ヴァルキリーの馬
グラーネフォーム。ブリュンヒルデの愛馬の名を冠す、機動力に秀でた戦闘形態。
ブリュンヒルデに比べて装甲は軽量化され、目元を保護するために水色のバイザーが装着され、薄い青へと色素は変わり、装備される槍もスピアからランスへ変化している。
一番特徴的なのは、ソラが跨る馬の精霊グラーネだ。半透明な存在であるグラーネは空を猛スピードで駆けることができる。
『――グラーネフォーム、システム正常。オペレーティングシステムを再開します』
「グラーネ……。ふん、所詮はただの馬ではないか。馬如きがドラゴンに敵うと思ったか!」
オドムは喰われたはずのソラの顕在に驚いたものの、怖じることなく反撃に講じる。
ソラを吐き出したドラゴンが、ソラに向けて咆哮。しかし、ソラも彼女を乗せるグラーネも動じることはない。
「ソラ!」
「大丈夫!」
ソラはグラーネの手綱を握り絞め、驚異的な速さでドラゴンの体当たりを避けた。ブリュンヒルデとは比べ物にならない速さに、強者であるはずのオドムも驚愕する。
ドラゴンはまるでハエに集られたかのように苛立って、尻尾を振り回してきた。しかし、これもソラとグラーネを捉えることはできない。
ドラゴンはどうしようもなく遅かった。ソラとグラーネにとって、回避行動は赤子の手を捻るようなものだ。
「く、ならば!」
「うわッ!」
空中に大量の魔法陣が浮かび上がり、そこからたくさんのコウモリが召喚された。メジャーな使い魔の一つだ。さらにコウモリには火、水、風、土の四属性が付与されている。パラケルススの四大精霊の引用だった。
「あの男へのあてつけのつもりだったのだが、こうなっては仕方ない。死ね!」
「この量は避けられない……。だったら!」
ソラは方針を改め、グラーネから飛び降りる。グラーネも主の行動を予期していたように独自行動を開始する。
ソラは左手に丸い小盾を召喚し、騎兵槍をコウモリの群れに向けた。盾を構えながら、先端を大軍へと構える。
そして、銃槍と同じ要領で引き金を引いた。
「この槍は……ショットランス!」
槍から放たれた散弾が、四色のコウモリたちを蹂躙していく。散弾は集団の敵を同時に効率よく攻撃することが可能だ。考えなしの突撃を繰り返すコウモリたちにとって、その銃撃は殺戮の暴虐だった。もし、もう少し知能が高ければ回避もできただろうが、これほど大量のコウモリの一体一体に、回避行動をとれるほどの知恵を宿すことはできない。味方も召喚獣も使い捨てるものという考えを持つオドムだからこそ執れる物量戦略の賜物だ。
何となくだが、ソラはこの戦法で大丈夫だと考え付いていた。なぜだかはソラ自身にもわからない。強いて言うならグラーネが教えてくれたのか。
「小賢しい真似を!」
オドムは杖を構えて、ソラ……ではなく、グラーネへと突撃した。グラーネがグラーネフォームの核だと読んだのだろう。
グラーネは馬である。機動力の高く武装も所持するグラーネフォームのブリュンヒルデよりも、何も持たないグラーネの方が対処は容易だという理由もあった。
ゆえに、オドムは躊躇しない。そして、それはソラも同じだった。ソラもまた、何の行動もせず、自身に対して死の突撃を行うコウモリたちを排除し続ける。
「ソラちゃん! 今手を――」
「大丈夫だよ、ホノカ。メグミと自分の治療に集中して。私も、グラーネも大丈夫だから」
「どういう、ことだ……っ」
メグミが脇腹を押さえながら訊く。ホノカも似たような疑問を携えた眼差しをソラへと送っていた。
バイザー越しに見える多くのコウモリたちを掻き消して、視界の端に捉えるグラーネと、そこへ奔るオドムを見ながら、ソラは確信の面持ちで応える。
「だって、ヴァルキリーの馬は――」
