ブリュンヒルデ始動
――人類防衛軍の敵は誰ですか?
このような問いの答えを、軍学校に所属した時に言わさせられる。ソラは躊躇いがちに答えたが、あやうく不合格にさせられるところだった。
百点満点の答えは魔術師。しかし、そう言うべきところを、彼女は“悪い”魔術師と余計なひと言を付け加えたのだ。
そのせいで、面接官にきつく睨まれた。ただ丁度その時面接対応をしていた女教師が、間違ったことは言っていませんとソラを庇ってくれた。
そのおかげで、ソラは軍学校に通えている。もはや人としてすらカウントされない、魔術師と戦う戦士を養成する学校に。
「魔術師……さん」
ソラの大好きな空に浮かぶのは、古来の魔術師の格好をする少女だ。黒いローブにとんがり帽子。魔法使いや魔女と言えば、多くの人が思い浮かべるであろう格好を魔術師はしている。
「避難するぞ、ソラ!」
魔術師に見惚れているソラの手をメグミが引く。しかし、
「待ちなさい」
と反対側の手をマリが掴んで止めた。
「どうしてだよ! 危険だ!」
「シェルターに逃げたところで危険なことには変わりがない。それに、ここら辺の部隊じゃ勝ち目がないわ」
「防衛軍が負けると言うのかよ!?」
「むしろ勝つ方が稀。わかってるでしょ? 教員たちはお茶を濁していたけど。勝ててるなら、世界の半分も奪われてないわよ」
北米と南米大陸は既に魔術師の手に落ちている。世界地図の約半分が、魔術師の手中に収まっている。
それでも学校の教育では、魔術師相手に有利に防衛軍は立ち回っていると教えられた。それが真実かどうかは不明だが……。
「だったらどうするんだ!」
メグミは興奮気味にまくしたてる。マリは知らないかもしれないが、ソラは事情を知っている。メグミの家族は魔術師に殺されているから、魔術師相手にとても気が立つのだ。
「落ち着いて、メグミ。マリさん、何か考えがあるの……?」
「むしろあなたがパニックを起こさないことに驚き。策はあるわ。あなたがその要」
マリはソラをにそう告げた後、時計を一瞥し、間に合うことを祈るわ、と意味深な独り言を呟いた。
「さぁ、行きましょう」
「どこに?」
「敵の真ん前」
マリは不敵に笑って、ソラを誘ってくる。
※※※
「マジでガキしかいないな。ここが戦術的重要拠点? 嘘っぱちを掴まされてんだろうよ」
粗暴な物言いで作戦立案者に文句を言いながら、少女は街を見下ろしている。
事前情報では、ここで敵が秘密兵器の運用テストをするなどと言い渡された。しかし、いるのはせいぜいガラクタのオモチャ程度だ。人殺しの兵器は、魔術師殺しとは成り得ない。戦闘機や防衛装置などはただのお飾りでありお遊びだ。
「くそ。老害共め、私たちに嫌がらせをしやがったな」
愚痴をこぼしながら、少女は黄色髪を手ですく。冗談ではなかった。派閥同士のゴタゴタに付き合わされるとは。
「それとも、本気で未来の芽を潰すとか考えているのか? だったら、堕ちたものだな。人間なんぞ敵ではないと言いながら、敵に怯えている」
『リュース、戯れは終わりにしろ。そろそろ敵が来るぞ』
魔術によって、魔術師リュースの脳裏に直接声が響く。了解、マスターと了承し、緊急発進したVTOL機の迎撃に移った。
「雑魚が、出てくるな」
少女リュースが杖を頭上に掲げた。魔術師用に改良された特殊兵器を詰むVTOL機たちがありったけの弾薬を撃ち込んでくる。しかし、全て雷撃に防がれた。これがリュースの魔術だった。もっと強力なモノも発動できるが、戦闘機《《程度》》にこれ以上の火力は必要ない。
「堕ちろ」
リュースが杖を戦闘機へと構える。杖の先端から雷撃が迸り、大した抵抗もできずに撃墜される。何機か攻撃機が発進してきたが、それらも難なく撃破する。もはや敵を撃ち落とすことすら面倒になって、リュースは範囲魔術を発動させた。
「止まれ」
