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戦乙女の鎮魂歌  作者: 白銀悠一
第五章 哀悼
41/85

勝利を促す者

 幾度もの戦火に晒され、度重なる補修を経て、かろうじて機能を維持している滑走路。

 そこに二人の神を模した魔術師が降り立った。アテナとニケ。戦争と勝利の女神。

 金色の鎧を着込むアテナと、燃えるような金の髪を持つニケ。アテナが以前来襲した時に持っていた凛々しさは喪われ、ニケが本来持っていたであろう優しさも消失している。

 どちらも昏い表情をしていた。なのに、アテナは笑っている。何か新しい悦びを見つけた。そんな顔だ。


「アテナさん……っ!」


 ソラはアテナの変化に驚きながらも、指環に念を送ってヴァルキリーシステムを起動させる。ブリュンヒルデを身に纏い、隣の二人も同じようにヴァルキリーとなる。


『狙撃地点に向かってる。当初の予定通り、ソラさんはアテナを……引きつけられれば、いいんだけど』


 ヤイトが苦々しい口調で通信をする。彼からもアテナの異変は見て取れた。元より、前に組み立てた作戦はアテナに変化が生じていない前提で構築したものだ。ここまで劇的な変化が発生するとはさしものヤイトも想像していなかった。


「ジャンヌちゃんが言ってたニケちゃんとは、全然印象が違うね……」


 ホノカが昏い双眸のニケを見ながら言う。ソラも同じ気持ちだった。何かがあったのだ。二人の性格を捻じ曲げる何かが。


「……いけない」


 ソラはそう直感した。これはまずい、と。自分たちが追いつめられるから、という意味合いではない。

 二人の、アテナとニケの精神の問題だ。ソラの中にある何かが、危険だと訴えている。


「二人を助けないと」

「全く、またそれかよバカソラ」


 文句を言いながらも、メグミはソラの意見に賛同していた。戦場を俯瞰していたジャンヌも通信を送ってくる。


『ソラの言う通り。これは……一種の精神魔術ね。洗脳ではなく、対象者の心を一旦分解して術者の都合のいいように再構築するもの。錬金術に近しいけど、あえて言うなら心理強化ね。特定の、この場合は悪意だけを増幅させる』

「悪意の、増幅」


 通常ならば有り得ないほどひしひしと感じるこの敵意も、それならば納得する。

 アテナはセレネを殺していた人間を心のどこかで憎んでいたんだろう。その憎しみを誰かに利用された。

 ソラは誰かに人を憎むな、人を恨むな、と強要することはない。憎んでも、恨んでもいいのだ。危害さえ加えなければ。人の心の摂理として誰かを憎んだり、嫌ったりすることはしょうがないことだ。