ソラが応える瞬間に、オドムがグラーネへと追い付いた。杖をグラーネへと向け、炎の魔術で斬撃を飛ばす。
グラーネに斬炎が直撃――したかに思われた。倒したとばかりに達観し、勝ち誇った表情を浮かべたオドムだが、狼の遠吠えを聞いて再び瞠目することとなる。
「何ッ! ぐおッ!!」
「ヴァルキリーの馬は、狼なんだよ。知らなかった?」
ソラは最後の一団を散弾槍で打ち倒しながら得意げに言った。
ヴァルキリーと死はとても縁深いものだ。ヴァルキリーがエインヘイヤルを探しに行く場所は戦場。そこには勇者と成り得なかった死体がたくさん転がっている。名高き英雄たちも、生きたまま邂逅できるとは限らない。
たくさんの死体の中で高貴な魂を見つけるのは、ヴァルキリーの鑑定スキルだけでは難しい。そこで探索の役目を果たすのは、狼なのだ。狼が死体をより分け、高貴な者をヴァルキリーへと捧ぐ。そして、ヴァルキリーは狼に跨り、オーロラを通り道に残して、ヴァルハラへと帰還するのだ。
この知識はメグミたちは元より、オドムも冷静であれば気付けるはずの小事だ。しかし、ソラ以外の誰しもが、この場では冷静でいなかった。当然だ。ここは戦場。死と隣り合わせのバトルフィールド。この場で正気を保てるのは、恐れ知らずのものだけだ。そしてそれは、ソラ自身に他ならない。
「く、離せ!」
オドムは狼に右腕を噛み付かれて四苦八苦している。顔は焦りと怒りで赤く染まり、憎々しげにグラーネを罵倒してようやく拘束から解放された。
すぐさま、ソラへと憤怒の眼差しを向ける。怒り心頭と言った様子だ。マスターである彼の尊厳は著しく下降傾向にある。
「裏切り者風情が、私をコケにするだと?」
「……私は裏切り者じゃありません。あなたを殺す気もない。……戦闘をやめて頂けませんか」
ソラは怒るオドムへ勧告を口にした。聞いてもらえるとは思っていない。それでも口を衝いて放たれた言葉だった。
例え悪事を積み重ねた人であろうと、ソラは戦いたくないのだ。悪人だから殺してしまえばいい。そう考えることは簡単だ。
でも、そうやって憎しみを積み重ねて言った先にあるのは、拭いきれない悲しみだけだ。ソラは確信している。全ての戦の歴史が自分に集いつつあるように感じる。
憎悪や復讐は、類似する憎悪や復讐を生むことしかできない。復讐者が復讐を達成することで、復讐する権利を別の誰かに売り渡す。
憎悪を滾らせて人を殺せば、別の人に憎悪が伝染し、また別の誰かに憎しみが移る。
「あなたが怒るのはわかります。けど、堪えてください。お願いします」
彼がユーリットに行った仕打ちを考えれば、罰せられて当然かもしれない。
彼がトリグラフ基地にいた防衛軍人たちに行った暴挙を鑑みれば、殺されて必然かもしれない。
だとしても、ソラは彼を殺すことはできなかった。無論、罰は受けるべきだと思っている。
その罰は、生きて受けるべきだとも。
オドムに殺された、迫害された人々は敵を殺したくて戦っていたわけではない。
人を、大切な家族を、守りたいから戦っていたのだ。彼らの想いを、自分が踏みにじってはいけない。
だが、ソラの警告を聞いても、オドムは武器を置かなかった。
呆れたような、バカにするような笑声を漏らしソラを嘲笑する。
「バカめ。ここは戦場だ。子どもの戯れ場ではない! そのような腑抜けた思想の持ち主は、この私が一掃してくれよう!」
オドムは召喚獣を追加で召喚した。使い勝手のいいキメラが数体手綱基地周辺へと召喚される。
先日倒したタイプとは違う、改良の加えられた品種だった。全体的に黒い。火力、機動力が向上されている。
「お前は人が好きなようだな。どうだ? このままではお前の好きな人間が、キメラの餌へ成り果てるぞ?」