『何だ!? 急にディスプレイが消え――ッ!?』
操縦不能となった戦闘機が次々に墜落する。防衛軍のパイロットなら理解不能な現象も、魔術師である少女にとっては造作もない事柄だ。ただ、電磁波の放射を辺り一帯に行っただけである。言わば、電磁パルスのようなものだ。最先端の兵器の数々は、繊細かつ高性能な電子機器を搭載している。もちろん対電磁防御機構は戦闘機にも備わっているが、あくまでそれは人間が開発した兵器に対してのものだ。魔術による電磁波は防げない。
「さてと、じゃあ適当に」
リュースは、抵抗する動きをみせる敵の殲滅に入る。殺意に晒されながらも、彼女が考えていたのは、読みかけの本の続きがどうなるかという展開予想だけだった。
※※※
寮から街中へと飛び出したソラたちは、防衛軍の防衛設備が抵抗虚しく魔術師に破壊される姿を目の当たりにしていた。
「防衛軍が赤子のように――」
「プロパガンダを信じていたならご愁傷様」
テレビのニュースでは、当初こそ不意を衝かれたが、現在は防衛軍が魔術教会に対して有利に立っていると報道していた。しかし、この現状を見るに嘘っぱちだったようだ。
「本当にあの魔術師さんへ接近するの?」
「敵にさん付けなんかいらねーだろ、ソラ」
気性が荒くなっているメグミが咎める。ソラはそうだね、と不本意ではあるが従った。
「何も考えてないって訳じゃない。けど、あなたは邪魔ね」
「んだと? ソラだけ危険に晒すってのか。テメエは信用できねえよ。具体的な説明もなしにどうするってんだ」
ソラを挟んで、マリとメグミが睨み合う。ソラはストップ! と大声を出して、二人の息の合ったしーっ! という無言の警告にうっ、と言葉を詰まらせる。
「バカ、声が大きい」
「くそ、お前は本当にバカだな」
(何でそこだけ息ぴったりなの……)
想定外ではあったが、二人の喧嘩を止めることはできた。その間にも、宙に浮いた魔術師は、銃器で対抗する軍人たちを一掃。どうするか、と思案しているようにも見える。
その隙に、ソラたちは街の中を静かに駆けていた。魔術師からは街全体がよく見渡せる。しかし、範囲が広すぎて、武装を保持せず抵抗もしないソラたちの姿を見落としていた。
「で、マジでどうすんだ? こんなところまで連れてきて」
「……説明するより見るのが早い。けど」
マリは腕時計を見て、遅いと舌打ち。彼女が何を考えてるか知らないが、予定は狂いつつあるようだ。
マリはソラたちを魔術師が浮遊する地点から近場の建物に隠れさせ、しばらく待っていて、と言い残し、再び戦場へと駆けだした。
「マリさん!」
慌てて飛び出しそうになったソラをメグミが抑える。ごめんと謝ったソラだが、今度はメグミが子どもの悲鳴を聞いて勝手に駆けていく。
「メグミ!」
だったら止めないでよ、と文句の一つも言いたくなるが、状況が状況なだけに不満を漏らさない。街は戦場ではあったが、住人の悲鳴を除けば、比較的静かだった。逆に言えば、もうほとんど防衛戦力が残っていないのだ。
防衛軍は敵の出方を窺って様子見をしているところだろう。まずは敵の魔術がどんなものか見極めること。それが、ソラが学校で教わった対魔術師戦闘の初歩だ。
ソラが追い付くと、先を走るメグミは、泣きじゃくる男の子を発見して、励ましているところだった。とりあえず、近くの民家へと避難する。
メグミはぶっきらぼうに男の子を励ましながら、どうするかを考え始める。
「くそ、泣くなよ、男の子だろ。……どうするか。やっぱりシェルターに避難した方が良さそうだ」
「でもマリさんが――」
「あの女は魔術師への恐怖で頭がイカレちまったんだろ。さっさとぶん殴っとくべきだった」
「イカレてるようには見えなかったけど――」
ソラが民家の窓から外の様子を窺った。すると、上空の魔術師に変化が起きる。索敵していた魔術師が、下方から飛来した弾丸を雷で弾き飛ばしたのだ。
