2 真夏の贈り物
部屋の冷房が死んだ。
前から変な音はしていた。吹き出し口からさっぱり冷気が出てきていないような気はしていた。それでも、エアコンを買い替える金はないからとだましだまし使っていたのだが、ついにご臨終した。
ことこうなっては、いつまでも意地を張っているわけにもいかない。オンボロアパートで熱中症で死にたくはない。丈は渋々、必要な荷物を持って一キロ先の実家に帰省した。自宅の玄関には、ローファーが一足だけ。在宅中なのは四葉だけのようだと丈は察した。
家に上がると、いつも部屋に引きこもっている四葉が、めずらしくリビングにいた。テーブルに勉強道具を広げ、傍らには麦茶のポットとグラスが載ったトレイを備えている。真夏ともなると、冷蔵庫が近いリビングの方が、勉強するのに快適なのだろう。冷房は、ガンガンに効いていた。
足音に反応したのか四葉が顔を上げる。一瞬、驚いたようだが、すぐにいつもの仏頂面になる。別に機嫌が悪いわけではなく、四葉はデフォルトで仏頂面なのだ。
「珍しいね、帰ったの」
「部屋の冷房が逝った。しばらくは世話になる」
四葉がくすりと笑う。
「もっとずかずか来ればいいのよ。ここはあんたの家なんだから」
私だってあんたの部屋にずかずか上り込むしね、と四葉は言う。
「三恵姉は出かけているのか。珍しい」
「例の、謎のサークル活動だって」
三恵は活動内容不明の怪しげなサークルに所属している。単位を落とすほどに情熱をかたむけているサークル活動とはなんなのか、心配ではないものの少し気になっている、というのが、他の四人の共通見解だろう。
「三恵姉といえば、俺は三恵姉が今の四葉姉ほど大学受験の時に勉強をしていたという記憶がないんだが」
「三恵姉は、割と天才肌だったから。今でこそ授業をサボり尽くして単位を落としているけど、高校までは毎日コツコツ勉強する派だったのよ。土台がしっかりしてたから、受験前だからって慌てて必死になったりはしなかった。……まあ、その反動で大学に入った瞬間、ああなったわけだけど」
四葉はシャーペンの先でテーブルをコツコツつつく。
「私はあんまり勉強してなかったから、今急いでるの。今になって、やりたいことができちゃったから……夢を持つのに遅いということはない、っていうけど、タイミングが重要であることは事実よね。三年になってから進学先のレベルを上げるって、自分でやってて馬鹿だと思う」
四葉が自分のことを語るのは割と珍しい。来年に受験生になる弟への、忠告なのかもしれない。
「あんたもさ、先のことまで考えなきゃ駄目よ。今は、鍵だの、魔女だの、面倒なことが多くて、目の前の問題を乗り越えるのに必死かもしれないけどさ。問題っていうのは、目の前に迫ってからじゃ手遅れのことだって、あるんだから」
「今のうちから、もっと勉強しろって?」
「勉強もそうだけど、まあ、いろいろと。あんた、大学には行くんでしょ?」
「一応」
魔法特区内にある大学は国公立、私立を合わせて六つ。学力のレベルはピンキリだ。三恵が在学中の大学は中の上くらいのところで、四葉はそれより更に上のところを目指している。そこでなければ学べないことがあるのだろう。
「私の予想はね」
四葉がふいに、にやりと笑って、予想というより、予言めいたことを言った。
「今のあんたは、特にやりたいこともないから、学力的に安全圏内のところに適当に進んで、無難に公務員になろうとか漠然と思ってるだけ。でもそういう奴って、ちょっとしたイレギュラーで進路がブレるのよね。確固とした目標がないから。それが悪いとは言わないけど。たぶんそのうち、あんたは自分でも信じられないような理由で、馬鹿みたいな選択をするんだわ」
「……カンニングしたんじゃないだろうな」
「まさか。読まなくたって、超解る。だって私は、姉だもの」
なんでもかんでも「姉だから」で片づけようとする四葉はずるいと丈は思う。
ずる賢いのとは違うが、ずるくて賢いこの姉は、時々人の思考をぴたりと当てる。それは、本当に「姉だから」のときもあるし、魔法を使っているときもあるらしい。
ここまでの話は、四葉としてはちょっとした息抜きのようなものだったらしく、やがて四葉は目の前の問題集と向き合った。邪魔をしては悪いと思い、丈は自分の部屋に引っ込もうとする。
「あ、そういえば」
リビングを出て行こうとする丈を、四葉は思い出したように呼び止めた。
「あんたにこれ、あげる」
ポケットの中から、四葉はしわだらけの紙切れを出した。怪訝に思いながら受け取ると、「花火大会・桟敷席 E-25」と書いてある。
「今度の土曜日、花火なの、知ってるでしょ? 桟敷席取れたの、あんたにあげる」
「桟敷席って、ものすごく抽選倍率高い奴だろ? 折角取ったのに、自分で行かないのか」
「いいのよ。それ、あんたの名前で応募した奴が当たったんだから」
人の名前で勝手に応募していたらしい。
「五人全員の名前で出してたの。勿論、みんなには黙って。サプライズってやつね、当たったら大喜び、ってのを期待して。でもさ、みんな花火大会の日は予定があるっていうの。予定を確認してから応募すればよかったわ。私一人で行くには広いし、あんたが友達と行けばいいわよ。一応、六人までは座れる席だから」
四葉はにやにやと笑っている。何を考えているのか、心が読めなくたって解る。四葉の思惑通りに動くのは癪に障るが、友達と言われて丈が真っ先に思いつくのは、やはり幼馴染の真壁阿澄しかいなかった。