オドムはソラへ笑いを送る。邪悪な笑い声を。ソラの心が挫けると予測して。
しかし、その予想に反して、ソラは一抹の悲しみを表情に湛えるだけだった。
仕方、ないですね。そう呟いて、槍を構える。
「――なら、あなたを倒します」
と宣言した瞬間、ソラは忽然と姿を消した。
「何ッ!?」
予想外の瞬間移動に、オドムは慄くことしかできない。オドムがソラの存在を改めて知覚できたのは、下方にて暴れていたはずのキメラが悲鳴を上げて倒れた時だった。
「バカな。検知できない瞬間移動など、有り得ん……。いや、まさか――」
キメラの数はどんどん減っていく。ほぼ一撃死だった。強化型キメラはスペックこそ上昇しているものの、通常のキメラと決定的な差異はない。小細工を弄するヴァルキリー程度ならばこれぐらいで十分だと、高を括って用意された合成獣だった。
「――瞬間移動では、ない? 速い、だけなのか」
つまりソラはいつでもオドムを不意打ちで倒せたのに、それをせずに戦闘停止を促した、ということだ。
その事実を悟り、オドムは拳を強く握りしめた。怒りに身を委ねて、喉が張り裂けんばかりの怒声を上げる。
「ファフニール! ブリュンヒルデを焼き殺せ!」
「ファフニール……? ふん、バカねオドム」
オドムの呼ぶ名を聞いてメローラが呆れたが、オドムは気付かない。
ソラもまた気付く様子もなく、攻撃体勢に入ったドラゴンを見上げた。ドラゴンを相手取ることは可能だが、まだキメラが残っている。どちらを攻めるか逡巡したソラに、メグミが声を張り上げた。
「キメラは私たちに任せろ! 一発かましてやれ!」
「もう治癒は終わったよー! キメラぐらいなら大丈夫!」
さらに増援として現れた相賀が、アサルトライフルを撃ちながら戦列に加わった。
「ランチャーを持って来た。倒せるかは微妙だが、足止めくらいはできる。だろ? マリ、ヤイト」
『傷の応急処置終了……。援護射撃を再開します』
『街にいるキメラは、前以て仕掛けておいた擬似餌に引っ掛かってるわ。時間稼ぎぐらいはできるから、さっさと本命を討ち取りなさい』
ヤイトとマリの通信を受け、ソラは飛翔し倒すべき敵と対峙した。別地点でキメラと格闘戦をしていたグラーネもソラの元へと戻ってくる。
ソラは馬へと変化したグラーネの背中に跨り、自分を焼き殺さんとするファフニールへと突撃した。
「燃えろ!」
「燃えません!」
ドラゴンの咥内から放たれる魔力の塊。直撃すればヴァルキリーと言えども絶命は必至だが、如何な火力を持つ攻撃だろうと放てなければ意味がない。
ファフニールが火炎弾を放とうとした瞬間には、ソラのランスが魔弾へと突き刺さっていた。
「高密度の魔力を打ち消す! 貴様、魔女狩りの騎士へと身を落としたか! よもやアレックと同種の魔術師か!」
誰かわからない魔術師の名をぶつけられても、ソラに気にしている時間はない。短期決戦だ。これ以上時間は掛けられない。
ゆえに、ソラはグラーネを巧みに動かし、ドラゴンの身体中を猛スピードで駆けた。擦れ違いざまにランスを突き立てじわじわとダメージを与えていく。
「ドラゴンの鱗を貫く……? そうか、その槍……!」
「やぁあああああッ!」
オドムが槍のからくりを察知する合間にも、ソラは苛烈な突撃を続けていく。
あれほど猛威を振るったドラゴンが、なす術もなく弱っていった。ドラゴンの攻撃はソラとグラーネのコンビネーションアタックを捉えることができない。ドラゴンが爪を、牙を、体躯を、尻尾をぶつけようとした瞬間には、他の部位をソラが刺突している。
そして、それはオドムも似たようなものだ。グラーネフォームと召喚術は相性が悪すぎた。導師の位を持つ魔術師は、黄昏の召喚者の異名を持つ男は、ひたすらに狼狽することしかできない。
