第九話 出発
「何もこんなに早く出て行かなくてもいいのに」
母さんが玄関先で俺を引き留めようとしている。だが、そうも言っていられない。《炎熱魔法》魔法まで見せてしまい、少なからず俺に違和感を覚えている人物がいる可能性がある。ここに留まっていると、面倒事が起きるかもしれない。
「ちょっとヤバいかもしれないし、早めに出るよ。近いうちにまた戻ってくるから」
すでに出ていく準備を完了させ、いつでも出発できる。父さんには剣とナイフを貰った。剣の方は多分普通だけど、ナイフの方は一級品だ。かなりの高値がついてもおかしくない。
母さんとはさっき食料を買いに行った。ここから近い町でも行くまで割と時間がかかる。食べ物が無いと、絶対飢え死にする事になる。
「じゃあ、お金。少しだけでもいいから持っていきなさい。最初は何かと苦労するだろうから。節約するのよ」
と言いながら、かなり金がジャラジャラ入った袋を俺に渡してきた。こんなにあっても困るんだけど……。中身を見ても、銅貨じゃなくて銀貨ばかりだ。むしろ大きすぎて使いにくい……。
しかし厚意を無駄にもできない。素直に受け取って、カバンの中に厳重に入れておいた。
「馬車の時間ももうそろそろだろうし、行ってくるよ」
父さんは何も言わないが、少しだけ寂しそうな顔をしていた。男がそういう顔しても、あれだな。何か、嫌だ。
「行ってらっしゃい。頑張ってね」
その言葉を背に、俺は家を出た。住み慣れた街を出ていくといのに、あまり不安感が無い。むしろ高揚している。限りなく無限大に広がる俺の未来に胸をはせながら、乗合馬車に向かう。
さっき母さんと一緒に予約しているので、時間通りに行けば問題ない。
歩きながら今後どうするか考える。
普通に考えたら誰かと一緒に魔石を回収しに行った方が良いのだろうが、生憎そんな知り合いはいない。まさかと思うが、一人で行くことになる可能性が高い。迷宮に行くのにたった一人で行くなんて、そんなの結構厳しい気がする。あまり深くは潜らず、浅い階層でシコシコやっている事しかできないかもしれない。それとも現地の野良パーティーにでも入れてもらおうか。それも割と難易度高い気がする。自慢ではないが、あまり人は好きではない。この六年間ですっかり人間不信だ。あまり人に心を開かない可能性が俺にはある。うーん。多分、期待しても俺に話しかけてくる人はいない。もしいたとしても、その人は他の人とも仲がいい。期待していると、とんだ痛い目にあうだろう。
それならば、迷宮には潜らず、騎士団の依頼する魔物駆除をするのも一つの手だ。この手合いは、割と価格設定が高めであると聞いた事がある。地上の魔物の魔石は加工不可であるため、義勇兵にとって何ら益をもたらさない。騎士団だけで手がおえないときは、義勇兵に対して成功報酬を出して、騎士団が楽する制度があったはずだ。こう考えると、クソだな。騎士団。入らなくて良かった。
街の外に繋がる門の前付近まで来た。もう少しで馬車のあるところまでつくはずだったが、予期しない人物の邪魔を受ける事になった。
「ネクロォ!!」
「……んだよ。サウロか」
先程俺の全力を前に、全く歯が立たず、負け犬のように敗退したサウロが剣をむき身で持って立っていた。
周りの人たちが何事かと見ている。サウロの目は血走っているし、武器をぶら下げて街中で叫ぶなんて、尋常ではない。
「さっきのは何かの間違いだッ! 俺がお前なんかに負ける訳が無ぇ!!」
周りの人は何を言っているのか分からない様子だが、結構な人が立ち止って、事の成り行きを見ている。面倒だな。悪いのはあの大男だが。
「知らないよ。帰ってくんないかな? 皆に注目されてるんだけど?」
「うっせぇ! 決闘だッ! ネクロ、お前に決闘を申し込むッ!」
サウロが剣先を俺に向けて、そう宣言した。
