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戦乙女の鎮魂歌  作者: 白銀悠一
第二章 覚醒
14/85

青き衣の騎士

 ソラたちがジャンヌ・ダルクを撃退し安堵したのは当人たちだけではない。浮き島で俯瞰をしていたクリスタルもだった。たった今、工房のテーブルに置かれる魔術探知防止機能のついたノートパソコンをクリスタル、レミュ、きらりの三名が閲覧し終えたところだ。


「良かった……ソラが無事で」


 とホッとした表情で緊張をほぐすクリスタルだが、彼女の立場上その心配はおかしい。クリスタルは魔術教会の人間であって、防衛軍のメンバーであるソラの身を案じるのはあべこべだった。

 しかし、その複雑さこそが、今前に積もる問題の難しさを表している。


「これでソラが魔術師でない可能性が強まった」

眠らせる者スヴァーヴァ、ですね。リュースの報告から新しく出現した戦乙女の少女は魔術師でないと裏付けが取れてます」


 ソラの友人の少女がヴァルキリーとなったことで、喜ばしくも由々しき問題が浮き彫りとなった。人類防衛軍はアレックの見立てた通り、厄介な兵器を開発したということだ。人間が魔術を行使できる出自不明の謎のシステムを。

 そのようなシステムを人間が構築できるとはとても思えなかった。しかし、現実問題としてそこにあるなら、目を背けても仕方ない。そういう厄介なものが存在する――そう仮定して、行動方針を導き出すしかない。


「レミュ、どう思う? 似たような物がたくさんあったりするのかしら」


 クリスタルがレミュに意見を求めると、彼女は首肯を返した。


「ある、と考えた方が危険を避けられるでしょう。ヴァルキリーは伝承によって、九人から十三人まで人数が様変わりします。そもそも、ヴァルキリーだけとは限りません。……やはり、どうにかしてソラさんを説得するしかないようですね……」

「簡単に行けばいいんだけど……」


 きらりが不安そうに呟く。昔のソラを知るクリスタルは大丈夫、と喉元まで出かかって、結局発音しなかった。

 クリスタルのよく知る泣き虫ソラならば、そもそも戦場に現れたりしないのだ。ソラは何か理由があって魔術師と戦っている。仲間とのやり取りを見ても、無理強いされている様子はなさそうだ。


(じゃあ、あの子は一体何を考えて――? 喧嘩をする人を見ただけで涙を流した優しいソラは、何のために戦っているの?)


 クリスタルにはわからない。しかし、リュースは何かを知っているかもしれない。

 目覚めて間もないドルイドのところへ、クリスタルは向かうことにした。



 リュースはまだ万全とは言い難く、部屋で静養していた。コンコンとドアをノックして、リュースの返事をクリスタルは耳にする。


「入っていいぞ」

「じゃあ、失礼するわよ。……訊いてもいい、リュース?」


 魔術師の多くが身に着けるとんがり帽子は未着用。黄色い髪をぼさぼさのままにしているリュースは、嫌だと言ったら訊かないのか? と質問で返してきた。

 クリスタルは親しげな笑みを見せて、ベッドの脇にある丸椅子へと腰を落とす。きらりとレミュもそれぞれ椅子を引き寄せて座った。


「ソラのことだろ?」

「覚えてたのね」

「そりゃ、お前から耳にタコができるぐらいに聞かされたしな」


 リュースは感慨深く呟く。クリスタルにも自覚はあるのでほんのりと頬を赤らめた。あまり話が得意な方ではないので、話題が限定されてしまうのだ。


「まぁぶっちゃけると、お前の話はほとんど覚えてなかったけど」

「……覚えてなかったの?」


 半開きの目でじーっと見つめる。しかし、リュースは気にした様子もなく写真がな、と話を続けた。


「写真。そうか、写真……」

「髪と眼の色は違ったが、お前、アミュレット渡したとか言ってたろ? たぶんそのせいだな。私の髪やお前の銀髪みたいなものだろう」


 リュースが自分の髪の先端を指で摘む。クリスタルも自分の銀髪に触れてみた。魔術に触れたものは、最も得意とする術式の色素と同じ色へ変化する。魔術師の髪と眼の色が多種多様なのはそのためだ。

