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戦乙女の鎮魂歌  作者: 白銀悠一
第三章 悪夢
20/85

ヴァルプルギスの夜

 ヴァルキリーシステムはいつでも装着可能だが、悪目立ちしないようにという理由から、現地へは航空機で向かうこととなった。

 ソラはメグミたちと別れて、ヤイトと一緒にドイツ行きの機体へと乗り込む。高速ジェット機の貨物室にはヤイトの装備品である黒色のパワードスーツとメイン武装であるサプレッサー付きスナイパーライフル。万能ライフルにマシンピストルなどといった銃器。近接地雷や機銃付ドローンなどハイテクオモチャが積み込まれている。

 反面、ソラの荷物は携行品が少しだけだった。着替えとケータイ、小物の入ったポーチ。食料や水は現地で調達できるということだったので、特に所持してはいない。


「楽しみ、とはちょっと違うかもしれないけど、外国ってワクワクするね」

「そうだね」


 対面席に座るヤイトが相槌を打った。が、それだけだった。ソラの危惧していた事態が発生している。


(か、会話が長続きしない……。だからこの組み合わせは嫌だったのに)


 ソラは異性との会話もそれとなくこなせる。敵意剥き出しの相手だと困るが、それ以外の人なら普通に会話することもできた。ヤイトを異性と意識して気後れすることもない。しかし、会話が可能だとしても話題がなければ続かない。話が続かなければ、このちょっとした外旅行は非常に退屈かつどんよりしたものとなる。


(そんなに時間は掛からないって言ってたけど、やだよ。何か話題、話題……)


 ソラが話のタネを探す間にも、輸送用ジェットが発進する。警告の後、急上昇。空を飛ぶことにはなれているので特に違和感は感じない。むしろ、肌に直接風が触れないことを身体が疑問視している状態だ。

 奇妙な感覚に身体がむずむずしたソラは、これから赴くドイツへと思いを馳せて、丁度良いタネを発見した。


「ドイツ語! ドイツ語ってかっこいいよね! 例えばジャンヌさんってクリークスゲファンゲナーなんだよ。意味わかる?」

「捕虜って意味だよね。知ってるよ」


 外国語にも精通するヤイトには既知の知識だった。またもや会話が終わりを告げる。

 耐えかねたソラは持ち合わせるコミュニケーションを遺憾なく発揮することにした。質問攻めである。何か一つでも興味を引く話があれば、そこから大輪を咲かせることができるはず。


「ヤイトさんは」

「さん付けはいらないよ。僕とソラさんは同級生だし」

「じゃあヤイト君」


 人にさん付けしなくていいと言いながら、なぜ自分はこっちにさんを付けるのだろう? ソラは疑問を感じながらも彼の意向に従う。今重要なのはそこではないのだ。


「好きな本とかは……。どういうジャンルが好き?」


 ヤイトは顎に手を当てて考え、答えを口にした。


「エッチな本かな」

「…………」


 予想外の回答だった。凍りついたソラに、ヤイトは冗談だよ、と真顔で言う。


「じょ、冗談。あは、あははは! 面白いジョークだね、それは」

「そうか。良かった。会話が弾むように少し趣向を凝らしてみたんだ」


 乾いた笑い声を響かせながらダメだ、とソラは本気で思った。センスが致命的にずれている。今のは同性に言うべき冗談だろう。流石のソラも、下ネタトークに付き合う技量は持ち合わせていない。


「な、何か趣味と呼べるようなものは?」


 引きつった笑みでソラが訊ねる。途切れたとしても話さないよりはマシなのだ。

 ヤイトはまた考え込む。ソラは祈りながら彼を見つめる。変なことを口走りませんように。


「女の子を観察することかな。ソラさん、君は美しいよ」

「……そ、そういう冗談はなしの方向で」

「冗談じゃないよ」


 ヤイトは表情の不動を維持しながら、唐突にソラの手を掴んだ。突然の予期せぬアプローチにソラもへっ、と変な声を出してしまう。

 じっ、とヤイトはソラの瞳を覗き込む。そも、ヤイトは以前ソラに婚約指輪を手渡してきたのだ。ハーレムがどうのと言ったマリの話を聞いて丁重にお返しさせてもらったが、まさかもしかして、という期待が彼女の心奥に未知なる感情の芽を植え付けて――。


「っていう冗談。面白かった?」

「……あぁ、うん。そうだね。すごく面白かった」


 同時にとても疲れた。ふへぇ、とたまらず息を吐いたソラは、窓を見やり、大好きな青空に癒しを求める。


(どうしてこんなことに!)


