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6 彼の不在

 駅前にあるポーションショップ「Märchen」は、女子中高生に人気の店だ。豊胸ポーションのほか、相手をその気にさせるリップだとか、三割増し美人に見えるボディミストだとか、女子が飛びつきそうなグッズを多々揃えていることで有名である。彼氏ができた女子はまずこの店へ来るとも言われている。

 阿澄が店に飛び込むと、商品の整理をしていた女性が「いらっしゃいませ」と振り返り、目を丸くした。

「阿澄ちゃん、どうしたの、そんなに息を切らして」

 シェパードチェックのエプロンを翻すのは、店長の桐島双美。栗色のふわふわした髪が可愛らしい、桐島丈の姉の一人だ。

「あの、丈を知りませんか」

「あら、花火ではぐれちゃったの?」

「はぐれたっていうか、会えなかったんです。どこ探してもいなくて」

 まあ、と双美は口に手を当てて驚く。それから、申し訳なさそうな顔をして頭を下げる。

「ごめんなさい、阿澄ちゃん。うちの店、さすがに電気椅子は置いてなくて……」

「ちょっと待ってください」

 双美の思考にかなりの飛躍があったらしい。なぜいきなり、電気椅子を店で取り扱っていないことを真っ先に謝るのか、阿澄には理解できなかった。すると双美は、心底不思議そうに、

「え、だって、約束をすっぽかした丈を懲らしめる話じゃなかったの?」

「違います。全然違います」

 双美的には、約束を破ることは即処刑ものの重大事件であり、懲らしめるといったら電気椅子らしい。世界は広い、自分の常識が通用しない人がこんなに身近にいたなんて、と阿澄は軽いカルチャーショックに襲われた。

「ええと、そうじゃなくて、単にどうしちゃったのかな、って心配なんです。そりゃあ、さっきまでは『あの野郎自分から誘っておいてすっぽかすたぁどういう了見だこのすっとこどっこい』ってカッカと怒ってたんですけど、走ってくるうちに少し頭を冷やしまして。ケータイで連絡も取れないし、どうしたものかと……」

「うーん、ちょっと待ってね」

 双美は服のポケットからケータイを取り出し、どこかへかける。電話の相手とその会話の内容については、向こうの声が大きかったおかげで手に取るように解った。

「あ、もしもし、はじめ姉? 丈、そっち戻ってる?」

『あぁ? あいつは今日ホテル直行の予定だろうが』

「そんな予定ないわよ。阿澄ちゃんねえ、会えなかったって言うのよ」

『は? ……解ったちょっと待ってろ、今納屋から鋸を……』

「待ってください鋸は待ってください!」

 慌てて制止した阿澄の声は向こうにも届いたらしい。

『家には帰ってないぞ。どういうこった』

「よく解んないの……ごめん、またあとでかける」

 双美は電話を切って、処置なしだと首を振る。

「家にも帰ってないわ」

「どうしたんだろう、丈……」

 不安で顔をゆがめる阿澄だが、対照的に双美はにっこり笑って、

「そんなに心配しなくたって大丈夫よ。どうせまた、変な魔女に絡まれたんじゃないの?」

「鍵を狙う魔女、ですか」

「そうそう。案外その辺で、鍵をめぐる壮大な言い争いでもしてるかもよ。なんにしても、あの子も一応男の子なんだし、そんなに心配しなくったって。ちょっと連絡が取れなくて腕白してるくらいが、高校生は元気の証拠なのよー」

 双美はあっけらかんと告げる。これは本気で心配していない。桐島丈、信頼されているのか、人望がないのか。

 確かに、今まで丈は何度か、鍵を狙う魔女におかしな勝負をふっかけられてきた。そのたびに、丈は魔女を退けてきた。今回もそうなのかもしれない。その辺で、白雪姫の魔女や灰かぶりの魔女のような奴と、一戦交えていて、けれどいつものように、魔法も使えない奴のくせして、ちゃんと魔女を倒して帰ってくる――そういうことなのかもしれない。

 阿澄は双美に礼を言って店を出る。家に帰ろうと思って、いや、その前に丈のアパートを確認してみよう、と思い直した。部屋の冷房が壊れて以来実家に戻っていると聞いてはいるが、もしかしたらということもある。距離は大して変わらないから、手間ではない。

 阿澄はこの夏休みに入ってからかなり頻繁に通い詰めるようになった丈のアパートへ赴いた。とある事情によって丈の部屋の扉は交換したばかりなので、両隣の部屋の扉と比べると、その真新しさがとても目立っていた。

 チャイムを鳴らす。待ってみるが、返事はない。足音もしない。一応、部屋の前で電話をかけてみるが、相変わらずアナウンスが流れるだけだ。嫌がらせのようにチャイムを連打してみるが、やはり応答はなかった。盛大に溜息をついて、阿澄は踵を返した。

 どこにいるか解らないし、何やっているかも解らない、連絡もつかないときたら、自分にできることは何もない、と阿澄は肩を落とす。

「だいたい……私っていつも邪魔になってただけだし」

 人質にされてみたり、監禁されてみたりと、ロクなことがなかった。そのせいで、丈は受けなくてもいい勝負を受けてきた。いや、そもそも阿澄が魔女の策略に巻き込まれるのが丈と一緒にいるせいなのだから、必要以上に自分を責めることはないはずだ、たぶん。だからといって、丈が自分を責める必要もないはずだ、たぶん。

 今回もきっと、自分は役に立たないだろう。だが、人質にされるより監禁されるより、蚊帳の外にされるのが一番つらい――そのことに初めて気づいた。

「でも……きっと、大丈夫だよ、ね?」

 問いかけても、答えてくれる者はいない。自分で勝手に、大丈夫、と答えるしかなかった。大丈夫、自分の知らないところで、勝手に頑張って、勝手に勝って、勝手にいつもどおりの日常に戻ってくるに違いない。

 そう信じて、阿澄はとぼとぼと家路についた。

 明日になったらきっと会える。そうしたら、一日遅れで浴衣を自慢してやるのだと、阿澄は決めた。


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