 中にはレミュのように染めているものもいる。光属性は白く染まるので、彼女は白髪しらがのように見えるとして黒に染髪している。


「ソラが好きな青い宝石を創造して渡したわ。あの時は無知だったから……」

「そこは悔やんでも仕方ない。私たち新世代の魔術師はみんなそうだ」


 世紀末だった一九九九年から新世紀へとの変わり目に、突如魔術師は発生した。ソラとクリスタルが生まれたのはそんな混沌とした時代だった。古くから魔術を扱う者たちは存在していたのだが、これほど多く生まれた例は魔術師の歴史を辿っても見当たらないという。

 何かが、起きた。クリスタルたちにも想像できない何かが。理由の不明なその現象を人々は大変革と呼んだ。


「科学者たちと軍部は必死になって魔術師に対抗できそうな新武器を開発し、少数ながらも存在していた魔術師たちは、新しく現れたルーキーを弟子にする競争を始めた……。で、気付いたら大虐殺。そして、大粛清。似たことを人間と魔術師で繰り返した後に、戦争……」

「私はソラと離ればなれになった」


 苦い別れを思い出し、クリスタルは苦虫を噛み潰したような顔となる。


「そうだな。今重要なのはそこだ。クリスタルとソラ。この二人をどうやって繋ぎ合わせるかだが」

「前回はあなたの体調を鑑み、深く話を聞きませんでした。教えてくれませんか? なぜソラさんがヴァルキリーを身に纏い戦っているのか。魔術師ですらないのに」


 レミュが訊くと、当然だと言わんばかりにリュースは頷いた。


「ソラが戦うのは、人間のためらしいな」

「人間のため……。当たり前よね。あの子は人間だもの」


 クリスタルが悲しそうに目を伏せる。ところがどっこい。そう言って、リュースは話を続行する。


「あいつは魔術師も好きだって言っていた。人間も魔術師もどっちも好きだから、あなたたちの元へはいけないって」

「ソラが――? そっか」


 クリスタルは嬉しそうに頬を緩ませる。ソラは結局ソラだった。泣き虫ではなくなったけど、自分の大好きな友達のままだ。


「んー、ソラって子は悪い子じゃないってわかったけど、やっぱり説得は難しそうだね。この感じ、こっちに来いって言ってもすぐには来てくれなさそうだよ?」


 意外に冷静な判断を下していたきらりが皆に言う。レミュも珍しくきらりの意見に賛成だったようで、そのようですねと相槌を打つ。クリスタルは笑顔から一転、微妙な表情となった。


「そうね、困ったわ。あの子、意外に頑固者だから」

「甘ちゃんのようで、芯はしっかりしている。下手な説得じゃきかないぞ。逆にこっちが言い負かされる」


 浮き島へと連れ帰るならば、きちんとした理由で言い聞かせなければならないようだった。生半可な理由ではソラはこちらへ来ないだろう。人間に利用され、魔術師に狙われる日々が続いてしまう。ソラ本人だけではなく、周りの人間の目的も探らなければならないようだ。そちらの狙いがわかれば、対処のしようがまだある。


(もしくは、あまり乗り気じゃないけど無理矢理連れ帰るか)


 クリスタルは頭を振って考えを改めた。また自分に都合よく状況が転がればいいなどと考えている。都合のいい展開など存在しないということは、両親の死体を目の当たりにした時からわかっているはずなのに。


「これは後でもう一度考えましょ。ブリュンヒルデについて、あなたは何か聞いてない?」

「それは私からも伺おう」


 クリスタルが問うた瞬間に、ドアを開けてやってきたのは、魔術評議会に出席していたはずのアレックだった。どうやら決着がついたらしく、部屋の中へと入って訊ねてくる。


「あれの秘密は急いで解き明かさねばならない。今はまだ目立った脅威ではないが――」

「マスターアレック。ハルフィスじいさんはどうしたんです? いっしょじゃないんですか?」

「ハルフィスは所用があると言って別れた。時機に現れる。……早く教えてくれ」


 妙にせわしいアレックに戸惑いながらも、リュースは口を開いた。


「じゃ、じゃあ……。あれは魔術だが、防衛軍側は魔術ではなく兵器として扱っているらしいです。魔術師相手に隠し事しても意味がないってことで、結構色々教えてくれたんだ。ブリュンヒルデはヴァルキリーシステムの一体だ」

