恐れを知らない者
「ふぎゃ!?」
とんちんかんな悲鳴と、ポカッ、という何かでぶたれたような音。
トレーニングルームの真ん中で赤いジャージ姿のソラは蹲り、同じくジャージ姿のマリが竹刀を持って呆れている。
「へたくそ、雑魚、アホ、バカ、マヌケ」
「最後の三つは余計だよ、ううっ」
相賀にヴァルキリーとして戦うことを告げたソラは、マリの指導の元、猛烈な訓練を受けていた。マリは文字通りの鬼教官、生きる般若的な何かなのだ。突然、私と戦いましょうと竹刀を渡してきて、数度にわたる試合の結果、ソラは全戦全敗という惨敗酒を味わうこととなった。
「私にも勝利の美酒を飲ませてよ! 一回ぐらい手加減してよ!」
「手加減するのはあなただけ。私は何事にも本気で取り組む」
ソラをあしらいながら、ちゅー、と音を立てて美味しそうにスポーツドリンクを飲むマリ。涙目になったソラは、端で眺めているメグミとホノカに助けを求めた。メグミは大声を出してソラを応援し、ホノカは適当に応援しているフリをする。
「こらー、ソラー! そんなくそ女ボコボコにしちまえーっ! 日頃の訓練の成果を発揮する時だーっ!!」
「頑張ってー」
そんなことを言われても、これ以上頑張れないのである。日頃のサボり成果を発揮した結果、完膚なきまでの敗北だった。もう少し真面目に取り組めば良かった、と後悔するソラに、室内スピーカーから助言が響いてくる。
『心技体で一番重要なのは心だ。心さえ持っていれば、後は勝手についてくる。……君ならばできるさ』
「よ、よーし、次こそは!」
ソラのいいところは単純なところである。励ましたりおだてると、勝手にやる気になるのだ。
ゆえに、しかと竹刀の柄を握りしめ、見事にぼこぼこにされるソラ。マリは一切の手加減なくソラを打ちのめした。
「あう……あうううっ」
「だらしないわね。それで本当に敵を殺せると?」
「て、敵は殺さないよ……マリさん」
「……チッ。今日の訓練はこれで終わり」
舌打ちしたマリはシャワールームへと直行する。ソラも首を傾げながら、その後を追った。
ジャージを脱いで裸となって、シャワーを浴びる。温かいお湯が訓練の疲れと嫌なことを全部洗い流してくれる。そのせいか危うく今日学んだことも忘れかけるが、きっと恐らくは大丈夫だ。頭で忘れても、身体が覚えていてくれるはずだ。
鼻歌混じりにシャワーを浴びていると、何者かがソラの個室に入ってきた。振り返ると、そこには少し顔を赤らめたメグミがいた。バスタオル姿の彼女は、ゆっくりソラの元へと近づいて、
「どうしたの、メグミ?」
「あのな、言いづらいんだが……私とお前の仲だ。たまには、私の願い事を聞いてくれてもいいよな?」
「もちろん。メグミは親友だからね!」
元気よく答えるソラ。よ、よーしと意気込んだメグミは口を開いて、
「私に体を触らせろ」
といきなり過ぎる発言をした。
これには、いくら親友と言えどもドン引きせざるを得ない。反射的に胸を手で覆い、逃げるようにルームの隅へと移動する。
「メグミ……そっちの気があったんだね」
「違う! そういう意味じゃない!! ブリュンヒルデの他にも、未使用のヴァルキリーが保管されているとは聞いたろ?」
「相賀大尉はそう言ってたけど、それとこれに何の関係が?」
軍が開発したヴァルキリーは一体ではない、と相賀は三人に説明していた。そして、ヴァルキリーシステムの中身はブラックボックスだ、とも。
「心理適性がないとヴァルキリーにはなれない……鎧の方が装着を拒絶するから。でもな、ヴァルキリーシステムの詳細は軍でもよくわからないんだろ? わかるのは、強力な兵器で、装着者にほとんどデメリットがないってことだけ……。だったら、予想外のところに、変身への鍵が隠されているかもしれない」