 ソラが独自に考える人と人との仲直り方法は、否定ではなく肯定だ。他者の悪意を否定しない。

 ――それを踏まえた上で、人と人とが争わない方法を考える。


「悪意や敵意が増幅されてるなら、発散させなきゃね」


 ソラはアテナを見据えた。今のアテナは、ユーリットの時と大差ない。生者を想うか死者を想うか、それだけだ。

 やることは今までと変わらない。魔術師が持つ心の闇を受け止める。勝つためではなく人を守るために。

 すると、アテナはソラに応えるように左手を天に掲げた。意味深な行為に、マリが無線で疑問を漏らす。


『一体、何?』

「ッ、いけない!」


 何かが来る。ソラの心に嫌な予感が充満した。

 ソラは退魔剣を引き抜いて、メグミとホノカを自分の後ろに立たせる。


「人間は殺す。皆殺しだ!」


 次の瞬間、雷が飛散した。アテナが左手に呼び出した雷の槍から。

 ソラたちにも強力な雷は奔ったが、雷への対処法は対リュース戦で学んでいる。退魔剣を避雷針代わりとし、ソラはアテナの雷撃から身を守った。メグミもホノカも無事だ。


『まさか、ゼウスのらいて――』

「相賀大尉!?」


 相賀からの通信が途絶えた。手綱基地の通信システムはダウンし、マリたちからも応答がない。コルネットは元より、ジャンヌにも繋がらない。


「なんてこった」

「大変……」


 メグミが戦慄し、ホノカも驚きを隠せない。ソラも愕然としていた。

 アテナは一撃で手綱基地を機能不全に陥れた。魔術師には量ではなく質で応じるべきという基礎を知るソラたちでさえも、その事実に慄いてしまう。

 だが、幸か不幸か死者は出ていないとソラは達観していた。慈悲ではない。憎悪のせいで、死者は一人もいなかった。

 敵を憎むがゆえに、アテナは敵を即死させられない。じっくり時間を掛けて、いたぶりながら殺したいはず。自分の強さに絶対的な自信を持つ、強者ならではの余裕であり、凶暴さだった。

 だが、強者=勝者ではない。それに、元々ソラには勝つつもりもない。それはアテナと勝利を司るニケへの対抗策と成り得る。


「二人はニケさんを!」


 ソラは剣を片手にアテナへと突撃した。まずはアテナを引きつけなければならない。マリたちのバックアップを失ったとはいえ、やるべきことに変わりはなかった。


「ハハ、ハハハッ!」


 アテナは愉快に嗤う。気が狂ったように。大切なものがどこかに行ってしまったように。

 ニケを案じる様子も見られなかった。二人は仲間のはずだ。それなのに、アテナはニケをただの道具のようにしか扱っていない。ニケもまた、反目せずメグミとホノカと対峙している。


「死ね、死ね死ね死んじゃえ!」

「アテナさん! くッ!」


 アテナは変化を遂げても、技巧は以前のままだった。優れた職種クラスである魔術剣士の技量を遺憾なく発揮し、ソラに強烈な剣戟を浴びせてくる。

 ――素早く、苛烈に、雷の如く。これが魔術剣士の戦い方。

 ならば、こちらはブリュンヒルデとして全力で応対する。


「ハハ、気持ちいい、とても気持ちいいわ!」


 恍惚とした表情でアテナは叫ぶ。剣を鳴らしながら。魔動波はまだ使用していない。遊んでいるのだ。無邪気な子どものように。子どもとは比べ物にならない邪気を振りまいて。

 しかし、口では気持ちいい、と放つアテナの瞳はちっとも気持ちよさそうに見えない。

 苦しそうで、悲しそうで。ソラの胸は張り裂けそうになる。


「……ッ」

「なに、その顔は」


 ソラの顔が癪に障ったのだろうか。嗤っていたアテナの顔が真顔となった。


「アテナさん! あなたは、本当にそれでいいの!?」


 戦場でおかしなことを口走るソラ。ソラは戦う相手に毎回、似たような問いを投げていた。

 なぜ戦うんですか。話し合いで解決できませんか。戦争の真っただ中だというのに、何度も繰り返す。

 愚かだと、バカだと言われようと、恐れを知らないから何度も何度も、無駄だとしても。


「耳障りだ、それ」


 アテナは静かに怒る。剣と剣がぶつかり、意志と意志をぶつけ合う。前回のアテナであれば、ソラにセレネを見出し、錯乱していたかもしれない。

 だが、今回は違う。純粋に怒りを感じて、剣に乗せる。


「嫌い、嫌い嫌い嫌い!」

「う、わッ!」


 アテナは乱暴に、しかし恐ろしくなるほど丁寧に、ソラに斬撃を喰らわせてきた。

 ソラは咄嗟に盾を出す。付け焼刃で向上させた剣術だけではアテナに対抗できそうになかった。だが、予想通りと言えば予想通り、その盾でさえもアテナは切り落としてくる。

 アテナは我儘な子どものようだった。大人が暴力や感情を理性でコントロールするものならば、強制的に欲望を露出させられているアテナは、ある意味子どものような存在だ。問題は、子どもよりも性質が悪いことだ。暴れる子どもというレッテル貼りでは、楽観視できないほどの実力をアテナは兼ね備えている。


