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戦乙女の鎮魂歌  作者: 白銀悠一
第四章 策略
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天使降臨

 マリのことは気に入らないが、彼女の言葉は信用している。だから、メグミは彼女の助言通り、これから来るはずの敵の襲撃に備えて日課の訓練を終え、心地よい疲労感と共にベッドに潜り込み、手綱基地の寮で起床した。

 んーっ、と声を漏らしながら背伸びをし、眠い目を擦りながら立ち上がる。

 正直なところ、あまり朝は強くない。だから、人よりも早めに起きて寝ぼける身体を覚醒させるのだ。

 ゆえに、時計の針は五時を指していた。ソラとホノカももうしばらく経ったら起きてくるはずだ。その前にしゃんとしよう。そう考えて、メグミは洗面台へと向かった。


(しっかし、どこで敵の動きを察知してんだ? ジャンヌの野郎とは別口って言ってたけど)


 マリは工作員でありスパイ。アサシンですらあるらしい。隠密行動や情報収集に長けた諜報員で、メグミの想像もつかない手段を使って敵の情報を獲得してくる。彼女のような少女がそれをできるなら、防衛軍の大人たちにも悠々とできそうなものだが、実態はそうもいかないらしい。

 本部の連中は何を考えているかわからない。第七部隊の面々は口を揃えてそう述べる。彼らが無能ならばそれでもいい。でも、本当に彼らが無能なのかすら判断つかない。そうともマリは言っていた。暗殺でもした方が身のためだと。

 メグミとは異なる意見である。メグミはそうは思わない。というより思えない。そう思ってしまった瞬間に、ヴァルキリーという力を手放すことになるのだ。


(ちっくしょ、面倒くせえなぁ。さっさとケリをつけたいのによ)


 悪い奴を殴れば終わる。そんな単純な世界なら、もう少しマシな生活を送れたに違いない。

 メグミが青春物語を好むのは、戦争が起きていない世界に焦がれていたからだ。両親が生きていて、平凡な生活を送れればそれでよかった。特別でありたいと思ったことは一度もない。普通が良かった。

 でも、平凡な生活に飽き飽きする人間は、特別になりたいと願うという。これは人間のさがだ。珍妙だが、付き合っていくしかない。

 そのためにもまず、顔を洗わなければ。そう思って、メグミは蛇口をひねり、ぱしゃりと勢いよく顔を洗う。

 そして、ふーっ、とすっきりした声を出しながら鏡へと目を写し、


「はへ……?」


 という妙な声音を漏らした。

 唐突過ぎて、理解が及ばない。自分の顔に明確な変化が生じている。

 この現象が何であるか頭で考えようとしたが、無理だった。意味不明だった。理解不能だった。

 だから、メグミは思考を放棄し、慄くように後ずさり、


「な、なななんじゃこりゃあ!!」


 と、自分の顔を見つめながら大声を出して、パジャマのまま部屋を飛び出す。


「うわああああ、大変だ大変だ!!」


 どたばたと騒いで親友の部屋へと直行する。まず訪れたのはソラの部屋だった。えへへ、ワンちゃん、可愛いよ、などという寝言を放つソラを強引にベッドから叩き落す。


「うぐあっ!? な、なに……」

「た、大変だ。わ、私の……か、か」

「か……? 蚊にでも食われたの?」


 明確に変わり果てているというのに、バカソラはちっとも理解できていない。寝ぼけてんのか、と語調を上げて、二度ほどソラの頬をビンタした。


「はうっ、ほうっ! ひ、酷いよぉ……。何で私朝っぱらからメグミにぶたれてるの……。しかも二回も」

「う、す、すまん。これは流石にやり過ぎた……」


 殴ってから我に返ったメグミが丁寧に謝罪する。が、すぐにそれどころではないことを思い出して、自分の頭を指で指し示した。


「これ、これをみろ!」

「え……? 頭がどうかしたの?」


 ここまで強調してるというのに気づかない。メグミは混乱も相まって苛立った。しゃんとしろよ! と怒鳴って、びっくりしたソラが肩を震わせる。申し訳ない気持ちが心に巡ってきたが、非常事態なので今はおいておく。後でジュースを驕ることでちゃらとしよう。