だから、触診。メディカルチェックをソラは受けていたが、大きな問題は見つからなかった。髪と眼の色が青く染まっていること以外、ふつうの人間だ。変色の原因は、今も胸元にぶら下がっている、青宝石のペンダントのせいらしい。
「でも、うん、触ったところでわからないと思うよ? わかるんだったらもう既に軍の方で何か……」
「似つかわしくない言い訳してないで、とっとと触らせろ!」
メグミは強引にソラの身体を触診し始めた。うわきゃーという女の子らしい悲鳴がシャワールームに響き渡る。
「やめ、止めて止めて! くすぐったい! 恥ずかしいよ!」
「小っ恥ずかしいのは私も同じだ! ……いや待て、おかしいだろ。私とお前は同性だ、間違いなんて起きようがない! 堂々としていろこのバカ!」
「バカって言う方がバカなんだよう……っ、ストップ!」
「く、くそ……湯気が酷いな、シャワー止めてもいいか?」
と騒いでいるところに聞こえるノック。また誰かが入ってきて、その来客にソラは驚いた。マリだ。メグミと同じようにバスタオルを着ている。咄嗟にソラはマリに助けを求めた。
「マリさん、丁度良かった! メグミを止め」
「話は聞かせてもらったわ。その子の言うことは一理ある。心理適性だけでソラが認証されたとは考えにくい」
なぜだか、クールなマリでさえもソラの触診に参加してきた。ソラの理解が及ばないのは、ソラがあまり頭がよくないからか? いや、そうではあるまい。断じて、そうではあるまい……。
「ちょっと、本当に笑い死ぬっ」
「死んだら解剖できるわね」
と冷静にマリは不吉なことを言い、
「バカは死んだら治るらしい……。ソラ、一遍死に晒せ」
などとメグミが酷いことを言ってくる。ソラは耐え切れず、シャワールームから逃走を図ろうとして、
「ほぎゃ!」
と間の抜けた悲鳴を上げて、床の上に倒れこんだ。柔らかな塊に激突したのだ。
「楽しそうな声が聞こえたから、来ちゃったわー」
「ひ、ひぃ!?」
ホノカの声が頭上から聞こえて、退路が塞がれたことをソラは知る。
その後は地獄だった。汗と疲れを流すためにシャワーを浴びたのに、浴びる前の方がまだ元気だった。
「…………」
「そ、そんな目で見るんじゃねえ」
沈黙とセットの糾弾の瞳。ソラは用意された第七独立遊撃隊の手綱基地寮の一室で、ベッドの上からテーブルでジュースを飲むメグミを睨んでいた。文句を言う気力はないが、鋭い視線を送るぐらいならできる。
「でもやっぱり無茶苦茶な理論だよねー。結局、ソラちゃんが平均的だってことしかわからなかったものねー」
「なんか含みのある言い方だな……私が平均的じゃないって言いたいのか!?」
「大丈夫だよメグミちゃん。私だって平均じゃないよー?」
メグミは自分で墓穴を掘った。自分とホノカの対極的な身体的特徴を見比べて、くそが! と汚く吐き捨てる。
その様子を見て、ソラは死んだ目をしながら小さく笑った。ここまで笑った、笑わせられたのはいつぶりだろうか。
「そういえば、ソラちゃん」
「何?」
起き上がるのが億劫なので、寝ながら訊く。ホノカの話は、学校の送別会の日程をどうするのかという内容だった。
「新井先生は、お別れ会もなしの離別なんて許さないって」
「こんな時代なのに?」
「こんな時代だから、だろ。バカソラ」
メグミが顔を若干赤らめて、そっぽを向きながら告げる。ソラの心に温かいものが流れ込んだ。
戦うと決めたはいいが、一抹の不安も感じていた。寂しくもあった。第七独立遊撃隊の本拠地は世界中だと教えられている。手綱基地ではないのだ。必要に応じて、様々な戦場に足を運び、魔術師と戦っていく。