「死んで! いなくなって! わたしはお前がきらいなの!」


 情緒不安定のようにも見えるが、剣筋だけは真っ直ぐだ。直情的にソラを殺そうとしてくる。殺意を肌で感じる。でも、ソラは怖じない。恐れを知らない者だから。

 アテナもニケも救うと決めたから。


「えいやぁ!!」


 気合の叫びと共に、ソラは剣を強引に振り回す。アテナが先日と明確に違うのはその性格だけではない。

 戦闘方法も微妙に変わっている。防御が疎かになっているのだ。守りよりも攻めに重きを置いている。

 ゆえに、ソラの力任せの攻撃を、アテナはまともに受ける。非殺傷モードの退魔剣による斬撃は、アテナの左小手を傷付けた。しかし、彼女は左手に何も持っていない。ソラの斬撃は、結果としてアテナの怒りを膨らませただけだった。


「やったわね。私を傷付けたわね。赦さない!!」

「えっ!?」


 驚くソラ。それもそのはず、アテナの怒りはソラにではなく、離れてニケと戦闘をしていたメグミたちに向いたのだ。

 メグミはニケに打撃を喰らわせて、後少しで倒せるところだった。ホノカも後方支援でニケの火炎魔術でやけどを負ったメグミに治癒を掛けている。

 ジャンヌの見立てでは、アテナはソラに執着するはずだった。しかし今、彼女の予想は外れている。


「メグミ、ホノカ!」

「何ッ……うわ!!」

「まずい……きゃッ!!」

「ダメッ!!」


 ソラは声を上げることしかできない。アテナは雷を剣に纏わせて、電光石火の如き速さで二人に肉薄。たった一撃で戦闘不能にしてみせた。それだけではない。アテナはメグミと至近距離で戦っていたニケごと、メグミを斬ったのだ。

 浅いとはいえ、ニケからも血が迸る。重傷ではなかった。そこだけが唯一の救いだ。


「く、くそ、すまん……ソラ」

「うぅ……」


 下級魔術師が相手なら、メグミもホノカも一撃でのされることはない。

 アテナはマスターの称号こそ得てないものの、強力な魔術師の一人なのだ。前の戦いで、彼女が言った言葉が脳裏に蘇る。今まで生きてきたことが偶然だと知れ。確かに、ソラが今まで生きていたのは偶然だったのかもしれない。幸運の賜物だっただけなのかもしれない。

 だが、だとするなら、自分の生存には理由があるはずだ。いや、なくてもいい。ないならないで、自分のしたいことをするだけだ。

 ソラは強く、剣の柄を握り絞める。


「私は、あなたもニケさんも救いたい!」

「バカなことをいつまでもぺらぺらと。本気でうざい。死んでよ、もう!」

「――ッ!?」


 勢いよく剣を横に凪ごうとして、突然身体が動かなくなる。

 こんな技をソラは初めて受けた。ジャンヌとマリたちの持つ魔術知識で、魔術剣士には得体の知れない強力な技がいくつかあることを聞いている。だが、これほどとは。

 ただの人体ならばともかく、ヴァルキリーブリュンヒルデを身に纏うソラを、魔動力で止められるほど強力だとは思いもしなかった。


「く……う!」

「残念だったわね。最初から、別に戦わなくてもお前を倒せていたの」


 嗜虐の笑みを浮かべて、アテナはソラに歩み寄る。耳元に息をふぅ、と吹きかけた。甘美とも取れるその動作に、ソラの背筋は凍りつく。


「お前、クリスタルの友達なんでしょ。聞いたわ。実は私、クリスタルとも友達なの。お前ならわかるだろうけど、クリスタルは珍しい銀の髪を持ってる。セレネと同じ、銀色の髪。私、あの子を拉致して整形して、セレネを創り出そうと考えてるのよ」

