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戦乙女の鎮魂歌  作者: 白銀悠一
第三章 悪夢
25/85

眠れる部屋の美女

 あれほどわくわくしていた旅路も、帰路は沈痛なものとなっていた。

 ブロッケン山山頂にあった通信基地は壊滅。有能な軍人だった大佐も死に、鉄壁の死体も確認された。銀の手錠のせいで防御術式を展開できなかったのだ。

 ソラの胸にわだかまるものは、味方の死を悼む想いや自分の不甲斐なさに憤る気持ちだけではない。


(クリスタル……)


 これらが全て、自分の友達によって引き起こされてしまったというやり様のない焦燥感も沸き起こっていた。

 不審な点はいくつかみられる。近場にいた第七独立遊撃隊よりも速く現れた本部の部隊が事後処理として基地の物品のほとんどを持って行ってしまった。遺されたのは遺体と大佐が隠し扉に保管していた記録だけ。しかし、これはすぐには解析できないため、こういう物に詳しいコルネットが担当する手筈となっていた。


「しょんぼりしててもしょうがないでしょ」

「うん……」


 対面の席に座るマリが励ましの言葉を掛けてくる。その通りだとソラは思うが、だとしても悲しい想いは拭えない。

 昔だったらここで泣いていたが、今のソラは違う。悲しくとも、涙を流すことはなかった。

 辛い気持ちは心に漂っている。それでも、本当に苦しいのは自分ではなく、クリスタルのはずだ。

 胸元に提げられたペンダントの紐を摘まんで、眺めてみる。その青は、今窓の外で広がる空と遜色ない綺麗さだった。



 手綱基地に到着した第七部隊は、まずいくつか回収できた遺品を解析へと回した。相賀はコルネットに遺品を渡しながら、ここからは俺たちの仕事だと言いソラたちに休暇を言い渡した。疲れていたので断ることなく、基地の中をぶらぶらする。まだ三時なので眠るには早かった。


「――そう、そっちではそんなことが。なるほど、そろそろ戻るべきかもね」


 何やら知的風な声音が聞こえて、ソラは気になって近づいてみる。だが、そこにいたのはロメラであり、きゃほーと幼女らしい声を上げながら走り回っていた。


「あれ? ロメラちゃんだけ?」

「そうだよー。何で?」

「今大人びた声が聞こえたから、てっきりここで誰か話してるのかと思って」


 と自分の勘違いを白状すると、ロメラが小声で何かを呟く。


「バカなのかわざとなのか」

「ん? 何か……」

「何でもないよ、ソラお姉ちゃん!」


 ロメラは元気よくそう応えて、ベンチに座った。ソラも隣に邪魔をさせていただく。

 何もすることがない時は空を見上げるのがソラの趣味だ。こうすると心が安らぐ。

 雲を数えたり、変な形の雲を見つけたり。積乱雲を見つけて雨が降るかなぁ、と予想したり、飛行機が飛んでいるのを見てあの飛行機はどこに行くのかな、と妄想したり。星を眺めたりもする。

 空はたくさんのことを教えてくれる。天気、時間、異変でさえも。


「空、大好きなんだね」

「うん。誰かと遊ぶのも楽しいけど、空を見るのも同じくらい好き」


 どちらがではなくどちらもだ。昔、空を見上げるのと友達と遊ぶことはセットだった。

 そこに明確な違いが現われたのは、クリスタルと別れた頃からだろう。


「大変な目に遭ったんでしょ?」

「……そうだね」


 ロメラが訊ねるのはブロッケン山であった出来事のことだ。だが、その詳細を話してもしょうがないと想い、相槌を打つだけで終わらせる。

 すると、新しくロメラが質問してきた。こちらの顔を覗き込むように首を傾けて。


「泣かないの?」

「泣かないよ、私は。泣きたいのは私じゃなくて、あの子だから」


 以前だったら確実に泣いていたとは思う。だが、今は違う。

 今はどうやってあの子と和解するかが大切だった。レミュたちはクリスタルを大切に想ってくれている。ソラと同じくらいか、それ以上に。

 だがその想いこそが最大の障害となっている。ソラがクリスタルのことを想えば想うほど、ソラがクリスタルに辿りつく道は遠のいてしまう。複雑な気分に駆られた。ソラとクリスタルの戦いは、友達同士、ひいては仲間同士の戦いだ。立場が違う。ただそれだけで、友達同士で戦わなくちゃならなくなる。