 ソラはやり場のない想いを空へぶつける。そうでもしないと心が挫けてしまいそうだった。



 ※※※



 イギリス行きの機体に乗り合わせる二人も、ソラと似たようなことを考えている。


「…………」

「……チッ」

「テメエ、今舌打ちしやがったな」

「あら、メグミ。あなた、空耳が聞こえるなんて耳鼻科と精神科を同時に受けた方がいいんじゃない? 病院を紹介してあげましょうか?」

「ふざけんじゃねぇ」


 適当にあしらってメグミはそっぽを向く。右に。そうしないと、窓側に座るマリと目が合ってしまう。


「何であなたが隣に座ってるんでしょうね」

「仕方ないだろ。お前とずっと対面するなんてどんな罰ゲームだよ」


 反対側の座席に座れば、メグミはマリと対面状態で機内を過ごさなければならない。それを避けるためには隣に座るしかなかった。決して広いとは言えない機内に加え、敵襲のことを踏まえるといつでもヴァルキリーに変身できるメグミがマリの傍から離れるのは得策とは言い難いのも理由の一つだ。


「罰ゲーム……ふふ、いいことを思いついたわ。ゲームでもしましょうか。どちらが上なのか」

「白黒はっきりつけるってか。いいじゃねえか。やってやろう」


 マリは携帯ゲーム機を二つ取り出して、メグミへと渡した。もしかして私と遊ぶ気だったのか? とメグミが疑うとマリは嫌がるように眉を顰め、


「冗談。コル姉が無理やり押し付けたのよ。あの人はいつも余計なことに気を回す」

「ああ、あのやけに元気いっぱいな……。それとなくソラと同じ匂いがする先輩か」


 ラテン系美女の異常なテンションを思い出し、メグミもマリと遜色ない顔つきとなった。

 珍しく意見があったわね、とマリは言いながらゲームを起動する。メグミもゲームは少し嗜んでいるので、操作方法さえわかれば彼女を負かす自信があった。ゲームでも勉強でも、勝利者は常に自分なのだ。


「えらく自信満々じゃない。たかがゲーム、されどゲーム。負けたらあなたは私の奴隷よ」

「言ったな? お前は今、生涯奴隷宣言を自分で宣誓したぞ」


 どちらも好戦的な笑みを向けて対戦モードを選択する。3Dアクションゲームだった。キャラクターと武器を選択して敵を叩きのめすというシンプルなゲーム。

 メグミは拳一貫のキャラをチョイスし、マリは銃を使う兵士を選んだ。ステージセレクトが終了したところで、ゲームスタート。


「浅はかね。銃相手に素手で挑むなんて間抜けのすることよ」

「間抜けはお前だ。そうやって拳の可能性を否定するから、頭に星をちらつかせることになるんだ!」


 ゲームに熱中するあまり、リアルでも声を漏らしてプレイするゲーマーは結構多い。しかし、彼女たちのバトルはそんな既存の没入現象とは一線を画していた。


「ハッ。へたくそめ。どこ狙ってやがる――」

「ふん、脳みそは空っぽのようね。自分が誘導されていることに気付きもしない」


 マリの射撃を躱していたメグミのキャラが、彼女の発言で避けさせてもらっていることに気付いた。マリに何かされる前に遮蔽物へと身を隠す。だが、その瞬間。


「じ、地雷か! 卑怯だぞ!」

「卑怯もクソもないわ。システム内にある機能を使って何が悪いの? そういうのはチーターやグリッチャーにでも浴びせときなさい」

「抜かせ。それに、いいハンデになっただろ。私の本番はここからだ!」


 メグミの操作する女格闘家は身体能力が高い。建物を悠々と飛び越えて、遮蔽物と遮蔽物の間を高速移動し射撃するマリの兵士キャラへと急接近。だが、いくら行動が素早くても動きが読めれば対処は容易だ。