もしかすると、学校のみんなと二度と会うことができない恐れがある。出会いが確証されるほど、今の世界は優しくない。
ソラは幸せを噛み締めるように、小さな笑みを作って、
「うん、そうだね」
と頷いた。
※※※
「甘ちゃんね」
「そろそろ認めろ」
ソラたちが集まっている部屋に入り、戦術マニュアルを叩き込もうとしてドアの前で躊躇していたマリは、突然廊下に現れた相賀に声を掛けられた。
どういう意味です、と睨むとそんな顔をするな、と怒られる。
「ソラを認めてやれよ」
「なぜです? 友達とお別れ会をしようとしているガキをどうやって認めろと?」
「違うぞ、マリ」
相賀は珍しく真面目な顔となって、マリに説教をする。
「責められるべきは彼女たちの甘さではなく、そんなガキを戦場に引っ張ってきた大人たちの情けなさだ。有事だから、戦時下だからなんて言い訳は通用しない。子どもを利用している時点で、俺たちは既に負けているようなものだ。君も含めてな」
「子ども扱いをどうも。私はあなたに文句を言いませんよ。軍には山ほど文句はありますが。……そうでしょう? 撃墜スコア一位のエースパイロットさん」
「……嫌味にしか聞こえないな」
「耳掃除していないからでは? 姉さんのように耳かきしてあげましょうか」
「止めろよ。ちょっと来てくれ」
「姉さんの代わりに私へ鞍替えですか?」
「くそ、わかったよ。なぜソラが選ばれたのか、もう少し詳しく教えてやる」
マリは相賀に連れられて、こじんまりとした、ハイテク機器の塊の作戦室へと通された。これが手綱基地における第七独立遊撃隊のオペレーションルームだ。設備を貸してやるから後は自分でやれ、という無言のメッセージが込められている。
相賀は先程マリが言った通りエースパイロットで、マリ自身も工作員としての腕に覚えがある。だが、主要メンバーのほとんどはバラバラで、個別な戦いを強いられている。魔術師に対抗できる人間は数少ない。戦争が量対量で決着のつく時代はとうの昔に終わりを告げていた。
最初は剣と槍、人数。次は銃と戦術。戦車や戦闘機、戦艦、戦術核。そして、情報戦の時代を経て、今は質対質へと様変わりしている。
遊撃隊と言えば自由に立ち回れるような気がしてくるが、実際にはただの便利屋だ。いわゆるエースを一纏めにして、必要に応じて各基地から召集される。無論、くそみたいな戦場に派遣されて死んでしまう仲間も多い。一般兵はそれ以上だ。
「ソラのプロフィールだ」
「何度も見ましたが」
「それでもわからなかったのなら、お前もまだまだ甘いな」
相賀に小馬鹿にされて、マリはムッとする。相賀とマリは親しい関係で、上下関係以上の繋がりがある。もちろん、それは色恋とは程遠い。恋愛対象としてマリは相賀を見ていないし、相賀の方もまた然りだ。
ソラは魔術師だった友達と、現代式魔女狩りによる大虐殺の時に離ればなれになった。友達の生死は不明。魔術師が自衛のために世界中の軍と戦い始め、世界は一つにならざるを得なくなった。喧嘩していた国と国や、警察と犯罪者や、軍人とテロリストも、手を繋いで戦った。そうしても、負けている。
魔術師の強さが圧倒的だった。調子に乗って粛清などしなければ、こんな事態にならなかったという姉の口癖を覚えている。だが、防衛軍内部の資料では、魔術師が先に仕掛けたことになっていた。恐らく、魔術教会の記録では人間が手を出した方が先だろう。
「ソラが魔術師を敵と認識していないから、でしょう?」
「それも確かにあるが……重要なのはここだ」
相賀が指した部分を、マリは読み上げる。ソラは親元を離れ、軍学校へ入学。
「ソラが親と仲違いしていることは知ってます。当然のことでしょう。魔術師に対する考え方が違うんだから」
