聖人殺しの槍
聖人殺しの槍。それはメローラが持つアーティファクトの一つだ。
かつてキリストを刺し殺したと言われる槍は、巡り巡ってメローラの元へと辿りついた。
その名の通り聖人を殺した槍は、聖人を相手取る場合に対して最大の効果を発揮する。
「ふーっ。ばれてはないと思うけど」
と呟きながら、メローラは捕虜収容所の陰でロンギヌスの槍を魔術で仕舞った。
(でも、親父殿なら危ういか)
と思慮深く分析する横で、ベンチの上に寝かされていた少女が目を覚ます。
「ッ!? わ、私は」
「ここ、天国かと思った? ざんねーん、地獄でした」
と適当に茶化すと、ユーリットは本気でそう、ですかと騙されて、
「多くの人間を巻き込んだ私だもの、地獄に落ちて当然……」
「うん、澄ましてるとこ悪いけど、嘘だから。ここ天国でも地獄でもないから。ただのジョークだから」
というメローラの言葉に顔を驚かせた。
「え? どうして……私は爆死したはず……」
「あたしがロンギヌスの槍で起爆因子だけを破壊したの。ロンギヌスは聖人殺しの槍。つまり、聖人以外の人間は刺し殺せない槍ってことに改変することができる」
つまりは屁理屈でメローラはユーリットを救ったのだ。あの爆発はメローラが発動した陽動だった。オドム程度ならば騙し通すことが可能だ。傲慢なあの男は自分が騙されるとは夢にも思っていない。自分を大物と思うがゆえに小手先の罠に騙される。魔術師同士ではよくあることだ。
(あいつはお父様に顎で使われてることすら理解できてないし)
まだ利用されてると自覚している分、ユーリットの方がマシかもしれなかった。だが、だからといってユーリットの哀れさが減るわけでもない。
「……、あ、ユリシア……妹が……」
自分の置かれた境遇を彼女が思い出して青ざめる。ユーリットが妹思いなのは決死の想いで戦っていた姿から簡単に推測できる。
ゆえに、その動揺は必然だった。メローラは全て予想済み。だから、自分が次に放つセリフによって変化するであろうユーリットの表情も手に取るようにわかった。
彼女の肩を叩いて、にや、とほくそ笑み、メローラは言葉を放つ。
「そっちの方も大丈夫だと思うけどな、あたしは」
※※※
「騎士道精神の欠片もない者どもよ! 私が成敗してくれる!」
威勢のいい声を発しながら、ブリトマートは邪魔立てする魔術師たちを打ち負かしていた。主人自らのご使命である。
――オドムのことだから、どうせ人質でも取って無理強いしてるんでしょう。さくっと救って来てちょうだいな。
そう命令されたからには、使命を全うするしかなかった。そも、人質なんて愚行は人間がするべき低俗な行為である。そのような行いをしたからには、相応な報いを受けなければなるまい。
そこまで考えて、ブリトマートは少し躊躇した。人質を取って脱出しようとした知り合いに心当たりがあったからだ。
(う、うむ、違うぞ。決してジャンヌ殿を罵倒する意図はない……。いや、騎士たる者、例え脳裏の片隅に浮かんだ文句だとしても、誠実に謝罪せねば――)
と思考を回す横で、白いローブに身を包んだ魔術師が物陰から飛び掛かってきた。ブリトマートは難なく槍で気絶させる。
オドムはユリシアを複数ある魔術工房の一つに閉じこめていた。幸いなことにアレックの屋敷に近い森の中。ここならば、彼の仕業だと誤解させることができる。それに、少女を人質にとって無理やり戦わさせていたという噂が立てば、彼の名誉は地に堕ちる。実力があるがゆえ、存在がないがしろにされることはないだろう。だが、一部の魔術師たちにバカにされる。それはかの召喚士にとって耐えがたい屈辱なのだ。
(留守は“彼女”に任せているとはいえ、さっさと戻らねばなるまいな)
ブリトマートは主人の秘密の保守へ注意を割きながら、古びた屋敷の戸を開いた。
「む? これは」