「残念だったわね。あなたの移動パターンは見切った」


 マリが銃口をメグミのキャラの頭へと合わせた。トリガーボタンを押しこむ。弾丸は吸い込まれるように女格闘家の頭を撃ち抜く。

 そして、掻き消えた。何の前触れもなく、唐突に。


「なッ!」

「バカめ――それは分身だ!」


 体のいい囮として、メグミは分身を利用していた。その隙にこっそり兵士の背後に忍び寄っていたのだ。がばっ、と勢いよく背中へと飛び掛かる。マリのキャラが応戦するが、メグミの方が有利である……ように思われた。


「ッ!?」


 マリは肘鉄を女格闘家に喰らわせよろけさせた。格闘で劣るとみられた兵士はナイフを持ち近接格闘の構え。


「射撃戦が得意な者が、近接戦闘も得意でも何もおかしくはないわよね」

「くそったれめ」


 やはり一筋縄ではいかない――。メグミはこの戦いが長引くことを予感していた。恐らく、それはマリもいっしょのようだった。

 やりやすいように一時的にポーズ画面へと移行し、メグミはマリの対面席へ腰を落とす。束の間のシンキングタイム。メグミが次の一手を考えているように、マリも何かしら策を弄しているはずだ。激戦が予想される。


「私が勝つ!」

「勝つのは私!」


 ポーズ画面が解かれ、互いの奴隷権を賭ける死闘が再開されようとしていた。



 ※※※



 ソラが嘆き、メグミがマリとのゲームで決闘あそびをする真っ最中、ホノカはにこにこと相賀との会話を楽しんでいた。


「つまり、マリちゃんは友達が欲しいってことなんですねー」

「そうだ。天音が死んでからずっとひとりで訓練や任務の毎日だった。……保護役として不安だったんだがな、君たちと会ってから彼女はかなり変わってる。いい方向にな。もしかしたら軍を止めさせることもできるかもしれない」

「相賀大尉はマリちゃんを止めさせたいんですねー」

「それを言うなら……本当は君たちもな。子どもが戦争に出張る時点でその軍隊は負けたようなもんだ。その点に関しちゃ、教会も防衛軍もおあいこだけどな」


 総力を挙げて戦うと言えば聞こえはいいが、それで勝利しても残るのは大量の借金と深い悲しみ、胸糞悪い勝利だけだ。勝てば生活が激変するなどというのは指導者の甘い嘘で、民衆がそれを享受できることはほとんどない。

 ホノカは話を聞いて、なるほどーと合いの手を打った。


「戦術や武器で勝てる相手じゃないのに、なぜ人間は魔術師に戦争を吹っ掛けたのか。人間がそれほど愚かだっと言えば簡単だが、生憎事態はそれほど単純じゃない……。君にこんな話をしても仕方ないか」

「そんなことないですよー。新しい持論で面白いです」

「俺と言うより彼女の受け売りだがな。天音はずっと疑問視してた。人間が本当に愚か者なのか、という部分を。これは民衆が過激な思想に毒された結果ではなく、もっと別の何かのせいなのではないか、とな。真相は未だ不明だが……」


 話を聞きながらこの話をロメラに伝えるべきか悩む。ホノカが仲良くなった小さな(もしかすると大きな)お友達は、ちょっとずつ彼女に事情を教え出してくれていた。自分には目的があること。その目的にソラたちが利用可能か吟味していること。今のところは危害を加えるつもりはない、ということも。

 何より、ホノカの勘が告げている。ロメラは悪人ではないと。最低でも、人間を虐殺して愉しむ魔術師でないことは確かだ。


「……これを言えば、君のお友達にも伝わるだろ」


 いきなり確信した笑みをぶつけられて、ホノカはわかりやすく動揺した。


「な、何のことだかさっぱりー」

「嘘を吐かなくてもいい。俺は怒る気ないしな。……俺たちの目的には魔術師の協力が必要不可欠なんだ。いくらこっちが和平交渉したいって連絡しても向こうに突っぱねられたら意味ないからな」

