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戦乙女の鎮魂歌  作者: 白銀悠一
第五章 哀悼
36/85

閃光の魔弾

 荒野に轟いた銃声。魔術教会に属するマスターレオナルドは、呆けた表情で倒れていた。

 シャークもまた、怪訝な表情を浮かべている。視線は自身のハンドガンへと移され、スライドの変化をはっきりと確認する。――球状の弾丸に、銃身が穿たれていた。


「……間に合ったか」

「何だテメエ!」


 近くでフリントロックピストルを構えていた男に、シャークは怒号を飛ばす。


「マスター……アレック……?」

「レオナルド、お前を助けにきた」


 アレックは油断なくピストルを構えている。前に立つ男の素性を探るためだ。

 この男の行動は不可解の一言だった。防衛軍の戦力は魔術教会に大幅な遅れを取っている。まともな人間なら、このまま戦争を続けても人類側の敗北は必然なのだ。

 だというのに、この愚行。魔術師の悪感情を刺激するには十分すぎる。人に対して悪意を抱かない者も杖を執ることだろう。

 デモンストレーション。自分を売るのに最適な状況。

 果たして、その言葉は真実か?


「誰に雇われた? ――いや、言わなくていい」


 問いかけて、瞬時にこの男が語らないことを見抜いた。ならば、取れる方法は一つだ。


「浮き島で話を聞こう」

「言うねぇあんた!」


 嬉々とした表情をみせたシャークはサブマシンガンを構え直し、まずレオナルドを射殺しようとした。

 だが、銃を撃つ前にアレックがサブマシンガンの銃身を掴む。数十メートルは離れていた先からの瞬間移動。この程度、マスターの名を持つ魔術師なら造作もないことだった。


「速い!」

「お前が遅いだけだ」


 人命と世界の命運がかかっている状況で、わざわざ手加減しても詮無い。

 アレックは右手に魔力を送り込み、通常では有り得ないほどの握力で銃身を握りつぶすと、強烈な蹴りをシャークの腹部に向けて見舞った。強化装甲と衝撃吸収素材が使われた技術の集大成がぼこりとへこむ。シャークは血を吐きながらも、嬉しそうな顔を維持したままだった。


「いいねぇ、強いってのは最高だ」

「狂戦士か」

「別に神話上の生物ってわけじゃない。俗に言うサイコパスなだけさぁ!」


 シャークは近くに設置してあった自動砲台から大量のコンパクトミサイルを射出させた。数十にもわたる小型ミサイルの雨がアレックとレオナルドに向けて降り注ぐ。だが、アレックは全て撃ち落とした。仕込まれていた毒ガスが溢れ出すが、それすらも範囲衝撃魔術で対応してみせた。


「いいぞいいぞ!」


 しかし、その迎撃もシャークは予想済みだったらしい。この攻撃はただの時間稼ぎだったようで、対地ロケットランチャーとマシンガンを構えて現れた。

 気合の叫びを撃ちながらマシンガンを撃ち始め、予測射撃でランチャーを放つ。アレック単独ならば無問題だったが、負傷したレオナルドを守護するこの状況ではなかなか厄介な組み合わせだった。敵の本命はあくまでレオナルドだ。アレックを殺せなくても問題はないのだろう。

 大量の銃弾がレオナルドへと奔る。アレックは防護魔術をレオナルドへと張ろうとして、


「ッ!」

「ちっ、気付くかよ!」


 弾丸が魔術を貫通することに気付いた。レオナルドを左に抱えて、いったん距離を取る。


「銀弾? いや……」


 銀はあくまで魔術の発動を阻害する物質だ。発動する前なら効果が高いものの、発動した後では大した効果が得られない。

 だが、大口径マシンガンから放たれる銀の弾丸シルバーブレットは確かに魔術を貫通している。

 新開発された弾丸か、或いは……。


「アレック……私を捨て置け。さすれば……」

「弱気になるな、レオナルド。今お前に死なれては困る」


 二人のマスターが戦死すれば、和平や停戦などの交渉が難しくなる。ただでさえ激化しつつある戦況がより過激なものとなってしまう。それに、自分の屋敷で待機していたはずのレオナルドがなぜわざわざ地上に降りていたか。そのことについても問い質したい。