「ソラは親と袂を別っても、魔術師が敵でないと思い続けていた。彼女が能天気ってわけじゃない。しかも、彼女は親すら憎めないでいる。憎しみとは無縁な存在だ……俺やお前とは違ってな」
「肉親を殺されて、敵を恨むのは自然な反応と思いますが」
「だからダメなんだよ。そんなんだから、ヴァルキリーを装着する資格がないんだ。俺もお前もな。過去ばかりを見ている人間に女神は微笑まない。微笑むのは悪魔だけだ。ソラは未来を見つめている。……そろそろ復讐は俺に任せて、お前は休め。ソラなら――」
「――ソラなら、間違いなく私と友達になってくれる、ですか? バカらしい。私は友達ごっこをするために学校に潜入したんじゃありません。ヴァルキリーに適合する生徒がいそうな環境の整った学校に下見に赴いたんです。そして、あなたは私のレポートの中から候補を見つけ、私に指輪を届けさせた。敵がアレを処分しようとしたのは明白だったから。でも私はまだ――」
と言葉を続けようとしたマリを、不意に相賀が遮った。一つのディスプレイに釘づけとなっている。尋問室の監視カメラの映像だ。捕虜となった魔術師の周りに尋問官らしき人間が近づいていく。
「まずいな、ソラの未来がピンチだ」
「……わかりましたよ」
嘆息して、マリは警備室へと連絡を取った。相賀が部屋を出て、尋問室へと向かい出す。
※※※
妙な魔術騎士に敗北を喫し幽閉の身となっているリュースは、敵の甘さに困惑していた。ずっと、拷問らしい拷問を受けることも、長時間における尋問を受けることもない。牢屋に詰め仕込まれる以外は、何の不自由もない独房生活を続けていた。
だが、それも今日で終わりらしい。初めて見る顔の男が来てリュースを尋問室へと連れ込むと、注射器のようなものをリュースに見せつけた。尋問官らしい、嗜虐的な笑みをみせている。
(くそ、私の運もここまでか……。しかし、どうにかしてあいつと接触を図りたい……)
リュースの関心は、裏切り者の魔術師に注がれていた。もしかすると友人の知り合いかもしれない。似たような少女をリュースは友人の部屋の写真で見かけたことがある。その時の少女は黒髪だったが、魔術師であるならば、自身の得意とする属性色に光彩と髪色が変化してもおかしくはない。
(あいつさえ確保できれば……)
ここから何の躊躇いもなく脱出できる。だが、いくら情報を聞き出そうとしても、誰もそんな奴のことを知らないの一点張りだ。ここまで露骨な嘘があるか、とリュースも思わず呆れ果てた。
(大方、家族や友人を人質にとられているんだろう、可哀想に。短気なのが災いした、くそ! そろそろ自分の性格を変えるべきだな)
リュースは短気である。目の前の物事に囚われて、大局を見ることができない。よく、師に性格のことをなじられたものだ。その性格は魔道を司る者に不適格だ。いつか、足を掬われる――。それが、銀の手錠で両手を塞がれている今であることは明らかだ。
「魔術を封じられ、成す術もなく蹂躙される気持ちはどうだ? いや、わかっている。どうせお前たちは自白剤を打たれたところで話はしない。……これはな、毒だ。致死性の。いくら魔術師と言えども、一日足らずで死ぬ。だが、もし話してくれれば……解毒剤をくれてやろう。どうだ?」
「何がどうだ? だよ禿げ頭。てめえに話すくらいだったら死んだ方がマシだ」
そうこなくては、と尋問官はほくそ笑む。何やら様子が違う。この男から、情報を引き出す意志が感じられなかった。まるで最初から殺す気のようだ。むしろ、話されると不都合であるかのような気がしてくる。
もしや、その注射器にたっぷり入れられているのは、即死性の猛毒なのではないか?
