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戦乙女の鎮魂歌  作者: 白銀悠一
第五章 哀悼
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魔術剣士

 ソラはブリュンヒルデを身に纏い、口上と共に抜剣したアテナと対峙した。

 マリは拳銃を構えながら後退。ソラは武器を手に持つ前に、今一度説得を試みようとする。


「あ、アテナ……さん! 私は!」

「そういう態度……気に食わない!!」


 なぜかソラが停戦を呼びかけようとするたびに、アテナの闘志は燃え上がっていた。ソラの言葉が気に入らない。そういう苛立ちを剣に乗せて、ソラに接近戦を仕掛けようとする。


「ソラ! いつもの戦い方に戻りなさい! こいつは話を聞かないタイプよ!」

「う、うん!」


 ソラは銃槍ガンスピアを取り出し、アテナに向けて銃撃する。

 アテナはギリシャ神話の戦争の女神。左手に持つのはイージスと呼ばれる神器の盾。あらゆる邪悪や災厄を振り払う黄金のシールドだ。しかし、右手には、槍ではなく剣が持たれている。神話ではアテナもブリュンヒルデと同じく槍が象徴的な英雄だったはずなのに。


(でも、今は!)


 ソラは注意をアテナへ戻し、一直線に攻め込んでくる彼女へひたすらに銃撃した。アテナは盾で銃弾を防ぐが、しばらくすると盾が撃ち落とされる。イージスが最も防御効果を発揮する攻撃は邪悪な性質を持つ力に対してのみ。下位女神であるヴァルキリーの魔弾に対しては本領を発揮できない。

 だが、アテナは動じることなくにやりと笑い、華麗な剣技で弾丸を斬り落としながら迫ってみせた。


「ッ!?」

「ふん、大した戦闘力のない魔術師相手に勝利して、少し調子に乗っているようだが――」


 笑みを浮かべて、アテナは止まることなく真っ直ぐ進み続ける。連続的に槍から放たれる魔弾はアテナにとって地面に立てられた藁人形と同じだった。アテナは優雅さや華麗さを感じさせる剣捌きで、あっという間にソラの前へと肉薄する。


「うッ――!」

「……これが魔術剣士の戦い方だ!」


 アテナの剣が煌めく。次の瞬間、ソラは銃槍ガンスピアを斬り飛ばされた。すぐに退魔剣を引き抜き、剣と剣での勝負を挑む。だがしかし、アテナの剣術はソラの遥かに上を行っていた。攻撃どころか防御すらおぼつかず、流れるように繰り出される斬撃で、徐々に後退させられる。


「――素早く、苛烈に、雷の如く。所詮人間の剣術。今まで生きてきたことが偶然だと知れ!」

「くっ、うっ!」


 あまりの剣圧に反応が間に合わず、ソラは盾で凌ごうとした。が、アテナの開いた左手から放たれた魔力の塊に盾ごと吹き飛ばされる。

 草の中に思いっきり叩きつけられ、かはっ、と息を吐く。瞬時にハンドガンを左手で引き抜きアテナへと引き金を引いたが、オートマチックから放たれる魔弾も無力だった。アテナを阻めるものは存在しない。そんな風に思えてくるほどに。


「諦めるなんてらしくないわよ!」


 マリがハンドガンを使ってアテナの注意を引く。ソラはその一瞬を衝いて身を起こし、アテナから距離を取った。

 そして、再び指環に念を送る。自分をサポートしてくれる精霊をこの場に呼び出す。


「おいで、グラーネ!」


 オーロラの輝きに包まれて、ブリュンヒルデがグラーネフォームへとチェンジ。ソラは概念的非殺傷の散弾槍ショットランスを構え、顕現したグラーネの背中に跨った。馬がひひん、と高らかに嘶く。


「例の新形態。そんな小細工で私に勝てるとでも?」

「勝つつもりはありません!」

「……っ、いちいち癇に障る!」


 アテナは独特の構え方に直り、ソラも突撃するため態勢を整える。グラーネの速度は凄まじく速い。例えアテナの剣の腕前がソラより上でも、グラーネフォームなら突破口を見出せるはず。