と一番に目についたのは、昏倒していた警備の魔術師だった。何者かが先行し、オドムの配下を倒している。
味方であれば言うことはない。しかし、自分以外の同志が動いているはずはなかった。そのため、ブリトマートは隠密行動に徹し、慎重に廊下を進んでいく。地下への階段を発見し、音をたてないように進んでいくと、地下室から声が聞こえた。
「大丈夫だ、俺は怖い魔術師じゃない。あ、いや、普通、人攫いはこんな風に言うか。んーなんていえばいいのかねぇ、ほら、かっこいいお兄さんだ。スパイ映画で美女とついでに世界を救うタイプの」
魔術師らしからぬスーツに身を包む男は、訳のわからないことを言いながら怯える少女の前で中腰となっている。何やら危険な香りがしたため、ブリトマートは槍を片手に不意を打った。だが、男は優れた察知能力で槍の打撃を難なく躱し、たんまたんま、と飄々とした様子で攻撃行動の停止を促す。
「急くなよ、話を聞いてくれ。俺はこの子を助けに来た正義のヒーローだよ」
「英雄とは他者が創り上げるもの。自ら英雄を名乗る者はただのパチモンだと思われるが」
「オーケー、わかった。だったら証拠をみせる。ほら」
と言って男はスーツの内側から拳銃を取り出し、ブリトマートの方へ投げ捨てた。これで満足か? そう訊ねて来て、彼女の眉が吊り上る。
この男が使用していたのは現代銃。映画でアメリカのヒーローがよく扱うM9だ。
「不審な男め。よもや少女に手を出したのではあるまいな」
小刻みに震え青ざめる少女の額には包帯が巻かれている。状態が新しいので、男が巻いたのは明らかだ。
「仮死状態で放置されてたから、治療した。使用したのは活性薬。魔女の不死の薬を転用した奴だ。調べればすぐわかる。頭部に銃創があったため摘出処置をした。本業ってわけじゃないが、医療魔術には覚えがある」
「ふむ。しかし、お前の言葉が真実だという証拠はどこにもない。その話が本当なら、この少女は証人には成り得ないだろう」
少女は訳がわからないという風に周囲を見回している。この場所に心当たりはないようだ。それどころか、浮き島について説明しても理解が及ばないようだった。年齢こそ十三~十四といった当たりだが、精神年齢は六~七歳程度だと多少の会話から推測がつく。
「大方、人間に銃で撃たれた後、まともな治療も受けられずここに閉じこめられてたんだろう。彼女の精神はその当時のまま。学習能力もまた然り。これじゃあのお嬢ちゃんも必死になるわけだ」
「ユーリット、だったか。オドムの弟子の」
とブリトマートがメローラの報告に出ていた少女の名前を呟くと、少女はお姉ちゃん、と反応を示した。
「ふむ、やはり君がユーリット殿の妹君か」
「お、お姉ちゃんはどこにいるんですか」
「浮き島の下――いや、浮き島という単語自体の理解が及ばないか。ふむ、学ばなければならないな。世界のことを」
「おっと、教会内に彼女をおいておくつもりか? だとしたら容赦はしないぞ」
男が敵意を醸し出す。だが、ブリトマートは首を横に振って否定した。
「まさか。そんなことをすればオドムに狙われてしまう。ここは人も魔術師も線引きをせずに救い続ける聖人に頼るのが最善だ」
「……なら、いいが。どうやら俺の役目は終わったみたいだな」
と急に踵を返して、男が立ち去ろうとするのをブリトマートが呼び止める。いくら何でもおかしかった。そもそもこの男はどうやってユーリットの妹の存在を知ったのか? 彼女を救ってどうするつもりだったのか? そして、自分と主に牙をむく存在なのか? 訊きたいことは山ほどあった。
「貴様は何者だ? この少女を使って何をしようとしていた?」
「強いて言うなら人助け。お友達に頼まれたんだよ。最近、あの子は随分丸くなってな。最初は俺のことを敵視していたのに、新しい友達ができて変わったみたいだ。……これ以上言葉が必要か? 別に君と君の主に何かしようとは思わんさ、美人さん」