「……本気で言ってんのか?」
「こんなこと本気以外で言えるわけないだろうが! どうすんだよ、逃げんのか!? アァ!?」
ざわざわし始めた。こんな事になるなんて……。周囲の人も「決闘……!?」「まさか……」みたいな反応だ。当然だ。これは、命を賭ける事に等しい。
「決闘だぞ……? 死んでも文句言えないんだぞ? 冗談ならよせ」
「冗談じゃねぇ……! お前程度に負けっぱなしで、騎士になれる訳が無ぇだろ。絶対にぶっ殺してやる……!」
本気だ。本気で決闘を挑む気でいる。どちらかが戦闘不能になるまで戦いは続く。別に殺さなくても良いが、得物は本物の剣だ。一撃で勝負が決まる。殺さないとか言っている場合ではないのだ。
「どうすんだよ、腰抜け! やるのか、やらねぇのか!?」
「やるわけねぇだろ、ボケ」
「なっ……!?」
サウロもまさか本当に俺が決闘を受けるとでも思っていたのだろうか。あり得ないだろう。
「俺に何のメリットも無い。そんなことしたら、かなり面倒なことになるだけだ。勝っても負けてもな」
「お前が勝つなんてあり得るわけねぇだろ! テメェは大人しく俺の言うこと聞いて、殺されてりゃいいんだよ!」
もはや了承も無く真剣片手にサウロが走り寄ってきた。おいおい。マジかよ。
周りではまさか本当に殺し合いが始まるとは思ってもいなかったみたいで、至る所で悲鳴が上がっていた。俺が悲鳴あげたいわ。
サッと父さんから譲り受けた剣を抜いて、サウロの攻撃を受け止めた。鍔迫り合いになる。
「死ねぇぇぇ、ネクロォ!!」
気合が入っているのは良い事だが、全く怖くなかった。《解析》を使用しても、目新しいスキルが追加されているわけでもない。『スキル持ち』の俺に対して、サウロはまったくの無防備に等しい『スキル無し』。無能だ。少し前までの俺だ。
「やるってんなら、マジでやるぞ」
「その態度が気に食わねぇンだよ!」
カッとなっているサウロの腹に前蹴りを入れて、距離を取らせた。
改めて剣を構えて、名乗る。
「無職のネクロだ。ここで何が起きても警邏隊、その他機関、あらゆる法的措置を取らない事を宣言する!」
周りの観衆がざわめく。本気だと気づいてしまったのだ。そして、自分たちはその証人となってしまった。
サウロも名乗る。
「……騎士団所属、サウロ・アンハーバンだ。ここで何が起きても警邏隊、その他機関、あらゆる法的措置を取らない事を宣言する……!」
サウロも構える。
場は整った。口約束だが、これだけの証人が居れば、もしも俺が殺したって、警邏隊は出しゃばってこない。と、願いたい。仕掛けてきたのは、あっちだ。俺は正当防衛を主張もできる。完全にあっちが悪い。
よし、行ける。どう転ぼうと、俺が損する事は少ない。後は、勝つだけだ。
ヒュオォオと風が吹き抜ける。野次馬ですら喋らなかった。そしてサウロが激情を吐きだしながら、剣を振りかぶった。大柄なだけあって上段はかなりの威力を誇るだろうが、残念ながらもう彼に《剣術》は無い。ただの素人の剣だ。
軌道を予測しそこに剣を置いて、なんなく攻撃を防いだ。それが気に食わないのだろう、サウロが猛攻を仕掛ける。
「オラオラオラオオラ……!!」
最初こそ覇気があったが、途中から疲れが見え始めた。剣筋に無駄があり過ぎるから、余計な体力を使っているだけだ。
俺は何故か悲しくなった。
こんな奴相手に、六年間も棒に振ってしまったのかと。この程度だったとは。不甲斐なさで泣けてくる。少し頑張って反抗すれば何かが変わっていたかもしれない。そうすれば、《スナッチ》ももっと早く発現していたかもしれない。
全ては俺の勇気の無さが原因だったのだ。
「クソッ! なんで、当たんねぇんだよ……!?」
明らかに動きが鈍くなり始めるサウロ。諦めず振り下ろしてきた剣を思い切り弾いた。サウロの手から剣が離れる。