「…………」


 ソラはじっと巨大な青さを目にしながら考え込む。と、ロメラが感心したように呟きを漏らした。


「ソラお姉ちゃんも大人びた考えができるんだねぇ」

「それ、どういう意味?」


 どうにも何か重大な誤解があるらしい。優しく微笑んで自分が如何に大人かを説明しようとしたが、ロメラはまともに取り合ってくれない。


「だって、ソラお姉ちゃんってバカでしょ?」

「バカじゃないよ、私はとっても頭が良いよ」

「えー、バカだよ、バカ。みんなに訊いてもたぶんそう言うよ?」

「うっ……それは」


 本当にそう言いそうだったので、ソラは言葉に詰まる。気づくとソラの悪口談義に花を咲かせている場面に何度か出くわしたことがあるのだ。

 特にマリとメグミ。この二人は絶対に自分のことをバカだと言ってくる。

 引きつった笑みをみせたソラは、ロメラに向かって向き合うと、そ、そんなことないよ、と若干棒読みで告げ、


「うん、本当に、そんなことはないんだけど、メグミとマリには訊かない方向でお願いね」


 子ども特有の無邪気さを信じて頼み込む。その姿は実に情けないものだったが、自らの沽券を守るためならばしょうがないのだ。

 ロメラはにこりとはにかむとわかったー、と返事しながらベンチから降り、


「じゃあさっそく二人に訊いてくるねーっ」


 と暗黒微笑のようなものを浮かべて、走り去る。


「え、ええっ? ロメラちゃん、待って!」


 ソラはロメラの背中を追いかける。不思議と鬱々とした想いは消え去っていた。ネガティブイメージさえなくなれば、やることはすぐにでも思いつく。

 心の中でロメラに感謝しながらも、ソラは名誉を守るため駆けていく。



 ※※※



「ふぅー撒いた撒いた。バカをあしらうのは簡単で助かるね」

「……嫌味にしか聞こえないんだけど」


 檻の中で口を尖らせるジャンヌ。もうすっかり独房生活も慣れた様子で、馴染み切っている。

 そも、ジャンヌ・ダルクは敵国イングランドに捕まってしばらく牢屋生活を強いられた身である。その時に強姦されただのされてないだの、暴行を受けただの受けてないなど学説は様々あるが、現代に生きる自分たちにとってはどうでもいいことだ。戦争を行っていた当事者たちも、ジャンヌ・ダルク当人でさえも、彼女がここまで人気者になるとは思ってもみまい。

 今気にすべきは現在と未来のことだ。過去のことはどうでもいい。過去が好きな後ろ向き人間は、同種同士で仲良く争っていればよい。


「自分でバカという自覚がある分、まだマシじゃない?」

「私はバカじゃないわ、天才よ!」

「はいはい天才サマ。そんな素晴らしく頭の良く、頭脳明晰な天才サマならば、これからあたしが言おうとしたことを推理して看破してくださりますことでしょうにね」


 メローラは変な言葉でジャンヌを煽る。と、ジャンヌはもちろん、と胸を張ったが、出てくるのは言葉ではなく汗だった。冷たい汗をだらだらと流し、頭をフル回転させ、心なしか湯気のようなものが放出されている気がする。


「わ、わかるわけないわ……判断材料が少なすぎる」

「おや、おやおやー? 天才サマでしょうに。偉大なるジャンヌ・ダルクの名を借りるあなたサマならば――」

「わかった、わかったわ! もう降参するから、教えてちょうだい!」


 ジャンヌが頼んできたためいじわるタイムを終了し、メローラは満足したように笑みをみせ、指を弾いて空間に映像を浮かび上がらせた。


「アーサー……さん」

「素晴らしきクソ親父サマのご登場」

「か、仮にも自分の父親をそんな風に――」

「身内だから言うのよ。どうしてこんなクソ男を信奉する信者が現われるのかしらね」

「メローラ。人は何かを信じなきゃ生きていけない弱者よ。宗教、思想、信条、法律、自己、金銭、友愛、魔術、科学……。この世に生まれる人間はもれなく信者なの」


 真面目な顔でメローラを教え諭すジャンヌ。これでも彼女はジャンヌ・ダルクの再現術式を纏える聖人の一人だ。その純粋さ、純心さを器としたのである。困るのは、純粋過ぎて出世欲に駆られてしまった点だが。

 滅多に出ないまともな意見を聞いてメローラはそうね、と否定せずに同意する。他人を信じないとすれたことを言う奴も他人を信じないという自分自身を信じている。これは自分を信じないと言い放つ奴も同じだ。そいつは自分を信じないという自分を信じるという矛盾に陥っている。

