16 丸め込むのは大得意
「織部蓮華」
丈が名前を呼ぶと、織部蓮華はすぐさま扉を開けて中に入ってきた。当てつけのように扉を全開にして入口の所に立っているが、丈は織部を倒して強引に出て行こうとはしなかった。
「痴話喧嘩は終わったのかい?」
織部はにやにやと人が悪い笑みを浮かべる。
全部聞かれてた。それはそうだ、あれだけ大声で叫んでいたのだから、外で待機している織部には丸聞こえだ。阿澄はまたしても首を吊りたくなったが、後でこいつの記憶が飛ぶくらいまで殴ればいいじゃないか、と自分で自分を納得させた。
阿澄には、丈の真意がまだ解っていなかった。阿澄が心配して見守る中、丈は織部に対峙する。
「阿澄を通じて聞いただけだから、一応、食い違いがないか、『脱出ゲーム』のルールを今一度確認したい」
「いいぜ。何でも聞いてくれ」
「このゲームは、降参が認められている、そうだな?」
「ああ、その通りだ。脱出は無理だと諦めるんなら、餓死する前に降参することをお勧めするね。俺もどうせ甚振るなら死体より生きた人間の方が好きだし」
「降参についての規定は……まず、俺が鍵の在処を教える、それからお前は鍵を確認する。俺の証言が正しく、鍵を手に入れたら、その後に俺たち二人を解放する……そういう話だな」
「その通りだ」
丈は小さく頷き、迷わず宣言した。
「なら、俺たちはこの『脱出ゲーム』を降参する」
瞬間、織部はにやりと笑った。
「そうかそうか、いや、利口な判断だ。お前たちじゃ、どれだけ時間をかけようが脱出は無理だろうからな」
というか、誰だろうが物理的に脱出は不可能なのだ。元々勝ち目のない勝負だった……阿澄は悔しさに拳をぎゅっと固めた。
「さてさて、そういうことなら、話をさっさと済ませよう。鍵はどこにある?」
織部は丈に問いかける。教えないでほしい、と阿澄は願うが、丈はすでに降参を宣言してしまった。今更撤回を許す織部ではないだろう。
阿澄と織部の視線が集中する中、丈はすっと腕を持ち上げ、織部を指さした。
「鍵は、お前の心臓の中にある」
「……は?」
織部は理解不能というような頓狂な声を上げる。それから、弾かれたように笑いだす。
「あっはっは! 笑えねえ冗談だな、おい。そんな嘘で時間稼ぎしてどうする?」
「嘘? なぜ嘘だと言い切れる、見てもいないくせに」
「そんなもの、嘘に決まって……」
「嘘だと言い張るんだったら、早く確かめてみればいい。元々そういう話だろ、俺は鍵の在処を教える。お前はそれを、確認する。早く、確認してみろ」
「……お前」
織部は途端に不機嫌そうに顔を歪め、丈の胸ぐらを掴んだ。阿澄は丈が殴られやしないかとひやひやするが、当の丈は涼しい顔だ。
「俺の心臓の中に、鍵なんざあるわけないだろ」
「どうかな? あったはずの扉がなくなるような世界だ、なかったはずの場所に鍵が現れるくらい、不思議でもないだろ。なにせ、魔法の鍵だ。多少の物理法則くらい捻じ曲げるさ」
「嘘はもっとばれないようにつくもんだぜ」
「嘘かもしれない。だが、嘘じゃないかもしれない。嘘なのかどうか、鍵があるのかないのか。そんなものは見てみなければ解らない。見るだけで真偽ははっきりする。俺は鍵の場所を教えた。次はお前の番だ。俺の証言に従って鍵を確認する義務を果たす番。だから早く、てめえでてめえの心臓を抉り出して確認しろ」
その言葉を向けられたわけでもないのに、冷たい声に阿澄はびくっとする。彼はこんな声も、出せるのだ。織部の手が震える。苛立ちに任せて織部は丈を突き飛ばす。よろめきながらも、丈はまっすぐに織部を睨みつけた。
「お前の申告は、嘘だ」
「それはお前の思い込みだ。嘘だと立証する術があるのか? 勝手な思い込みで、人の証言を頭っから信じないで、自分の義務を履行しないなら、それはお前のルール違反……反則負けだ」
「そんな……馬鹿な話があるか! そんないい加減な嘘で……」
そう喚きながらも、織部は僅かに焦燥していた。彼女の言い分は、主観的で、非論理的だ。丈の申告は、たとえ嘘だとしても、それ自体はルールに抵触しない。しかし、織部が丈の話を最初から全く信用せず、「信用できないから」などという勝手な都合で確認を怠るのことは、ルールに抵触する。
馬鹿みたいな屁理屈、だが、それをルールに則り論理的に否定する術を、織部は持ち合わせていない――実際に心臓を抉る以外には。
「解らないか、織部。お前が自分で言ったルールの意味を、自分で解っていないからこういうことになる。たとえば――『降参するなら、暫定的に部屋から出し、鍵を目の前に持ってくることを条件に完全に解放する。それができないならもう一度部屋にぶちこむ』――そういうルールにしておけば、俺の言ってることは通用しなかった。だが、お前は間違えた。お前の提示した降参に関する規定は、言ったもん勝ちが成立する。嘘だろうがなんだろうが、お前が自分の目で確認することができなければ、それはお前の非になる」
「馬鹿な……ふざけるなよ、桐島丈ッ!」
「こっちは大真面目。これは明らかに、お前のルール設定の際の不手際、お前の落ち度だ。自分で決めたルールにくらい、ちゃんと従ってみせろ。こっから先は二択だ、ルール違反を認めて俺たちを解放するか、ルールに従って死ぬか」
冷たい光の宿った目が、鋭く織部を睨み据えた。ルールの穴をついて、逃げ場を完全に封じる、いつも通りの丈のやり口。舌先三寸は専売特許。怖いくらいに、抜け目がない。
がくり、と織部が膝をつく。呆然としてへたりこんだ織部を一瞥し、丈は阿澄の腕を引いた。
織部の脇をすり抜け、二人は部屋を脱出した。