「ヴァルキリーシステム……?」

「仕組みは詳しくわからないが、決戦兵器として相賀って奴が運用させ始めたらしい。何でも一定の心理状態を持つ者以外は装着できないとか。そこの詳細は教えてくれなかったが、ソラの性格を知る私たちなら解明できるだろう」

「他には? 魔術師外の人間がヴァルキリーになれる秘密があるはずだ。教えてくれ」


 アレックはリュースの傍へと歩み寄り、その顔を覗き込んだ。彼らしからぬ距離感にリュースは困惑しながらも言い及ぶ。


「お、オーロラドライブってのが原動力らしい……です。これは完全にブラックボックス。でも、あの性能を見る限り、何らかの魔術装置であることは明白……しかも、無尽蔵の」

「よくわかった。ありがとう、リュース。後で褒美を遣わそう」

「え? 褒美? アレック、一体……?」


 惑うのはリュースだけではなくクリスタルたちもいっしょだった。しかし、アレックはそれ以上何も言いつけずに部屋を出ていってしまう。入れ替わりに入ってきたのはカリカだった。さぁ、早く私特製のおかゆを食べてあなたは宿り木を……と言っていた彼女の言葉が止まる。


「くんくん……この香り、男を魅了する軟膏の香りだわ。っ! 今のアレックはアレックじゃないわ! 魔女の軟膏で変身した偽者よ!」

「何だと!」

「いけません……! 追撃を!」

「逃すか!」


 一番早く動いたのはクリスタルだった。カリカを避けて、ピストルを取り出しながら追いかける。アレックの偽者は追跡に気付いて、駆け足で逃げている。屋敷を飛び出し、森の中へ。しかし、ここら辺はクリスタルの庭と言って差し支えない。徒歩では絶対、逃げ切れない――。


「ふふふっ。バカ正直に走って逃げると思うな」

「また変身……!!」


 一瞬魔女の姿へと戻った何者かはすぐにフクロウへと身変わりをして、空へと飛び去った。クリスタルはフリントロックピストルを構えるが、木の葉に遮られて狙いが付けられない。


「くそッ! 大変だ……」


 クリスタルは銃を下ろし、もはやなりふり構っていられないことを知る。ソラを保護しなければならない。力のない防衛軍では、魔術師の襲撃を防ぎきれないだろう。アレックと相談し、現代流派で彼女を守護しなければ命が危うい。



 ※※※



 浮き島の一角には巨大で美しい湖が再現されている。アーサー王伝説の再現の一環だ。アーサーが湖の乙女からエクスカリバーを授かり受けたという逸話は有名である。

 その湖のほとりでは、円卓の騎士による秘密の会合が開かれる。

 そこから情報を盗むことが、青き鎧とマントを羽織る少女にとっての日課だった。

 息を潜ませ、最低限の動作で、近くの岩場に隠れ潜む。魔術の類は使わない。魔術師が魔術師の裏を掻く場合、魔術を使わずに背後を取ることがベストだった。身を潜ませ、裏を掻くという隠密行動は少女にとって朝飯前だ。

 しかし、唯一の不満がこの金髪である。金髪というのは目立つ。髪を染めることも考えたが、それでは術式の威力が減退してしまうため不可能だった。碧眼の瞳でこっそりと会合の場を覗き見て、少女は聞き耳を立てる。


「オーロラドライブ。これがヴァルキリーの原動力。どう、この情報は役に立ったかしら」


 水面に写る女性は最古の魔女ミルドリア。清楚ぶって若いフリをするおばさんである。少女はこの年増が大嫌いだった。今、この女の意中の相手は会話に応じるランスロットである。ランスロットの気を引くために、若者言葉で応対しているが、素に戻ったり、嫌いな相手と鉢合わせすると古臭い言葉遣いへと変化する。

 言わば、今はぶりっ子モードだった。うぇ、と聞こえないように小さく気持ち悪がる。


「情報提供を感謝する、偉大なる魔女ミルドリア。して、この件をマスターアレックは存じておられるか?」

「いいえ、でも時間の問題でしょう。弟子たちは敵の分析を進め、ヴァルキリーの拿捕すら計画に入れてるの。アレックは狡猾でずる賢い男。魔術教会の転覆を狙っているのかもしれませぬ」

(そんなことあるわけないのに。ボケボケババア。あーやだやだ。今すぐ飛び出して、喉元を掻き切って差し上げたい)