 魔術も科学も、方向的には同じものだ。どちらもそれができると信じて具現化する。できあがりや工程に差はあれど、原初の気持ちは同じだ。それなのに争ってしまうのだから、人間というものは本質的に愚者である、と結論付けずにはいられない。

 だが、だからと言って高慢ちきに他者を見下す気は到底ない。人が本質的に愚かならば、自分だって愚者なのだ。同じ穴のムジナ同士、滅びないようによろしくやっていくしかない。


「たまにはいいことを言うわね、ジャンヌ」


 メローラが褒めると、なぜかジャンヌは頬を膨らまして、


「毎日いいことしか言ってないわよ」


 と不満げに言ってくる。メローラは小さく笑みをこぼし、本題へと戻った。


「さて、話を戻すわ。くそ親父……お父様は、鉄壁の死を利用して、戦争を再び激化させようとしてる」

「あそこで私が勝っていればなぁ。今頃、世界は私に熱狂して戦争は終わってたというのに」

「……、とにかく、防衛軍は壊滅するかもしれないわ。今度はロシア辺りが灰になるかもね」


 ジャンヌの妄想話はスルーして、メローラは話を続けていく。魔術師の強さは強力、なんて一言では済ませられない。特に人間の視点から見れば。

 魔術師が本気を出せばこの世から人間が一人もいなくなる可能性が十分にある。ならなぜ今人間が存在しているかというと、魔術師同士でしのぎを削っているからだ。仲良しこよしで同年代の流派と手を組んでいる連中も、その流派の中で自分の地位を高めようと必死でもがいている。

 今、防衛軍側で注目度が高いのはヴァルキリーだ。だから、下っ端に雑用させる間、高位クラスの奴らがこぞってヴァルキリー、ソラたちを狙いに来る。


「たぶん、我先にと動くのはオドム。野心家のバカだからね」

「一応マスタークラスよ。バカにするのは感心しないわ」

「マスターでも何でも、バカはバカよ。私は正直者なの」

「身体を幼児化させて偽装してるくせに……」


 ジャンヌの小言を聞き流し、メローラはアーサーの演説を止めた。バカの動きは御しやすい。オドムについてはそこまで重要視していなかった。

 問題は父親と、一部の古代、近代流派。そして、防衛軍側である。


「ソラたちの言い分を聞く限り、彼女たちは鉄壁を殺すつもりがなかった。戦闘を俯瞰していたけど、あれは完全な事故。でもそれは、あくまでソラたちの見立て」

「どういうこと?」

「防衛軍側の行動が奇妙なの。おかしなタイミングで砲撃をしていた。まるで、自殺しようとしたみたいに」


 ヘルヴァルドという強敵はいたが、あのまま戦闘を続けていれば、防衛軍はクリスタルたちに勝利していた。なのに、余計な茶々を入れたせいでソラたちにダメージが入り、結果として自滅している。絶対に攻撃が撥ね返される奴に銃を撃つことを攻撃とは言わない。自害である。

 対銃器戦闘の初歩魔術の一つが撥ね返しだった。魔女狩り初期は不意を衝いて銃で多くの魔術師が殺されたが、次第に魔術師は銃器に対抗する術式を組み上げて、銃はただの自殺用武器に成り下がった。


「防衛軍側も一枚岩じゃないって、この前言ってたじゃない」

「そうだけど、あの基地の指揮官は数度に渡り魔術師を撃退してるの。間違いなく名将ね。なのに、急に無策にも等しい砲撃をした。あなたのようなバカだったらわかるけど、まるで急に人格が変わったみたいに……あ」


 ジャンヌに対する罵倒を交えながら推論を述べていくメローラはそこで気付いた。そうか、そういうことか。一人で納得して、困惑したジャンヌが何がわかったのと問いを投げる。


「ふふふ、天才サマならすぐにでもわかるわ」

「メローラ!」

「まぁ、今は待っていて。まだ証拠がない憶測だから。ああでも証拠は隠蔽されるかもしれないから、真相は闇の中ね。でも、それくらいでちょうどいい。疑わしきは罰せよ。うふふ」