「なになにー? 何を騒いでるのー?」

「ホノカか! なぁ、聞いてくれ――は?」


 目を擦りながら入ってきたもうひとりの親友に相談しようと思ったメグミはそこで固まった。まず頭に浮かんだのが黄色だ。

 ホノカは黄色だった。髪の毛が。目の光彩が。


「お、お前も、なのか……」

「あは、あはははっ! メグミちゃんおかしー。何で髪の毛が赤くなってるのー?」

「いや、いやいや! 人のこと笑ってる場合じゃねえし! 今すぐ鏡を見てこい!」


 自分の変化に気付かずに人のことを見てげらげら爆笑するホノカに、メグミは憤慨しながら洗面台を指さした。その間にようやくメグミの変化に気付いたソラが、あーっ、本当だ! と声を荒げる。


「メグミの髪が赤くなってる!」

「おせえよ一発で気付けよこのタコ!」

「ひいっ! で、でも赤いんだからメグミの方がタコ……デビルフィッシュさんなんじゃ……」

「わざわざ英語で言い直すな! くそ、どうすりゃいいんだ……? 不良になっちまった……」


 まず気になったのは自分の体裁だった。メグミは染髪などという不良めいた行為に手を染めたことは一度もない。なのに、いつのまにか不良少女にクラスチェンジしてしまった。いや、不良少女ならばまだいい。今や不良軍人である。

 メグミがくだらないことを悩んでいると、またドアが開いた。


「へぇ」


 感心するように、吟味するかのように聞こえてくる声。嫌な予感がしながら視線を向けると、案の定そこにはにやにやとした笑顔を浮かべるマリが立っていた。


「な、何だよその顔は……」


 マリはとても嬉しそうな顔だ。その顔がどうしようもなくムカつくがどうにかして平常心を維持しようとする。


「お前はこの変異の原因知らないか? 知ってるなら教えてくれ……一体私の身体に何が」

「ふふふっ。知らないわ。ごめんなさい、無知で」


 というマリだが、絶対知っている。知っていて面白がっている。メグミにはすぐにわかった。


「てめえ絶対知ってるだろ! さっさと白状しやがれ!」

「あはははっ。何のことだかわからないわ」

「この野郎!」


 とマリに掴みかかろうとしたメグミを、ソラが妨害してくる。離せ、このッ! と興奮したメグミが叫ぶにつれて大きくなるマリの笑い声。

 そこに新しくホノカの悲鳴が加わる。


「大変だー! 私の髪と眼の色が変わってるー!」

「くそーっ! 殴る! ぶっ飛ばす!」

「だ、ダメだよメグミ! 暴力反対!」


 焦りと怒りと笑いが混じり合い、朝の喧騒はしばらく続いた。



 ※※※



「信号機……」

「あぁ?」

「い、いえ何でもないわ。で、相談事ってこれのこと? 自分の色素が属性色に変化しただけじゃない」


 ソラの横で威圧的な声を出したメグミの声に驚き、ジャンヌは素直に説明した。

 今、ソラたちはジャンヌの牢屋を訊ねている。マリの仮説よりも本物の魔術師であるジャンヌの話を聞いた方が手っ取り早かったからだ。

 彼女の説明を聞いて、ソラが自分の青い髪を摘まむ。


「つまり、私のこれと同じってこと?」

「そうね。っていうか、第一症例があるくせに、何で聞きに来るの。冷静に考えればわからない? 普通」

「うっ。それは……」


 ジャンヌの指摘はもっともで、メグミが頬を赤らめる。ソラから見て、朝のメグミは冷静さの欠片も持ち合わせていなかった。だから、答えが目の前にあるのに、その答えを見逃して錯乱したのだ。

 とはいえ、ソラもメグミの気持ちがわからないでもない。自分の髪と瞳が青く染まっていたことに気付いた時、ソラもだいぶ頭を抱えた。当時は誰にも相談できなかったので、カラーコンタクトと染髪の組み合わせということにして誤魔化したのだ。


「色素変異は魔術師が魔術を使っていく内に発生する初期症状の一つなの。身体が魔術を受け入れて、その術式に合うように変化していく。人為的に色を変えることも可能だけど、多くの場合は心に無意識で浮かんでいる術式の属性色が反映されるわね」

「と、聖処女ラ・ピュセルは言ってるけど、ヴァルキリーシステムの場合は特殊だからあまり鵜呑みにしない方がいいわ。あなたたちは実際に魔術を使っているわけじゃないしね」