「そろそろ決着をつける!」
ソラはトドメを刺そうと弱まったドラゴンの正面へと移動した。グラーネの疾走で織り成す合体技。槍の先端に全ての力を収束させ、見る者を驚愕させる速度で放たれる強力な刺突撃だ。
しかし、真正面からの突撃はソラにとってもリスクが大きい。これぞ好機と確信し、オドムはファフニールにも突撃を命じた。
「死ね! ブリュンヒルデ――!」
必殺の念を込めて、敵の名を叫ぶオドム。ソラは槍を構えてグラーネと共に中背の騎士の如く突撃し、ファフニールもまた、自身の巨体を生かして敵を磨り潰さんと奔る。
両者は一瞬で交差した。まるで何事もなかったように、変化せず。
だが、その不変も刹那的なものだった。大地を揺るがすほどの断末魔をあげて、ドラゴンが手綱市へと崩れ落ちていく。
まずいかと焦ったソラだが、ファフニールは召喚獣だ。死亡すれば、死体も残さず消滅するのみ。
後に残ったのは、黄昏の輝きに煌めくブリュンヒルデだけだった。その姿は、奇しくも神話でファフニールを討ち取った恐れを知らない者のようにも見える。
「く、認めん……」
しかし、勝利したソラの姿を目視しても、オドムはまだ闘志を捨てていなかった。杖を強く握りしめ、抵抗の意志を声高に放った。
「まだ終わってない! 私はまだ負けておらん!」
「どうして、引いてくれないんですか」
ソラはグラーネから降りて、静かに問いただす。どうしてここまで追い詰められても諦めないのか。ソラには全く理解できなかった。
これが、ユーリットのように誰かを守るための戦いならばわかる。だが、どう推し量っても、オドムは自分のプライドを守るために武器を執るようにしか思えないのだ。
実際にオドムが保守するのは、自身の名誉その一点に尽きていた。
自分自身の名が上がればそれでいい。功績を積み重ねられれば構わない。オドムはそういう人種なのだ。
そういうタイプの人間や魔術師が多いことはソラもわかっている。その在り方自体を否定しようとも思わない。
ただ――それで誰かを巻き添えにして、傷付けるというならば――。
「引かないなら、倒します!」
「やってみせろ! 裏切り者め!」
と豪語するオドムの口元は、笑みを浮かべている。彼にはソラを倒す算段があった。
というよりも、ソラの、ヴァルキリーたちの攻撃パターンはもう読めている。ヴァルキリーは結局のところ魔術師を一人も殺していないのだ。とすれば、彼女たちが強力な火力を有する理由は、敵を殺さないという誓約によるもの。その誓いを破れば、ヴァルキリーの戦闘力は極端に低下する。と、オドムは分析している。
つまり、ブリュンヒルデはオドムを殺すことができない。殺されないとわかっているならば、多少強引な手段でも押し通すことができる。
「戦場で敵を殺さないというその甘さや良し! だが、その甘さが命取りになると知れッ!」
オドムは右手に杖を、左手に黄昏の剣を呼び出し斬撃と、魔力による衝撃波を繰り出しながら、ソラに向けて特攻する。防御度外視の、無策にも等しい正面突破。しかし、ブリュンヒルデは敵を殺せない。非殺傷の攻撃ならば、わざわざ避ける必要もない――。
「……仕方、ないですね」
ソラは諦観したように俯いて、すぐ顔を正面へと戻すと、散弾槍を構えて先程と同じようにオドムに向けて突貫した。
ソラとオドムの距離が近づく。スピードはソラの方が速い。しかし、オドムも負けてはいない。狙いをある程度予測して必要最低限の防護を張って、ソラを始末せんと空を駆ける。
槍が煌めき、剣が輝く。杖の衝撃波によってソラの盾が吹き飛んだ。がら空きになったところへオドムが剣を立てる。ソラは小手を使って剣を受け流す。杖がソラを殺さんと構えられる。ソラは槍で破壊しようとしたが、オドムは自分の身体に杖を密着させて、杖を守った。
