第十八話 墓穴
明くる朝。すぐに荷物をまとめ、宿を出た。朝の空気は澄んでいて、とても清々しかったが、内心焦りを隠せていなかった。自分がこうしている間にも、両親が危ない目に合っているかもしれない。そう思うだけで、思いのほか足は速く進んでいた。
ノールとアイラは黙って付いて来てくれていていたが、内心どう思っているか……。
朝という事で人は少なかったが、乗合馬車にはある程度人がいた。それでも目的地は異なるようで、俺の故郷に向かう馬車に乗る人は、俺たち以外にはいなかった。それでも規定の料金を払えば、乗せってくれる。あまり黒字にはならなかったが、少しは金には余裕がある。
ほぼほぼ今までの黒字分の金を払い、すぐに出発してもらった。
この町に来たときと同じ道を通る。
特に変哲もない。木があったり、なかったり、そんな感じの場所だ。
代わり映えのしない景色を見ながら、馬車に乗って、そわそわした。
なんだ、これ。遅。そういえば、ここからかなり時間がかかるんだった。一週間……? やばい。なんだ。そんな事も考えていなかったのか。一週間もかかったら、時間のロスなんてものじゃない。アホやっている間に、二人とも死んでいるかもしれない。いやいやいや。それはないだろ。それは……。
わき腹に何か当たった。となり。横。ノールだ。
「何焦ってんの」
「や、別に、焦ってねーし。どこからどう見ても平静そのものだっつーの」
「……そうは見えませんけど……」
アイラにもそう言われると、流石に隠せていないのだと、痛感した。別に隠しているわけではないのだけれど。いや、隠したいか。実は、親が死んでいるかもしれないなんて、二人に行ったところでどうにかできる問題でもない。
「ガキンチョは大人しく座って……」
特別に意識していなかったからだろうか。ふと、後ろから見える人影が見えた。人影……? いや、おかしくね? これ、馬車。馬。馬だよ。馬。俺たちを引いてるけど、それなりに速度出てるから。なんで、そんなに早いの……? おかしいよね。人間……?
ノールとアイラも気づいた。
「アイツ……!」
ノールが立ち上がった。剣を抜く。
待て待て待て。いや、おかしいから。やばいから。もうわかったから。アイツは掛け値なしにヤバい。
今《解析》を使った。
「レベル三十八だと……!?」
衝撃が体中を駆け巡った。頭の中を整理できない。マズイ。これは、ヤバいって。どうヤバいかっていうと。俺の命が、風前の灯である位なのが、俺の矮小な脳みそでも分かるくらいヤバい。どれくらいヤバいかっていうと、すでにまな板の上の魚レベルでヤバい。
俺の独白を聞いて、ノールが絶叫した。
「ハァ!? なんつった!? 三十八!? アイツ、見た目と違ってクソババァだったのかよ!!」
ノールが言いたい事も分かる。要は、アイツは戦闘経験が豊富なロリババァだと言いたいのだ。いや、ただ小さいだけだ。ノールは現実から目を背けている。
あの少女。
アイビス……。
「違う。年齢は、十一歳だ……」
ノールもアイラも、黙った。
数秒、静寂が馬車内を包んだ。
俺達が叫びまくっていたので、御者の人が振り返った。
晴天の日に漆黒の雨合羽を被った少女が、馬車のスピード以上の速度で走り、追いすがっている状況を見て、かなり仰天していた。
「な、なんだぁ、アイツ!?」
その言葉を放った瞬間、少女の体がブレた。いや、違う。速い。それだけだ。追い切れなかった。そうじゃないんだ。違うって。意識外だからだ。まさか、そうでるとは。
アイビスというらしい俺の事を殺したいらしい少女は、突如、進行方向を変えて、手頃な木の上に飛び乗った。
枝の上に立って、射線を確保すると、左腕をこっち向けて構えた。
鈍い光が目に入った。
何をやっている……?