銃撃の主は――他ならぬマリだった。学校の制服姿の彼女は、高校生には似つくかわしくない拳銃を手に持って撃っている。敵を倒せはしないが、敵の注意を引くのには効果があった。
「マリさん……!」
マリは拳銃を撃ちながら、グレネードのピンを歯で引き抜く。瞬間、眩い閃光が辺りを包んで、魔術師のくそったれ、という毒づき。マリは街のどこかへと姿を消している。
マリが立っていた道路に雷を落とし、魔術師は辺りを探し始めた。と、メグミの怒鳴り声。
「おい待て、ガキ!」
男の子が雷撃にびっくりしたのかパニックを起こして道路の方へと出ていく。目ざとく男の子を発見した魔術師が、くそ、と敵ですらない乱入者に驚く。
私の邪魔をしやがって。そう魔術師が呟いたようにソラは見えた。
「くそ、このッ! くそ魔術師め! 家で薬膳でも煮てやがれ!」
「メグミ!?」
子どもを庇うべく、メグミは手近なところに転がっていた石を魔術師に投げた。これには魔術師の反応も追い付かない。恐らく、雷撃の盾は彼女自身に脅威を及ぼす物質に対してのみ有効だったのだろう。石ころなどは、ぶつかったところで怪我にもならない。猛スピードでもない、ただの女子高生の投石だ。
だから、盾は石をスルーし、見事に投げた石は魔術師に命中した。驚くメグミと、それ以上に呆然とする魔術師。傍から見ても、何が起きているかわかる。
――魔術師は、キレたのだ。
「お前、私に石をぶつけたな。……償ってもらうぞ」
「あ、あ……」
魔術師の眼光に押され、メグミが後ずさる。腰を抜かしてしまったようだ。ソラは危ない、と叫んで、反射的に彼女の元へと飛び出した。
「何してるの!?」
一部始終を見ていたマリが叫ぶ。だが、彼女の援護は無効化される。銃弾は魔術師には効かない。
くっ、と悔しさを顔ににじませるマリだが、イヤーモニターに通信が入った。
『悪いな、少し遅刻した』
通信と同時にまた新しくVTOL機が姿を現す。敵の出現は魔術師の注意を逸らすに十分だった。
「また鉄のオモチャか。そんなもんじゃ、私は倒せん」
メグミに杖を向けていた魔術師が、遠くから増援として現れたのであろう戦闘機を迎撃する。そして、外れる。戦闘機は雷撃を予測し躱した。その事実が、魔術師には到底受け入れられない。
「バカな――私の魔術を避ける!?」
瞠目しながら、もう一撃。爆発音と煙が巻き起こる。今度こそ命中した――。そうその場にいた誰もが思った矢先、発生した煙の中から、ミサイルのようなものが抜けてくる。
『プレゼントだ、受け取れ!』
戦闘機から男の声が外部出力された。何を企んでいるかは知らないが、と魔術師は雷撃をミサイルに浴びせる。当たった。しかし、壊れなかった。
ミサイルはそのままなぜかソラたちの目の前に着弾。だが、爆発する気配はない。
「な、何が……?」
「指輪!!」
恐怖に磔となっているメグミを支えるソラに、マリは左手の薬指を差しながら叫ぶ。
「指輪?」
ソラは今一度、無理やりはめられた指輪に目を落とす。が、残念なことにすぐそんな余裕はなくなった。
「ええい、ごちゃごちゃと! まとめて吹き飛べ!!」
「うわあッ!!」
面倒くさくなったであろう魔術師が、術式を展開させる。狙いはミサイルらしき着弾物と、その近くにいるソラたちだ。
咄嗟に、ソラはメグミを庇う。雷が迸る。ソラの指輪が、眩しく虹色に発光する。
「――ソラ!!」
マリがソラの名前を呼ぶが、ソラは答えない。全員の注目が黒煙の中に集まっている。しばらくして、魔術師の小さな笑い声が響いた。敵であるマリと戦闘機のパイロットをバカにする目的だ。
敵と敵が会話する。一昔前の生真面目に殺し合いをする人間たちならばともかく、人間と魔術師による戦闘中の会話は今や普遍的なものだ。もちろん、魔術師による一方的な話になることが多いのだが。
