幼い大人
捕虜収容所の中はひんやりとしていて夏場に涼むには丁度良い。捕虜がいる、という点さえ除けば、そこは快適の一言だった。
しかし、それは檻の外にいる身だからだろう。では、中からはどう感じるのか? マリは気になって質問を投げかけた。
「どう? 快適? 自らの武器に敗北した情けない騎士サマ」
「く、くぅうう。両手で構えていたら撃てたの! あのバカを拘束していたせいなの!」
屈辱に顔を赤色に染めて、ジャンヌが言い訳を叫ぶ。求めていた答えではないが、求めていた姿を見れた。マリはふふ、と満足げな笑みをみせて、銀でできた対魔術師用の牢屋で膝をつくジャンヌの顔をよく観察する。
ジャンヌは怒っている。ですます口調は放棄して、素の彼女の話し言葉で反応している。
「卑怯者! ここから出して!」
「人質取ろうとしたあなたに言われたくはないわね。聖処女サマ?」
マリは上機嫌に口を開き、ジャンヌは顔を憤怒の色に染めて閉口した。しばらく経って、それは関係ないでしょ! とヒステリックに叫ぶ。
「いいや、重要だ。とても大事なところだよ」
そう反応したのは隣に立つヤイトだ。オリーブドラブの軍服に身を包む彼は真顔の表情のまま、ジャンヌの前で中腰になる。
「君は処女で、捕虜だ。これがどういう意味かわかるね」
マリからはヤイトの顔は見えない。しかし、いつも通りの無に近しい顔色だということはわかる。マリはヤイトの考えがほとんど理解できない。元々表情に感情を出さないタイプだったのか、敵に心理状態を読み取られぬためにそうなったのかは知らないが、同僚であるマリですらそうなのだ。
初対面に等しいジャンヌにとって、無表情というのは恐怖の対象にしかなるまい。
「な、何を……。ま、まままさかあなたたち!!」
ジャンヌが怒りとは別の意味で顔を赤くし、胸を両腕で隠して後ずさる。
マリは呆れた。身体にぴったりな鎧を着ているのだから、わざわざ隠す必要はないだろうに。
「どうしたんだい、ジャンヌさん。僕はただ事実を告げただけだよ」
「ほ、捕虜に対する不当な暴行はジュネーブ条約によって禁止されているのよ、知ってるの!?」
ハーグ陸戦協定から始まり、ジュネーブ条約によって強化された捕虜への待遇。その内容を軍人であるマリとヤイトが知らない訳がなかった。むしろ、魔術師のくせにジャンヌが既知であることの方が驚きである。
ただし、どうやら彼女は無知なようだ。それらはあくまで人間相手に成立する条約である。
「でも、君は人間にカウントされていない。僕たちは人類防衛軍。軍では、魔術師のことを人間とは呼称しない」
「え、え、え! でも、どう見たって人間でしょう! ほ、ほらこの美しい私の顔を見て」
「ふふっ」
マリは堪え切れずに笑い声を漏らした。
「笑った!? 私はあなたよりも美人よ! 世の男性を虜にする美少女! こんなカワイイ女の子が人間じゃないはずがないでしょう!」
どうやら本気で言っているようだ。同性目線から見ても、確かにジャンヌは愛らしい顔をしており、間違いなく美人の類に入る。当人の言うように、世の男性を虜にするだろう……。例えば、ヤイトとか。
「そうね。あなたは美少女。認めてあげる。たぶん、ヤイトの眼にもそう映ってるんじゃないかしら」
「だ、だったら!」
「ええ、そうね。だから、だからこそ……ヤイトの中に潜む狼が、遠吠えしちゃってもおかしくないんじゃない」
「っ!?」
ジャンヌの笑みが引きつる。横から覗くと、ヤイトは変わらず無表情のままだった。マリは笑みを漏らしながら、ジャンヌに無情な宣告を続けている。
「ヤイトはね、普段からこんななの。あなたに違いはわからないでしょうけど、私にはよくわかる――。彼は今、とても活き活きとしているわ。あなたという獲物を見つけ、飢えた肉食獣のように欲望を滾らせている。今にも爆発して、あなたのことを凌辱するかもしれないわね」
無論、マリにはそんなこと知らない。本気で興奮しているのかもしれないし、何にも感じていないのかもしれない。
しかし、ジャンヌには覿面すぎる効果があった。赤かった顔は青へと変わり、化け物を見る目でヤイトに視線を送っている。
「ちなみに、ヤイトは無理やり女性を襲うのが大好きよ。そして、処女も好き。手錠で動けなくなった女性を、自分の思い通りに弄ぶプレイが好みなの」