 メローラは自己完結し、策士のような笑みを浮かべる。好都合の材料が揃った。これで、理由づけはどうにでもなる。

 疑わしきは罰せよ。人間が犯す愚行の一つ。だが、愚かな手段と言うものは得てして利用しやすいものだ。

 それに。


「人間は本質的に愚か者。ならば魔術師も愚か者。そんな愚か者の種から生まれた愚者である私が、愚かな方法を使っても、何もおかしくはないでしょう? ねぇ、ジャンヌ」

「何でもいいから説明してよ。はぁ……」


 こうなったメローラは絶対に説明をしない。それを知るジャンヌが盛大なため息を吐く。

 それを後目にして、メローラは出口へと歩いて行く。これからの行動を彼女に伝えながら。


「というわけだから、一度浮き島に戻るわ。“彼”を起こしてこなくちゃ」

「え? “彼女”を起こすの? 正直、あまりいい案だとは思えないんだけど」


 示す言葉に食い違いが見られるが、双方ともそれを指摘することはない。計画は推し進めるものよ。そう応えて、メローラは転移魔術を起動し、浮き島へと転移した。




「んー、久しぶりに大人の身体ーっ。幼児姿は疲れるわ」

「お帰りなさいませ、我が主」


 青き衣の騎士へと戻ったメローラが背伸びをすると、ブリトマートが跪いて頭を下げた。顔を上げなさい、と言いながら部屋の奥へと進んでいく。ブリトマートの行動は素早い。暖炉の灯りが灯る室内に仕掛けられた罠は全て、主が帰還する直前に解除されている。


「彼を起こすわ」

「彼女……彼を起こすのですか。体調は万全だとは思いますが」


 しかし、性格に難があります、とブリトマートは進言してくる。その通りね、と彼女の意見を肯定しながらも、メローラは自分の考えを押し通した。


「でも、そろそろ必要よ。劇的な変化が近い内に起こる。あたしの勘がそう告げている」


 部屋の奥にある石壁を操作して、隠し扉を開錠する。本来ここに部屋はない。物理的に不可能な隠し部屋だった。だが、物理で不可能ということは魔術で可能ということである。設計上不可能な場所に秘密の部屋を創るのは、隠し事を持つ魔術師にとって普通のことだった。

 部屋には、中央に棺があるだけで他には何もない。メローラの秘密の大部分はこの棺に集約されている。中を覗くと、麗しい金髪の乙女が眠っていた。

 メローラは瞼を閉じるその乙女の顔に目を落としながら囁きかける。


「眠れる部屋の美女を起こすきっかけはどんなものなのかしら。ねぇ、あなたはどう思う……?」


 微笑を浮かべたメローラはブリトマートに目配せする。全てを察する彼女は命令される前に彼女が望む行動をとった。

 水の入った器を持ってくる。これは言わば目覚めの水だ。


「あなたは男になった王女ならぬ女になった王子。驚くでしょうけど、すぐに慣れるわ……うふふふ」


 メローラはブリトマートから器を受けとり、棺の中に眠る少女の口に流し込んだ。



 ※※※



 メローラが秘密裏に行動しているその頃、アーサーも策略のために動いていた。

 似た思想を持つ同志の一人が、ブリュンヒルデ討伐の任を請け負うと申し出てきたのだ。

 アーサーの部屋を訪れたオドムは、バルコニーで湖を眺めるアーサーに許可を求めていた。


「オドム。本当に貴殿がヴァルキリーを倒しに赴くと?」

「ハルフィス殿の危惧が現実味を帯びてきた。……ここは私があなたのお手を煩わすことなく倒すべきであろう」


 黄昏の召喚者の異名を持つオドムは、様々な魔物を召喚する召喚術師だ。その召喚術もさることながら、純粋に彼自身の戦闘力は高い。いよいよマスタークラスがヴァルキリーの討伐に動き出す。アーサーはこの事態を好ましく考えていた。


「下級魔術師には下級兵を。上級魔術師には上級兵を。実力を伴う者が実力のある者を打ち倒す。これはごく自然なことだ。わざわざ私に報告する必要はなかったのだが、それでも連携性を重視し我が城を訪れたこと、痛み入るぞ」


 アーサーが感謝を示すとオドムはとんでもない、と首を振る。


「これは見方によっては横取りとも言える所業。あなたに挨拶をするのは至極当然のことですぞ」

「横取りなどと。私は敵を倒すために戦の指揮を執っている。自らの利益を追求するためではない。敵を倒し、名を上げたいと申すなら、喜んで戦場を整えよう」


 アーサーがオドムの望むであろう答えを口にすると、彼は笑みを浮かべて再度感謝を述べた。礼を言われる筋合いはない。これはアーサーの予想通りの動きだ。結果として鎮静化にならざるを得なかった状況が、ヴァルキリーの出現によって動き出した。