「……貴様、一体どこまで知っている」
「そういうのは秘密の方がいい。お互いにな。敵なのか味方なのか、今は些細なことだ。目的は共通。そして、君は悪人じゃない。なら、これ以上詮索し合う必要があるか?」
男は指をぱちんと鳴らして、拳銃を懐へと瞬間移動させる。そして、手をひらひら振りながら去っていった。
「……」
ブリトマートはその背中を油断なく見送った後、少女を抱きかかえた。驚くほど軽い。だが、同性に会えたこともあってか、少女からは幾ばくか緊張が緩和されていた。
「君、名前は? 私はブリトマート。借り名で申し訳ない。真名は明かせないのだ」
「……わたしは、ユリシアです」
「いい名前だな。可愛らしい。……これから、君は世界のことを知らなければならない。自らの境遇のこと、人間と魔術師のこと。幸いなことに君の姉君は存命だ。子どもが好きな知り合いにも心当たりがある。君もすぐ彼女と仲良くなれることだろう」
「お姉ちゃんが無事……良かった……」
ブリトマートの腕の中で安堵したようにユリシアは息を吐き、いつの間にか寝息を立てて眠ってしまっていた。今までの仮初の眠りではなく、自然な眠り。ブリトマートは凛とした表情から一転、女性らしい柔らかな笑みを見せて、オドムの屋敷を後にした。
※※※
「ってなわけで、保護したよ。あなたの妹は無事」
「ほ、本当! ありがとうございます! って、あ、あれ……? あなたどこかで」
メローラが妹の無事を報告して安堵したのか、やっとユーリットの人相判断力が仕事をし始めた。救出した後適切な処置をしたため、判断能力に異常はなかったはずだが、状況に思考が追い付いていなかったらしい。しばらくメローラの顔を観察して、あ、あ、あなたは! と驚愕した声を出す。
「メローラ様!? これはとんだご無礼を……」
「そうやって畏まる方が無礼だってこと、凡人はなかなか気づけないんだよねー」
「ひ、ひぃ、大変な失礼を……」
「だ、か、ら、普通に接してって言ってるの。どぅーゆーあんだすたん?」
「あ、あう……」
とユーリットは声を詰まらせて涙目になってしまったので、からかうのはこれぐらいにしておく。
「ジョークよ、ジョーク。メローラちゃんの小悪魔的な冗談。あなた、生真面目な人なのね」
「冗談なんですか……今のが? 本気に見えましたが」
「だったら本心ってことにして、ブチ切れて差し上げる?」
「あ、う、その」
「ジャンヌとはまた違った反応で新鮮だわ。どうせあなた、これから一生かけてお礼を、とか言おうと考えてるでしょ? だったら、あたしの友達になってちょうだいよ」
面白い子を見つけると、メローラはこうやって声を掛ける。ただし、いつも断られてばかりだった。今回も恐らくそうだろうな、とメローラは想いながら話し続けていると、
「と、友達ですか?」
と怖気づいたようにユーリットが顔を引く。
(やっぱりね)
という風に自嘲気味になるメローラだが、
「そんなことで、いいんですか?」
と問い返すユーリットに、目を丸くする。
「あら、それは承諾してくれるってことでいいの?」
「もちろんです! 私、あんまり友達できたことなくて……友達になってくれたら、すごい嬉しいです!」
「そんな風に言われると、何か考えてないか邪推しちゃうわねー」
「え、ええ? そんなぁ……」
メローラの他愛のない言葉を本気で受け取り、困り果てるユーリット。メローラはその姿がおかしくて、小さな笑みを漏らした。
「よし、どうせならあなたにはお仕事を依頼しちゃおうかしら。これからあなたは一度ソラの元にあいさつをしに行って、その後は聖人リーンのところで保護を受けて予定なんだけど、彼女の動向を探ってもらいたいのよ」
「マスターリーン、ですか。ごめんなさい、どういう方なのか知らなくて」
「ただのバカ」
「は?」