「な、なーっ! 戦士として、騎士としての誇りは! いくら敵とは言え、最低限の礼儀を持ち、戦に勝利した後は、丁重に扱うべき――」
「史実でのジャンヌは略奪や暴行に苦言を呈していたようね。友軍を窘めることもしばしばあったとか。でも、残念なことにあなたはジャンヌ・ダルク本人ではなく、ヤイトも、戦士や騎士じゃない。軍人よ。軍人に騎士道精神や、高潔な人の在り方を訴えても、何も効果がないわ」
「い、いけない! 止めて……。ご、強姦は人あるまじき愚行なの!」
目尻に涙をためて、ふるふると怯えるジャンヌはとても可愛い。マリから見てもそう思う。
人を騙す時、マリはとても楽しいと感じる。無用な嘘ではなく有用な嘘ならばなおさらだ。もっと別の方法もあったが、マリはより楽しい方を選択した。
「あなた恋人はいるの? ああ、いないわよね。だって、ジャンヌを模したんだもの。だったら、初体験を済ませても問題ないんじゃない?」
「あ、あるに決まってる。う、うそ……ひっ!」
マリはがちゃり、と牢屋の鍵を開けた。鉄格子の内側にヤイトが入ってきて、ジャンヌに迫る。
「や、やめっ! 助け、助けて! レイプされる! いやあああああっ!」
「……君が僕の言うことを聞いてくれたら、近づくのを止めるよ」
「何でもする! 何でもします! だからお願い――」
「あれ? 今あなた、素敵な言葉を口に――」
「うわぁ! 違うチガウ! 私にできる範囲で、できる行為をいたしますから! 私の純潔を奪わないでぇ!」
涙ぐみながら叫ぶジャンヌの声を聞いて、ヤイトは微笑を浮かべた。良かった、と呟いて、彼は牢屋から出、戸の鍵を閉めた。
はへ……と呆然とするジャンヌに、マリは耐え切れず爆笑してしまう。
「あははははっ! ヤイトが強姦なんてするわけないじゃない! こいつはいわゆる草食系男子よ!」
「な、なななな! 私をからかったのーっ!!」
「あなた言ってなかったっけ? 騙される方が悪いって。そっくりそのまま言葉を返すわ」
「ぐぎぎぎにゃああああ!!」
怒りのあまり奇声を発したジャンヌを見て、ひとしきり楽しんだ後、ヤイトが鉄格子に張り付くジャンヌへと近づいて、今一度彼女に協力を要請した。
「僕らには魔術に関しての知識が足りない。君には近く、ヴァルキリーシステムの解析を頼むと思う」
「最初からそう言ってよ! 協力したよ! 断る理由ないじゃん!」
「ええー。でもそれじゃつまらないじゃない」
「つまるわ! 超つまるわ!」
などとくだらないやり取りをしていると、買って来たよーっ! と元気よくソラが収容所の中へ入ってきた。
興奮気味のジャンヌを見て、ソラがどうしたの? と訊いてくる。マリは意地の悪い笑みとなって、
「高潔なる騎士サマがはしたなくもお発情なさったのよ」
「違う! この詐欺師に騙されたの!」
ジャンヌが即座にマリの発言を否定すると、メグミがんなことだろうと思ったぜ、と彼女に同情した。
「このくそ女にだまくらかされたんだろ。わかるぜ。こいつは私が見てきた人間の中で一番の性悪女だ。そうだろ、ソラ」
「ええっ、私に振らないでよ……。っていうか、私はマリとジャンヌさん、どちらにも嫌な思い出が……」
ソラにしてみれば、マリには無理やり指輪をはめさせられて、ジャンヌに至っては拳銃を頭に突きつけられたのである。庇い立てしろというのも無理な相談だった。
あら、残念ねとマリは呟き、アイスはどうしたの? とお使いの品を所望する。
「溶けちゃったから、一旦冷やしてきたよ」
「そうなの。……まさか、寄り道して先に食べてたんじゃないでしょうね」
ソラがたじろいだ。瞬間、彼女たちの寄り道をマリは確信する。スムーズに帰れていればアイスは無事だったはずなのだ。ひゅーひゅー、と吹けてない口笛を吹いて誤魔化そうとするメグミをきつく睨む。
「仕方ないよ。車を出せば良かったんだ」
「だって、この子たち、免許持ってないんだもの。軍人になる以上、最低限の嗜みよ?」
「私はできるよー」
と声を上げたのは、ソラとメグミの後ろで何かしているホノカだ。だったら先に言いなさいよ、とマリはため息を吐く。
「お前、運転できたのか?」