「だからジャンヌちゃんに親切して、ロメラちゃんの自由行動を許してるー?」

「そういうことだ。まぁ、正直に言うと手の出しようがないってのが本音だが。今の俺たちはガラス製の壁に囲まれた家に隠れてるようなものだ。人間が作ったセキュリティなんて魔術師にとってはあってないようなものだしな。本気を出されたら防ぎようがない。幸いにも、人間の弱さが最大の防御システムとなってるけどな」


 人はとても弱い。雑魚がどんな策を企てようとも、魔術師の絶対性は揺るがない。そう多くの魔術師は考えている。ゆえに、事前調査も敵の動向も探らない。探らなくても勝てるのだ。強いのに弱者の真似事をする奴はただのバカだ。そんな考えが魔術師の中を支配しているため、軍は教会に対して隠し事ができる。

 とはいえ、そんな秘密など些細なものだ。実際に開発した新兵器――相賀の駆る新型VTOLペガサスやマリやヤイトが装着するパワードスーツなど――は魔術師に効果的な武装だと断言できない。それでも、防衛軍の脆弱な装備の中ではマシな方である。

 ホノカは相賀の、防衛軍の生の事情を知った。プロパガンダで虚飾されたフィクションではなく、正真正銘のリアルを。相賀は情報流失を促している。魔術師は人間のことを知ろうともしない。だから、こういう思想を持つ者がいることを知っていてくれ、というコネクション構築手段の一つだった。


「じゃあヴァルキリーシステムについても……」

「理解できないものを理解できないまま使うよりは、敵に情報が流れても仕組みを把握した方がいい。……まぁ嘘偽りなく伝えてくれることを祈るしかないな」


 相賀が肩をすくめる。自分の無力さと滑稽さに呆れてるのだ。

 そのしぐさをみて、ホノカは大丈夫ですよ、と胸を張った。自信に満ち溢れた瞳で。


「ロメラちゃんは悪い子じゃないですからー」

「どうしてわかるんだ?」


 素朴に疑問を相賀からぶつけられ、ホノカはまた無駄に自信に溢れる表情で、


「女の勘って奴ですー」


 と笑みを作る。

 その言動が他の誰かと被ったのか、相賀は参ったような笑いをこぼし、そうだな、と頷いた。



 ※※※



 会話が続かない時の最終手段は、眠ること。とは言うものの、意図したものではなく、ただうとうとしてうたた寝してしまったソラは、ヤイトに肩を揺さぶられて起こされた。


「着いたよ、ソラさん」

「あ、あれ? 飛行機にいたんじゃ……」

「車に乗り換えたんだ。最新機なら二時間もあればドイツに着く。寝てたから起こさないようにしたんだ」

「ご、ごめん……」


 自分が抱っこされて車に乗せられる図を想像し、気恥ずかしさと申し訳なさでソラは顔を赤らめた。眼前にはなだらかな山が見える。ドイツ中部にあるブロッケン山だ。

 かつて観光地として名を馳せたこの場所はかなり機械化されていた。砲台が設置され、多連装ミサイルを搭載した自走砲や前線では棺桶と称されあまり使われることのない戦車まで配備されている。


「ペガサスも何機かいる。……でも数が少ないな」


 ヤイトが車を降りて、辺りを見回す。ブロッケン山は魔女の饗宴サバトの一つ、ヴァルプルギスの夜が開催される場所とされている。春の到来を魔女たちが祝うとされ、魔術的に重要な地点だと防衛軍は考えここを防衛拠点とした。


「ヴァルプルギスの夜は元々、ただの風習の一つだった。それが異端視され魔女狩りの対象として恐れられたりもしたけど、現代では祭りとして扱われたりしたらしい。でも、今のブロッケン山は違う」


 ヤイトは魔術の痕跡らしい焼け焦げた木々の一角を見つめる。大規模な戦闘があったとソラも聞いていた。ヴァルプルギスの夜が開催されるのは四月三十日の夜から五月一日の未明にかけてだ。今は八月なので、防衛軍も油断していたところを魔術師に襲撃されたようだった。