「ふん、これで――」
「――やあああッ!!」
ソラは気合の叫びを飛ばして、構うことなく槍で突く。鋭い穂先が杖ごとオドムの身体を貫いた。
オドムは驚愕して、自分の左胸を貫く槍へ目を落とす。しかし、その驚きはブリュンヒルデが自身を刺し殺そうとした、ということに対してではなく、
「なぜだ……。なぜ……私は生きている……」
「グラーネフォームのショットランスは……敵の武装と戦意を殺ぐことに特化した概念武装。例え頭を貫かれたとしても、死にません」
魔術は法則を書き換える御業。自然法則も物理法則も、魔術による改変には抗えない。
魔術で法則を上書きすれば、不条理だって覆せる。逆に言えば、条理を不条理に変換することも可能だ。
この槍では絶対に人を殺せないとすれば、他の誰が何をしようと、この槍で人を殺すことは不可能になる。
「……逃げてください。あなたは、魔術教会の中でも重要人物なはずです。あなたが死ねば、教会側の攻撃は苛烈となるでしょう。でも、あなたが生きてさえいれば、教会側もそこまで大きく動きはしないはずです」
「私に生き恥を晒せというのか」
「……恥じゃないですよ、それは。私は……あなたのやり方に納得はできません。あなたのしたことも許せません。でも、だからといって、あなたを殺したい訳じゃありません。……あなたは人が嫌いなんでしょう? 別に、好きにならなくてもいいです。嫌いなままでもいいんです。でも、憎んで危害を加えることだけは……止めてくれませんか。お願いです。忘れないでください。人にも、魔術師を受け入れる者がいるということを」
ソラには難しいことはわからない。今吐露した想いよりも、もっと別な、高度な交渉テクニックが存在するのかもしれない。
でも、自分はバカなのだ。あまり頭がよくないのだ。そう開き直って、自分の胸の内に湧き出た想いをただがむしゃらにぶつける。
すると、不思議なことにオドムの戦意が引いていくことが見て取れた。元々、召喚士は戦闘向きの職種ではない。ファフニールが倒された時点で彼の敗北は決まっていたようなものだった。
ソラが槍をオドムの身体から抜き取る。オドムは呆けた表情で、ソラのことを見つめていた。
「お前はバカだ。敵を前にして殺さぬとは。ここは戦場だぞ」
「……かもしれませんね。でも、自分の心に嘘はつきたくないんです」
ソラはそう応えて、槍を手放す。その行為に、ますますオドムは慄いた。
このような敵が存在することを、初めて知ったのかもしれない。このようなバカがこの世にいる。長命である魔術師が初めて出会った、恐れ知らずのバカ。
「……後悔するぞ」
「それだけはないですよ。絶対に」
ソラは微笑をみせた。オドムが一瞬、自らの腕に記される魔法陣へと目を移す。術式を発動させようとして……諦めた。
術式を展開し、街中に放たれたキメラを回収。そして、最後にソラを一瞥すると、沈みゆく夕日の中に消えていった。
『チャンスを逃したわね』
マリが呆れるように通信を送ってくる。しかし、ソラはそんなことないよと即答する。
「違うよ、マリ。チャンスを掴んだんだよ」
右手を強く握りしめ、輝き出した月へと突き上げた。
※※※
「……私は小さなことにこだわっていたのか」
オドムは夜空を移動しながら浮き島へと帰還していた。瞬間移動で瞬時に浮き島へと戻ることも可能だったが、思考を整理する時間が欲しかった。
今までの人生全てを否定された気分だ。それも年端のいかない小娘に。魔術師である以上、見た目と年齢は一致しないことが多い。しかし、ブリュンヒルデは間違いなく子どもだと、オドムは確信していた。