 というマリの補足を聞いて、ジャンヌもうーん、と考え込んで、思いつきを話す。


「魔道具に長く触れていると、その影響を受けると聞いたことがあるわ。症例があまりにも少ないから自信ないけど」

「魔術師は人間を忌み嫌うから、人間が魔術に長時間触れるとどうなるのかわからない。極端な話、あなたたちは哀れなネズミね。実験体よ」

「じ、実験体……」


 意地の悪い笑みを浮かべて放たれるマリの言葉に、ソラは顔を引きつらせる。形式上そうなのかもしれないが、実験体と聞くといい気分にはならない。たっぷりの薬で創られた、おぞましい何かになってしまった気持ちになる。


「でも悪影響はないと思う。少し魔力には敏感になるかもしれないけど」


 ジャンヌの結論を聞いて、メグミがホッと胸をなで下ろした。


「良かった良かった。身体に影響ないならそれでいいんだ」

「まー、これはこれで面白いよねー。不自然ってわけでもないしー」


 ホノカが髪を弄びながら言う。ごく自然な色合いで、染髪特有の不自然さは見られない。不思議なほどに似合っていた。


「さて、バカの杞憂が解消されたところで、訓練に戻るわよ」

「誰がバカか誰が」

「あら、バカって自覚ある分マシじゃない? 本当のバカは自分をバカだと気付かず、天才だ、と想っちゃってる哀れな奴よ」


 とマリがメグミを煽っていると、なぜだかジャンヌがぐぬぬ、と言い返したそうにマリを見つめている。マリの言葉はメグミだけでなくジャンヌにもそこそこのダメージを与えているようだ。元々マリは毒を振りまいていく話し方をする人間である。無関係な人にも突き刺さってしまうのかもしれない。

 しかしマリは気付く様子もなく、そそくさと出ていってしまう。はっとしたジャンヌが待って、シャワーを! と叫んだがマリが取り合うこともなく、以前にも増す絶望が彼女へと押し寄せた。


「じゃ、じゃあまたね、ジャンヌさん」

「シャワーシャワーシャワー……」


 ぶつぶつと繰り返し呟くため、しゃわーという奇声を上げているようだ。ソラは苦笑しながら独房を後にした。



 ※※※



 黄昏トワイライトは光と闇の境目がなくなる時間帯だ。ゆえに、召喚魔術を行う時は、夕方がふさわしい。

 しかし、そうも言ってられない場合もある。そのための部下であり弟子だ。


「私はブリュンヒルデを討ち、武勲を上げる。……私の成果は皆の成果であり、皆の成果は私の成果だ。敵は協力して倒さねば。そうであろう? ユーリット」

「はい……マスターオドム」


 オドムが有する神殿で彼の前で跪く少女はユーリット。オドムの弟子の一人だった。彼女の忠誠度は他の弟子よりも高い。敵を前にしてみすみす逃亡を図った黒毒の弓兵より戦闘力は劣るが、彼女が敵前逃亡することは万に一つもあり得ない。


「ユーリット。お前が成果を上げれば、今なお生死の境をさまよう妹も、喜んでくれるであろう」

「……はい」


 もはや虚ろな表情でユーリットは返事を返す。はいと頷く選択肢以外、彼女には与えられていないのだ。

 魔術師の大部分が大変革によって生まれた新しき子たちである。理由も原因も不明だが、二十世紀の終わり、世紀末に突如として魔術師が増加した。

 元々の数が少なく、科学の力に世界が呑み込まれるのを歯噛みしていた古き魔術師たちはこの変化を喜んだ。その喜びとは仲間が増えたというものではなく、使役できる弟子が増えたから、という意味合いだが。


(この変化は我らにとって朗報だ。……長きに渡り陰で潜んでいた我々が、ようやっと表世界に返り咲いた。後は名を上げるだけである。……現代魔術は世界に必要ない。私の影響力が増大した暁には、奴らを一掃してくれよう)


 オドムにとって目下の敵は、今から打ち倒そうと目論むヴァルキリーたちではない。同じ導師の地位を預かるアレックだった。

 奴は、これからは新しき魔術師たちの時代だ、という。魔術師が人間に敗北し追い込まれたのは、魔術狩りの騎士たちが強力だったからではない。魔術師側が傲慢だったからだ。それがアレックの持論である。

 しかも、こともあろうに近世から近代にかけて行われた魔術狩りに、アレックが加担している節が見られた。これもオドムが彼を敵視する理由である。アレックは同胞殺しなのだ。


(ミルドリア殿は近代魔術もあまり好ましく思っていないが、私は違う。クロウリー、ジル・ド・レ、ファウスト……。彼らを討ち取った罪は消えんぞ、アレック)


 オドムが知る著名な魔術師だけでも数えきれないほどアレックは殺している。オドムの後に生まれた新しい思想を持った魔術師。オドムほどではないが、彼も長命である。既に七百年以上は生きる魔術師だ。