 

「行きます!」

「来い!」


 ソラはグラーネと共に駆け抜けた。誰よりも早く、誰よりも真っ直ぐに、誰よりも優しく。


「やあああッ!」


 通常の魔術師ならば間違いなく反応が遅れる速度で駆けた。グラーネフォームの散弾槍ショットランスは概念的非殺傷によって、例え敵を貫いたとしてもその命を奪うことはない。

 ゆえに、ソラは手加減することなく全力で突いた。敵の武装と闘志を突き殺そうとして。

 ――まさかその攻撃が防がれようとは夢にも思わず。


「――え!?」

「速い、とても、速い。見えないくらいには、速かった。でも、お前のそれは速いだけ。動きが簡単に読めるから、いとも簡単に防がれる!」


 ――アテナは左手に魔力の塊を充填させ、槍の先端を掴み止めていた。

 アテナにはソラの攻撃方法が手に取るようにわかっていたのだ。いくらスピードが上がろうと、狙いがわかっているのなら防ぐ方法は山ほどある。


「く――!」


 ソラは散弾を穿ち、槍の拘束を解こうとした。だが、散弾ではアテナの魔力を貫通しない。高密度の魔力。恐らく構造が単純な、ただの力の塊だ。しかし、シンプルなものほど、使い手によっては複雑な魔術よりも強力と成り得る。