「人質こさえての戦闘は、いくら魔術師サマでも難しいだろ!」

「少し、動くぞ」


 アレックはレオナルドに呼び掛け、再び瞬速で距離を詰めた。人質を抱えた状態での格闘戦にシャークは驚くかと思いきや、案外そうでもないらしい。

 むしろ、これがシャークの狙いだった。シャークが最も得意とするのが、ナイフを使用した格闘戦である。その腕前は油断していたとはいえ、マスターの称号を預かるレオナルドを圧倒するほど。勝利を確信し、シャークは笑みを浮かべた。

 アレックはピストルの銃身を掴み、打撃にも転用できる丸みを帯びた形の銃杷を使って、ナイフと打ち合い始める。


「……普通の人間ではないな」


 左腕でレオナルドを担ぎ、片腕での格闘戦という不利の状況でさえ、言葉を交わす余裕がある。しかし、シャークは屈辱に顔を赤く染めるどころか、満面の笑顔でナイフを振るっていた。これほどの男に褒められて、彼のテンションは最高潮に達している。


「あんたも普通の魔術師じゃないなぁ!」

「思想さえまともなら、と思わずにはいられん」


 アレックがシャークのナイフを弾き飛ばした。瞬間、スタングレネードがシャークの左手から落とされる。

 眩い閃光と強烈な音響がアレックとレオナルドを包み、二人の視覚と聴覚は遮断させられる。だが、アレックは空気の振動で敵の攻撃を予期し、穿たれた弾丸をピストルで撃ち落とした。


「逃がさん」


 目と耳を回復させ、アレックは空中に退避していたシャークへと狙いを付ける。引き金を引き、後は落下したシャークを回収するだけだった。

 ……はずなのだが。


「――何!」


 撃ち込んだ弾丸が、突如発生した謎の力に掻き消される。


「……逃したか」


 手負いのレオナルドを庇っての追撃は最適解とは言い難い。空の彼方へと消えたシャークの方角へ目をやった後、謎の妨害が飛来したと思われる方向へ視線を向ける。視線の遥か先には、浮き島が浮かんでいた。


「今のは……。なるほど」

「アレック……」

「無事だな、レオナルド。これより帰還する」


 アレックはレオナルドと共に浮き島へと瞬間移動する。

 獲物は逃がしたが、収穫は得た。これ以上、この場に残る理由は存在しなかった。



 ※※※



 アレックはレオナルドを救出し、無事に戻ってきた。レオナルド自体は重傷を負っていたが、重傷程度ならば医療魔術によって完治できる。それに、レオナルド自身も長命の魔術師の一人なのだ。これぐらいで死ぬようなヤワな男ではなかった。


「彼を医務室に運べ。ハルフィス、パナケアの調合は終わったか」

「無論じゃ。一体誰に聞いておる?」


 二人のマスターが運ばれる担架と共に医務室へ入っていく。一瞬追いかけようかと悩んだクリスタルだが、邪魔になるとして踏みとどまった。


「良かったですね、クリスタル。これで停戦への望みが消えずに済みました」


 クリスタルの隣にきたレミュが言う。彼女の言う通りだった。二人ものマスターが殺されていれば、魔術師と人間の争いはもう止めることができなくなっていただろう。

 恐らくはたったひとりの男の宣言だったはずだ。先程の悪辣なショーと、それに付随する魔術師への通告は。

 だが、魔術師側にはそんなことは関係ない。ひとりの人間を全ての人間の意見だと誤解してしまうのだ。

 その思い込みのせいで、過激な思想を持つ人間が起こした大虐殺によって、魔術師は大粛清という名の殺戮に手を染めたのだ。

 クリスタル自身でさえ、ソラと知り合いでなければ、アレックの教えがなければ、人間を憎んでしまっていたかもしれない。曖昧で不透明で、危険。人の、魔術師の心というものはどうしようもなく脆い。


「……そうね、レミュ。でも、あくまで最悪の展開が避けられただけ。これでますます戦列への志願者が増えるでしょう」


 ここで死地に赴くのは、正義感が強かったり、他者を強く思いやれる魔術師だ。実際には魔術師有利のため死ぬ可能性は限りなく低いが、それでも“いいひと”から手を血で染め上げることになる。