「うんー。十六歳で免許取れるように法改正されたから、いざという時のためにとっておこうと思ってねー。意外だなー。ソラちゃんはともかく、メグミちゃんは取ってると思ったんだけどー」
「勉学が第一だったんだよ。くそぅ」
ホノカにコンプレックス丸出し(当人はばれていないと思っている)のメグミは悔しそうに声を漏らした。
しかし、この性格に何のある女よりも、ホノカが何をしているのか気になったマリは、ひょいと顔を覗かせて、そこにいた人物に顔をしかめる。
「何、その子。ホノカの妹……って訳じゃないわよね」
「違うよー。ロメラだよっ!」
舌足らずに自己紹介するロメラが、ソラとメグミの間を縫って出てきた。どうやって軍基地へとやすやすと進入できたのか、マリは疑問を禁じえない。
だが、マリがその疑問を口に出そうとした瞬間、ジャンヌの大声に遮られた。
「かかか神が降臨なさったーっ!」
「え?」
全員の視線がジャンヌに集中する。ジャンヌは咄嗟に、か、可愛らしい幼女! 私はロリコンなの! と取って付けたような理由を述べる。疑心暗鬼となったマリだが、同じように疑問を感じるのはヤイトぐらいで、後のメンバーは能天気だ。
「うむう、女のロリコン……。私には理解のできそうにない世界だ」
「趣味は人それぞれだしいいと思うなー。ロメラちゃん可愛いしねー」
「それならわざわざロリコンなんて言うかぁ? わっかんねー」
「ぼそぼそと人のことをけなさないで! 子どもが好きなだけよ! 本当だからね!?」
ジャンヌが格子の内側から名誉回復を試みる。しかし、時すでに遅し。ソラたちにはジャンヌ=ロリコンの方程式ができあがってしまった。
「ああ言ってるけど、恐ろしい性犯罪者かもしれないわ。退避しましょう。ロメラちゃんから詳しい話も聞きたいしね」
マリが退室を促す。この少女が一体何であれ、収容施設での会話はあまり良いとは思えない。もっとも、ここに収監されているのはジャンヌだけであるのだが。
「ま、待て! 待って! マリ……さん! お願いしたいことがあるの!」
「マリ、呼んでるよ。聞いてあげようよ」
無視して出ていこうとしたマリをソラが連れ戻す。仕方ないわね、と肩を竦めながら、牢屋の前まで二人で戻る。
ジャンヌは祈りのポーズで愛想笑いを浮かべながら、マリにお願いを告げてきた。
「どうか、シャワーを浴びさせてください。女性ならわかるでしょ? 私もそこそこ綺麗好きで――」
「却下。暑苦しい鎧を着て汗の臭いをまき散らしてなさい」
「ね、ねぇマリ。ジャンヌさんが絶望に染まった顔をしてる――」
まるで、生きる喜びを全て奪われたような顔をジャンヌは浮かべていた。あら、とても可愛らしいじゃないと感想を述べて、ソラを置いて歩き出す。慌ててソラがマリの背中を追った。
「いいの? 本当に? 鬱になってるよ、ジャンヌさん」
「まさかシャワーがここまで効くとはね。新しい交渉アプローチができたわ。うふふっ」
心底愉しそうな顔を浮かべるマリと、正反対の表情で沈黙するジャンヌ。
マリは晴れ晴れとした表情で、引きつった笑みを浮かべるソラと共に外へ出た。ロメラの秘密を探るために。
※※※
マリに対するあまり知りたくもなかった一面を目の当たりにして、マリだけは怒らせないようにしようと胸に誓ったソラは、先に食堂へと向かったメグミたちと合流した。ロメラを中心に、メグミ、ホノカ、ヤイトがテーブルで軽食を食べている。
「これ、おいしいねーっ!」
ロメラは元気いっぱいに笑顔をみせていた。しかし、マリとヤイトだけは訝しげな視線を向けている。道中、マリがこっそりとソラに解説してくれた――この子は魔術師かもしれないという疑念を。
マリは対魔術師戦闘のエキスパートだ。彼女が言うなら可能性は高いとソラは思うのだが、どうにもこの子が魔術師であるようには見えない。
「本当にそうなのかな。私にはただの女の子にしか見えないけど」
「魔術師なんてみんなそんなもんよ。気付くと紛れ込んでるの。いや、気付けすらしないわ……普通はね。彼女を魔術師だと証明する証拠は何もない。でも、それこそが証拠なの」
魔術の発生によって証拠不十分が無罪の決めてとなる時代は過ぎ去った。特に魔術師に対しては。魔術は証拠を隠滅できる。最先端の科学技術も、魔術からみればただの遊びにしか過ぎなかった。無論、だからと言って魔術師が確実に悪事に手を染めたのかはわからない。しかし、“疑わしきは罰せよ”という無茶苦茶な論法の究極が魔術狩りによる大虐殺だ。