「力技で押し切れるのは召喚士まで。魔術剣士には勝てない」

「勝つ気はないです! 私は――」

「勝つ気がないなら死に晒せ! この甘ったれめ!」


 アテナは槍ごとソラを引きずり落とした。前のめりとなったソラの頭を、そのまま斬り落とそうとして来る。

 しかし、剣が首に刺さる寸前、グラーネがソラのことを庇った。アテナに両断されたグラーネは、ソラの目の前で消滅してしまう。


「グラーネ!」

「ち、邪魔を。……まぁいい。数秒伸びたところで、お前が死ぬことに変わりはない」


 アテナは地面に転がったソラに、剣の切っ先を突きつける。ソラはグラーネフォームが解除され、ブリュンヒルデの状態で、抵抗しようと足掻こうとした。

 が、アテナの剣速の方が早い。

 ソラはなす術もなく、アテナに斬り殺される――。


「終わりだ、ブリュンヒルデ!」

「う、うわ……ッ!」


 ――瞬間に、アテナの身体が吹き飛ばされた。アテナが先程のソラと同じように草原の中に叩きつけられる。

 ソラとアテナが同時に呆けて、ソラの左手に注目した。


「な、何……今の……」

「お、お前がどうして、魔動波を……。今のでやり方を学んだ? いや、有り得ない!! 修行もなしに使えるはずがない!」


 狼狽するアテナと困惑するソラ。どうしてと訊かれてもソラ自身にすらわからない。今のをもう一度やれと言われてもできないだろう。

 アテナの混乱は最高潮に達し、ふざけるな! と声を荒げて憤る。自分の魔術を真似されたからというよりも、ソラ自身に何かを感じているような様子だった。


「くそ、くそ! どうして、どうしてそんな! あの子みたいなことを言って、あの子と同じ技を使う! お前は私をイラつかせるために存在するのか!」

「アテナさん! 私は!」

「うるさい黙れ! 死ね! 二度と喋れないようにしてやる!」


 アテナは発狂したように暴れ回り、がむしゃらに剣を振るってきた。怒れども魔術剣士。やはり剣技は空よりも上で、防御をしたソラの退魔剣は弾き飛ばされてしまう。

 だが、丸腰になったソラを、剣が貫くことはなかった。上空から現れたホノカが杖を散弾銃モードに切り替えて穿ち、地面を駆けてきたメグミがアテナに殴りかかったからだ。


「大丈夫ー? ソラちゃんー!」

「遅くなって悪い!」

「ホノカ、メグミ!」

「私の邪魔をするな!」


 アテナはメグミを魔動波で吹き飛ばし、ホノカへは投げナイフで対応した。アテナの技巧は卓越しているが、それでもヴァルキリー三体を同時に相手取るのは難しいようだ。

 アテナは忌々しそうに吐き捨てて、空へと舞った。


「ええい、今回は下見……。次こそは殺す! ブリュンヒルデ……!!」

「アテナさん……」


 ソラは返す言葉を持たなかった。地面へと腰を落としたまま、撤退するアテナの後ろ姿を見つめるだけだ。

 彼女の姿が見えなくなって、次にソラは左手へと目を移した。機械と魔術が融合した小手が目に映る。


「私の、手……」


 何もないただの手だった。防具に覆われるだけの普通の手。しかし、ここから使えもしない技が放たれた。記憶にない、習ってもいない、知り得るはずのない魔術が。


「ソラ、無事……おい!?」

「ソラちゃん!? どこか怪我した!?」

「わ、私は別にどこも……ぁ」


 急に身を案じられ、戸惑ったソラは左手に落ちた雫で気付いた。

 泣いている。心がどうしようもなく哀しくなって、切なくなって、涙を流している。


「あ、あれ……どうして……」


 泣く理由は存在しないはずだった……自分には。アテナと和解できなかったのは悲しいが、涙を流すようなことではない。殺しも殺されもしなかったのだから。二回目が存在するのだ、まだ。

 なのに、もう二度と機会がないようなそんな気がして。

 ソラは理由もわからず涙をこぼした。その泣き顔は、まるで死者が生者を思いやるような、不思議な涙だった。



 ※※※



 浮き島へと帰還したアテナは家へ帰ると、ニケの挨拶を無視して自分の部屋へと引き込もった。

 そして、鏡に目をやる。あと一歩のところで敵を殺せなかった、忌々しい自分の顔が目に入った。


「このッ!!」


 バリン、と音が響き、鏡とそこに映る自分が砕け散る。むしゃくしゃしていた。あのブリュンヒルデもさることながら、のうのうと息をしている自分自身が赦せない。

 手は鏡の破片で血だらけとなっていたが、アテナは構わなかった。むしろ自身の拳を痛めつけるように、今度は散らばった破片を殴りつける。


「この、この、この、この!!」

「アテナ? すごい音がしましたが……っ!? アテナ! 何をしているのです!!」

「邪魔しないで! 邪魔しないでよ! ニケ!! 離して!!」

「ダメです、ダメですよ! 手が血だらけです! 落ち着いて!」


 興奮するアテナを落ち着かせようとニケが奮戦するが、ニケよりもアテナの方が力は強いのだ。抑え込もうとしてもなかなか抑えられなかった。さらには、邪魔をするニケを疎ましく思ったアテナが魔動波を彼女にぶつけようとして、


「止めなさい、馬鹿者」


 という横やりで我を取り戻す。

 アテナの血に染まった手を掴んだのは、青い鎧を身に纏ったメローラだった。


「メローラ……。何しに来たの」

「自分の友達に暴力を振るおうとしたおバカさんを諫めに来たの」

「どの口が言う。それに、入っていいって許可したつもりはないけど」

「ニケから許可は貰ったわ。この家はアテナとニケの共同住宅。そうでしょ」


 事実なのでアテナは反論できない。メローラとは、共通の友人を経て知り合った昔馴染みだった。

 そして、アテナが忌み嫌う魔術師の一人である。嫌悪感を隠さずに、アテナは言う。


「そう、ありがとう、助かったわ。さぁ、さっさと出て行って」

「そういう訳にはいかないわ。さっきの戦い、見てたわよ。あなた、恐ろしいほど間抜けになったわね」


 メローラは臆面することなくアテナをバカにする。どういうこと、と殺気立ったアテナに、メローラは淡々と言葉を紡いだ。


「ブリュンヒルデを倒して、世界を平和にするとでも考えていたんでしょ。でも、戦い方も思想も、あの子はセレネにびっくりするほど似ていた。それで暴走して大敗北。間抜けね」

「負けてない!」

「いいえ、あれは負け。技術では勝っていたけど、心では劣っていた。信念や信条、全てが負けていたのよ。あなたは過去に執着する愚者。でも、あの子は常に未来へ目を向けている」