「ハハッ。無駄な足掻きをするな。死にたくないなら見逃してやるから、さっさとここから逃げろ。もちろん、そこの鉄鳥以外だがな」
『ご指名か? 俺も好かれたものだな』
「随分余裕じゃねーか。……そうか、お前が“魔狩りの天馬”か。お前を狩れば、私の名も上がるだろうな」
魔術師が臨戦態勢。しかし、ホバリングモードで滞空するVTOL機は対地攻撃用キャノンを魔術師へと向けながら、
『余裕なのは君もだろ。よーく見てみろ』
と余裕の声音で音声を出力。言われて魔術師が再び視線を戻すと、そこには――。
「あ、あれ? なにこれ……?」
と困惑する白い鎧を着た騎士が、メグミを抱いて立っていた。
「ど、どういう……?」
身体には白銀の鎧。頭には羽のついた兜。腰には剣が差してある。
ソラはメグミを地面に下ろし、まずは自分の両手を見つめた。硬そうな小手が装着されている。わ、私の手……? と狼狽する彼女は、次に頭部をぺたぺたと触った。硬そうな兜が後頭部と頭頂部を覆っている。剥き出しなのは顔面だけだ。青色の髪が露出し、ソラはホノカほどではないが、彼女の知らないところで校内の男子生徒の人気をそれなりに勝ち取る顔に触れてみる。
金属に触れられた感触が頬から確かに感じ取れたので、自分の身体であることは間違いない。しかし、かといって理解が追い付くはずもない。
ソラが理解するよりも先に判断できたのは、上空に浮かぶ魔術師だった。お前、とカッと目を見開いて、
「人間風情が魔術師の真似事!? 冗談じゃない!!」
杖をソラへと向けてくる。
(危ない!!)
反射的にソラはメグミを庇った。両手を広げて、彼女を庇う――その前に、頭の中から機械音声が響いてくる。
『オペレーティングシステム始動。ヴァルキリーブリュンヒルデの起動を確認。初期装備である退魔剣のロックを解除します』
カシャン、という音が響いて、剣が抜けるようになったことを知る。恐る恐る抜いてみた。だが、じっくり眺めている時間はない。雷がソラへと迸り、ソラは咄嗟に剣を前へと突き出した。
爆発が起こる、とソラは思わず目をつぶったが、何も起きない。それどころか雷が消失している。ソラが目を瞑らなければ、ハッキリと目撃することができただろう。雷が、剣に打ち消される様を。
「魔術を打ち消した、だと……」
魔術師は明らかに動揺している。そして、その動揺はソラも似たり寄ったりだ。どうしよう、と悩むソラにまた頭の中に響く声が助言する。
『空中飛行モード、スタンバイ。念じれば飛べます』
「飛ぶ、空を飛ぶ……」
もしかして、あの青い空の中を飛べるのか。ずっと好きだった、自由に飛びたいと思っていた、あの空を。
そう想った瞬間には、ソラの身体はゆっくり上昇していた。ジェットで浮遊しているわけでも、翼をはためかせているわけでもない。超常的な力で、浮上している。それは、魔術の一種にも見えた。魔術師でしか成しえない、魔を司る者の特権だ。
「何だと……! お前!」
魔術師はただただ憤慨するばかり。その間にも、ソラの心の中では飛べたという喜びが溢れ出している。
やっと、やっと飛べた。あの時と同じだ。今度は誰かに怒られることも、“彼女”が酷い目に遭わされることもない。
(クリスタル、私――)
「呆けてる暇はないわよ!!」
「ッ!?」
マリの警告でソラが我に返った頃には、魔術師が雷の剣を創造し、彼女に斬りかかってくるところだった。
剣で剣を受け止める。雷でできた、魔術の剣を。
「くそ! お前、裏切り者か!?」
魔術師はソラを疑っている。鍔迫り合いとなりながら、ソラを明らかに敵視していた。
「裏切り者!? 私は魔術師じゃないよ、ただの人間!」
「だったらなおさら赦せねえ! 人間風情が生意気――ん、待て、お前どこかで……」