「どうにかして撃退したみたいだけど、このままじゃ彼らは全滅する。僕らで対処しないと」

「そのために遥々日本から来たんだもんね」


 ソラは意気込む。ぐっと握りこぶしを作って。ハルツ山脈の最高峰を見上げ、その山頂へと目を凝らす。辺りに霧が立ち込めていた。


「気を付けて。ブロッケン山の怪物が出るかもしれない」

「調べたよ。自分が霧の中に現れるんでしょ? ただの自然現象だよ。本当に化け物なわけじゃなし……」

「そうとも限らない。魔術にはその自然現象を巧みに操る者も存在する」


 ヤイトは装備を付けながら言った。ええ、と狼狽しながらソラは彼の言葉を聞いていく。


「魔術師にとって自然とは自分に都合よく改変できるものを指す。油断してると危険だよ」

「わかってるけど、脅かさないでよ」

「脅かしたつもりはないんだけど」


 ヤイトが淡々と応じる。ソラは彼がパワードスーツに着替えるまで暇で辺りをぶらぶらしていた。のどかな田舎と軍事兵器のミスマッチ。不思議な光景が辺り一面に広がっている。

 今いる場所はふもとなので、頂上まで登らなければならない。魔術師の襲撃は予期できないので、ここで装備を整えて、周囲を警戒しながら山頂へと昇り、通信基地でもある防衛基地の指揮官と打ち合わせする予定だ。


「この辺りは魔力の力場であると考えられている。僕には影響ないけど、ソラさんとブリュンヒルデには何かあるかもしれない。気を付けて」


 不穏の一言を口添えて、ヤイトはパワードスーツへと着替えた。狙撃銃を構えて、再び車へと乗り込んだ。



 観光地として名を馳せていた頃は、多くの観光客で賑わっていたらしい山頂には、防衛軍の軍服を着た軍人しかいない。道中に魔術師と出くわすこととなかったことをホッとしたのも束の間、基地局の中で座る現場指揮官に挨拶をしに向かったので、すぐに緊張の面持ちとなった。


「例の増援部隊か」

「そうです。僕と、彼女」


 ヤイトが大佐と応対する。大佐は完璧な日本語を話していた。椅子に座り、濃い髭が特徴的な男の顔を見る。怖そうな人だ。何もしていないのに、ソラは怒られている気になってくる。


「ガキが二人か」

「ご不満ですか?」


 ヤイトが臆面なく、いつもの無表情で訊く。大佐は露骨に顔を歪めた。


「当たり前だ。どれほど屈強な戦士が来るかと思えば……子どもが二人とは」


 子どもだけで下に見られる。一瞬、そんな気がして、ソラはすぐに違うことに気が付いた。この人は子どもに任せて自分が後ろで待機する情けなさに打ちひしがれている。


「迷惑はかけません」

「迷惑をかけるのは俺らだろ。わかってるよ。好きにしろ」

「そ、そんなことは……っ」


 と反射的に声を出して、大佐にじらりと睨まれる。ソラは怖気づきながらも言葉を続けた。言いたいという気持ちがあった。


「も、持ちつ持たれつ、でしょう。私たちは私たちのできることをして、あなたたちはあなたたちのすることをする。迷惑だなんて思ってませんし、迷惑を掛けないように頑張ります!」


 間の悪く、どこかずれていたソラの発言だが、大佐は無視しなかった。わかったよ、と観念したように応えて僅かに笑みをみせる。改めてヤイトを見直した。


「そうだな、その子の言う通り適材適所だ。……相賀の野郎に言っておけ。お前に言いたい文句は山ほどあるってな」

「大佐は魔術師を撃退した稀有な実力者です。大尉の方から連絡してくると思いますよ」


 ヤイトが微笑んだ。ソラもぎこちなくはにかんでみせる。二人は無事にブロッケン山での自由行動許可を取りつけた。取らなくてもよかったのだが、取った方が円滑に進められる。


「ゲーテのファウストのようなことが起こるかもしれん。もしメフィストフェレスに出会ったら、どんな奴だったのか教えてくれ」


 大佐の冗談を聞きながら、ソラたちは部屋を後にした。


「大佐は好意的な人だったね」

「魔術と直接対峙したことのある人は、意外と僕たちの方針を受け入れてくれやすい。でも、魔術師と戦ったことのない人は僕たちのことを疎むんだ。旧来の常識に縛られているからね」