 しかしそれは丁重に遠慮させていただく。少女の目的は情報の盗み聞きだった。ヴァルキリーシステムにはとても興味がある。それに、オーロラドライブという単語も引っ掛かる。


(ふふっ。おかしい。奇妙だわ。あたしはオーロラドライブという名称を知っている。なぜ、防衛軍の装備の名前をあたしが認知しているのかしら。面白いわねぇ)


 父親の資料で拝見させていただいたその名前は、確かに少女の記憶の引き出しに収納されている。つまり、何か裏があるのだ。少女にとって都合のいい真実が隠されている。

 誰かさんにとっては不都合だと思うけど、と少女はほくそ笑み、ゆっくりと畔から立ち去り始める。


「ねぇ、ランス。ご褒美はないの?」

「……アーサーから何も」

「アーサーからなんて必要ないわ。私はあなたから褒美が欲しい。男が女に贈れる最高のご褒美が。うふふふ」


 気持ち悪い囁きが背後から聞こえてきたところで、少女は早々に撤退した。次に目指す場所はもう決めてある。


(さーてと、あたしのお友達のお部隊様はっと)


 彼女は全てを把握していた。というより、これは彼女の提案だった。そのため、少女はあっさりと友人たちの仲間たちの根城である地下室へと入り込み、同僚を叱責する女騎士の姿を発見した。


「ええい、仮にも英雄の力を借りる者共だろう! 気合を入れぬか! ジャンヌ殿を救出するのだ!」

「無理だ、勝てっこない。何だあの力は。人間が魔術師の力を使うなど……」

「そうだ、聞いていない! 俺は騎士だ! 騙し討ちにも等しい戦場へは赴かない」

「仮にもクー・フーリンとディルムッドの名を借り受ける者たちが情けない弱音を吐きますね」


 今回は隠れる必要がないので、堂々と姿を晒した。ブリトマートが意外な人物の出現に驚き、嬉しそうに声を上げる。


「おおっ、メローラ様! 丁度よいところに! あなたからもこやつ等に言ってやってください!」

「残念ね、ブリトマート。生憎あたしは忙しいの。クー・フーリン、ちょっといいかしら」

「は。何でしょう、姫様」


 と跪いて訊くクー・フーリンを模する魔術師は、汗をだらだらと掻きながら少女メローラの言葉を待っている。メローラはアーサーの娘……つまり彼女はまさに姫なのだ。実力主義の魔術教会だが、それでも血の価値はないがしろにはされていない。さらに、実力もあるのだから、クー・フーリンがひれ伏さない理由はなかった。


「あたしを姫と呼んでいいのは、アーサーの娘として公の場に姿を現した時だけ。今のあたしは青き衣の騎士。そのように言い改めて」

「こ、これは失礼を――」

「まぁ、呼称なんてどうでもいいんだけどね。ってか、もう面倒くさいから、とっとと用件だけを伝えるわ。クー。ゲイ・ボルグをあたしに寄越して」


 堅苦しい口調を止めて、普段の彼女に戻ったメローラは、クー・フーリン最大の武装であるゲイ・ボルグを要求した。自身最高の魔法槍の譲渡要請に、流石のクー・フーリンも躊躇する。

 と、そこへ、ぱしゃり、という電子音が鳴った。スマートフォンのカメラ機能だ。


「な、メローラ殿!? 人間側の機械を扱うのは」

「ご法度ですって? バカらしい。優れた物を使うのは、賢人の嗜み。掟や規則に縛られくだらないこだわりを持ち合わせるのは愚の骨頂。あたしは使いたい物を使いたい時に使うし、やりたいことをやりたい時に実行する。ただそれだけ。ほら、今、あなたの間抜け顔を写真に収めたよ。さて、どうしようかな……。防衛軍に敗北した情けない騎士として浮き島中にばらまこうかなー」


 クー・フーリンの顔が青ざめる。騎士というのは名誉を重んじる。クー・フーリンが敗北したのは吟遊詩人に悪い噂を流すぞ、と脅されたせいだった。名誉が脅かされるのを恐れたかの戦士は、詩人の言う通り最強の槍であるゲイ・ボルグを手放したのだ。それが罠であると知りながら。