すぐに答えは出た。パシュという間抜けな音と共に、小さな矢が射出された。撃たれたと思った時には、死んだかと思ったが、狙いが違った。馬だ。馬を狙った。足。小さな矢が馬の脚に刺さった。なんだ。別に大した傷じゃない。
「おっさん、もっとスピードを出してくれ! 殺される!」
「なんなんだ、もう!」
突然の事におっさんも混乱している。
アイビスは木からおりて、すぐに追いかけてきた。
ノールとアイラはまだ混乱から抜けきっていない。
「十一歳……? なんだよ、それ……。俺、もう十三歳だぞ……」
「私、レベル、八しか……」
眼前の悪魔は、十一歳で、レベルは三十八。
「格が違う……」
覚悟が違う。積み上げてきたものが違う。密度が違う。何もかも違う。どういう人生を歩んだら、そうなる。
なにより、あのスキル。なんだよ。それ。もう、駄目じゃんか。そんなのさ。昨日生きてたのって、俺、運が良かっただけだ。それだけだ。ラッキー。それだけ。
「暗殺術……」
終わってるな。マジで。この独り言が二人にも届かない事を祈る。もうさぁ。なんなの。もう。俺、何か悪いことした……? したか。やったか。殺したもんな。人。うん。殺したよ。だから? それが、悪いって。分かってるよ。でもさ。仕方ないじゃん。俺のせいじゃないし。逆恨みだ。そんなの知った事ではないんだ。
でさ。それで、俺を殺すために、暗殺術持ってる女の子、それも十一歳の少女を派遣するってどうなの……? それが人のする事なの?
「ネク兄! 何やってんだ! あいつ、近づけさせんなよ!!」
ノールが俺を殴った。ハッとした。できる事はある。近づけさせなければいい。今は妨害していないから、アイビスの速度は維持されている。だから距離が詰まりつつあるんだ。邪魔すれば良い。
火だ。火。出しまくれ。邪魔してやれ。どんどん《火炎魔法》で邪魔する。でもねぇ。無理だよね。不可能だ。
アイビスは俺が出す火をものともせず、歯牙にもかけず、回避し、躱し、そのまま直進してくる。
「だめだー」
諦めの声が出る。なんつーの? 才能の差? あは。うん。それ。それが一番しっくりくる。ほら、良く言うじゃん。天才にはサ、敵わないんだよ。ノールとアイラも天才だよ。でも。あのアイビスとか言うのは、天才の上に、努力まで重ねている、手の付けられないマジものの天才だ。異端児だ。怪物だ。そう。怪物だ。モンスター。天才とかそんな次元じゃない。天災だ。そうだ。天災。もはや災害だ。あのレベルは、おかしい。歳食ってたら、まぁ、納得しないでもない。しかし、アイビスは十一歳。終わってんな。世の中。世も末っていう奴だ。誰? あれ作った奴。頭悪いんじゃねーの? それとも自然に出来たの? それはないわー。ない。ありえん。まじ。それだけは許さん。あれがぽっと出の訳が無い。人の手が加えられている。そうじゃないと、あの天災は作れない。もはや天災じゃない、人災だ。
つかさ。なんかおかしくね? 遅くね? 馬ってこんなに遅いっけ? さっきまでもっと早かったよね。何してんの。命かかってんだけど。おっさん。気張れ。気張るのは馬だ。そうだ。馬。馬。走れよ。何やってんの。死神が来てるんだけど。命を刈り取りに来ますよー。死にますよー。マジ。ほんとだから。死ぬ、よ?
なんか、おっさんうるさくね? 「ど、どうしたんだ!?」とか言ってるし。どうしたのかは俺が訊きたい位ですが。
なに、これ。まじ。やばっ。これ。やばいって。なんだ、これ。
「うぉっ!?」
横転してる……? してるよね。してる。転がろうとしてる。真横に。え、うそ。ノールが「うわっ」と呻いた。アイラは声すら出していない。俺にしがみ付いてくる。いいけど。別に。いいけどさ。俺もどうしようもないし。ノールだけ片手で引っ掴んで、馬車から転がり出た。
カッコよく着地、なんていかず、ほとんど地面に投げ出されるように転がった。
ゴロゴロ数回、地面を転がると、後ろからズンガラガッシャーンみたいな音がして、馬車が大破していた。おっさん。おっさんどうなった。馬は、もう駄目。何か動いてないし。動いているけど、びくんびっくん痙攣してる。なに、あれ。気持ち悪い。動きが、見たくない感じの動きだ。おっさんが這い出てきた。頭から血を流している。生きてるなら、まぁ、良いんじゃない。死ぬけど。
「立て、逃げ――」
アイビスは遠くから何かを放り投げた。
それが俺たちの足元に着弾すると、アホみたいに煙がまき散らされた。
「……なんつーか、ヤバい感じ……?」
ノールが立ち上がって、剣を構えた。
何も見えない。真っ白だ。一面何も見えない。白い。一歩も動けない。いや、待てよ。待って。ちょっと時間下さい。アイビスさん。いや、ホント。
何でこんな事になってんの? そこから? そこじゃないよね。うん。そうじゃない。
ヤバい、ヤバイ、ヤバい。何がどうなってんの。俺、死ぬ……?