「……ッ」
「さぁ、愉しい愉しいお注射の時間だ。愉快だろう? すぐに気持ちよくなるさ」
注射器の針がリュースの肌に迫ってくる。恐怖のあまり、リュースは眼を瞑る。
そして、突然鳴った銃声に、身体をビクッと震わせた。
「き、貴様――何を?」
「それはこっちのセリフだ。お前、どうやら魔術師に操られているようだな」
尋問室に入ってきたのは、拳銃を構える男だった。リュースを直接連行した男。名前は確か相賀祥次。
「何を言っている?」
禿げ頭の疑問は、リュースも思い浮かべたものだった。魔術師であるリュースにはわかる――。この男は洗脳されていない。何らかの魔術に掛かっていれば、兆しがどこかに必ずあるはずだ。だが、この男にはそれはない。
「魔術とは俺たちにとって未知の存在だ。対人間用に構築したセキュリティの数々も、魔術に対抗できはしない……。例え身内だとしても、不審な行動は疑うべきだ」
と言い訳を述べる相賀の眼を見てリュースは気付く。これは芝居だ。いくら相賀と言えども、尋問官が洗脳されているとは思っていない。しかし、不審に思っているのは確かだ。リュースは苦笑したくなった。
魔術教会が一枚岩ではないように、防衛軍もまた一筋縄ではいかないらしい。
「俺を撃ち殺すのか? スーパーエースパイロットどの?」
「観念しろ。何を考えているかは知らない。だが、不用意に捕虜に手を出すことは赦さん」
尋問官は毒づいて、尋問室を出ていった。現れた警備員に拘束される。恐らく簡易的な取り調べを受けるのだろう。完全な無駄だと知りながら。
相賀は、VTOL機を駆るこの男は、魔術師でさえ一目置く強者だ。もしかするとこの男なら何か知っているかもしれない。
善は急げ、ということで、リュースはさっそくやれやれと肩を竦めている相賀に声を掛けた。
「助けてくれたお礼だ……話がしたい」
「捕虜がお礼と言うのもまた珍妙な話だな。いいだろう。どのみち、話す必要があった」
男は対面側の椅子に座り、リュースと目を合わせる。その優男のような、それでいて鋭い眼光に、リュースは一瞬たじろいだ。魔術師とハッキリ視線を交えられる人間はそう多くない。恐れを知らぬ者しか、魔術師を射抜けない。
「恐れを知らぬ者……か。あの裏切り者も神話再現を使っているのか?」
まどろっこしい腹の探り合いは抜きにして、リュースは単刀直入に訊いた。相賀は微笑みながら、いや、と答えて、
「あれは魔術じゃない……」
「嘘を吐くな。あれは魔術だ。あのガキは魔術師だろ? 髪の色、瞳の光彩……主な使用属性は水か? いや、にしては濃い青色だ……。天空に纏わる術式か何か――」
というリュースの分析は、相賀の言葉に遮られる。
「あの子は魔術師じゃない。ちょっと変わったただの少女だ」
「嘘を」
「吐いてなどいない。正直なところ、君に解析してもらいたいぐらいだ。ヴァルキリーシステムをね」
「ヴァルキリー……北欧神話。古代流派の神話再現じゃないか。やっぱり、魔術だ」
「そうは言うが、マニュアルには魔術で動作していると記載されていない」
「でも、あんたはあれが魔術だと確信している」
相賀は肯定も否定もしなかった。あれが魔術でないと言うならば、この世の魔術と言うものは全てデタラメのインチキとなる。だが、防衛軍はあくまでもあれを科学兵器として扱いたいのだろう。そこも魔術教会側の事情とそう変わらない。
教会は銃などの現代兵器を忌み嫌う。リュースの友人にも銃を触媒として使いたがっている奴が何人かいたが、結局現代銃ではなく古式銃へと落ち着いた。防衛軍も似たような理由で、魔術の行使を禁じているのだ。重要なのは仕組みではなく、敵を倒したという成果。過程はどうでもいい。軍が魔術師を撃退したという事実が大切なのだ。
リュースは少し考え、相賀に取引を持ちかけた。
「私なら力になる。大方、切り札である魔道具の扱いに困っているんだろう? 手を貸してやる」
まともに運用できているのなら、あんな甘ちゃんに使わせる訳がないという見立ては的中していた。
「ほぉ。で、対価は見逃しか」
「私だけじゃない。あのガキもいっしょだ。構わんだろう? 魔道具が誰でも使えるようになれば、あの子の価値はなくなるはずだ。軍人である以上、ガキ一人の命などどうでもいいだろうよ」
我ながら名案だと思った。少なくとも、先程の尋問官のような男なら、間違いなく乗って来ただろうと。