 古今東西、ほとんどの魔術師たちは、自分が編み出した術式か、師から教わった魔導を習得し、その発展に心血を注いできた。だが、奴は違う。様々な魔術を学び、独自の魔術形態を創り上げ、傲慢にも同胞のやり方を疑問視し、一線を越えたなどと言われのない中傷を加えて殺したのだ。


「奴を火炙りにしてくれる……。そのための足掛かりだ。絶対に敵を逃すことは赦さん。妹のためなら、お前は命が惜しくないと言っていた。なら早急に己が努めを果たすのだな」

「はい……はい……」


 ユーリットははいしか言わない。その従順さを快く思う。魔術師は長命だ。一度不老の術式を自身に掛けてしまえば、弟子を残す必要も本来はない。それでも弟子を取るのは利便性があるからだ。

 例えば、今のように。

 彼女がヴァルキリーを倒せればそれに越したことはない。望み通り妹は返してやろう。その妹が生きてるかどうかは、自分には関係ないことだ。


「さぁ、行け! 私のために、魔術教会の未来のために、敵を討ち果たすのだ!」


 命じられるままに、ユーリットは転移する。彼女には選択権は残されていない。


「なるほど。そこそこ面白い話が聞けたな。さて、種族の壁を越えたお友達にメールでも送るかな」


 直後、そのやりとりを俯瞰していた黒衣かつきざなハットをかぶった男性がにやりと笑い、本来魔術師が使うはずのない腕時計型高性能デバイスを操作し始めたことに、オドムは気付けない。



 ※※※



「…………。残念、お楽しみタイムはこれまでね」


 訓練終わりの休息中、マリは唐突にそう呟いてソラに見せていた映像を止めた。

 ソラはぽかんと口を開けて、呆然としながら消えた画面を見つめている。今見せられていたビデオのせいだ。


「い、今の、何……?」

「あなたのお友達メグミの、あなたがヤイトにレイプされたんじゃないかって妄想して悶絶している姿。どう? なかなかエキサイティングだったでしょ?」

「エキサイトしないよ! ドン引きだよ! なにこれ、メグミ、こんなこと考えてたの……?」

「録画してて正解だったわ。あは、とっても面白いじゃない」


 と口調こそ面白がっているが、マリは携帯を見つめて深刻そうな顔をしている。これがマリの特技めいた切り替えの早さだった。同時進行とも言う。

 長きに渡り戦場で戦っていた戦士は、休憩と戦闘、日常と非日常を同時に行う。食事をしながら敵を殺し、敵を倒しながら休むのだ。談笑しながら、作戦を遂行することもある。

 異常な心理状態。だが、戦時下では、異常が正常とみなされる。


「何かあったの……?」

「敵が来るわ。準備しなさい。観測レーダーに引っ掛かったの」

「え? でも、魔術師さんはレーダーに引っ掛からないんじゃ」

「察しが悪いわね。そういうことにしときなさいってこと。私はあなたに全ての秘密を曝け出したわけじゃないわよ」


 と糾弾するような目で言われて、う、とソラは言葉に詰まる。

 もちろん、それはマリがソラのことを信用していないから話さないという訳ではないことを知っている。

 魔術師は人の心を瞬時に読み取る。記憶さえも読破してしまう。いかなる自己暗示や心理プロテクトも意味を成さない。一昔前なら危険視された情報の集約が一番安全なのだ。重要な秘密をたったひとりに溜め込めば、その人物が捕まらない限りは情報の流出は避けられる。

 とはいえ、これはこれでその人物の安全が脅かされるし、心理負担も増大する。ゆえに、大丈夫? とソラはマリを案じるのだが、彼女は取り合わない。


「むしろ私があなたに聞きたいくらいだわ。なぜ、あなたはそこまで底なしなの? 恐れを知らなすぎる。いや、恐れを知っていても気にしないで突き進む者、ね」

「わ、私は別に……自分に正直なだけだよ。自分のやりたいことを、自分の望む方法で、自分がしたい時にやるだけ」


 ソラは誰かのために戦うのではない。友達のため、平和のためと言っているが、結局は自分のためだ。

 自分が嫌だから戦う。自分が友達に会いたいから、戦う。


「ふん。他人の評価は関係なく、ただ自分のしたいことを行う……。そう言われたら、これ以上文句は言えないわね」

「ごめんね。何か自己中みたいで」


 と反射的にソラが謝ると、マリは先だって歩き出しながら応じる。


「突き詰めれば、自己中心的な人間しかこの世には存在しないのよ。生きるのも自分のため、人を救うのも殺すのも自分のため。自分のために動くことが種の繁栄に繋がると遺伝子に刻まれてるの。だからって無闇に人を傷付けるバカは論外だけどね。……正しいと信じてるなら怖じることなく貫き通しなさい。それがあなたの、ブリュンヒルデの努めよ」