至近距離で視線を交わすソラと魔術師リュース。リュースは、ソラに何やら既視感のようなものを抱いていた。しかし、退魔剣が記憶を読み解く時間を与えない。雷剣は退魔剣に崩されて、慄くリュースが悲鳴を上げる。
だが、
「おっとっと!」
「……な、何?」
ソラは剣がリュースに当たりそうになった瞬間止めた。それどころか、大丈夫? と心配までする。敵なのに。相手は倒すべきである敵なのに。
「お、前……」
リュースがぷるぷる震え出す。一瞬、慈悲をくれた相手に感激しているかのようにも見えたが、次の怒声で違うことが明らかとなった。
「私は敵だぞ、この人間がぁ!!」
「うわっ!!」
雷の盾が、ソラを地上へと弾き飛ばす。ソラは地面に激突する間際に方向転換し激突を避ける。まるで、空を飛ぶのが初めてではないような動きをみせる。
「このッ! 死ね死ね死ね!!」
「わーッ、ちょ、一度、ちゃんと、お話を!!」
「誰が話すかこのアホ!! 私を辱めた罰だ! 黒焦げになれ!!」
人間相手に手を抜かれた。その事実が、リュースのプライドを傷つけた。リュースはソラを始末しようと、がむしゃらに雷を飛ばす。ソラも慌てて飛行しながら避ける。そして、それがまたリュースのプライドを抉っていく。
「当たれ! 当たりやがれ!!」
「嫌だよ! それに、私はあなたの敵じゃない!!」
「何だと!?」
「あなた、民間人は一人も傷付けてないでしょ!? 悪い魔術師じゃないよ!」
「……ッ!!」
ソラの指摘は図星だった。リュースは戦闘機を撃墜し、軍人に雷を浴びせている。だが、街にいる民間人には大した被害は出ていなかった。わざわざ殺す必要もないだろうと、彼女は未来の敵になるかもしれない存在を残していた。それは単に面倒くさがったのか。それとも良心が痛んだからなのか。もしくはまた違うもっと別な理由か……。
「だ、だっ……」
リュースの顔が真っ赤に染まる。恥ずかしがっているのではなく、怒りのせいだというのは明白だ。案の定、リュースは大声で、まるで癇癪を起こしたかのように怒鳴り散らす。
「だったら殺してやる!! くそったれ、後悔しろ!!」
「な、何で!?」
『当たり前でしょこのバカ!』
機械音声ではなくマリの通信。マリはさっさと殺せ、とソラに通告してくる。
『奴は敵! 殺すべき敵なの!! 躊躇う理由は一つもない! さっさと殺しなさい!!』
「で、でも私は……」
誰に何と言われようとソラは殺したくなかった。ソラにとって魔術師は敵ではないのだ。今はまだ、誤解に誤解が積み重なって戦争をしている。しかし、いつか、また魔術師と一緒に暮らせる日が来ると彼女は信じていた。
(そうだよ。約束した。また会おうって、友達と約束したんだ)
そう思い返して、ソラは魔術師を殺せない。
だが、魔術師の杖先は、気絶しているメグミを捉えている。このままではメグミが死ぬ。では、どうするべきか。そんな悩める戦乙女にアドバイスをくれたのは、名前の知らない戦闘機のパイロットだった。
『殺したくないのなら、殺さない戦いをすればいい。ただ、それだけだろ?』
「……そうだ!」
ソラは魔術師へと移動し始めた。右手に剣を、心に覚悟を携えて。
戦いには戦いに興じる覚悟が必要だ。その覚悟は大雑把に分けて二種類となる。
一つ目は、人を殺す覚悟。敵を殺し、返り血を浴びて、人を殺したという罪悪感に襲われる覚悟だ。戦場では、人を殺した方が安全だ。生き残った敵は学習する可能性がある。さらには、別の仲間が敵に殺されるリスクも高まる。ゆえに、軍人が敵を殺すのは至極当然なことなのだ。
二つ目は、人を殺さない覚悟。これには、人を殺す以上の強さと強靭な意志が必要だ。敵を殺さないということは、敵を殺すことよりもはるかに難しい。殺しは子どもでも弱者でも可能だが、不殺は真の強者でなければ成しえない。本当の強さを持つ者でなければ、敵にあっさりと殺されてしまうだろう。