「死者を想って、何が悪い! そもそもお前のせいでセレネは――!」

「だから、あの子の親友だったあなたが道を外さないよう、見守る義務があると思っているの、あたしは」

「余計なお世話だッ!」


 アテナが周囲に魔動波を放つ。部屋の中にあった置物や床に散らばっていた鏡が散らばり、窓ガラスが割れる。びくりと震えたニケだが、メローラが同じく魔動波を使って衝撃を吸収していた。


「かもね。でも、それがあの子の十八番だった。……恐ろしいほど、ソラは瓜二つ」

「だから何! どうしてお前が奴のことを知っているの! これ以上私の邪魔をするなら殺す、殺す!」

「……ダメね、本当にダメダメ。しばらく一人で頭を冷やしなさい。行きましょ、ニケ」


 メローラはニケを連れて出ていく。邪魔者がいなくなったところで、再びアテナは鏡の欠片へと目を移し、絶句する。割れた鏡に混じって、大量の血が床を濡らしている。その光景を見た瞬間、あの子の死体がフラッシュバックして、アテナは絶叫した。


「やだ、やだぁ……セレネ、死なないで……。誰がこんなにひどいことを……。あの子は、あの子は人間も魔術師も救おうとしてただけ……ああ、ああああああああッ!!」


 アテナは自分の心を破壊せんとする何かを追い払うように叫んだ。だが、いくら叫んでも、そいつは自分の心に居座って、自分を苦しめようとしている。


「ころ、せ……ころして……。だれか……わたしを……ころして……だれか――」


 自殺はできない。だから、誰かに殺してほしい。

 だが、いくらそう願っても、誰もアテナの命を奪ってはくれない。

 呪いのように、祝いのように、アテナの命は守られている。



 ※※※



「よし、今ので剣士としての基礎は習得した。これからは魔術剣士としての戦い方を学ばせる」

「魔術剣士、これからが本当の修行ってことですね、はぁ」


 深くそして綺麗な森の中。そこに拵えられた修練場。その中にはひとりの少女と老人が見つめ合っている。

 師である白髪の老人の説明を受けて、銀髪の少女はため息を吐いた。そして、当然の如く師に注意される。


「感心しないな、セレネ。お前は魔術剣士になるために俺の元を訪れたんだろう。それとも、ただの剣士になるべくここに来たのか?」

「いえ、もちろん魔術剣士に……。ですけど、マスターの修行、大変なんですよ」

「大変じゃない修行に意味があると思うのか?」

「うっ。いいえ、思いません……」

「なら、やるべきことは単純だな。まずは新しい技を披露するとしよう」


 そういうと剣士の恰好をした男は、手を的である藁人形へと翳した。瞬間、衝撃波のようなものが手から放たれて人形が粉々となる。

 その光景を目にしたセレネは無邪気に飛び跳ねて喜んだ。ようやく憧れていたものに出会えた純粋な瞳だ。


「そうです、これです! こういうの待ってた! 今まで地味な修行ばっかりで、幻想が崩れて朽ちて腐ってたところだったんです! ようやくファンタジーの世界が到来したよぉ!」

「……よくないな、セレネ。低俗な物語にうつつを抜かすのは……」

「そういうの、よくないと思います! 大勢の人が憧れた魔術のイメージは大切にしなきゃ。私たちは正義の味方になれる素質を持ってるんですから」

「セレネ、俺たちはそんな崇高なものじゃない。ただ自らの興味のみを追求し、世俗に一切干渉せず、傍観者として振る舞い……」

「干渉するべきですよ! 師匠だって、そうやって私を救ってくれたじゃないですか!」


 難色を示した師匠に、セレネは真っ向から反論する。すると、師は困ったように頭を抱えた。


「あれは偶然通りかかっただけだ……。俺は基本的に外界のごたごたには首を突っ込まない」

「本当は優しい人のくせに、悪ぶらなくていいですよ、マスターファナム」


 師であるファナムに向けてセレネは微笑んだ。ファナムは罰が悪そうな顔になって、話を戻した。


「もうその話はいい。まずは俺と一騎打ちだ。修行を終えた魔術剣士がどれほどの力を持つのか、その身で体感させてやる」

「はい!」


 セレネは嬉々として木刀を抜き、ファナムとの練習試合に臨んだ。



 ※※※



「……またこの夢……。レポートに書くべきなのかな……」


 会ったこともない少女の夢を見て、ソラは真夜中に目を覚ました。

 不思議な感覚が身体を包んでいる。あの少女を知っている。知識としてではなく、ソラの心が覚えている。

 そんなはずはないのに、懐かしい思い出だと錯覚してしまう。


(これがマリやジャンヌさんの言う、変化ってことなの?)