 再び外の空気を吸い、霧の中へと身を繰り出したソラたちは、山の中腹へと移動した。敵が攻めてきた方角は毎回同じらしい。そのため、ソラたちも北側へと移動し、ここで敵が来ないかを待つ。根気との勝負が予想された。


「テントを持ってきたから、野宿だ」

「え? 私、そんな話聞いてないよ?」


 素知らぬ顔で言うヤイトに、ソラが焦って問い質す。言ってなかったかな、とヤイトは首を傾げたが、どうでもいい事柄のように運転席へと乗り込んだ。


「ちょ、ちょっと待って……。嘘、本当に? え? そんなぁ!」


 泊まることになるとは考えていたが、ふかふかのベッドが約束されているとばかり思っていた。そんなソラの能天気な考えを一蹴するように、ヤイトはエンジンを始動させる。

 ソラは苦心したが、大佐にああ言った以上、ソラもやるべきことをしなければならない。諦観し、ため息を吐きながら、助手席のドアを開けた。



 ソラが野宿しないで済む方法は、今日中に魔術師が現われること。そうすれば、霧の立ち込める山の中で寝泊まりする必要はなくなる。

 だが、ソラの希望を打ち壊すかのように、魔術師は現れなかった。テントの中では、ヤイトがパソコンに魔術師の情報を打ち込んで分析にかけている。

 ソラはというと、切り株の上に座り、不穏な空気漂う夜闇の中で嘆息していた。


(話し続かないから辛いのに……)


 加えて異性との宿泊である。やはり少し気まずい。ヤイトは平然としているが、ソラはそこまで割り切れなかった。


「何かないかなぁ」


 ぼそりと声を漏らし、何かに期待してみる。すると、ソラの期待に応えるようにして、その何かは訪れた。

 霧の量が凄まじい勢いで増えている。


「うっ、寒っ」


 寒気を感じて震えた。そこで初めて前の霧が霜であることを知る。霜が到来していた。ドイツの夏は日本に比べてはるかに涼しいが、今日はそこそこ暑い日で半袖でも問題なかったというのに。


「何が……?」


 違和感を感じて立ち上がると、ずしん、ずしんと地響きを伴う重量感のある足音が聞こえてきた。何か大きな巨人のようなものが近づいて来ている。咄嗟に、ソラはヤイトへ呼びかけた。


「ヤイト君、ヤイト君! ヤイト君……?」


 テントへと向かい入り口を開けると、そこにヤイトの姿はない。ソラの知らないうちにどこかへと行ってしまったようだった。

 そうしてる合間にも、巨人は歩みを止めることなく接近する。霜の中からソラの数倍の大きさはあろう巨人が姿を現し、中腰で彼女を見下ろした。


「あ、あなたは……?」

「人は巨人には勝てんぞ。ブリュンヒルデ」


 名乗らずに、巨人は手を伸ばしてくる。ソラは変身しようとするが、指環が指にはまってなかった。えっ! と驚く彼女の声は、巨人の手の中でくぐもる。


(何が……っ)


 ソラの疑問は解消されることもなく、巨人はどんどん山を登っていく。しばらく経って、ソラは地面へと解放された。かはっ、と息を大きく吸い込んだソラは、魔女の饗宴の真っただ中に放り出されたことを悟った。


「なっ……うっ――」


 悲鳴と嬌声が不協和音の音楽に混じって聞こえる。一度目を凝らせば、魔女が悪魔と性交をし、次の瞬間には魔女が火を点けて人間を燃やしている。踊っていたり、悪魔に供物をさし出したり、鍋で人肉のような物を煮込んでたりもした。


「違う……。これは、魔術師はこんなことしない!」


 似たような映像をソラは見たことがある。大規模な魔女狩りの発端となった、魔術師の実態というタイトルで、リアルドキュメンタリーを銘打って放送されたテレビ番組だ。とてもCGとは思えない精巧な作りで多くの人間が騙された、とソラは考えている。ソラの知る魔術師はこんなことをしない。こんなことをする必要がない。