人間は既に何度も過ちを犯している。だがそれは一重に人間が愚かだったからではない。魔術師は決して無知ではない人間の心理を掻き乱す力を敵は持っている。有り得ないは有り得ない。全て有り得ると仮定して、どれが正しくどれが間違っているかを取捨選択していくほかない。
こそこそ話をしていると、ロメラがこちらに視線を向けてきた。上目遣いの無垢の瞳に、にこっ、とぎこちない笑みを返したソラはやっぱりなぁ……とマリに苦言を呈した。
「可愛らしい女の子にしか見えない……」
「だったら、あなたの眼は節穴ね。……ちょっとクサいのよ」
「え? 私臭うかな?」
「あなたのことじゃない! このバカ……」
自分のことを言われたと誤解したソラにマリは呆れ果てる。ソラの身近な人はいつもそうだ。クリスタルだって、ソラの奇態にやれやれと呆けていた。
ソラとしては苦笑するしかない。その苦りきった笑みを見て、ロメラが変な顔してるーっと笑い、二人の親友の笑みを誘った。ソラもまた乾いた笑い声をあげる。
自分の周りには謎ばかり沸き起こる。そもそも、この世界すら人が想っていたものよりもずっと違かったのだから、しょうがない。そう思って、ソラは席についてサンドイッチを注文した。
(もしこの世界が何でもありなら、おとぎばなしの本も実在すればいいのに。そしたら、私は――)
何と記すだろう? ソラは一瞬考えて――すぐに思いついた。世界が平和になりますように。自分ならきっとこう書き記すはず。絶対に。
ソラは届いた卵のサンドイッチを食す。ふわふわしていて美味しい。ぱくぱくと勢いよく食べ進めると、ロメラの無邪気な笑みが目に移った。父親はまだ仕事中で会えないという。
ロメラが魔術師かはソラには見極められないが、ロメラの父親との関係がソラは気になった。サンドイッチの欠片を口の中へと放り込み、ソラは質問を投げてみる。
「ロメラちゃんはお父さんのこと、好き?」
すると、意外なことにロメラは一瞬返答に躊躇した。疑問符を浮かべながらソラはロメラの変化を見届ける。すぐに大好きだよっ! と返ってきたがソラには何となくわかった。今のは嘘だ。自分が嘘を吐いて空元気をみせる時も、似たような風に揺れる。
明確な理由はないが、本音で語り合いたくなった。この子は何かを胸の内に秘めている。
「ねえ、ロメラちゃん。ちょっとお話しよっか?」
「ん? 何で?」
「いいからいいから。ジュースを買ってあげるよ」
「おいバカソラ。その言い方は止めとけ。不審者が子どもを攫う時の常套文句だぞ」
「私は不審者じゃないよ。ほら、私のどこに変質者成分があるって言うの?」
とおどけて訊いてみたが、予想に反してそれぞれが答えを持ち合わせていた。バカなところ学が足りないところ間が悪いところ同性異性問わず気やすく声を掛けるところ等、思いのほかたくさん出てきたため、ロメラを連れて撤退する。
「ソラちゃーん。ロメラちゃんを独り占めー?」
ホノカが訊く。ちょっとだけだよ、とソラは答えてロメラと共に食堂を後にした。何とか情報を聞き出しなさいよ、バカソラ。目で言葉を伝えるマリの視線を背中で受けながら。
「はい、ジュース。美味しいよ」
「ありがとう」
ソラは買って来た缶ジュースを手渡した。手綱基地にもコンビニはある。では、なぜソラがわざわざスーパーまで買いに行ったかというと、マリの欲しがったアイスクリームが外にしか売ってなかったのが理由の一つ。もう一つは彼女を毛嫌いする友人への嫌がらせだった。
「ごめんね、暑いのにわざわざ外に連れ出して」
「いいよ。何のお話ー?」
ベンチに座って滑走路を眺める。あまりいい休憩場所とはいえなかったが、近場で木陰があるのは食堂の外にあるちょっとした庭園だけだったので我慢する。
遠くには人を殺すために作られた兵器がごろごろし、前にはこじんまりとした池と数本の木が植えてある。とても奇妙な光景だった。
ソラは目を隣にちょこんと座るロメラに移し、缶ジュースを飲みながら会話を始める。
「ロメラちゃんのパパってどんな人?」
「優しい人だよー」