「な、何を」


 突如放たれる、クリスタルという名前。ソラの親友の名前。

 その名が放たれて、ソラの心臓は飛び上がりそうになった。心を無理矢理掴まれたようなそんな気分に陥る。


「外見は問題ないけど、中身が大変なのよ。あの子と同じ思想を持つ子なんて、滅多にないわ。大変、探すのたいへーん。おやぁ、目の前にいた、やったあ! しかも動けなくなってる!」


 茶化すように、バカにするように、おどけるように。

 アテナはソラの前で飛んで、跳ねた。くるりと嬉しそうに回る。そして、愛おしそうに顎に手を当てた。


「クリスタルがハードなら、お前はソフト。セレネの根幹を成す中身。今から解剖して、あなたの心を取り出してあげる。あなたの脳を、斬り出してあげる。大丈夫、死ねないようにするから。ずっとずっと、痛みを感じさせてあげるから。ふふ、再会を果たせるのよ、お前たちは。ずっと望んでいた約束を果たせる」

「く、クリスタル、は」


 ぞっとするような言葉を聞いても、頭を占めるのはクリスタルのことだけだ。

 アテナはクリスタルに手を出すと言っている。そう考えるだけで、何か、どこかに潜んでいた出てはいけないものが、刺激されるような感覚を味わった。

 現われてはいけない。でも、現れて欲しい。

 矛盾した気持ちに支配される。心がバラバラにされる。


「そう、か。これ、は……」


 ――きっと、アテナやニケも味わわされた、心理強化だ。強化であり狂化。ばらして、強くする。心の解剖。心の増幅。

 しかし、気付いても逃れるのは困難に等しい。アテナはソラの心を塗りつぶそうとしている。ソラの強みはその心。心技体の内、心だけは完全だとマリに何度も言われている。アテナがソラに唯一叶わない部分、それが心なのだ。

 そこさえ潰せば、アテナの勝利は確実となる。さらには、アテナは心の奥底に封じ込めていた望みであるセレネとの再会も叶えられるのだ。

 例え紛い物だったとしても、今のアテナなら喜ぶだろう。心の底でたくさんの涙を流しながら。


(く、ダメ! 動け、動いて!)


 このままでは誰も幸せにならない。動かなければ、みんなが不幸になる。

 そう強く思っても、ソラの身体は動かない。ブリュンヒルデは時が止まったように固まったまま。


(動いて! 動いてくれ! お願い!)


 自分の身体とブリュンヒルデに懇願する。ブリュンヒルデは神に抗ったヴァルキリー。アテナが上位の女神であり、ブリュンヒルデが下位の女神だとしても、抗うことは不可能ではない。


「う、うおおおッ!!」


 喉が張り裂けんばかりに声を叫んだ。ソラの叫びに応えるように、ブリュンヒルデが動き出す――。


「ふふ、さっさと摘出しちゃいましょうか。まずはあなたの心臓から」


 ――寸前に、アテナはソラの左胸に向けて、右手でナイフを突き刺した。


「ぐ、は……」


 断末魔を漏らしたソラの視界が、暗闇に包まれる。



 ※※※



 目の前に、山があった。山頂が煌々と燃えている、大きな山が。


 ――ここはヒンダルフィアル。ふふ、覚えはない?