メローラの返答に、ユーリットは間の抜けた声を漏らした。しかし、事実なのだから、これ以上の説明をメローラは持ち合わせていない。
「言ったでしょう? ただのバカ。子どもが大好きで人間、魔術師問わずに子どもを救うため戦地を転々としているの。まぁ、会えばすぐバカだってわかるわ。ソラと同程度の馬鹿者ね」
「ソラさんと同じ程度のバカ……? ソラさんってブリュンヒルデを着てた人のことですよね?」
不思議な問いを投げてきた。そうよ、とメローラが首肯すると、ユーリットは顎に手を当てて考え込み、
「私は、ソラさんのことが偉大な人にしか思えないんですけど、どこがバカなんでしょう?」
「…………」
開いた口が塞がらないとはこのことだった。ソラがバカでなければ一体バカとは、誰を指すためにある言葉だというのか。
「あなたも、もしかしてバカなの?」
「えぇ、どうしてそうなるんですか? ソラさんは優しい人ですよ。敵である私のことを気遣ってくれましたし。ああ、メローラ様の優しさも遜色ないです。私からは、ソラさんもメローラ様も、同じ人のように見えます」
「なんかものすっごいバカにされてる気がするんだけど。私があのバカと同じレベルだって言いたいの?」
「あ、あ、お気を悪くなさらないで! 違います、違いますよ。お二人とも、優しいお方だなって」
「なんか物凄くあなたをいじめたくなってきた」
「ひぃ、恐ろしいことをおっしゃらないで! 気分を害したのなら謝りますから」
ユーリットはとても普通な、ありきたりの反応で頭を下げてくる。彼女は一度目の治療をした方がいいかもしれない。確かに青い色を好む点は同じだが、自分とソラが同じように見えるなんてことは有り得ない。
「とにかく、別れの挨拶とお礼をしてきなさいな。あたしもついてくから、大丈夫でしょ?」
「メローラ様が付いてくださるなんてとても心強いです! お気遣い、感謝いたします」
「っと、その前に……間違ってもあたしのことをメローラって呼ばないこと」
メローラが注意事項を口にすると、きょとんとユーリットが首をかしげる。
「どうしてです?」
「説明するより見た方が早いわね。よっと」
メローラは自身に幼児退行の魔術を行使し、ユーリットの眼前でロメラへと変身してみせた。魔術を司る者ならばそこまでおかしい変身術ではないのだが、ユーリットは心の底から驚いてほぁ、と妙な声を小さく漏らす。
「どうすればそこまで驚けるの? よければ伝授してくれない? 驚き方を」
「え、いやぁ、急に、びっくりしまして、ホント。すみません……」
「ふん、オドムは自分の召喚術しか教えなかったみたいね。さっきミカエルの召喚は強制発動の刻印式でしょ?」
ユーリットがもし自身の戦闘用の魔術しか教わっていなかったのなら、その驚きぶりも説明がつく。先程の戦闘を振り返り、思いついた魔術について言及すると、彼女は昏い顔ではいと頷いた。
「自縛タイプです。敵と戦闘状態に入ったら強制的に発動するように……。元々、強引な処置によってトランス状態だったので」
「なかなかハードな状況ね。オドムに純潔を奪われたりしなかった?」
「……え、メローラ様、そういうこと素で言っちゃう方なんですか……」
「本気でドン引きしないでくれる? ただのジョークだから」
じと目でユーリットを見上げる幼女形態のメローラはやれやれと肩をすくめた。ここら辺はもう少し頑張ってほしいと切に願う。ジャンヌぐらいにからかいやすい方が面白いのに。
「結構楽しめたし、行きましょう。どうせ葬式ムードだから」
「あ、はい! なんてお呼びすれば……」
「ロメラ。様付けて崇めてもいいわよ」
「あ、うん、そうですね……」
少しばかりユーリットの言動は気になるが、ここで足踏みをしていられない。
メローラはユーリットと共に歩いて行った。恐らく、ユーリットの死を嘆いているであろうバカモノのところへ。