 だとしたら、今の自分には一体どんな異変が生じているというのか。ソラは考える。

 ユーリットと戦っていた時も、なぜか彼女の両親らしき思念と出くわしたし、ドラゴンに呑み込まれた時も、グラーネがいた心象世界の中へいつの間にか入っていた。

 それに、昼間の戦闘。アテナに向けて放った魔動波。


「……」


 ソラは左手の薬指に収まるニーベルングの指環に目を落とす。月光が窓から注いで、金色に輝いていた。


「月が、綺麗……」


 窓の外へと目を移し、煌めく月と星空が散らばる空へと惹かれ、ソラは外に出ることにした。どうせしばらくは眠れそうにない。朝起きるのが大変そうだが、何とかなるだろう。古風かつ効果抜群の変わった目覚ましもあることだし。

 そう自嘲気味に思って、ソラは服を着替える。静まった寮の廊下を一人で歩いて行った。



 基地内では、見回りの兵士が双眼鏡をぶら下げて時折空を見上げていた。魔術師は対空レーダーに引っ掛からない。ゆえに、昔ながらの索敵をせざるを得ないのだ。管制塔にも灯りは付いているが、中の兵士も肉眼頼りのはずだった。暗視ゴーグルも使えない。対人間用に作られた兵器のほとんどは、対魔術師用とは成り得ない。

 そのため今もコルネットが対魔術師用に開発された兵器を、危険がないか解析しているところだった。ジャンヌは眠っているだろう。今、解析が急務なのはヴァルキリーシステムと、上層部から支給された新兵装の数々だ。

 何か罠が仕掛けられている可能性があるため、すぐには使えない、というもどかしい事情のせいだ。

 夜勤を頑張るコルネットの邪魔をしてはいけないとして、ソラは外をぶらぶらと歩き、目当てのベンチを見つけて座った。


「……ふふ」


 満面の星空を見つめて、自然と顔が綻ぶ。最高のロケーションだった。青い空も好きだが、真っ暗な夜空も悪くない。

 こうして空を見上げているだけで、全てが何とかなるような気がしてくる。人と魔術師がいくら争うとも、明確な事実として空は繋がっているのだ。どれだけ下と上で争っても、地球は一つなのだ。

 なら、本来あるべき姿として最後は共存するのだろう。もしくは共生か。

 わかり合えればそれに越したことはないが、別にわかり合わなくてもいい。

 ただ、隣で生きる権利を認めて欲しい。その場にいる自由を行使させて欲しい。

 大切な人といっしょにいてもいい世界が欲しい。


「……夜更かし、ですか?」

「モルさん!? こんな時間にこんなところに……」


 感傷に浸っていたソラは、突然現れたモルに目を白黒させた。まさか、深夜にモルと鉢合わせするとは思ってもみなかったのだ。

 モルはお嬢様のような笑みを湛えたまま、ソラに缶コーヒーを差し出してくる。寝れなくなる、と断わろうとしたソラだが、せっかくの好意を無下にするわけにもいかず、ありがたく頂戴することにした。

 ホノカはコーヒーを飲むと爆睡するスキルを保持している。なら、自分だってコーヒーを飲んでも眠れるはずだ、と自身を錯覚させながら、ホットコーヒーの蓋を開けた。


「いくら夏とは言え、夜は冷えますからね」

「どうして、ここに……。今日は家にいたんじゃ」

「妹が実家に帰省しておりまして、暇だから来てしまったのです。夜中に散歩するのが趣味なので」


 と理由を述べて、モルは紅茶の缶を一口飲んだ。他人にコーヒーを渡して置きながら、自分はカフェインゼロと銘打ってある紅茶を飲んでいる。複雑な心境に駆られながらも、ソラもコーヒーを飲んだ。