だが、相賀はまともな人間だった。あまり感心しないような顔つきとなっている。敵ながら良い相手だとリュースは思わずにいられなかった。こういう人間ばかりなら、戦争など起きずに済んだものを。
「で、あの子はどうなる? もちろん、君たちがただ人間を取って食うだけじゃない存在であることを俺は認識している。無闇に虐殺に奔る人種ばかりでないこともな。だが、あくまでばかり、だ。人間というだけで無意味に憎悪し、攻撃的になる魔術師を俺は知っている。例え君とその仲間――恐らく現代流派だろう――が、害は加えないと約束したところで、完全に守り切れるとは思えない」
相賀の言う通りだった。魔術師は魔術師に対しても差別する。特に古きババアどもは忌まわしい。現代流派というだけで殺されかけたこともある。人間だろうと魔術師だろうと、頭でっかちはいるものだ。伝統を守るという名目で、新しい文化を殺す。
「しかし、色素が変わっているということは、何らかの魔道具に長期間に渡って触れている証だ。というか、その道具は安全なのか? 一度私に見せてみろ。魔術を掛けられた道具というものは、感情と密接にかかわり、時として呪いの道具に成り果てる」
と魔術師的一般論を口にしながらも、その魔道具が安全であることをリュースは知っている。あいつが作った魔道具なのだ。せいぜいお守りの類、アミュレットかジェムだろう。これは接触のための口実に過ぎない。
相賀は笑みを浮かべて、リュースを見据えている。なぜだか、相賀には企みが筒抜けであるような気がした。自分が有利なはずなのに、相賀は気付いている。そんな気がしている。
だが、すぐに奇妙な交渉の席は中断させられることとなった。
いきなり魔力の波動が、外部から襲ってきた。
「――っ!」
「襲撃か」
相賀は冷静に呟く。戦の音が響いても、全く動じない。リュースより遥かに戦い慣れているのだろう。当然、リュースも無意味に驚いたわけではない。額に流れる冷や汗も、ただの恐怖からではない。
「どうした? お仲間が助けに来たんだろう?」
「ハッ、冗談だろ。古代流派だ。失敗した私を口封じに来たんだよ」
リュースは焦り、ふざけるなよと心の中で文句を言う。冗談ではない。完全に古代流派にハメられて死ぬなど、死んでもごめんだった。
※※※
「ソラ、本気で出撃するのか」
「出ないとダメでしょ、たぶん」
ソラは寮の外へと出て、リュースの時と同じく宙に浮かぶ魔術師を見上げている。今度の魔術師はご老人だった。年老いた老婆で、お話しできたりしないかな? とソラは無意味な期待をしてしまう。
「愚かな人間共よ! 偉大なる大賢者ローレンスの鉄槌を受けるがよい!!」
「ダメそうだね……」
自分を偉大という人がまともに話を聞いてくれた経験はソラにはない。自称天才少女とも友達だが、その子は親に褒めてもらいたくて頑張っていた努力家だ。あんなふうに威張り散らしてはいなかった。
『ソラ、戦うなら無駄な対話をしようとはしないこと。あれ、絶対人の話を聞かないタイプよ』
「わかってる。話が通じないなら、殺さない戦いをするだけだよ!」
マリの通信に答えたソラは、ヴァルキリーシステムを起動させる。
ソラは指輪がはまる右手を左手で包み込んで、意識を集中した。変身しろ、変身しろ、変身しろ!
三度ほど念じると、ソラの身体はオーロラの輝きに包まれた。ヴァルキリーとオーロラは密接した関係にある。ヴァルキリーの通った跡にオーロラは輝くのだ。
オーロラの中で、ソラの身体にブリュンヒルデの装甲が装着されていく。右腕、右足、胴体、左足、左腕、そして頭。青と白の身体にぴったりとフィットする鎧が、ソラの身体と同化した。
「――装着完了! あ、あれ? メグミ? 何で顔を赤らめてるの」
「今一瞬全裸だった……」
「え? 何?」
よく聞こえなかったソラが問い詰めたが、メグミは答えてくれない。これは私の胸に仕舞っておこう、と勝手に自己完結されてしまった。
帰ってから聞くことにして、とりあえずソラは飛び上がる。オーロラドライブによって、ソラは翼もジェットエンジンもなしに空中へと浮遊できる。
「おばあさん、攻撃を止めて!」
「出て来たな、裏切り者め。ふん、しかし、この私に敵うはずあるまいよ!」
黒いローブと恒例のとんがり帽子、木の杖で武装する古き魔女。
ソラは退魔剣を抜き放ち、敵を殺さない戦いへと勇む。胸に秘めた覚悟のままに。