「わ、わかりました……どうぞお受け取りを」

「ありがとーっ。あたしが事を成した暁には、あなたを支援者のひとりとして祭り上げるわ」


 もう行っていいよ、とメローラが言うと、クー・フーリンとディルムッドはそそくさと姿を消した。これ以上厄介事に巻き込まれるのを避けるためだろう。しかし、アーサー王伝説と縁が深い男装騎士、ブリトマートは残り、凛とした瞳でメローラを見据えていた。


「ジャンヌ殿の救出に行かれるのですか」

「うーん、どうしようか悩んでる。ああ、向こうに行きはするけど、それは情報を探るため。情報戦の時代は終わりを告げたというけれど、情報の価値はまだまだあるからね。ジャンヌを助けるかどうかは現地に赴いてその場で決める」

「であれば私も」

「はいストップストップ。あなたはあたしの腹心の一人。あたしの目的が何であるかを知って、あたしの行動を理解しながら支援してくれるよき仲間。あなたにはあたしの留守を預けるわ。どうかあたしの秘密を守り通して」

「はっ。……しかし、良いのですか? ジャンヌ殿はあなたにとって数少ないご友人――」

「だから、バカにしに行くのよ」


 にや、と意地の悪い笑みをみせ、メローラは術式を起動させた。彼女の身体が光に包まれる。

 その変化はブリトマートも予期できぬものだった。狼狽する彼女を後目に、メローラは行動を開始する――。


「さぁ、偵察任務へレッツラゴー!」


 そう意気込む彼女は、いや彼女だった人は、てくてくと歩幅の小さい足取りで敵地の視察へと赴いた。



 ※※※



 日差しが強まり、熱い街中をうんざりした様子でソラは歩いている。訓練を積んだといえども、夏の暑さには勝てる気がしなかった。暑い、暑い――、とうだるような暑さの中をレジ袋を引っ提げて熱気を孕むアスファルトの歩道を進む。


「アイス溶けちゃうよー。そこの公園で食べようよー」

「ソラにしてはいいアイデアだな。くそっ、蒸し暑い。太陽のバカ野郎」


 隣を歩くメグミがソラの意見に賛成。ホノカもそうねーと頷いたため、近くの公園で買い食いをすることにした。

 鳥の糞でコーディネートされている危険極まりないベンチは避けて、清潔なベンチで三人仲良く座る。本当は距離を開けた方が密着せずに涼しいのだが、鳥類による絨毯爆撃のせいで使えるベンチがほとんどない。

 それぞれ好きなアイススティックを取り出して、しゃくしゃくと食べ始める。舐めるには溶けすぎていた。急いでかっ込まないと、服をぐちゃぐちゃに濡らすか、アリの行列を創る元を作成するかの二択だった。


「きゃー冷たい! 頭ががんがんするよぉ」


 ソーダ味のアイスを食べながら頭を押さえるソラ。情けない、と呟いた途端、メグミにもアイスクリーム頭痛が襲いかかり、ソラとホノカはその様子を見て笑いを漏らした。


「私は平気だわー。チョコ味だからかなー?」

「くそっ。恵まれすぎなんだよ」


 メグミがホノカの一部分を片目で親の仇のように睨む。ホノカは何見てるのー? と微塵も気付いていないがソラは知っている。しかし、真実は必ずしも伝えなければならないとは限らない。密かに心の引き出しの中へと言葉を仕舞い、ソラは髪色と同じアイスを食べ進める。

 と、


「いいなー」


 と羨ましがる少女、もとい幼女が目の前に。んぅ? とアイスを咥えながらソラは疑問の声を出した。


「何だこの子は? 知り合いか?」

「しみあうじゃばいお」

「呑み込んでから話しやがれ。ホノカは?」

「私も知らないー。でも、この子とってもかわいいわー。お人形さんみたい」


 ホノカの感想通り、前に立ちアイスをじーっと見つめる子どもは金髪碧眼で西洋の人形のような出で立ちだった。小学校一年、二年と言ったところか。青い服に身を包んでいる。

 彼女は熱心な視線をレジ袋へと注いでいる。そこにはマリたちのアイスが仕舞われていた。ただし、この炎天下である。形状維持は絶望的だろう。


「食べる?」


 とソラが訊くとこくん、と可愛らしく幼女は頷く。はにかむ笑顔に引き寄せられるままソラはアイススティックを取り出そうとするが、


「こ、こら待て待て! 知り合いでもない子にいきなり食べ物を渡すのはいかんだろ!」


 とメグミに制されてしまう。どうして? というソラの視線にメグミはうぐ、と言葉を詰まらせて、


「じ、実は小学生に飴玉をあげたことがあってな……。不審者として防犯ネットワークに載せられたことがあんだよ。以来、不用意な行動は避けるようにしてるんだ」


 などと悲しげに白状する。一昔前の社会ならともかく、現代社会での不用意な児童との接触は最悪犯罪に繋がりかねない。良くも悪くも敏感になっているため、穏便に済ませるなら、スルーが最善だった。例え、女子高生こども小学生こどもにアイスを上げるという平和的行為でも、親御さんの確認が取れるまで無闇にプレゼントするべきではない。