 本当に“わるいやつ”は、自分で何かをすることがないのだ。いいひとと、いいひと。戦争は善人同士で織り成される虚しく後味の悪い殺し合いだ。


「でもさ、今はレオナルドさんの無事を喜ぶべきじゃないかなー? あまりムズカシイこと考えてると、頭痛くなっちゃうよ」

「きらり……。ええ、そうですね。あなたの言う通りです」


 ムードメーカーであるきらりの一言で、沈痛な想いが吹き飛んだ。そうね、と頷いて、屋敷の中を歩いて行く。調理場の横を通りかかると、パナケアの調合を命じられたカリカが、ぶつぶつ文句を言いながら鍋と睨めっこしていた。横に侍るケランに指示を出し、リュースが近くでぷらぷらと暇を持て余している。その様子が癇に障ったらしく、カリカが怒鳴り散らした。


「ちょっと、役立たず! 私にマッサージするとかないの!」

「仕方ないだろ、私は薬を作れないんだから。お前の豚……じゃない、恋人候補がいろいろしてくれるだろ」

「ケランはまだ修行が足りないわ! もっと私にふさわしい騎士様にならないと!」

「……お前、どうしてこんな奴に惚れたんだよ」


 リュースが解せないという顔つきでケランに訊ねた。ケランは麗しい乙女に尽くすのは当然じゃないか、と真顔で言い、リュースは意味不明だ、と呆れ果てる。


わたくしもわかりかねます。カリカは容姿こそ整っていますが、内面は……」

「ちょっとレミュ! いきなり人を罵倒しないでくれる! 有り得ない言いがかりをつけて人を貶めようだなんて、これだからヒステリー非モテ女は困るわ!」

「な、なんですって!」

「ちょ、ちょっとレミュ、落ち着いて……」


 何やら険悪な雰囲気となり、きらりがレミュを宥めようとする。クリスタルは面倒くさくなりそうな気がしたので、少し距離を取ることにした。ソラだったら関わっていただろうが。


「いい、あなたたちは今、深い悲しみに囚われてるわ。どうせ、自分は魔術師だから、今は魔導の追及一筋だ、とか考えているんでしょう? で、結果的に行き遅れて、道行くカップルをハンカチ加えて泣きながら羨ましがるのよ。ああ、何て悲しい人生なんでしょう。女性として終わってるわ」

「好みの殿方が現われないだけですよ! それに、わたくしはシスターなのです!」

「言い訳だけは一丁前なのよね。それっぽい理屈を並べ上げて、精神の安定を図る。なんて惨めなんでしょう。人に突っ掛ってきておいて、言い訳を述べて負け惜しみするなんて」

「こ、こ、このッ!」

「わぁ、レミュ! メイスをこんなところで振り回しちゃダメ!」

「お、おい、カリカ! レミュに謝ってやれ! ただでさえハゲるかもって悩み相談受けてるのに! ……あ」


 リュースの悪いところが出た。常日頃口が硬いと豪語しているのに、こういう肝心なところでボロを出してしまうのだ。リュースに相談内容をばらされたレミュは美しくも恐ろしい笑顔を浮かべて、メイスを振り上げる。


「ドルイドが聖職者に喧嘩を売りました――。神の名において、あなた方の命、貰い受けます!」

「きゃ、きゃあ! ケラン! 私の王子様候補! 私を助けなさい!」

「そうだそうだ、お前無敵だか何だかを使う……って一発でやられんなよ弱すぎだろ!」


 メイスであっさりとノックアウトされたケランが床に転がった。さらには、きらりもうぎゃあ、という女の子らしからぬ悲鳴を上げて廊下に吹き飛ばされる。

 クリスタルは頭を抱えた。これではアレックとハルフィスにお説教を喰らうことになる。そそくさと撤退することにして、クリスタルはいつもの空見スポットへと足を運ばせた。

 屋敷の外に出て、森の中を進む。しばらくすると、ハルフィスの怒鳴り声が聞こえてきた。自分が巻き込まれずに済んで良かったと安堵して、浮き島の端っこへと辿りつく。大空が目の前に広がった。

 吸いこまれそうになるほどの、青い空。ふわふわとして、柔らかそうな雲。

 雲を食べたらどんな味がするのかと考えていたことがある。小さな頃に、あの子といっしょに。


(我ながらバカね。雲を食べられるはずないのに)