「ふふ、きっと夜寝れなくなってしまうでしょうね」

「だったらどうして私にもカフェインゼロの紅茶をくれなかったの……」


 当然のようにソラはぼやく。にや、とモルは笑い、ソラの顔を覗き込みながら質問を返してきた。


「どうしてだと思います? どうして、ソラさんを眠くならないようにしたと、思います?」

「え、ええっ?」


 嫌な予感がしてソラは引きつった笑みをみせる。モルは女性の胸が好きだと公言しているのだ。

 だが、しばらくソラの惑う顔を愉しむと、モルは愉快に笑い始めた。冗談ですよ、と前置きをして。


「せっかくの素敵な空見を、邪な想いで邪魔したりなんてしません。星と月を見るあなたは、どこか私の昔の想い人に似てましてね」

「……好きな人いたんだ」


 ソラがモルに話を促すと、モルはソラが今まで見たことのないような、哀愁漂う表情となった。


「ええ、いました。何度アプローチしても聞いてもらえませんでしたが」


 根掘り葉掘り訊き出したい気持ちと、今はそっとしておくべきという相反する気持ちが胸の中に沸き起こり、激突する。

 結局、ソラはモルに合わせることにした。何も言わず、黙って空を見上げていると、モルが再び話し出す。


「その子は月が大好きでしてね。何度か月見に誘って、いい雰囲気になったところを攻めたんですが、いつも見事に躱されまして。驚かされましたよ。まさか、私を拒む者がいるなんて」

「そ、それは随分な自信家だね……」


 確かにモルは容姿端麗と言わざるを得ない美人だが、人には好みがある。万人受けするとは限らないのだ。

 それでもそう言い切ってしまえるというのは、一種の強さなのかもしれない。ソラとは無縁のステータスだが。

 モルがジャンヌと同じタイプであると知ったソラは、きっと素敵な男の人だったんだね、と応じた。しかし、モルはソラの発言にきょとんとして、


「はい? 彼女は女性ですよ」

「……え?」

「どうしてそこで疑問を感じるのですか。そもそも、どうして私が男なんかに告白しなければならないのでしょう」


 素で答えられて、ソラはまた戸惑ってしまう。どうやらモルは自分とは遥かに違う次元の人間らしかった。

 モルは、あ、と失言したように口を塞ぎ、今のは忘れてください、とお願いしてきた。そのため、ソラは素直に聞かなかったこととする。その方が自分の精神衛生上もよかった。世界には色んな人間がいてもいいとは思うが、やはりちょっと心を整理する時間が欲しい。


「ふふ、そろそろ戻った方が良さそうですね」

「そう? でも、全然私はねむくな……ふわ」


 眠くない、と言おうとした瞬間に、ソラは大きな欠伸をした。モルがその迂闊なしぐさを見て、愛らしいと褒める。

 ソラは恥ずかしさと眠気がない交ぜとなって、頭を振った。さっきまでは眠くなかったのに、急速な眠気に襲われている。


「ふふ、おまじないが効いたのでしょうか」

「おまじない?」

「ちゃんと眠れるように、コーヒーへまじないを掛けたのです。さ、早く部屋へ戻らないと、そこら辺で眠りこけてしまいますよ」


 モルに促されて、ソラはベンチから立ち上がる。冗談抜きで道端で寝てしまいそうだった。

 モルはどうするのかと尋ねてみたが、まだしばらく余韻に浸っているらしい。ソラは素直に部屋へ帰ることにした。


「じゃあね、モルさん。……おやすみなさい」

「ええ、ソラ。おやすみなさい」


 ソラはふらりとした足取りで寮へ歩いて行く。暗いが、道筋を月明かりが照らしてくれているため、転ぶことはない。

 その後ろ姿に目をやっていたモルは、ソラに聞こえないように小さく、月に向かって囁きかけた。


「なぁ、セレネ。お前は、今の世界で満足か?」

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