「うん。ありがとう」


 ソラがにこりと微笑むと、マリも笑みを返しながら手に持っていた携帯を見せて、振る。


「礼には及ばない。謝礼はもう貰ったし」

「……え? どういう」

「さっきのあなたの絶句っぷりも録画させてもらったわ。後でメグミに見せるのよ」

「はえっ!?」


 くすくす笑いながら放たれた唐突過ぎる言葉に対し、ソラは驚くことしかできない。

 何とか取り返そうと試みようとして、踏み留まる。敵が来るって言われたし、そもそもマリがデータをそう簡単に消去できるように設定してるとは思えない。

 だから、戦いが終わった後にお願いするのだ。

 戦の後にやることがあるのは、とてもいい。死なないように頑張れる。



 ソラとメグミ、ホノカはそれぞれ基地の外へと集合して、後方支援バックアップ要員として、マリとヤイトが配置につく。

 相賀はコルネットと共に作戦室で様子を見守っていた。敵のタイプを見極めた後、状況次第ではパワードスーツを着こんで出撃する算段だった。彼は戦闘機パイロットだが、白兵戦も行える。相賀用のパワードスーツも、第七独立遊撃隊の装備に含まれていた。


『さー信号機ちゃんたち! ぱぱっと変身しちゃって!』


 青、赤、黄色。三つの色を持つソラたちの呼称は信号機で定着してしまったらしい。もっとかっこよくいかないものかとソラは頭を抱えるが、ソラの周りにはからかい好きな人間が多すぎる。例え、色の三原色でもあるよと訴えても、信号機の方が面白いから、などという理由で却下されるに決まっていた。


「とにかく、変身しよっか」

「おう」「そうだねー」


 ソラたちは一斉に念を送り、ヴァルキリーシステムを装着する。各自の脳内にはそれぞれの自動音声が流れ込み、オーロラの輝きの中、腕、胴体、足、頭とそれぞれの部位に装甲が追加されていく。


『――装着完了。ヴァルキリーブリュンヒルデ』


 ソラの頭に完了を知らせる言葉が響く。メグミはスヴァーヴァ。ホノカはエイル。近中遠のバランスのいい組み合わせの三人は、青、赤、黄色のヴァルキリーへと変身した。


『来たみたいだ。気を付けて』


 ヤイトの通信から間をおかずに一人の少女が滑走路へと姿を現した。幾度に渡る戦闘の末、最低限の補修しかされていない手綱基地の滑走路の真ん中に佇む一人の少女。

 灰色の髪に灰色の瞳。虚ろな表情で、幽霊のような希薄さ。今までの魔術師にみられたような闘志ややる気のようなものは一切感じられない。戦わなければいけないから戦う。そんな切迫とした想いが、意志のない身体に鞭を打っているようにも思える。


「……何だ、あいつ」


 メグミが不快そうな表情で呟く。敵の闘志が漲っていてもそれはそれで困るのだが、戦闘意欲が感じられないとなると、別の意味で戸惑ってしまう。

 倒してしまって良いのか、わからなくなる。こと、ヴァルキリーシステムを身に着けるに値する心理状態では。


「困ったねー。ここはソラちゃん流でいく?」


 ホノカも困惑しながら訊ねて、同じような当惑を胸に秘めるソラが息をのみながら頷いた。


「そ、そうだね。一旦、お話してみよう」


 二人に待っていてもらい、ソラは武器を呼び出すことをせずに歩いて少女に近づいた。息をしてるのかも怪しい不動作で、少女は立っている。ソラが近づいてもびくりともしない。


(このまま何もしないでくれたら、いいんだけど)


 この悲壮感溢れる少女が、何もしてくれないでいてくれたら。ソラは本気でそう願うのだが、それならばわざわざ敵の基地へ侵入をしたりはしない。

 案の定、ソラと距離が後数歩というところで、少女が苦しみ始めた。


「ッ!? 大丈夫!」

「バカソラ!」


 ソラが反射的に駆け寄って、その急いた行動をメグミが諫めようとする。だが、間に合わなかった。ソラも、メグミも。

 少女がたくさんの血を吐いて、背後に巨大な影が浮かび上がった。大きな翼を持つ人間。

 その姿を見て、ソラは瞠目する。


「て、天使……?」


 宙に浮かんでいたのは、天使だった。例え聖書に詳しくなくとも、名前くらいは聞いたことがあるかもしれない天使の代表格。天使に詳しい人間じゃなくとも、天使の持つ要素を全て兼ね備えた偉大なる大天使。