※※※
一度病室へと運ばれたが、特にけがを負っているわけではなかったので、ソラはすぐに作戦室へと戻っていた。
部屋の中にはソラのほかにメグミとホノカ、相賀やマリ、ヤイト、コルネット、そしてジャンヌもいる。
遊撃隊のメンバー全員が、沈痛な面持ちで椅子に座っていた。なぜか、ジャンヌだけが神妙な表情を浮かべている。
「ユーリットさん……助けられなかった」
「くそ、後味悪いな……」
ソラが悲痛に呟くと、メグミが苛立つように自分の手を叩いた。メグミとしてもユーリットは救いたかったのだ。それは第七独立遊撃隊のメンバーの総意でもある。
この部隊は基本的に魔術師を倒すべき敵と認識しているが、殺すべきとまでは思っていない。一部の例外はあるが、無理やり戦うことを強いられている女の子を、嬉々として殺しにかかる人間はこの場にいなかった。
「……でも、気にしたってしょうがないでしょ。今はそのオドムって奴をどうやって倒すべきか考える時間のはず」
マリが冷静に当然のことを言う。その通りだとソラも思うのだが、なかなか割り切れるものではない。
救いたかった。助けたかった。どうしても。だというのに……。
ソラが泣きそうな顔となって俯いた。すると、ジャンヌが遠慮しがちに言葉を放つ。
「ね、ねぇ、みなさん。捕虜の私が言うことじゃないと思うんだけど、そこまで気にしなくてもいいんじゃないかな、と」
沈痛な想いで黙っている者が多い中で、その発言は浮いていた。皆の視線がジャンヌに集まり、彼女はう、と声を詰まらせ言葉が途切れる。
「お前、曲がりなりにも魔術師だろ。可哀想だとか思わねえのか」
「い、いや思う。思うよ? でも、ちょっとショックを受け過ぎじゃないかな……と」
「敵だと、悲しんじゃいけないの? ジャンヌさん」
ソラが純粋な気持ちで訊ねると、ジャンヌはますます追い詰められたように顔を引きつらせる。ああ、くそ、早く来てよ、と小さな声で呟いて、言い訳のように二の句を継いだ。
「立派な考えだとは思う。うん、あなたたちは立派。シャワーの件は納得できてないけど、私のことを殺さないでいてくれて、しかも信用までしてくれたし。……私が言いたいのは、もう少し希望を持ってもいいんじゃないかってことで」
とジャンヌが言葉を選びながら諳んじると、業を煮やしたメグミが怒鳴った。ジャンヌはうわっ、と悲鳴を上げて、椅子から転げ落ちそうになる。
「さっきからテメエ何なんだよ! こっちはやり切れない思いをどうにかしようと必死で――」
「さっきはお助けいただき、ありがとうございましたー! あなた方のおかげで、私は無事です!」
「はえ……?」
急に割り込んできた声で、間の抜けた声を漏らしたのはソラだけではない。今まさにジャンヌを怒鳴っていたメグミや、悲しそうに目を伏せているメグミも一緒だった。
マリはやっぱりね、と全てを察していたように呆れ、ヤイトは黙したまま何も言わない。ハンカチで涙を拭っていたコルネットは虚を衝かれた表情となり、相賀は苦りきった笑みをみせている。
作戦室の扉の前に、死んだはずのユーリットが立っていた。にこやかな笑顔で頭を下げている。
「ユーリットさん!? 生きてたの!?」
「はい、おかげさまで。ソラさん、あなたには感謝してもし足りません。私を術の束縛から逃がしてくれたんですから!」
ユーリットはまるで聖女を崇める信者のように、ソラの元へ歩いて羨望の眼差しを送った。死んだと思っていた人が現われて、猛烈な感謝を自分にぶつけている。ソラの頭はこんがらがり、ショート寸前だった。
「あれ? えと? 一体?」
「え、えっと、詳細を説明しますと、私はえーっと、前以て? 脱出術式を自らに掛けていたのです! 実は策士だったのです!」
ユーリットの説明はぎこちなく不自然な点が散見されるが、そんなことはソラの頭に入って来ない。ユーリットが生きているだけで十分だった。自分が救われたように嬉しい。