返ってきた言葉はたった一言だった。ソラはそれを話したがらないサインだと考える。なぜ自分でもこうするのがわからないまま、ソラは自身の家庭環境について語り始めた。もう何年も両親に会っていないことを。
「私の……お姉ちゃんのお父さんとお母さんとは、あまり仲が良くないんだ。考え方が違ってさ。でも、私の意見とお父さんとお母さんの意見は……どちらも間違ってなかったから、全然通じ合えなくて」
「ふーん、そうなんだー」
と適当に相槌を打ったロメラだが、話を促すように目はソラをじっと見つめている。不思議と吟味されているような気分を味わった――そんなことはあるはずないのに。もちろん、マリの仮説が当たっていれば、その可能性は十分あるが。
「今もどうすれば良かったんだろうって、悩むよ。未だに解決方法はわからない。もしかしたら、私が両親に無関心で……もしくは、両親が私に対して冷たく当たっていたら、こうはならなかったかもしれない。おかしいよね」
「……仲が良かったから、喧嘩したの」
「うん、そうだね」
子どもにしては察しが良さすぎると思うのは、ソラがバカだからだろうか。これに関しては他者に意見を求めなければわからない。それとも、疑心暗鬼になっているのだろうか?
ソラは頭の隅に考えを追いやった。今はロメラとのお話だ。自分の伝えたい思いを言葉に乗せることが先決だ。
「ロメラちゃんは、大丈夫?」
「どうして、あたしに訊くの?」
「何となく。昔のお姉ちゃんと同じような感じだったからさ」
「……へぇ」
感心したような声音。ロメラは興味深げにソラを見上げる。
「お姉ちゃんは元気なのが売りだからね。というより、そうしないと……昔の友達に呆れられそうだったからさ。お姉ちゃん、本当は泣き虫だったの。ちょっとしたことでびーびー泣いちゃって、よく泣き虫ってバカにされてた」
「だから髪の毛が青いの?」
「この青は泣き虫のせいじゃないよ」
国民的人気を誇るネコ型のロボットの体色が青いのは涙を流したせいだというのは有名なエピソードだろう。しかし、この歳の子どもがあのエピソードを知っているのか? ソラの中にどんどん疑問が蓄積してきて、ソラは言葉を紡ぐことで疑念を押しやっていく。
「とにかく、私が言いたいのは、話せる内にパパと仲良くしていた方がいいよってこと。話せなくなってからじゃ、遅いからね……」
もうソラは両親と会話することができない。両親は精神病を患い、まともな口を利けなくなっている。これは全て、ソラのためだった。ソラが原因だった。ソラが魔術師を下手に庇おうとするから、両親はその考えを捨て去せようと努力したのだ。
しかし、ソラは聞かなかった。魔術師が悪い人ばかりではないと知っていたから。そして、こうも思っている。両親は全然悪くないとも。
人間である以上、魔術師を庇い立てすれば、まともな生活を送れなくなるのは明らかだった。それでも、ソラの想いは真実であり正しい。そして、親の思想も、人間という立場から見れば間違いではない。両者とも正しいからこそ、妥協ができなくなってしまう。
何が悪いという訳ではなかった。強いて言うなら、時代が悪かった。
ベッドに横たわる両親の姿を思い出し、ソラの表情は暗くなる。そんなソラにロメラがベンチから飛び降り、納得の声を上げた。
「なるほど、わかったよ」
「本当? 少しでも役に立ってもらえれば――」
私も本望だよ、という年上ぶった言葉は続かない。ロメラに遮られてしまった。
「あなたが甘ちゃんだってことは」
「ロメラ……あ、う」
名前を呼んだ時にはもう彼女の術中だった。初歩的な睡眠魔術だ。ソラは既に夢の中。深い眠りに落ちている。
「でも、他者の痛みに敏感なのね。ふふ、良かったわ、お節介さん。あなたがバカで。……悪いバカじゃなくて、いいバカで」
ロメラは眠るソラの元から離れ、自身の目的のために動いていく。次は友達に挨拶しに行かなければ。
「この世界には、バカが少し足りないわ。気持ちのいいバカが世界にはもっと必要よね」
※※※
シャワーが使えなかったからショックから回復し、正常な思考が可能となったジャンヌは、神が遣わした天使の如き使者の来訪に喜び、ふへ、ふへへと気持ち悪い笑みを浮かべていた。
(やった、やった! まさかあの子が直接来てくれるなんて! おお、神よ! あなたは私のことをいつも見守ってくださっている!!)