でも、そうだよねぇ。死ぬわぁ。これ。ごめんなさい。不肖の息子。先に逝きます。
目を瞑った。さようなら現世。期待します来世。
けど、ノールは違うようだ。やっぱ、天災は違うわ。
何にも居ない所で剣を振る。それに合わせて音が鳴る。ガイーンみたいな。鉄と鉄がぶつかる音。火花が散る。一瞬明るくなる。顔が見えた。一瞬だけど。アイビス。少女。規格外の女。ノールが一歩踏み込んだ。剣を振る。アイビスは煙の中に消えた。ノールが舌打ちする。俺とアイラを置いて、煙の中に消えた。
そこからは人外魔境だった。
ガガガガガガガッと連続で金属音が聞こえる。え、なにしてんの……? まさか、こんな視界零パーセントの中で戦ってんの? うん。そうだ。戦ってる。それも移動しながら。火花が散る場所が一か所に留まっていない。散る。火花が散る。音が燃え盛る。見えない。でも、分かる。ノールは戦っている。別に、お前は戦う必要はないのに。そうだ。俺が狙われているのに、先にアイツに死なれたら寝覚めが悪い。
剣を抜いた。いつまで突っ立っているつもりだ。俺。死ぬのはいつでもできるけど、生きるのは今だけだ。その権利が剥奪されようとされているんだ。抗わないと、もったいない。多分だけど。つーか、死にたくないし。
なんとなく、この辺……? みたいなのはあった。さっきからノールが戦ってるし。音うるさいし。ガッツガツ音が鳴ってるわけだし。その辺りに突っ込んで適当に剣を突き出した。いた。戦っている真っ最中だ。つーか、おまえらすげぇな。人間かよ……?
でもよく見たら、ノールはボロボロなのに、アイビスは傷一つない。え、負けてんのかよ。そりゃそうか。
アイビスは俺の登場を見ても眉一つ動かさなかった。持っていた一本のナイフで俺の剣を弾き、ノールの懐に入ろうとする。ノールはそれをさせないように剣を振る。二本の剣を巧みに操り、ナイフの範囲に入らないようにしている。それでも傷つくのは、アイビスの技量が《双剣術》を上回っているからだ。俺の《剣術》でどうにかできる範囲じゃない。それでも加勢しないよりはましだ。
「どらぁっぁぁあああ!!」
無茶苦茶に剣を振る。体面なんか気にしてられない。無様でもなんでも生きるしかない。これしか手が無いんだ。あるけどさ。手くらい。奪ったろうか。マジで。それが出来たら苦労しないか。それが出来るなら、剣で攻撃した方が良い気がする。元々スナッチは俺より弱い相手に使う事を想定している。俺より強い相手に対して、スナッチが使える訳が無い。そうだって。ありえんでしょ。普通。触らせてくれないよ。
アイビスはうざったそうにノールから離れた。煙の中に姿を消した。煙が晴れはじめたな、なんて思ったら追加の煙球が放られた。ボフッと音がして、さらに濃い煙が噴出されている。
ふざけんな。
「……ノール、後ろ頼んだ」
「ん」
ノールと背中合わせになって、剣を構える。つーか、これでいいのか。アイラ置いてけぼりだけど。もしかして、あっちが狙われることなんてないよな。そうなったら終わりなんだけど。その心配はなかった。
たっぷり十秒くらい待ってから、こうしようか、ああしようか悩んでいると、アイビスは来た。速ッ……!