だが、それでもソラの選択は後者だった。理由など単純だ。敵を殺したくないから。否、敵ですらない人間を殺したくないから。
その願いに応えるように、ソラの身体を虹色が包む。ブリュンヒルデが急に変化した。白銀の鎧に青が入り混じる。ソラの髪色と、胸元に下がるペンダントと同じ色に。
「おおおおッ!!」
「がむしゃらに突っ込んでくるか、素人め!!」
リュースが雷撃をがむしゃらに飛ばす。その全てがソラの突き出す退魔剣に収束される。ソラの意図しない効果。雷は突出した金属に落下する。奇しくもソラの剣は避雷針の役割を担い、リュースの攻撃がソラ本体に届くことはなかった。
「くそ、バカな、この!!」
リュースは別の術式を構築。今度は雷の槍だった。剣と槍では槍の方がリーチが長い。だがそれは、死ぬ気で突っ込んでくる人間にはあまり効果がない。
ソラは槍に右脇の装甲を削られながらも、リュースに肉薄。剣で槍を弾き、左拳で顔を殴る――。
「ひっ!」
「っと、女の子の顔を傷付けるのは、ダメだよね!」
――寸前で停止し、指を使ってデコピンをした。ただのデコピンとは言え、不可思議な鎧で威力が向上された指弾き。リュースは脳震盪を起こし、うああ、というか細い悲鳴を上げて地面へ落ち始める。
「まずいっ!」
ソラは急降下して、リュースをキャッチ。お姫様抱っこの要領で地面へと着地した。
「そ、そうか……お前、アイツの……」
リュースは何か言いかけて、意識を失う。ソラは優しく道路の上に寝かせて、ハッと思い出したかのようにみんなの安否を確かめた。
「メグミ! マリさん、大丈夫!?」
「大丈夫よ。全然平気」
マリは気絶したメグミを運んで、リュースから離して寝かした。そして、拳銃をリュースに向ける。が、ソラに制された。
「だ、ダメだよ! 殺しちゃ」
「そうだぞ、マリ。敵を殺せばいいってもんじゃない」
交差点の真ん中に垂直着陸したVTOLから、パイロットスーツを着た男が降りてくる。フルフェイスのヘルメットを脱いで、男の顔が明らかとなった。あーっ! とソラは大声を出して、
「今朝会った男の人!」
「男の人じゃない。俺は相賀祥次」
「相賀大尉」
マリが不満げな顔で相賀を呼ぶ。相賀はにこやかに笑いながら、マリの銃を取り上げた。
「ダメだ、マリ。……自分がなぜ不適合者だったか、よくわかったろ」
「……」
マリはしぶしぶ頷いて、引き下がる。その様子を見ていたソラは、この人なら全部知っているだろうと期待して声を張り上げた。
「相賀……さん! 一体これはどういうことですか!?」
「まぁ、待て。後で説明するよ……青木空特務兵」
突然の特務兵呼ばわりに、ソラの疑問は増幅される。意味がさっぱりわかりません。大声を出したソラは、
「はへっ!?」
と驚きながら、自分の身体が光に包まれ、鎧が解除されたことを知った。
「ああ、やっと解けた……」
まずソラが目にしたのは自分の腕だ。肌色の両手がよく見える。だが、少し違和感を感じた。――制服の袖まで消えている。それだけでなく、少しスースーする。どこか一部ではなく、全体が。
「これは……。ちょっとしたハプニングだな」
「……」
茶化した相賀をマリが無言で睨む。ハプニング? と復唱したソラが改めて自分の全体像を確認する。
全裸だった。下着一枚ですらない、生まれたままの姿だった。
「うわああああ何でえっ!?」
大事な部分を手で隠し、道路の真ん中に座り込む。ブリュンヒルデの鎧が解除されたのと同時に、ソラの衣服もどこかへと消え去っていた。顔を真っ赤にし、恥辱に苛まれる彼女はマリへと助けを求める。
「マリさん! お願い、服、服を――!!」
「……ふん、どうしようかしらね」
「マリさん――!!」
ソラの魂の叫びを聞いてメグミが意識を取り戻し、何してんだお前!? と叫びながら布を拾ってきたのは、それから数分後のことだった。