 幼い自分の純真な考えに苦笑していると、後ろから足跡が響いてきた。

 友人たちは絶賛お説教タイム中。とすれば、彼女だろうと思い立って振り返る。


「やっぱり、アテナ。……アテナ?」


 アテナは思いつめた表情をしていた。以前見たような屍人のような無気力ではなく、怒りに身を包む鬼のような雰囲気を醸し出している。どこかで見たことのあるような奇妙な表情だ。


「どうしたの?」

「マスターレオナルドは、生きてる?」

「ええ、大怪我は負っているけど、もう大丈夫よ。……具合でも悪いの?」


 何かにあてられたような――苦しむような、それでいて、それが必要だと確信している表情。妄執に囚われている。アテナは生きながら死ぬ生者であり死者だった。

 クリスタルは立ち上がり、アテナへと近づいた。大丈夫よ、と小声でアテナは断り、


「件の映像を見て、思い出したの。あの子が死んでしまった時のことを。このままではきっと、また同じことが繰り返される」

「……アテナ」


 クリスタルは息を呑んだ。デジャブだ。

 アテナの姿に、ブリュンヒルデを討ちに向かった自分の姿が重なっている。


「まさか、あなた」

「……魔術剣士の戦い方を披露する時がきたようね」

「出兵するの? 相手は? どこに?」


 マスターレオナルドの敗北とあの人間の声明で、戦に乗り気じゃない魔術師も出撃するとは考えていた。

 だが、その先駆けがアテナだとは。嫌な予感がして、クリスタルは矢継ぎ早に問いを投げる。

 そして、自身の予感が的中していたことを知った。


「ブリュンヒルデ。何やら小細工を弄しているようだけど、私は騙されない」

「な、何を……待って、どうしてソ……ブリュンヒルデを討ちに行くの!?」

「あなたと同じ理由よ、クリスタル。あなたはブリュンヒルデが防衛軍の決戦兵器だと考えた。だから、二度も討ちに行った。でも、神話再現している相手じゃ分が悪いでしょう。ここはやはり、同じように神話再現をする魔術師が相対するべきよ」

「オリュンポス十二神の一柱、最高神ゼウスと知恵の女神メティスの娘……。戦争を司るだけではなく、技術や芸術すらも守護し、そして――英雄の守り手でもあるアテナなら、勝てる。そう思うの?」

「ヴァルキリーは勇者の回収者。対して、アテナは英雄の守護者。下位女神でしかないヴァルキリー相手に、オリュンポス十二神が後れを取るはずはない。……魔力不足での敗北は有り得ない」


 アテナは勝利を確信しながら断言する。女神としてのアテナの戦闘力もさることながら、彼女自身も強者として名高い魔術剣士ファナムの弟子である。剣技や槍技、魔術剣士としての戦い方。その全てがソラを凌いでいた。


「ヴァルキリーを……どうするの?」


 クリスタルは答えがわかっていながらも訊ねた。案の定、その答えは既知のものだった。


「殺す。生かしておくから戦争は終わらないの。人間側が力を蓄える前に殺せば、戦争も終わるでしょう」

「で、でもそれじゃあ!」

「あなたの希望でもあるでしょう、クリスタル」


 アテナはクリスタルに背を向ける。どうやら彼女はクリスタルを安心させるためにわざわざ訪れたらしい。

 だが、逆効果だった。クリスタルの心は張り裂けそうだ。一瞬、ブリュンヒルデが自分の親友であるか打ち明けるかどうか悩んだが、その葛藤が終わる前にアテナは去って行ってしまう。


「ま、待って、アテナ! ブリュンヒルデは……私の――!」


 クリスタルは意を決して叫んだが、アテナは聞く耳を持たず森の中へ消えていった。

 彼女はずっと憑りつかれている。この世からいなくなった者に。

 守れなかった死者を守る大義を手にした彼女は、クリスタルの言葉に耳を貸さない。



 ※※※


 