俺の横を駆け抜けるようにして、ナイフを振る。迎撃もできない。足を切り裂かれた。膝を着く。後ろ。ノール。「くそっ」と、ノールが苦し紛れに剣を振ったのが分かった。それでも、攻撃は受けなかったようだ。金属音はせず、攻撃は避けられたようだ。ザッと砂地を踏みしめる音がした。来る。来た。来てる。真横。剣を突き出す。我武者羅だ。この辺だ。多分。来る。来た。当たれ。駄目か。外れた。アイビスが大きく飛んだ。太陽光が反射した。ギラリ。煌めく。鈍く。矢だ。矢。矢。さっき、馬が喰らった奴だ。つーか、あれ、なんで、馬こけたんだ……?
答えが出る前に、俺は飛んだ。横に。飛んだ。ヤバいと思った。喰らったら、結構痛いだろうけど、それ以上にもっと状況が悪くなると思った。
矢は、地面に突き刺さった。
「……」
アイビスは何も言わず、そのまま再度煙球を追加して煙幕を濃くした。
三度目の煙幕。そろそろ球切れになってほしい。足の傷も、治り始めている。立てる。
「つかさ、ここで戦う必要もなくね……?」
ノールがそう提案した直後、すぐにアイビスは飛んできた。ノールが剣を交差してそれを迎え撃った。
「駄目よ、ここで死になさい」
「チィィ!!」
ギャリッとノールがアイビスの剣を弾く。でも、アイビスはただ離れるだけじゃない。腹に一発ケリを入れて距離を取る。その反動で俺の方まで来た。嘘。来ちゃう? 左腕をこっちに向けてる。ようみえる。多分だけど。なんかヤバい感じがビンビンに伝わってくる。横っ飛びした。二回くらい矢の発射音が連続した。小型の連弩だ。高そうな装備を使っている。でも矢にも限りがあるはずだ。球切れ狙っていたら先に死ぬのは俺だけど。
剣を構える。あああああああああ。もうどうなっても知ら――!?
「そこッ!!」
大気が引き裂かれる。飛んでくる。圧倒的存在感。平伏したくなる。ていうか、しないと死ぬ。伏せろ。来た。アイラ。撃った。この真っ白の視界の中……? 当たるの? つーか、うん。疑う必要なかったな。アイラの矢は煙幕を吹き飛ばしながら、アイビスの脳天めがけて直進していた。
「なっ!?」
アイビスが体を全力で傾けた。声も余裕がない。こっちからもアイラが見えた。凛々しく立っている。髪がなびき、矢の発射後の余韻を全身で味わっている。すぐに第二射を放つべく、次の矢に手をかけている。
「チッ」
アイビスは新たに煙球をつ握りつぶして、煙幕を発生させた。
「そこ」
冷静な声が通る。
なにもできない。できる訳が無い。今できるのはアイラの邪魔にならない様に、ただ地面に転がっている事だけだ。ノールも同じようにしているはずだ。そうじゃないと、とばっちりを食らう。
二発目。
いった。見えないけど。見えるはずがないけど。真っ白だし。うぉぉおおおお。みたいな。一発で命を奪う攻撃が頭上を飛んでいると思うと、マジでやるせない。ぶぉぉおおおんみたいな音を出しながら、矢が通過していった。もうなんだ。それ。矢が出す音かよ。
「見え――!?」
アイビスの余裕のない声が連続する。どうなった。当たったのか。それとも外れた? 分からない。見えないし。いや、当たっていない。逃げる足音がする。アイラも撃つ。でも当たっていない。アイラの攻撃が辛うじて避けられている。人外だ。
バコォォンみたいな音がして、大木が倒壊した。マジかよ……。引くわ。たった一本の矢であんな事できちゃうの……?
