5 花火散る
「っっっ白雪さんんんんっ!!」
怒号を上げながら、阿澄は橋でこそこそしていた白雪吹雪の背中に下駄ドロップキックをお見舞いした。ぎゃふんっ、と奇声を発しながら、白雪は地面にダイブした。
「白雪さん、どうしてこんなところにいるのかしら」
阿澄は仁王立ちして、俯せに倒れた白雪を見下ろし問い詰めた。白雪は「うぅ……」と呻きながら立ち上がる。いつものように黒いワンピースを着た白雪は、しかし、いつもより化粧に気合が入っている。丈が好きそうなナチュラルメイクだな、と見るや、阿澄は白雪をぎろりと睨みつける。
「今日の花火、あなたは誘われてないでしょうが」
厳しく追及すると、白雪はワンピースの汚れを払いながら、ふっと不敵に微笑んだ。
「ええ、勿論、阿澄さんがそうおっしゃることは想定済みです。ですから私、別にあなたがたの邪魔をしようとは思っていません。でも、万が一天文学的確率であなたがたの隣の席のチケットを私が持っていたとしても、それは不可抗力ですよね、おほほ」
白々しく笑う白雪に、阿澄は直感する。こいつ、隣の席の奴を買収したな。いや、もしかしたら毒で脅迫したのかも。丈が阿澄を誘った日、丈が持っていたチケットの整理番号を目敏くチェックして、一緒の席は無理でも隣の席からちょっかいをかけようとしつこくねちっこく対策を練ってくるあたり、こいつの粘着質も筋金入りである。
「というか、私はチケットを手に入れるのにいろいろと苦労があったので遅れてきましたが、あなたはこれまたずいぶんと遅いご到着ですね。『ごめーん、待ったぁ?』って言えば時間に遅れても許されると思っているならそれは勘違いですよ」
「ごめんなさいね、私、住所不定魔女の白雪さんと違って忙しいの。そういえば、白雪さんの称号ってなんだっけ、ニートの魔女とかそんな感じだっけ?」
「若いのにもう耄碌してしまったなんて、涙が出てしまいますわね、笑いすぎで。よろしければ脳外科医をご紹介しますから、その使えない脳みそを穿り出してもらったらいかがかしら」
「さすが、脳みそどころかお肌まで皺だらけの方は言うことが違うわね。え、皺じゃない? ああごめんなさい、あなたのそれは中年女性によく見られると噂の豊麗線だっけね」
「おほほほほ」
「あはははは……って、あんたとつまんない話してる場合じゃなかった。じゃあ白雪さんはどうぞ一人で花火を楽しんでくださいね」
一人を強調した捨て台詞を吐くと、阿澄は丈を探して橋をきょろきょろ見回した。
「丈、どこかな……先に行っちゃってたりしないわよね」
浴衣とそろいの柄の巾着からケータイを取り出す。着信はない。阿澄は片手で器用にメールを打つ。
『遅れてごめん、今着いたとこ! 丈、どこにいる?』
メールを送信して、返事を待ちながら、同時に目で丈の姿を探す。橋の上から花火を見る客も多いため、大会が始まってもう時間が過ぎているにもかかわらず、会場近くの白川大橋は未だに混雑している。この人混みの中での人探しは難しそうである。ここはなんとか連絡を取って、近くにある目印を伝えてもらうのが手っ取り早かろう。
十分待って返信が来ないのを確認すると、阿澄は今度は電話を掛ける。しかし、響いたのはコール音ではなく、無情なアナウンスだった。
『おかけになった電話は、電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため……』
電波状況が悪いのか、丈が空気も読めずに電源を入れ忘れているのか。なんにしてもつながらない。この分ではメールも見ていないかもしれない。阿澄はケータイで連絡を取るのを諦めて、脚で探す。
百メートルほどの橋を一番端まで渡り切って、もう一度同じ道を戻ってくる。往復の間には、見つけられなかった。念のためもう一度かけた電話は、やはりつながらない。
「私が遅いから、怒って帰ったわけじゃないよね……」
不安になりながらも、探す、探す。
しかし、見つからないまま時間が過ぎる。もう何発の花火の音を聞き流したか。
時計の針も、花火の音も、待ってくれない。
「どこにいんのよ、もうっ……」
あんたのために浴衣買ったんだよ――悲しいのか、怒ってるのか、虚しいのか、よく解らない気持ちで、阿澄は空を見上げる。花火が咲いては散り、咲いては散る……
心臓の鼓動がうるさいのは、歩いて疲れたせいではない。慣れない下駄を履いた足が今更ながらに痛み出す。手の中にじっとりと汗をかきはじめる。夜風がべたべたして気分が悪い。
十分、二十分と時間が過ぎる。
焦るほどに、心臓がきゅうと締め付けられるような感覚に襲われた。つながらない電話を何度もかけ続ける。
迷子になったような心細い気分で、探す、探す……
「……!」
やがて阿澄は、自分の脇をすり抜けて、ぞろぞろと人波が動いていくのに気づいた。どこか遠くで、アナウンスの声が響く。
『――本日は、ご来場ありがとうございました。お気をつけてお帰りください……』
すぐには何を言われているのか解らなかった。一拍置いて、ケータイで時刻を確認すると、すでに九時を回っている。
「…………終わっちゃったじゃん」
呆然と呟いて、立ち尽くす。
それから、阿澄は踵を返し、走り出した。