これ以上にない幸運である。彼女の戦闘力ならばこんな辺境の基地の一つや二つ、一瞬で壊滅できるはずだ。どうやら奇妙な偽装をしているようだが、不意打ちのための準備期間と言ったところだろう。すぐに行動を開始して、自分を救ってくれるはず。
――ああ、流石私。何もしなくても、神がいつも手を差し伸べてくださる。
「やっほー、ジャンヌ」
「メローラ、来てくれたの!」
掴み過ぎて手に馴染んできた鉄格子の感触を小手越しに感じながら、ジャンヌは歓喜の声を出す。そこには小学校低学年姿のメローラが立っている。容姿改変の若返り術の一つだ。
「まさか、あなたが来るとは思ってなかった。さぁ、早くここから――」
「ん? あなたは出さないよ? ただ遊びに来ただけ」
「はぁっ!?」
ジャンヌは驚いた。いや、驚いたなどと言うものではなかった。怒りに顔を歪ませて、ふざけないで! と怒鳴り散らす。
「元はと言えば、私が捕まったのはあなたのせいじゃない!」
「いやいや、それは言いがかりでしょ。だってあなた、ヴァルキリーを倒せば、あなたの地位も爆あげかもねーっていう呟きを、天才ね! って勝手に盛り上がって部隊編成を始めたんじゃない」
「う、それは……」
メローラの言葉は事実だ。ジャンヌが手っ取り早く出世できないかなーと考えていたところ、メローラがその場で適当に考えた案を、あなた、天才ね! と称賛し、身勝手に準備を進めたのだ。むしろ、見かねたメローラが自分の腹心であるブリトマートを貸してくれた恩に感謝するべき立場なのだが、それとこれとは別である。生命の、そして貞操の危機でもあるのだ。
「無情なことを言わないで助けてよ! ヤイトって男の目つきが怖いの。今にも私は犯されそうになって――」
「あ、それなら私、カメラでも設置しようかな。見物でしょ」
「メローラ!」
「嫌がるジャンヌが次第に性の快楽に堕ちていき、徐々に自分から求めるようになっていく――。戦争が終わったら、動画サイトにでもアップしましょう。お金取れるわよ。お金持ちよ」
「お金持ち――いやいや! お金貰ったってやらないわよ!」
「安心して? お金なんか一銭たりともあげないから」
「くれないの! なおさらやるわけないでしょ!」
「いいじゃん。性処女でしょ」
「聖処女よ!」
いつも通りのやり取りを終え、メローラは満足げに笑みを浮かべる。そして、改めて自身の目的を説明し出した。
「ヴァルキリーシステムについて関心があるの。だから、あなたに探って欲しいのよ。どうせ、解析して欲しいとかお願いされたんでしょ?」
「う、それはそうだけど……」
「なら、お願いだから、しばらく囚われの身でいて。あたしもしばらくこっちにいるから、本当にヤバい時は助けてあげる」
それなら、まぁ。そうしぶしぶ言い、ジャンヌは了承しかけた。しかし、いやいや! と声を荒げ、メローラに頼みごとをしてくる。
「シャワー! シャワーが浴びれないの! これだけは何とかして!」
「んー、残念。ロメラちゃんはお子様だから、どうすればいいのかわからない!」
偽装モードであるロメラに戻り、ごめんねえ、と謝りながら収容所を出ていく。
「そ、そんな待って! 慈悲、慈悲を私に! メローラ――!!」
ジャンヌは渾身の叫びをメローラにぶつけたが、彼女が戻ってくる気配は一向になかった。