躊躇いがちに訊く。もちろん、とアテナが首肯する。
「とても元気。今も、あなたをどうやって浮き島に連れ帰るか悩んでるわ」
「やっぱり。……それだと少し、困っちゃうなぁ」
ソラとしては、クリスタルを手綱基地に連れて帰りたい。
しかし、クリスタルとしてはソラを浮き島へと連れて帰りたいのだ。だから、両者が互いのことを思っているのにスムーズに事態が運ばない。
ソラの眉がへの字になったのを見て、アテナは一つ提案を口にした。
「だったら、私がキューピットになってあげるわ」
「キューピット? いやいや、私とクリスタルはそういう関係じゃ」
「頭足らずね。別に、本来のキューピットの意味で言ったんじゃないわ。ものの例えよ」
「ものの例え?」
「架け橋になってあげる。メッセンジャーとして。あなたたちは悪い人間じゃないようだし、セレネの意志を継ぐのも悪い話じゃないしね」
「本当ですか?」
「嘘を吐いてどうするのよ」
アテナが肩を竦める。またこれだ、とソラは思う。
みんなため息を吐いたり、肩を竦めたり。呆れながら、自分に力を貸してくれるのだ。
「ありがとう……アテナさん。だったら早速」
「急かないで、ソラ。今は何を伝えるべきか考えなさい。私はしばらくここにいるから」
アテナはソラの元から離れ、ドアへと歩いて行く。ドアノブに手を掛けて、ソラの方へ振り返った。
「ありがとう」
もう一度感謝を述べて、アテナは凛とした表情を浮かべ、廊下へと歩き出した。
「どういたしまして」
ソラは小さく応えると、ベッドの中で再び眠りに落ちる。
※※※
アテナが廊下を歩いていると、澄ました顔で壁に寄り掛かる女性が目に入った。アテナは訝しんだ顔をして、何事もなかったかのようにその金の髪を持つ女性の隣を通り過ぎる。
「おいおい、オレの顔を忘れたわけじゃないだろう?」
「知らないわ。今のあなたの顔なんて」
「……ふむ。確かに、今の女のオレの顔じゃわからんか」
モルドレッドは不敵に笑い、アテナに近づいてきた。そして、昔のようにアテナの顎に手を当てようとして、その手を掴まれる。
「そういうの止めてって何度言えばわかるの」
「生憎記憶力が悪いんでね。もしずっとオレの傍にいて、耳元で囁いてくれるのなら、改善しそうなものだが」
「冗談はやめて。お前といっしょにいるくらいなら、独りでいたほうがマシだわ」
「酷いな、友よ。命懸けで助けてくれたのは、てっきりオレに惚れたせいかと思っていたんだが」
と言いながらも、モルドレッドはいつも通り憎たらしい笑みを顔に張り付けているばかりだ。これだからこの男であり女は嫌いだ。どうしてセレネはこういう奴と仲良くなれるのか不思議でしょうがない。
「……お前の変態性には驚くわ。女好きが転じて本当に女になっちゃってるなんて」
「これは妹の処置だよ。女体の方が生命力は高いし、偽装にもなる。……意外といいこともあるのさ。例えば」
モルドレッドは下品にも、まるで胸を揉むかのように、虚空を握っては掴んだ。
「胸を触っても怒られない? 女の勘を甘く見ないことね。手酷い仕置きが待ってるわよ」
「ふふん、その調子なら大丈夫そうだな。……妹には会ったか?」
「いいえ、これから。なかなか高度な偽装ね」
気配を研ぎ澄ませればわかるものの、自分ほどの強さを持った魔術師にすらばれないほどの完璧な偽装だった。バカらしい容姿からは想像つきかねないものの、モルドレッドはここまで接近しないと彼女もしくは彼だとは認識できない。浮き島からは彼女たちが手綱基地に潜伏していることを感知はできないだろう。
アテナもジャンヌから話を聞いて初めて気付いたのだ。
「だろう。我が妹ながらなかなかの策士だ。……道化の振りをしていれば、怪しまれることもない。ただ、問題なのは小手先の業で騙される連中ではないということだがな」
「ふむ、意味深ね。……詳細はあの子から聞くわ」
なぜ浮き島にばれないように策を弄しているかは定かではない。メローラに直接話を聞くのがてっとり速かった。
「では、またな。友よ。……そして、同志となる者よ」
「……同志?」
意味ありげな言葉を残し、モルドレッドは立ち去った。妙に腹立たしいのは、その背姿が淑女のそれだったからだ。