 穏やかな森の中にある世界の喧騒とは無縁な、静かな森。

 果樹園にはたくさんの果物が実っている。辺りにあるのは林檎の木だ。アダムとイブが口にしてしまった禁断の果実によくなぞらえられるフルーツ。

 少女はにっこりと微笑みながら手に取って、一口齧った。


「こら、またつまみ食いしてるの? マスターに怒られるわ」

「こんなにたくさんなってるんだし、大丈夫だよ」


 友達に怒られたので、言い返してみる。すると、友達は呆れたように肩を竦め、仕方ないわと見逃してくれた。


「いくつか採ったら、勝負しましょう。あなたを打ち負かしてあげる」

「えぇー、やだよ。私、戦い好きじゃないし……」

「戦いが嫌いな剣士っておかしいとは思わない? あなた、自分で弟子入りを望んだんでしょ?」


 フルーツバスケットの中にいくつか美味しそうな実をもぎって入れて、歩き出す。友達の言葉は最もだ。

 少女は自分で師匠に弟子入りしたのだ。これからの時代に、師の技術が必要だと思ったから。

 だが、これは敵を殺すための力ではなく――。


「人を守りたいから、マスターの元を訪れただけだよ」

「だったらなおさら強くならなくちゃ。まず、私に勝つことね」

「……うん」


 不本意ながらも了承する。少女はまだ一度も友達に勝利できたことがない。

 彼女が勝利の女神と親和性の高い術式を再現していたから、といつも言い訳しているが、そうではないことを他ならぬ少女自身が知っている。


「あなたは魔術剣士なんだから。もっと技術を高めないと」

「……うん……ふあ……」

「って、ちょっと、まさか、寝るつもり? こら、バスケットが落ちる――。こんなところで寝なさんな! ちゃんと起きないと、ほら!」


 美味しい林檎を食べたら、すっかり眠くなってしまった。ふらり、ふらりとよろめいて、結局草むらの中にゆったりと寝転ぶ。

 最後に、アドバイスをしてあげた。きっと、自分と同じように眠ることが好きな誰かに。


「私は眠るけど、あなたは起きないと怒られちゃうよ――?」



 ※※※



「――はい!」


 叩き起こされて、ソラはばっちりと目を覚ました。水か何かが掛けられないか警戒し、ばっと一瞬で身を起こす。


「あれ……? 誰もいない」


 身構えるソラの耳が、ドアの開く音を捉える。ホノカがバケツを持って入室してくるところだった。


「あれー? ソラちゃん、もう起きちゃったのー?」


 がっかりしたように、ホノカは落胆する。どうやら、ソラに水を掛けて起こす古風かつ効率的な起こし方を楽しみにしていたようだ。

 危なかった、と安堵の息を吐く。マリは寝坊助のソラを起こすべく、代わりばんこにバケツ掛けするよう指示を出している。既にメグミには頭から水を掛けられるという失態を演じていた。


「私もバカじゃないからね。そう何度も同じ轍は踏まないよ」


 と得意げになりながら床に降りるが、寝相が悪いせいで床にはシーツが落ちていた。思いっきり踏んづけて、つるりと滑る。ベッドの端に思いっきり頭をぶつけてしまった。


「っ!!」

「ソラちゃん、大丈夫ー?」

「だ、大丈夫だもん。全然平気だもん!」


 これなら水を掛けられた方がまだマシだった。そう思いながら、ソラは軍服に袖を通した。




「――基本は足さばき。如何に攻撃を当てるかじゃなくて、如何に攻撃を避けるか。ほら、あなたもやってみて」

「……え? これでどうやるの?」


 ソラはハンドガンを握りしめながら首をかしげた。マリの説明はどう聞いたって格闘戦のそれだ。今は射撃戦の訓練をしているはずだった。


「……セーフティを外して、スライドを引いて、後は狙いをつけるだけじゃない。あなた、人の話聞いてた?」

「え……? 足さばきがどうとかって」

「おいソラ。寝ぼけてんじゃねーのか? 今は射撃訓練中だぞ」


 メグミがやれやれと肩を竦める。これだから豆腐頭はという辛辣な一言が辛い。


「人殺しの武器の使い方を習うの、嫌なのはわかるがな。手鞠野郎はこれでもこっちの方面じゃ玄人だ。性格は破たんしているけどな」

「あら、言うじゃないメグミ。あなたの鉄砲撃ちが天才的にへたくそだからって、難癖つけられても困るわ。ほら、そのへっぴり腰で的を撃ち抜いてみなさいな」

「うるせえ! 私は武術一筋なんだよ!」


 メグミの的撃ちは恐ろしくなるほどの下手さだった。メグミには拳しかないのだ。彼女自身の強さと、機動力のアドバンテージによって、スヴァーヴァの戦闘力は確立されている。