「誰?」


 頭の中に直接声が響いて、ソラは周囲を見回した。訳がわからない。意味不明だ。

 どうしてここにいる? 何でここで立ち尽くしていた? その問いには、謎の声は応えてくれない。

 だが、理解不能の状況の中でも、唯一理解ができるものがあった。ヒンダルフィアルの山頂。真っ赤に燃え上がる頂き。そこに辿りつかなければならないと、確信している。


 ――おいで。恐れを知らない者よ。


「……あなたは?」


 謎の声に再度呼びかける。だが、答えてくれない。自分で考えろ。声の主は黙して告げる。

 ふと、視線の先に銀の髪を持つ少女が現われて、儚げな微笑をみせていた。一瞬クリスタルかと見間違えたが、身に着ける銀の鎧で違うことがわかる。


「待って! ……あ」


 近づくと、最初からそこにいなかったように少女は消える。幽霊のように、死者のように。

 次の瞬間には眩い光が目に入った。眩んで目を瞑る。すると、森の中へ場所が移動していた。ヒンダルフィアル山ではなく、優しい静かな森の中に。

 老人と少女が、藁でできた人形の前に立っている。少女が手を翳して、魔動波を人形に喰らわせた。人形が砕け散り、少女が喜んで飛び跳ねる。


「やった、やりましたよ!」

「よくやったぞ、セレネ。第一の試練は突破だな」

「えー、まだ第一なんですか?」


 不満げにセレネは口を尖らせる。と、茂みで様子を窺っていた金髪の少女が現われてセレネを窘めた。


「その程度で文句を言ってもしょうがないわよ」

「フレデリカ。でも……」


 ソラはセレネに声を掛けた人物を見つけて息を呑む。フレデリカはアテナだった。


 ――あなたには試練があるのよ、ソラ。でも、あなたなら大丈夫。あなたは恐れを知らない者だから、この歌を奏でることができるよ。


 脳裏に響くセレネの声を聞いて、ソラは自分がヒンダルフィアルへ戻ってきたことを知る。目まぐるしく変化する状況だが、不思議とソラは落ち着いていた。月が綺麗だからなのかもしれない。夜空に輝く満月が。


「あなたが、セレネさん」

「確かに私はあなたより年上だけど、さん付けなんていらないよ」


 セレネの名を呼ぶと、幻影は姿を現し、直接ソラに話掛けてきた。


「だったら、セレネ」

「うん、それがいい。……きっと、生きていたら友達になってたしね」


 感慨深くセレネは言う。ソラも同じことを考えていた。ほんの一言、二言会話を交わしただけだが、波長は合っている。


「ソラ、いいえ、ソラちゃん。自分がするべきことはわかる?」

「……うん。何となく」

「だったら、助言は必要ないよね」


 うふふ、と笑い声を漏らし、セレネは消えた。一旦お別れだ、とソラは思う。きっとすぐに会うことになる。

 ソラはドイツのブロッケン山を登った時のように、徒歩で山を登り始めた。何かに襲われることもない。木々が生い茂る山の中は、山頂が燃えている点を除けば普通の山だ。


 ――私は悪魔でも、天使でもない。死者。幽霊。良かったね、ソラちゃん。魂を奪われなくて。


 冗談なのか本気なのか、返答に困る内容をセレネは話しかけてくる。どう答えればいいか考えあぐねて、苦笑交じりにソラは返答した。


「怖いこと言わないでよ、セレネ」

「でも世の中には怖いことが溢れてる。それは肝に銘じた方がいいかな」


 セレネはソラの後ろに出現し、忠告のようなものを口にして、消える。神出鬼没とはこのことだ。

 ソラが歩を進めると、今度は研究室みたいな場所へと転送された。眼鏡をかけた科学者然の老人が忙しく歩き回っている。


「このままではまずい。大惨事となる。奴らの計画を止めねばなるまい。……秘密裏に私が細工を施す。あなたは奴らの眼を誤魔化してほしい。オーロラドライブを転用すれば――」