「何でもいいよ! 良かったーっ! 本当に、良かったーっ!!」
「ちょっと、もう少し真面目に話を」
「こうなったソラは周りの話を聞かねーよ。すまん、さっきは悪かったな」
ソラを注意しようとしたマリを窘めながら、メグミがジャンヌへと謝罪した。い、いやいいのよ? 私はオルレアンの乙女だし、と戸惑うジャンヌ。その姿を後ろで見ながらにやにやするロメラ。
「本当に良かったねー。死んじゃったと思ってたからー」
「うん、うん! この後はどうするの? 泊まってく?」
ホノカがソラに同調すると、ソラはユーリットにこの後の予定を訊ねた。
「い、いえいえとんでもございません! これ以上ご迷惑をかけるわけには……。むしろ、私の方からソラさんをおもてなししたいぐらいです。ソラさん、あなたは私の救世主です!」
「え、え? そうかなーあはは」
もう訳がわからなくなって、反射的に褒められたことを喜ぶソラ。そのやり取りを見ていたマリがぼそりと呟く。
「どうしてそこでドヤれちゃうのかしら」
「そこんところは私も同意だ。ソラは基本的に頭がおかしい」
「……え? 聖女だなんて褒められたんだし、当たり前の反応じゃないの?」
マリとメグミの会話を聞いて、不思議そうにジャンヌが訊き返す。マリとメグミは顔を見合わせて、これだから自己愛主義者はと嘆息した。
「え、ええ? 私がおかしいの?」
ジャンヌが困惑する間にも、ソラとユーリットの話は続いていく。
「ソラさん! このご恩は例え一生かかっても――」
「え? いや、それはちょっと。恩返しが欲しくて助けたんじゃないし」
「え、でも」
「情けは人のためならず、自分のためなり――。どう、少し知的っぽいでしょ。自分が助けたいから、助けたんだよ。だから、お礼なんていらないの」
感謝感激と言った様子で、ソラに謝礼を念出しようとするユーリットに、ソラは素直な気持ちを伝えた。
これは自分の一方的な、自己中心的な行動である。感謝されるいわれはない――。
だが、それはあくまで救い手の理論だ。一方的に救ったのなら、一方的に感謝されても文句は言えないはずだった。
「なら、私も一方的な感謝をします。例え、あなたに嫌われたとしても!」
「いや、嫌われちゃあ意味ないでしょ。あの二人、頭にうじでも湧いてんじゃないの?」
冷静なマリの突っ込みは、どこかずれている天然な二人には届かない。うーん、とソラは困り果てた顔になって、やっと解決策を思いついた。
「そうだ、こうしよう。感謝はいいから、私の友達になってくれないかな?」
ソラは自身が考え付く最善のアイデアを述べる。すると、ユーリットの後ろにいたロメラがごほごほと咽た。
ユーリットはきょとんとした顔となって、すぐに満面の笑顔を浮かべる。
「――はい!」
笑顔は伝染するもの。作戦室にいたメンバーは誰しもが笑みを浮かべ、自分たちの敵に勝利した喜びをかみしめていた。
その敵とは、魔術師のことではない。ましてや、人間のことではない。
姿の見えない何か。魔術よりももっと曖昧なもの。例え敵の正体が定かでなくとも、自分達の力が微弱でも、勝利であることは変わらない。
「で、君はこれからどうするんだ? 必要に応じて、援助するが」
傍観していた相賀がユーリットへ訊ねた。ユーリットは首を振って、少しおかしな日本語で答える。
「あ、大丈夫です。私はこれから聖人リーンという方に保護を頼むので。全部私の新しいお友達が取り仕切ってくれたので、安心安全です」
「信頼してるんだね、その子のこと」
あまりに嬉しそうかつ安堵の表情で告げるユーリットの顔を見て、ソラの口から自然と想いが衝いて出た。ユーリットはにこりと笑うと、ちらりとロメラのことを一瞥し、
「もちろんです!」
と元気よく声を張り上げて断言した。