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14 挫折と再起と

「織部蓮華! 扉を開けてっ! 丈が……丈がもうヤバいの、死にそうなの、早く開けて、助けてちょうだいっっ!」

 自称迫真の演技で、阿澄は外にいるはずの織部に叫んだ。心の中では、「来い来い、ひっかかって来い!」と必死で念じていた。

「きゃああ! もうヤバい、超ヤバい! なんとかしてええっ!」

 演技すること三十秒後、はたして、何もなかった壁にうっすらと線が浮かび上がる。やがて、そこだけ色が変わり、取っ手が見え始め、壁に扉が戻った。

 そして、ぎっ、と軋みながら、扉が外から開かれた。

 ――今!

 完璧なタイミングに、阿澄の目がきらりと光る。扉の前で身を屈めていた阿澄は、扉が全開すると同時に立ち上がり、そこに立つ織部に半ば体当たりするように脱出を図る。

 しかし、

「――あのなぁ、死んだふりして相手がのこのこやってきたところを脱出するなんて、常套手段中の常套手段でなんとかできると思ってんのか?」

 嘲笑交じりの言葉が降ってくるのと同時に、阿澄の鳩尾に重い衝撃が走った。

「っ……!!」

 一瞬、呼吸が止まる。織部の膝が腹にねじ込まれ、阿澄の体が吹き飛んだ。

 同じ女とは思えないほどの、馬鹿力。圧倒的な暴力に、阿澄は後ろの壁に叩きつけられ、ずるずると床に崩れた。痛みで言葉すらも出てこない。容赦なく急所を的確に狙った攻撃。阿澄は苦しげに咽せ、涙目になりながら織部を睨みつける。

 扉はあるのに、開いているのに、すぐ目の前にあるのに、体が動かなかった。

「こういう作戦は、相手を力ずくで倒せる勝算があるときにやるもんだ。お前みたいな弱い奴、いくら隙をつこうが、俺を抜いてこの扉を抜けることは、万に一つもあり得ない」

 次はもっとマシな方法で頑張りな――そう嗤いながら、織部は無情にも扉を閉める。再び、扉は消え去り、ただの壁だけになった。

 阿澄はしばらく、黙って壁を睨みつけていた。やがて呼吸が落ち着くと、よろよろと立ち上がり、壁に近づいた。

 行く手を阻む、固くて冷たい壁。

「――ちっくしょう!!」

 ダンっ、と考えもなく拳を打ち付ける。途端に激しい痛みを感じるが、構わず殴り続けた。

「人のこと、馬鹿にしてっ! こんなことして何が楽しいっていうのよ! 陰険! 性悪! 年増ブスクソビッチっっっ!!」

 思いつく限りの罵倒をぶつけて、拳をぶつけて、蹴りつけて、体当たりして――びくともしないのを知ると、阿澄は力なくへたりこんだ。

 立ちはだかる壁の前では、阿澄はあまりにも無力すぎた。

「うぅ……ふぇぇえぇぇ……」

 ――私じゃ駄目だった。丈みたいに上手くいかなかった。

 何もできなかった。

 そう思い知らされた瞬間、阿澄は嗚咽を漏らす。ぼろぼろと零れてくる涙に、両手で顔を覆った。

「ごめん……ごめん、丈……私っ……」

 袖でごしごしと乱暴に涙を拭うと、すぐに瞼が赤くなる。拭っても拭っても涙が溢れる。悲しいのと悔しいのがぐちゃぐちゃになって、思考が止まる。

「勝てないよ……私、もう、どうしたらいいか……」

「――――阿澄」

「!」

 阿澄ははっと後ろを振り返る。名前を呼んでくれる、掠れた声。

「……丈」

 振り向いた先で、苦しげに顔を歪めながら、丈が起き上がった。




「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っっ!! 大馬鹿ー!」

 阿澄の変わり身は早かった。あれだけ止まらなかった涙がすっと引っ込んで、今は代わりに怒りのゲージが上昇中である。相手が怪我人であるのも顧みず、ぱっと飛びつきしがみついた。

 丈は何か言いたげだったが、声が掠れて上手く喋れないようだった。阿澄は慌てて水のボトルを差し出す。丈はそれを慎重に口に含んで、それから、

「――殺す気か」

 第一声がそれだった。たしかに怪我人をぎゅうぎゅう締め付けるという行動は冷静ではなかったが、しかし阿澄も、さすがに冷静ではいられなかったのだ。

「だいたい、なんで阿澄がこんなとこに……」

「あんたが悪いのよっ。急にいなくなって、連絡も取れなくて、私心配して……いったいどういうことなのよ。説明を要求します!」

 丈が目覚めたこと、また憎まれ口を叩くだけの元気があるらしいことで、動揺していた阿澄の気持ちは、少しは落ち着いた。そのおかげで、いつもの調子が戻り始めていた。

「説明って……お前を待ってたら、ラプンツェル・織部蓮華に声をかけられて、五分で話が済むって言われたから、お前が来る前に片付けられたら、と思ったんだけど。確かに話自体は五分で終わったが、その後有無を言わせず半殺しにされて拉致られてボコられて今に至る……今はいつ?」

「月曜日の夜」

「そうか……悪かったな、花火、行けなくて」

「い、いいのよ、そんなこと! なんでそんなつまんないことで謝るのよ、あんたは悪くないもの。あの凶暴性悪女が悪いのよ!」

 つい怒った調子で言ってしまう。だが、本当は怒りたいわけじゃない。本当は、丈が目を覚ましてくれたことが何よりも嬉しいのだ。そう思った瞬間、思い出したように目が熱くなり、それを隠すように、阿澄は丈の胸に顔をうずめる。その拍子に傷が痛んだのか、丈が小さく震えた。だが、それでも阿澄は、今は丈から離れようとは思わなかった。

「……それで、阿澄はどうしてここに? 今、どういう状況?」

「それは……だから、あんたがいなくなって、心配して。情報収集のために魔女集会に乗り込んで、織部に会って……あんた、織部のズボンに花火のチケット隠したでしょ」

「ああ、あれか……魔女集会のことは知ってたから、姉さんのうちの誰かが気づいてくれればと思ったんだが……お前が集会に乗り込むのは予想してなかった」

「でも、結局私が気づいたわけで、犯人が織部だって解ったから、今、あんたの身柄を賭けて勝負中」

「待った。勝負? お前と織部蓮華が?」

 丈は信じられないというような顔で阿澄を見る。

「他に方法がなかったのよ。こうして勝負にこぎつけただけ、褒めてほしいわ」

「それで、勝負って?」

 阿澄は、勝負の内容を説明する。できるだけ、織部が言った言葉をそのまま思い出して告げた。

 すべて話し終えると、丈は難しい顔をして沈黙した。

 きっと、今まで思いつかなかったような奇策で、織部に勝ってくれるに違いない――阿澄はそう期待した。

 はたして、長い沈黙の後、丈が溜息交じりに告げたのは、予想外の答えだった。

「――降参しよう」

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