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15 その宣言は撤回不可

 阿澄は耳を疑った。何かの間違いだと思った。しかし、丈は同じ言葉を繰り返した。

「降参しよう、阿澄」

 一瞬、理解できなかった。たっぷり時間をかけて言葉の意味を理解すると、阿澄は声を上ずらせた。

「……ちょ、ちょっと待って、降参? 負けを認めるの? 鍵を渡しちゃうってこと?」

「他に方法はない。考えられる方法は阿澄が全部やって駄目だった。だいたい、窓も扉もない密室から脱出できたら勝ちだなんて、この勝負は元から勝ち目がない。冷静に考えれば解るだろう」

「でも、そこをなんとか、上手い方法を考えてよ。今までだってさ、そうやって魔女を倒したじゃない」

「相手が悪い。今回ばかりは無理だ」

「無理なんて言わないでよ、なんでそんな簡単に諦めちゃうの! だって、魔法の鍵は、丈がお母さんから残された大事なものじゃない。あんな奴に渡しちゃうの!?」

 考え直してほしい、その一心で、阿澄は叫んだ。しかし、丈は悲しげに溜息をつくばかりだ。

「阿澄。確かに、あの鍵は、母さんが俺に遺したものだ。大事にしろと言われたものだから、大事にしてきた。奪われそうになっても、なんとか守ってきた。けどな、俺は幼馴染を危ない目にあわせてまで、守りたいとは思わない」

「…………!」

「本当はもっと早くから、諦めていればよかったんだろうな。悪かった、阿澄」

 そんな聞き分けのいいようなことを言って。

 全部諦めようとしている。

 ――また、私のせいだ。

 阿澄は愕然とする。足元が崩れ落ちるような感覚に襲われた。結局また、自分のせいで、丈は自分の意思を捻じ曲げている。

 本当は受けたくない勝負を受けて、本当は守りたいものを投げ出す。

 ――そうやって、私のためだなんて言って。

 ――全部、私のせいにする。

 そう、解った瞬間に。



 ぱん、と阿澄の手が丈の頬を打った。

「……っ」

 今まで見たことのないような顔で、丈は驚いていた。阿澄自身も、自分の行動に少なからず驚いていた。だが、止められなかった。

 きっとこれは、今言わなければいけないことだ。

「どうしてそんなに簡単に捨てちゃうの。どうして諦めちゃうの。危ない目に合わせたくない? 巻き込みたくない? いいじゃない、そんなこと、どうだって」

「いいわけ、ない……」

「本当に大事な願いがあるなら、他のことなんかどうだっていいじゃない。なりふり構わず、自分の思うようにやればいいじゃない。鍵は、あんたがお母さんからもらった、大事なものでしょ? 文句言いながらだって、決して捨てたりしなかったものでしょ? 遺言だから仕方なくなんて嘯いてるけど、本当はそんなことない、ほんとに大事だからそうしてるんじゃない。大切なら、最後までちゃんと守ればいい。周りに迷惑? 心配をかける? そんなこと、気にしなくたっていい。たまには我が儘言ったっていいじゃない。友達くらい、我が儘につきあわせたっていいじゃない。危なくたって、巻き込んだって、構わないじゃん!」

「けど、」

「私はそれでいい」

 丈に口を挟ませず、阿澄は訴える。拳をぎゅっと握りしめて、懇願するように、祈るように訴える。言っているうちにまた涙腺が熱くなり、涙がこぼれたが、そんなものを拭う時間も惜しく、阿澄は叫んだ。

「あんたのほんとに大事なことのためだったら、私は危なくなってもいい、巻き込まれたっていい。それでも、最後まであんたと一緒に頑張りたい。だって、私はあんたが好きだから……!」

「!」

「!」

「…………」

「…………」

 丈がまっすぐに阿澄を見つめ返していた。意表を突かれたような、戸惑っているような、どこか嬉しいような、憑き物が落ちたような、そんな顔をしていた。そんな綺麗な表情に、阿澄は熱くなっていた感情が次第に落ち着いてきて、自分が勢い任せで何を言ってしまったのか理解し、顔をみるみる真っ赤にして、

「…………、今のナシ!」

 ばっと丈から離れて、後ろを向く。顔を見られたくない。

「今のナシ今のナシ今のナシ今のナシ今のナシ今のナシ今のナシ今のナシ今のナシ今のナシ今のナシ今のナシ!!!!!!!!」

 穴があったら入りたい。穴がないなら自分で掘る。どさくさまぎれに何を言っているんだ私、と阿澄は自分で数秒前の自分を罵った。

 阿澄は不意に丈を振り返ると、虚ろな目で丈を見据え、

「ベルト貸して。首吊る」

「待て待て待て待て、早まるなッ!」

「お願い止めないで、恥かいて生きるくらいなら死んでやる」

「頼むから落ち着いて、な? な?」

 丈は阿澄の両肩に手を置いて、あたふたしながら必死で宥めにかかった。

「解ったから……」

「解ってないよ……あんた、馬鹿だから……」

 肩に触れた掌から熱が伝わる。体中が熱くなって、まともに顔を見れなかった。悲しいのと恥ずかしいのと悔しいのと、いろいろなものが混じった涙がぼろぼろ落ちた。

 俯く阿澄の耳元で、丈は繰り返す。

「……解ったから」

 何がよ、と尋ねる前に、丈はすっと立ち上がる。何をする気なのか、と心配で思わず振り仰ぐと、そこに予想していたよりずっと精悍な横顔があった。

 ふっ、と短く息を吐き出し、丈は目を閉じた。何を考えているか解らない顔。だが、何かを変えてくれるのではないかと期待してしまう、頼りになる顔。

 つい数秒前まで、まともに顔を見れないと思っていたのに、今ではその精悍さに見惚れているのだから、おかしなものだと阿澄は思う。

「――解った」

 丈は、そう繰り返した。

「……どうするつもりなの?」

 阿澄の問いかけに、丈は悪戯っぽく笑って、答えた。


「勿論、降参するんだよ」

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