すぐさま手首を返して、サウロの腹を横薙ぎにした。
「んっ……!?」
だが、またしても対策してきたようだ。また着物のしたに何か装着している。かなり硬かった。父さんの剣では斬れない。無理にやろうとすれば、剣が折れてしまうだろう。
それでも威力に負けて、サウロは吹き飛んでいる。幾分かダメージは通っただろうが、今ので戦闘不能にはなるまい。
ほら。普通に起き上がってるよ。
「クソがッ……!」
とか言いながら立ってる。サウロは剣を拾い、また剣を構えている。今度は誘っているらしい。防具をつけているようだし、あまり攻めるのは意味がない。下半身を狙っても良いが、あそこにも防具が着けてあったら、なかなか面倒なことになる。
カウンターで一発決める方が、遥かに効率は良い気がする。剣も痛めたくないし、なによりもらったばかりの剣を折るわけにはいかない。
待ちだな。
無言で構え、待つ。
「ビビってんのかよ、来ねぇのか!?」
大声張り上げサウロが挑発してくる。それでも無反応を突き通す。何かある……? 剣のほかに何か武器を持っているからこそ、あれだけの虚勢を張れるのか……?
さっき俺に惨敗したにしては、かなり自信を持っている。本気で俺に勝てると思っていると思えば、そこまでだが。それほど愚かなのだろうか。
サウロは俺に突撃して欲しいようだし、前に出ると何が出るか分からない。《炎熱魔法》を使っても良いが、流石に街中で使えるようなものでもない。手詰まりだ。
「~~~ッ!」
サウロが我慢しかねて、自分から仕掛けてきた。両手で剣を持ち、そのまま突こうとしている。バレバレだが、フェイントだ。何かある。
サウロの唇が釣り上がった。
左腕が持ち上がって、袖の奥で何かが光った。
パシュッと小さな音がして、何かが射出された。咄嗟に顔面を庇う。
「痛ッ……!」
小さな矢だ。手のひらサイズの連弩がサウロの左腕に仕込まれている。サウロはそれを連続で発射しながら近づいてきた。
「ヒャハハハハ、死ね、ネクロ!!」
牽制には十分。サウロはそのまま片手で剣を俺の頭に向かって振り下ろした。観衆が悲鳴を上げる。
直後金属音が鳴り響いた。
「せこいな。で、これだけかよ……?」
左腕には十本の小型の矢が突き刺さっているが、そこまでデカイダメージではない。血は出るが、あの剣を食らったらもっと出る。
サウロの振り下ろした剣は、俺の右手に持つ剣が防いでいた。
「あっ……」
サウロが息の抜けた声を出した。一歩下がった。逃げようとしている。
「待てよ。それはないだろ」
まずはサウロの腕を打った。ガツーンと金属音がして、サウロの腕は斬れなかった。やはり防具をつけている。それでもサウロは痛みに負けて、剣を取り落した。
「殺すつもりはなかったんだぜ?」
剣を振る。狙える場所は首か頭。どちらかと言えば、恨みのある人物だ。
すっきりする最期を迎えさせたい。
《剣術》の恩恵を受け、サウロの首を叩き切った。中途半端に骨が硬くて、真っ二つにできなかった。逆に苦しい結果にさせたかもしれない。
観衆が悲鳴を上げた。生々しい死がそこにあった。
サウロが地面に倒れた。首から溢れ出る血を止めようとしている。でも、そんなの何の意味も無い。
「ネ……クロォ……」
恨みがましい目でサウロが見てくる。そこにはかつて俺を蹂躙していたサウロの陰はなかった。でも、どうだろう。やはり、達成感が無い。眼中にない。羽虫を殺してしまった。噛みついてくる犬を間違えて殺してしまったような感覚。つまり、罪悪感が無い。
サウロを見下ろし、頭を踏みつけた。
「お前から仕掛けたことだ。お前が責任とれ」
剣に付着した血をふき取り、鞘に納める。死に行くサウロに背を向け、乗合馬車に向かった。
この後、どうなったなど、どうでもいい事だった。