 だというのに。


「はい、どうぞー」

「わーい」

「おい、ホノカ! 人の話聞いてたのかよ!?」


 ホノカはメグミの話を一句たりとも聞いておらず、生来の面倒見の良さを発揮して、アイスを手渡していた。これがメグミとホノカの違いである。ホノカが男子生徒に人気で、メグミがあまり好かれないのは、とある部分の大きさのせいだけではない。


「わかる、わかるぞ! 明日の今頃にはネット上で公園でアイスを配る不審者が出没とか書かれるんだ! しかもぴちぴちの女子高生だってのにおばさん扱い! あーもう、どうなったって知らねえ!」


 よほど酷く書かれたのだろう。メグミは素っ頓狂な叫びを上げながらアイスを食べて、再び頭痛に襲われた。


「……大丈夫?」

「何だってんだよチクショウ……。ヴァルキリーだってまだちゃんと安定しないってのに――」

「……」


 落ち込むメグミを励ますソラ。何気なく視線を感じて、振り返ると、先程の幼女がホノカからもらったアイスを美味しそうに食べている。


(気のせいかな? 今――)


 何か鋭いものを感じた気がする。ソラは眉根を寄せてしばらく悩み、気のせいだと結論付けた。

 ふと何気なく時計へと目を走らせ、結構時間が経っていることに気付いたソラは、二人を急かし急いで基地に戻ることにした。アイスの形状崩壊は暑さで誤魔化すことができるが、大幅な遅刻はサボり以外の何物でもない。


「急いで帰ろう! マリが苛立つよ!」

「あのくそ野郎のためにアイスの買い出しとか納得いかねえし、このまま全部食っちまえば――」


 マリと犬猿の仲であるメグミが不機嫌な表情で言うが、ソラは即座に首を横へ振った。


「ダメだよ。マリはジャンヌさんのじんも――お話をしてくれてるんだよ? メグミのためでもあるんだから」


 マリは今頃ヤイトと共に、ジャンヌから情報を引き出している。ついでに、ヴァルキリーシステムの分析を彼女に協力させる手筈だ。無論、そんなことをすればジャンヌにヴァルキリーの弱点が筒抜けとなってしまう。

 しかし、背に腹は代えられないというのが現状だった。いくら敵にタネがばれるとしても、使えないよりはマシなのだ。

 メグミがしぶしぶ、ホノカがいつものペースで立ち上がり、名も知らぬ幼女とお別れの挨拶を交わそうとする。

 と、不意に幼女が訊ねてきた。


「お姉ちゃんたち、どこにいくの?」

「手綱基地……お姉ちゃんのたちの仕事場なんだ。お仕事するところ」


 ソラは素直に行き先を教える。すると、あーっ! と驚いたように幼女は声を出し、


「あたしのお父さんが働いているところーっ! 今、会いに行く途中なんだーっ!」

「本当? だったらいっしょに行く?」

「うん。行くーっ」


 幼女は二つ返事で同行を了承した。メグミが、これって誘拐にならないよな? と不安がり、ホノカが大丈夫だと思うよー、との間延びした返事でメグミの不安を和らげる。


「じゃあ、行こっか」

「うん。お手繋ごうーっ」


 ソラは言われた通りに手を繋ぐ。全員で前を向いて歩き始めたため、誰一人として気が付かない。

 幼女の口元の怪しい笑みに、気付かない。


「そう言えば、名前を訊いてなかったね。私はソラ。君は?」

「わたしは、ロメラだよっ!」


 ロメラははしゃぐ。右手にソラの手を、左手にホノカの手を繋ぎ、少し距離をとって周囲をきょろきょろ見回すメグミを見ながら、目的地へと赴いた。

 三人に見えないように、ほくそ笑みながら。

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