一生懸命伏せていると、その内、煙が風で吹き飛ばされた。キョロキョロと周りを見て、自分の安全が確保されたのかと一安心した。ちょっと目線をめぐらせると、ノールも同じように矢に当たらないように伏せていた。カッコ悪い格好をしているのは自分だけではないと、妙な安心感を胸に抱き、すぐに立ち上がる。
ノールも立ち上がった。油断なく、黒猫の少女――アイビスに目線を送る。
「……獣人だったのか……」
どおりで人並み外れたスペックを持っているはずだ。レベルもそうだが、人間とは違う、根源的な差が俺との間にある。十一歳だからと言って、侮れる力ではないだろう。
そのアイビスの黒い雨合羽は所々、矢による攻撃で切り裂かれていた。最初見た時より、乞食のようになってしまって少し見るに堪えないが、それでも傷は無い。
「アイラの攻撃を全部躱すか……」
その言葉に呼応するようにアイビスは一歩だけ下がった。
「……話には無かったわ。男より、そっちの子の方が化け物ね」
化け物、という単語を聞いて、若干、ノールの毛が逆立った。怒っているのか……? 化け物扱いされて喜ぶ奴なんていないだろうけど。
「……撤退、かしらね」
「テッメ! 逃げんのか!? ハァァ!? ここまでやっておいて、トンズラとか、マジふざけんなよ! この……アレ……? そうだ、うん……ターコ! ターコ! ターコ! カス! 黒猫! チビ! 貧乳! アホ! アホ! えーと、アホ! バカ! おたんこなす! あと、あれ……もういいや」
アイビスは嘆息して「もういいかしら」と冷静に、それでいて、どうでもいいような、本気でどうでもいいんだろうけど、そんな声を出して、ナイフをしまった。
もはや、隙などと呼べるものはない。完全に意識を大半をアイラに割いている。今からアイラが一発撃っても避けられるだろう。そして、俺とノールでは隙を作り出せない。
「あれだ。もうくんな。お家に帰れ? な?」
せめてそんな事だけ言っておきたかった。だって、また来られても困る。ていうか、逃がすべきなのか……? アイビスは逃げるような雰囲気を出しているけど、次こそヤバいかも……。
「黙れ、腐れ童貞」
「はっ、ハァァァァ!? べ、別に誰もやった事ないなんて言ってませんんん!! 犯すぞ、この寸胴体型!!」
「犯すなんて単語使ってる時点で童貞臭いのよ。臭。え、なにこれ、臭くない……? 本当に臭くない……?」
え、うそ、マジ……? アイビスが鼻をつまむ。口呼吸してない……? えっと、やめて……。いじめられていた過去を思い出しそう。ていうか、思い出してる。そんなイジメ受けたわ。もう、やめてくんないかなぁ。いや、別に? 臭くないし? 童貞かって言ったら、童帝ですけど。もはや帝ですけど。いやね、その辺は良いじゃん。放っておいてよ。関係なくない……?
ノールとアイラが悲しげな目線を向けてきた。
「な、何だよ……。その目……」
もはや目の前に暗殺者がいる事を忘れ、普通に会話し始めた。
「べ、別に、良いと思うよ……。人それぞれだと思うし……」
「全然よくなさそうだけど。ねぇ。良くなさそうだよね。ノール君。一度話そうか。……あと、アイラ。やめて。その目。もう、死にたくなる。いいじゃん。別に。死ぬわけじゃないし。あれだよ? もはや性欲というものを超越しているだけで、俺的には、もはや三大欲求は無くなり、二大欲求になっているだけだから。もちろん、睡眠と食事ね。ここ重要。分かる? 分かるよね。ていうか分かれ」
「その言い訳が臭いのよ。くさ。本当に臭い。悪臭、やばい。大丈夫、そこの二人? 犬の系統だから、鼻は良いでしょう? 臭くない? ていうか、鼻使ってる? 臭いもんね。鼻で呼吸できなくて辛いでしょう?」
「アイビスたぁぁぁん! 言っていい事と悪い事があるって習わなかった? お父さんとお母さんにそう習ったでしょ?」
「そんなもの居ないわ」
「……ぉっふ」
思いのほか重い事情があった。藪蛇だ。なんだよ、これ。何か俺が悪い雰囲気になってるじゃん。
「ところで」
アイビスがまた一歩下がりながら聞いてきた。
「何で私の名前知ってるのかしら?」
「あっ……」
墓穴掘った。
「また逢いましょ」
そう言った瞬間、アイビスの存在が薄くなった。言葉通りだ。掻き消える。認識が出来ない。目をこする。もう一回前を見た。その時には、アイビスの姿なんてどこにもなかった。