 気に掛かる内容を言い残し、老人は消える。

 代わりにセレネが進行方向先に出現した。倒木に座り込んで、空に輝く月を愛おしそうに見上げている。


「あなたは自分の重要性に気付いているのかな。ううん、きっと気付いてない。でも、それでいいんだ。時が来るまでは」

「セレネ……?」


 ソラがセレネの傍まで寄ると、またセレネは消えた。気まぐれの猫のようだ。

 いつの間にか、山頂が後少しのところまで迫っていた。早かったのか遅かったのか。時間の流れが曖昧になる。

 時はこの世界では意味を成さない。ただ何を成すのか。重要なのはそれだけ。

 そのようにソラは感じていた。


「く、熱い……」


 燃え盛る炎から漏れ出る熱が、ソラに襲いかかる。炎は木々を永遠に燃やし続けている。

 何者かによって構築された炎の檻。選ばれし者しか通れない門。

 しかしソラは恐れを知らずに、突き進む。そうしなければならないから。そうしたいと思ったから。

 炎は熱いが、恐れるに足りなかった。ひたすら真っ直ぐ、炎の道を通っていく。

 それは一瞬だったかもしれないし、何年もかかったかもしれなかった。時間の感覚がおぼろげになりながら、炎の熱に耐えて進むと、ようやく最深部へと辿りついた。

 そこでは、頭に羽のついた兜を被り、白銀の鎧に身を包む騎士が眠っている。


「ようやく、辿りついたね」


 セレネが現われて、騎士が寝かされている台の端に座った。

 ソラが台へと近づくと、背後にフードを被った謎の女性が姿を現す。


「シンクロ率は順調に上昇している。染まることなく、壊れることなく、あなたはあなたのままでいなさい。そうすることが世界を救う鍵となるのだから」

「……え?」


 ソラが後ろへ顔を向けると、その女性はセレネと同じように姿を消していた。

 頭を回すがわからない。難しいことは考えなくていいのよ、とセレネが笑いかける。


「正直なところ、私もよくわかってないしね」

「セレネも?」


 ソラが問いかけると、セレネは笑みを湛えたまま首肯する。


「重要なのは、あなたが何を成したいか、ってことだけ」

「私のしたいこと……」

「たぶん、私のしたいこととあなたがしたいことは、同じなんじゃないかな?」


 セレネは質問形式だったが、答えを知っている顔つきで問う。

 ソラはそうだね、と頷いた。詳細を口に出す必要はなかった。


「その前に、まずアテナさんを救わないと」

「それよりも前にやることがあるよ」


 セレネは台から立ち上がり、距離を取った。ソラは頷き返し、寝かされる騎士の元へと歩み寄る。

 目深に被せられている兜を取って――驚愕した。青い髪に青い瞳。寝かされていたのは自分だった。


「わ、私?」

「そう、あなたは私。私はあなた。合わせ鏡のように存在するもの」


 ソラの前で眠っていたもうひとりのソラは身を起こし、ソラの首の後ろへと手を回した。

 そのままソラの顔を引き寄せる。そして、誓いの口づけを自分自身と交わす。

 その瞬間、世界が真っ白に染まっていく。



 ※※※



 がきん、という金属音がした。鋼の武器と、鋼の武器が触れ合った音が鳴り響く。ナイフが弾かれて、アテナの後ろのコンクリートに突き刺さった。少量の血がコンクリートを濡らす。


「――は?」


 呆けた表情で、アテナは見つめていた。前に立つ、自分が殺したはずの相手を。

 また相手も見つめ返す。先程とは違った装束で。先程とは比べ物にならない意志を携えて。

 鎧の色が変化していた。先程よりも色が濃くなっている。濃い青色に。さらに、左眼には機械の眼帯が装着されていた。

 右手に持つナイフを弾き飛ばした剣も可変していた。退魔剣とは違う、漆黒の剣がその手に収まっている。


「な、何? 何だ……何なの、お前は!」


 激昂して叫ぶアテナに、ソラは閉じていた目を開けて回答した。


「あなたを救う者、です」


 魔剣グラムを握りしめ、隻眼の瞳でアテナを見据えるソラは新形態へと形態変化を果たしていた。


『――シグルドリーヴァフォーム、システム正常。オペレーティングシステムを再開します』


 機械音声を聞きながら、ソラは怒りの名を持つグラムの切っ先をアテナへと突きつける。

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