子どもでなくては、あんなことを言えるはずはない。純粋に心から出た言葉を。
「何を言われたところで、人が弱者だという認識は変わらん。……それでも、奴はいいと言った。なぜだ」
普通の人間ならば、怒り狂うところだ。そして、魔術師に対して似たようなことを言い放つ。
お前は魔術という呪いに甘えている。そんなことを言った魔女狩りの狩人が何人も脳裏に浮かぶ。だが、魔道を志すということは並大抵の精神では成しえない。比較的簡易だと言われている召喚術も、独自に改良を重ねて、多大な魔力を込めて、発動せねばならない困難なものだ。
今の形を創り上げるまで、何百年かかったことか。無知の人間は恐ろしい。魔術に対して知識がないから、楽をしていると勘違いをしている。不死は魔術師が世の快楽を興ずるために生み出された魔術ではない。魔術を学び、発展させるために必要不可欠だった術式だ。
魔術が楽なものか。魔術ほど困難な学問をオドムは知らない。魔術には不変の法則が一切ない。同じやり方をしても、同じ結果を生むとは限らない。自分独自のやり方を、編み出さなければならないのだ。
ゆえに、同胞が培った技術を無に帰していくアレックが赦せなかった。こちらが数百年かかった努力を、一瞬で理解してしまうあの男が――。
「もしや、私は嫉妬していたのか」
負けて初めて、自分の小ささを自覚した。
何百年も生きていると、自分に絶対の自信を持ってしまう。他者や若造の考えを受け入れ難くなるのだ。
魔術師も結局は人間だったのだ。過ちを積み重ねても、誰かに指摘されるまで気付かない。
「…………」
脳裏に、師の言葉が蘇る。
――魔導とは失敗の積み重ね。我々のすべきことは、己の失敗を弟子に紡いでいくことだ。
その言葉と共に、原初の想いを思い出してきた。自分が何のために魔術を志したのか、すっかり忘却していた。
魔術は元々、人のために存在していたのだ。弱き人々を救い導くために魔術師は存在していた。
いつからだろうか。その想いが憎しみへと変わり、人を見下すようになったのは――。
「……遅いが、やり直す価値はある、か」
今更、なのかもしれないが。
それでも、これより後になって後悔するよりは、今動くべきなのかもしれない。
「――すっかり腑抜けたね、オドム」
「……む?」
急に声を掛けられて、オドムは停止した。普段とは違う帰路ルートを使っているため、警備の魔術師と鉢合わせるはずもない。
しかし、それは確かにそこにいた。オドムの行動を予測するかのように。
青い鎧に、青いマント。月灯りが反射して、麗しい顔が強調されている。
「メローラ、殿?」
「……今の私は青き衣の騎士。……あなたのような腑抜けは、教会に必要ないと思わない?」
「何を――ッ!?」
あまりにも一瞬過ぎて、オドムは反応できなかった。鋭い槍が、オドムの心臓に突き刺さっている。
ぬ、お、と息を漏らし、目を見開いて、メローラの顔を見る。そして、違和感に気付いた。
「お、まえは――メローラ殿ではないな……!
「ほう? 流石だな、オドム。……惜しいな。せめてお前が腑抜けでなければ、まだ利用する価値はあったものの」
「まさか――あなたは――生きていたのか……!」
「いいや」
メローラは彼女らしからぬ邪悪な笑みを浮かべて、応える。
「既に私は死んでいる。今の私は復讐心で動く、屍だ」
メローラは槍を抜き放った。ソラと同じ動作で、ソラと明確に違う結果で。
心臓を貫かれたオドムに、抵抗する術はない。瞳から光が消え失せ、ふらり、と不規則に身体が揺れて、通常の物理法則のままに海の中へと堕ちていった。
「――さらばだ。黄昏の召喚者、オドム」
メローラは、メローラの姿を模す何者かはオドムの死を確認し、夜闇の中へと掻き消えた。