10 彼につながる片道切符
言い放った瞬間、白雪が阿澄の袖をちょんちょんと引っ張り、阿澄の耳元に囁いた。
「ちょっと、何を考えてらっしゃいますの。いきなりそんなことを……考えがあると言ったではありませんか、なんでそんな直球なんです」
阿澄は焦りそうになるのを抑え、白雪にだけ聞こえるようにひそひそと囁き返す。
「カマかけてるに決まってるでしょ。白雪さんは彼女の反応をよく見ていて。ついでに、その辺で聞き耳立ててる魔女のことも」
先ほど織部が小さな騒ぎを起こしたせいで、織部は魔女たちから注目されている。そ知らぬふりをしながら、近くの魔女は聞き耳を立てているに違いない。有力容疑者の織部に探りを入れられる上に、他の複数の魔女の様子も探れる一石二鳥の策である。
白雪は僅かに目を見開き、それから得心したように、小さく頷く。
織部は特に表情を変えず、うっすら笑ったまま首をかしげる。
「桐島……ねぇ。聞かない名前だが、誰だ?」
「『魔法の鍵』の隠し場所を知っていると噂の方です。白雪姫が後れを取った」
「ああ、白雪姫が負けた奴、そんな名前なのか。悪いが、俺は知らんな。お前も鍵を狙って、情報収集というわけか?」
「そんなところです。白雪姫から伺いましたが、あなたは『グリムの魔女』の中でも一番お強いとか。あなたは鍵を狙おうとはしないんですか?」
「興味ないね、何に使うんだか解らない鍵なんざ。奪ってみてガラクタだったら、苦労が水の泡じゃないか」
「それはもっともですね」
織部蓮華はやはり表情を変えない。焦っている様子も驚いている様子もない。当てが外れたのだろうかと阿澄は不安に駆られる。白雪とアイコンタクトを交わす。織部を含め、怪しい反応をする者はいないようだ。
「では、あなたは彼に会ったことはないんですね」
「勿論、興味がないからね。俺がもっぱら興味のあることは……白雪姫の連れなら知っているだろう。俺は灰かぶり以上のサディストでね、自分でも困った性格だとは思っているんだが」
まったく困っていなそうな顔で織部はしゃあしゃあと言う。
「だが、いかんせん、お誂え向けな魔法を持って生まれたことだし。多少法に触れることがあっても、魔女のやることに口出しする奴は少ない」
自分は強い。強いから何をしてもいい。そんなふうに思っているのが、ありありと伝わってくる。阿澄が覚えたのは、まず嫌悪感。そして、こいつは何をやらかすか解ったものじゃないという、えも言われぬ恐怖だ。
今まで出会った魔女の中で、一番ヤバい女だ。
できることなら、金輪際関わりたくないタイプ。阿澄は、こいつが手掛かりを持っていればいいのにと思いながら、しかしできれば無関係であってほしいという矛盾した願いを抱いた。
「さて、俺はそろそろ行くよ。今日はちょっと顔を出すだけのつもりだったしな」
ひらひらと手を振って織部蓮華は背を向ける。
「阿澄さん、どうです? 彼女は、シロか、クロか」
白雪が囁く。阿澄は織部の背中を見送る。
このまま帰して大丈夫か。彼女は本当に何も知らないのか。だとしたら誰が手掛かりを持っているのか。昨日丈に接触したのは誰なのか。
一つ一つの疑問を検証しているうちに、阿澄は何か、引っかかりを覚えた。
「今、何か……」
何か、背筋がすっと冷えるようなものを感じた気がした。いったい阿澄は何に反応したのか。阿澄は織部の後ろ姿を見つめる。スローモーションのように遠ざかっていく織部。ぼさぼさの髪。ミリタリージャケット、やたらとポケットだらけのパンツ、黒い軍靴。
ポケットの、
「――待って!」
阿澄は反射的に駆け出し、織部の腕を掴んだ。
「……? まだ何か」
肩越しに振り替える織部は、わずかに苛立ちを含ませた声で問うた。だが、それに怯えている場合ではなかった。阿澄の指は、織部のミリタリーパンツの後ろのポケットに吸い寄せられ、そこからはみ出していた何かを引き出した。
それが何なのか、解った瞬間、阿澄は目を見開いた。
「どうして……どうしてあなたが丈のチケットを持っているの?」
織部のポケットからはみ出していたのは、花火大会のチケット。
「白雪さん」
白雪は小さく頷き、阿澄の隣に並び、糾弾に加勢する。
「これは自分のチケットだ、などと無粋な言い訳はなさらないでくださいね。一昨日の花火大会の桟敷席は全席指定。チケット一枚で六人まで。あなたが一緒に花火を見る友人はいるはずないという主観的な推測だけでは勿論納得しないでしょうから、ちゃんとした証拠をお見せします」
白雪は懐から引っ張り出した自分のチケットを織部に突きつける。阿澄の思った通り、やはり白雪は、少し前まではちゃんと毎日服を洗っていたようだが、最近は面倒くさがって毎日同じ服を着ている不潔女子だ。隣にいて汗臭いと思っていたのだ。
そして、織部蓮華も、個性的な装いの魔女の例に漏れず、この暑いのに毎日同じアウターウェアのいい加減な奴だった。だいたい、清潔にしている女がこんなにぼさぼさの髪をしているはずがない。
「私はわざわざ、桐島君のチケットの番号を盗み見て、隣の席のチケットを買い取ってきました。あなたのお持ちのチケットと、私のチケット、連番になっているはずですよ。ちなみに、私の右側が彼の席で、左側は空席でしたので、つまらない言い訳はなさいませんように」
白雪が持っているチケット番号はE-26。織部が持っていたのは、E-25だった。丈が持っているはずの、E-25のチケット。
「さて、改めてお答えいただきましょうか、ラプンツェル。なぜ会ったことのない人間が持っていたはずのチケットを持っているのか。拾った、なんて言わないでくださいね。あなたは落し物を拾って届けようというする善良な人間でも、横領してしまう狡い人間でもないことくらい知ってますから」
どんな言い訳も許さない白雪の追及に、織部は不愉快そうに舌打ちする。
「……なんだよ、あの野郎。そんなもんを忍ばせてたのかよ」
そして、次の瞬間織部が見せたのは、ぞっとするような嗜虐的な笑み。
「……お前たちが思ってる通りだよ。鍵の継承者は、俺の手中にある」