『ミカエル……? まさか、単独で天使を顕現できるはずが』


 マリが呆然としながら、回線に言葉を乗せる。ソラも驚いていた。勇敢で慈愛を持つ優しい天使。右手には剣を持ち、左手には金の天秤が輝いている。厳かな雰囲気を兼ね備えるミカエルは、神の右腕足る存在だ。七人いる御前天使の内、四大天使にも数えられ、魔王サタンの宿敵でもある。ミカエルは四大属性の火を司る、知性と慎重さの象徴。

 なぜ、彼が少女から強引に召喚された? かの大天使が、少女を触媒に顕現するとは、浅学のソラも信じられなかった。


『ソラさん、惑わされないで。その天使は偽物だ。魔術教会内では、無闇な天使、および神族の利用は禁じられている。さらに、天使を召喚する場合は、一人の魔力では到底抗い切れない。完全再現ではなく、紛い物のコピーだと考えればいい』


 とソラに助言を送るヤイトだが、けど、と苦々しそうな声音を付け足す。


『例え偽物だとしても、その威力は計り知れない』

「……っ。で、でも私たちの力を合わせれば……!」


 と二人に目を送ったソラだが、後方ではがちがちと音を立ててメグミとホノカが鎧を震わせていた。どうしたの!? と声を上げると、苦悶の声を上げながら、メグミは声を捻り出す。


「よ、よくわからねえが……っ。スヴァーヴァが戦闘を拒絶してやがる……!」

「わ、私の方も、似たような、感じっ……!」

「まさか、相手が天使だから……!」


 ヴァルキリーは下位の女神に分類される存在だ。だが、天使とどちらが格上かは定かではない。そもそも比較対象ではないのだ。

 しかし、相互の影響を受け合う可能性は否めない。今の魔術教会は古今東西の様々な魔術が混ざり合って

いる。ミカエルがヴァルキリーシステムに何らかの不調を来たしても、そこまでおかしい話ではない。


(でも、じゃあ、何で……?)

 

 ただ、だとすれば奇妙だった。なぜなら、ソラ自身は何も影響を受けていないからである。

 これがブリュンヒルデの特性とも言えた。ブリュンヒルデは神に抗ったヴァルキリーである。ならば、神の眷属が如何な概念魔術を使ったとしても、ブリュンヒルデと、恐れを知らない者であるソラには何の効果もなかった。

 ゆえに、ソラはミカエルの前で立っていられる。


「あ、あなたはその子に何をしたんですか?」


 ソラは恐る恐る、剣を構えて宙に浮かぶミカエルに尋ねてみる。だが、ミカエルは応えない。そこまで高度には再現されていないのだろう。ただでさえ負荷がかかるのだ。不必要な機能は排斥にするに決まっている。

 こふっ、と灰の少女の吐血が止まらない。ソラは心配になって、前にミカエルがいるというのに堂々と召喚主に接近した。

 だが、それは迂闊だった。ミカエルが目ざとく動く。その行為を敵対行動みなし、ソラへと斬撃を振るう。


「うわッ!」


 ソラは反射的に退魔剣で防御した。それでも、ミカエルよりも灰の少女が気になっている。

 クリスタルの時と同じ、いやそれ以上にひどかった。魔力の限界なんて生易しいものではない。端から限界は越えており、臨界すら突破して、稼働させているという表現の方がふさわしい。捨て身の選択だった。彼女は駒なのだ。ただ天使を召喚し、敵を倒すため維持させるためのパーツだ。


「……っ。そんなのは――受け入れられない!」


 オーロラドライブの出力を向上させ、ブリュンヒルデがミカエルの斬撃を弾き飛ばす。ソラは両手で剣の柄を握りしめ、しかと構えながら口上を述べた。


「天使が不条理に人間を殺すなんて、あっちゃいけないよ! あなたは私が救ってみせる!」


 もはや言葉を聞いているのすら判断つかない敵に向けて、ソラは誓いを述べる。その姿は、本来死ぬはずだった戦死者を庇った、ブリュンヒルデの姿に相違なかった。

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