「でも、それだけじゃ勝てない。一つを極めるんじゃなくて、全てをまんべんなくこなせないと本物には太刀打ちできない……」


 気が付くと、ソラはメグミの戦い方に文句を言っていた。意識せず自然と口から言葉が紡がれていて、咄嗟にフォローに入ったが、もう遅い。


「おい、ソラ。言うじゃねえか……」

「え? あ、あれ? いや、ちが、別にメグミが脳筋さんだなんて言うつもりは」

「よし、銃なんてちゃちいもんは投げ捨てて、拳の勝負といこうじゃねえか。かかってこい!」

「はぁ、ダメダメね、あなたたちは」


 マリが嘆息する。結局、朝の訓練は拳による格闘戦へチェンジすることになった。



「やっぱりちょっと、変じゃないー?」

「え? 何が?」


 吸っていたスポーツドリンクのストローから口を離し、ソラは訝しんだ。

 シャワーを浴び終え、休憩しようと外を歩いている最中、ホノカが不思議そうな顔になっていた。ソラに疑問の眼差しを送り、挙動の一つ一つを吟味するように見つめている。


「ソラがバカなのはいつものことだろ」

「んー、でもいつものバカさとはちょっと違う気がしてー」

「あの、二人とも? 私をバカじゃないっていう選択肢はないのかな?」


 と不満げな顔を浮かべるが、ここまでバカバカ言われ続けると本当にバカな気がしてくるのだから、人の頭というのは謎である。

 いつものやり取りと相違ないので、再びストローに口を衝けつつ歩いていると、ジャンヌの声が聞こえてきた。


「……というわけ。二人は安定してるのに、あの子の数値だけ異常なのよ」

「でも、お前はあの数値なんてデタラメだ、と結論付けたのだろう? 気を回し過ぎているだけじゃないか?」

「待って、お兄様。確かにこれは異常だわ。あの子だけ明確に変化している。数値が上昇すればするほど……適合すればするほどに、アンロックされる機能が隠されてるのよ」

「全く、外でのおしゃべりは感心しないぞ」


 ジャンヌ、モル、ロメラという金髪たちの集会を見咎めて、メグミが注意する。ジャンヌは冷や汗を掻いた状態で謝罪をし、ロメラはにこにこと、モルは余裕を見せていいではありませんか、などと微笑んでくる。


「たまには外での息抜きも必要でしょう。特に、胸のある女性は」

「何なんだよお前!」

「ま、まぁメグミ。落ち着いて……。どう、どう」


 グラーネを落ち着かせるように声掛けをすると、メグミは私は馬じゃねえとキレながらも、それ以上暴言は吐かなかった。

 このままでは険悪な空気になること必至なので、新しい飲み物を取りに行こうと提案し歩き出すと、去り際にジャンヌが服の袖を掴んできた。


「ん? 何か買ってくる?」

「違う、違うわ。真面目なお話。……あなた、最近どこかおかしいところとか、ない?」


 ホノカと似たような問いかけをされる。ソラはんー、と顎に手を当て考え込んで、強いて言うなら、と自身の変化を口に出す。


「最近、変な夢を見るようになったかな」

「どんな夢……?」

「優しい夢だよ。温かい夢」

「他には?」


 ジャンヌは驚きの眼でソラを射抜いてくる。他に……? と再びソラは考えて、


「あ、訓練のおかげか運動神経もよくなったよ」


 自分の思いつく限りの変化を報告すると、ジャンヌは落胆したようにベンチへ腰を落とした。


「もうちょっと劇的な変化はないの? 使えないわ」

「何で私が悪い子みたいに……」

「ソラ、置いてくぞ!」

「ああ、待ってよ!」


 先を行くメグミに呼びかけられて、ソラは二人の元へ走っていく。

 その背中を見つめていたロメラの言葉を聞き逃して。


「夢、か。その夢は本当に、あなたの頭が創り出した幻なのかしら?」

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