 位の高い魔術師にとっても、下々の者にとっても、ヴァルキリーの出現は好機である。上の者は出世のための足掛かりに、下の者は憎き人間を倒すチャンスと成り得る。誰にとっても好都合だった。強敵の出現というものは。


「今までは、敵にもそれなりの強者がいたが、所詮それなりであった。敵が弱すぎるというのも、戦士にとっては辛かろう。功績を上げるためには、強い敵が必要だ。士気を高めるためにもな」

「如何にもその通り。……和平などする必要はありますまい。ヴァルキリーが現われたのなら、彼女を殺し、情報を解析し、人間たちを早急に叩くべきですぞ。アレックのような日和見主義者は、浮き島で夢物語を見ていればよい」


 アレックはもう解放した。アーサーにとって一番目障りなのが彼だ。流派の壁を打ちこわし、様々な魔術に精通し、確固たる意志を持つ抜け目のない男。正直なところ、オドムよりアレックの方が強く賢いだろう。


(最も味方に欲しい人材が敵であるとは。なかなか思うように事は運ばぬものだな)


 思い通りに進まないのはアレックだけではない。娘のメローラも何か良からぬことを企んでいる。アーサーの悩みの種は載積しているが、徐々に解決しつつある。まず、その一手がヴァルキリーだ。彼女が現われてくれたおかげで、計画は加速する。

 不安要素はもう確保した。あの少女はこれからずぶずぶと深みにはまり、堕ちるだけだ。もう日の元に晒されることはない。メローラの企みもささやかなものだ。娘の考えることも手に取るようにわかる。


「やはり、一番の邪魔者はあの男か」

「おお、アーサー殿。あなたも私と同意見か。……あなたの意向を得られるのなら、これ以上の後ろ盾はありはすまい」

「……そうだとも、オドム。私はあなたと同じ意見だ」


 オドムの薄ら笑いを見て、アーサーも似たような笑みを浮かべ返す。

 同意見なのは間違いなかった。アレックが邪魔者で、敵となる者は死ぬべきだ、という点に関しては。



 ※※※



 クリスタルたちについての問答を終えたアレックが帰還したのは、クリスタルが人殺しという重責を克服しかかった頃だった。

 クリスタルが部屋でノートパソコンをいじくり資料をまとめていると、突然部屋がノックされ、返事を返す間もなくアレックが入室した。


「マスター、アレック……」

「…………」


 何と言えばいいかわからない。独断で円卓の騎士の配下に属したことを謝るべきか? それとも、大切な時期にいなかった彼を責め立てるべきだろうか。もしくは、勝手にソラの元へ出撃したことについて謝罪する?

 クリスタルが迷う間に、彼は彼女の傍へと接近してきた。そして、唐突に手を上げる。


「っ!」


 殴られる、と思った。怖かったが、仕方ないとも思う。自分の行動がどれだけ愚かか、他人に言われなくとも理解している。

 だが、アレックはぶたずに、クリスタルの頭に手を置いて撫でた。すまなかった、と謝罪をしてくる。彼は何も悪いことをしていないのに。

 その手の温もりが、死んでしまった父親のようで、クリスタルの涙腺は決壊しかかった。アレックには相手の間違いを許容する器量がある。マスターの名を持つにふさわしい男だった。


「アレック……!」


 クリスタルは反射的に抱き着いた。大人げないかも、と一瞬思ったが、すぐに考えを改め甘える。彼は自分の父親のような人物だった。自分の将来の目標でもあり、命の恩人でもある。魔術を享受してくれた師でもあった。

 アレックがいるから、自分を保つことができる。友達を危険に晒す事態を起こしても、冷静に対応策を考えることができる。


「……アーサーについては私が処置しておこう。お前の友人についてもな」

「ソラのこと、ですね」

「エデルカに話を聞いた時は、やはりか、と思った。……何の因果かわからぬが、放置してはおけまい。そろそろ本腰を入れて動くべき時が来たようだ」


 アレックはクリスタルがまとめていた資料へと目を移し、瞬時に誤りを訂正させる。


「ここと、ここ。もう少し違う視方ができるはずだ。まずは自分で挑戦し、どうしようもない時は――」

「――私に頼りなさい、ですね。ふふ」


 師が教え諭す時の口癖を引き継ぎながら、クリスタルは作業に戻る。最大の味方が帰ってきた。最悪の状況だが、彼という師が付くならば、最良の結果で終わらせることができるだろう。

 クリスタルは確信しながら、キーボードを叩いた。


(ソラ、待っていて。あなたは必ず私が救い出すから。心強い仲間と、師匠と共に)

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