元男の女に女らしさで負けている。剣士である以上騎士然となるのは仕方ないことだが、それは棘のようにちくちく刺さってアテナをイラつかせる。
同時に、そのような思考ができるようになって良かった、とも思う。ソラと戦う前の自分はおかしかった。
生きる屍。そう形容するのがふさわしかった。
でも、今は違う。ようやく生を実感している。セレネが死んだ時、自分も死んだと思っていた。生きている風に装っていた。
だが、今度こそ本当に生きている。止まった時間が動き出している。
「……遅かったね」
「兄が兄なら、妹も妹ね。それで誤魔化してるつもりなの?」
しばらく先に進むと、ちんちくりんな、初めて出会った時の容姿の、幼いメローラに出くわした。
しかし、今の彼女はセレネに紹介された時の自分の殻に閉じこもっていた少女ではない。小さい矮躯ながら、小生意気な、そして、明確な意思をその瞳に宿している。
「意外と悪くないのよ? 子どもを演じるのも」
「趣味が悪い。兄弟そっくりね」
「闇落ちしたあなたに言われたくないな。私より年上のくせに、そんな中二臭いものに取り込まれちゃうなんて」
「……全くね」
自嘲気味にアテナは同意する。すると、えらく素直じゃない、とメローラは笑いかけた。ここは変えられない事実だ。例え、受け入れ難いものだとしても、良い様に利用された事実は変わらない。
「誰にやられたか覚えてる?」
「残念だけど、記憶はいじられてる。誰にやられたのかはわからない」
「あらら。だったらあなたは大切な純潔を奪われちゃったかもね」
「モルドレッドの影響? それとも、あなたはそんなこと言う性格だったかしら」
「さぁて。……今はあたしの性格なんてどうでもいいでしょ」
ロメラの形態を取るメローラは、さっさと本題へ切り込む。そうね、と頷いて、てくてく前を進むメローラについて行く。
「単刀直入に言う。セレネを殺したのは人間じゃない」
「……どういうこと?」
何を聞かされても驚くつもりはなかったアテナだが、流石にこれには驚いた。
セレネは人間に殺されたのだ。だから自分は、心の奥底で人間を憎んでいた。そこが否定されたら、今までの想いを根底から覆されることとなる。
だが、そうだとしても、狼狽することだけはなかった。嘆きはしない。喜ぶだけだ。
「確かにセレネは銃で撃ち殺されていた。でも、使用武器が自動拳銃のM9だっただけで、撃った奴が人間だとは限らない」
「でも、マスターは……人間だと」
「マスターファナムもあたしたちも謀られたのよ。奇妙だったとは思わない? どうして、マスターの救援は間に合わなかったのかしら。なぜ、援護に向かったお兄様が瀕死の状態になってたの?」
アテナは当時に想いを馳せる。瀕死のモルドレッドを森の中で発見したのはアテナだった。死にかけて、話すことができない状態だった彼を後から来たメローラに預け、セレネの救援へ急いだ。
そして、発見したのは地面に崩れ落ちていたマスターファナムと、弾丸でズタズタにされたセレネだった――。
「奇妙とか、考える時間もなかったからね。セレネの亡骸を目にした時から、私は半分死んでいた」
「なら、今なら疑問を感じられるでしょう。……お兄様はお父様に都合よく始末されたのよ。一石二鳥、いや、三鳥、四鳥かもしれない。セレネの死は、たくさんの陰謀に利用できた」
例えば、あなたとか。建物の外に出ようとしたメローラがくるりと回って微笑んだ。
「あなたは見事に生きた屍とさせられた。マスターファナムは隠居してしまった。お兄様も瀕死にさせられた。セレネが死んだことであたしたちは瓦解した。……セレネの望みだった、平和な世界にさせられると困る奴らがいたのよ」
「……その一人がアーサー?」
「その可能性は十分に高い。……疑わしきは罰せよ。あたしはセレネの復讐をする。あなたはどうする?」
メローラが吟味するような視線で問うてきた。アテナは少し呆れる。本当に面倒くさい性格にしてくれたものだ、セレネは。
答えはもう決まっている。だから、メローラの横へと並び、彼女の代わりにドアを開けてあげた。
「復讐はしない。けど、共闘はする。私は真実が知りたい」
「……ふふ、歓迎するわ、アテナ」
二人は並んで外に出た。日光に目が眩む。まるで、二人の門出を祝福するように、太陽は輝いていた。