 こんなことを、するわけがない。


「魔術は、魔術師はこんな悪辣なことを絶対に――」

「――あなたが、何を知っていると言うの? 魔術師でもないくせに」


 後ろから声を掛けられて、ソラは振り返る。背後には、空を見上げてずっと焦がれていた大切な友達が立っていた。


「クリスタル……!?」

「知ったかぶりを振りまいてる。魔術師じゃないのに。ただの人間のくせに」

「あ、あなたが教えてくれたんだよ! 魔術師は悪い人じゃないって! 恐ろしい人じゃないって!!」

「そう……あの時の私は子どもだった。何にも知らなかった。魔術を覚えた未熟者だった」


 クリスタルは歩き出し、台の上に寝かせられる人間の前で止まった。遅れて、ソラは苦悶の表情を浮かべる人が自分の親であることを知覚した。

 クリスタルは冷酷な瞳でフリントロックピストルを抜くと、ソラの父親の頭に銃口を突きつける。


「何するの! 止めて!」

「無理」


 クリスタルは躊躇いなく引き金を引いた。ソラの前で父親が銃殺。


「お父さん!!」

「別にいいでしょ。あなたは父親が嫌いで、父親もあなたが嫌い」

「違う! 誤解で仲違いしただけで、私とお父さんは……!」


 ソラは言葉に詰まった。どうだったのだろう。私とお父さんは。お母さんは。

 優しかった頃の記憶より、ソラと喧嘩していた記憶の方が印象深い。魔術は危険だから近づくな。クリスタルは危ないから、いっしょに遊ぶな。

 そう言って、ソラのことを何度も怒った。違うと言っているのに聞いてもらえず、殴られたこともあった。

 もしや、本当は憎かったのではないか? 言うことを聞いてくれない自分が。


「次は、母親」

「待っ」


 てくれ、という暇さえなかった。銃弾が母親の頭を貫き、即死させる。ソラは自分の両親をみすみす見殺しにした。


「良かったね、ソラ。これであなたの考えを否定した人間はいなくなった」


 クリスタルが今までみせたことのない、嬉しさが充満する笑顔をソラへと向けた。しかし、その笑顔は伝播しない。ソラは笑えなかった。笑わない自分に心の底から安堵する。自分はまだ人の心を喪っていない。


「笑わないのね。そうか、まだあなたの考えを否定する敵はいるんだ」


 クリスタルが残念そうに顔を俯かせた。後、約四十二億人。そう声を漏らす。


「それだけ殺せば、人類を絶滅させれば……あなたはまた、友達になってくれる?」

「そんなことしなくても、私はいつでもあなたの友達だよ」


 問われて、答える。考える時間すらいらなかった。心から発せられた言葉だ。

 しかし、ソラの想いを聞いても、クリスタルは無関心にそう、と呟いて、


「やっぱりあなたは裏切り者」

「っ、どこへ?」


 どこかへと彼女は歩いて行く。ソラを置いて。あの花畑から、ペンダントを渡して去ったのと同じように。

 追いかけると、先には巨人がいた。ソラを攫った時と同じ巨人。霜と共に現れた巨人。

 北欧神話で神々と対決した巨人は全て、霜の巨人ユミルを祖としている。ユミルがオーディンに殺されたことへの復讐心から、ラグナロクは起こるのだ。


「待って、クリスタル! いっしょに行こう!」


 ソラは手を伸ばして、呼びかける。だが、その手は届かない。いつの間にかブリュンヒルデの姿となっていたソラの手を、クリスタルは掴んでくれない。


「残念だけど、それは無理なの。だって、私はもう堕ちてしまっているから」


 クリスタルの拒否に呼応して、巨人が動く。隣に置いていた棍棒をおもむろに掴み取り、


「じゃあね、ソラ」

「クリスタル!!」


 ソラの目の前で、クリスタルを叩き潰す。強烈な打撃で潰されたクリスタルは、まともな死体すら残らなかった。


「嘘、だ」


 ソラは膝を付き、崩れ落ちた。涙がぼろぼろと零れ落ち、地面に着く前に凍りつく。


「いやあああああ!!」


 ソラの絶叫は、霜の中に掻き消える。誰の元へも響かない。

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