96 第百六十六代オランダ商館長 J・H・ドンケル=クルチウス
あ、ちがったわ。
「いや~、またまたお世話になりますぅ」の、第百六十六代オランダ商館長クルチウスさん、そういえば、最近肩書きが変わったんだ。
[紹介しよう。こちらはオランダ駐日特命全権領事官、ヤン・ヘンドリク・ドンケル=クルチウス氏である]
俺の紹介を受け、うやうやしく一礼するオランダ領事官。
じつは、ヤンさんの肩書変更は、日蘭和親条約がらみだとか。
クルチウスは、いままでタテマエ上は民間人 ―― オランダ貿易会社日本支社長的ポジションだったが、日蘭間に正式な国交が樹立したことで、
職務内容 → 変更なし
肩書き → 外交官に変身したのだ。
これは鎖国中の徳川政権がオランダに対して通商はOK、国交はNOだったためで、もともと商館長イコールオランダ領事もどきだったのを、正規の政府代表に名称変更しただけ。
そして、『タテマエ上の民間人』というのは、オランダ東インド会社やその後継・オランダ貿易会社の特殊性によるものらしい。
世界初の株式会社といわれる、オランダ東インド会社(略称VOC)。
その形態は個人出資の交易企業だが、会社設立のきっかけ(アジアにおけるポルトガル拠点の奪取と、交易でイギリス・スペインに対抗するため)や、実態(外国との条約締結。軍隊の駐留。要塞築造。地方長官・司令官の任命などなど)をみれば、民間企業をよそおった現地政府なのはあきらか。
とはいえ、VOCは、イギリスとの海戦敗北や、フランス軍によるオランダ本国侵攻等の影響で財政難におちいり、1799年、解散。
1815年、ナポレオン戦争後のウィーン会議により、ネーデルラント王国が成立し(つまり、独立国として復活)、初代国王となったウイルレム一世は海外貿易の促進により、国力増強を図った。
そんなこんなで、1824年、オランダ貿易会社(略称NHM)が設立されたわけだが、ようするに、1799年~1824年の二十五年間、出島のオランダ商館はすでに存在しない国の出先機関だったのだ。
この事実は幕府も把握していたが、地球上で唯一オランダ国旗がかかげられた出島の外国人にはみな同情的で、祖国が再興されるまで支援をつづけたという。
つまり、VOCにしてもNHMにしても国策会社なので、ハナから社員はオランダ政府職員同然だったわけだ。
[かの国は過去二百五十年にわたり日本の良き友人であり、また、現在は最も重要な同盟国のひとつである。
こたび露国との交渉にあたり、いまだ国際外交に慣れぬわが国としては、法律家としても名高いクルチウス領事官に立会人として同席をもとめたものである]
―― 長きにわたる良き友人 ――
二十一世紀では「チューリップと風車」みたいなほのぼのイメージのオランダだが、十七~十八世紀の蘭ちゃんは、それとは真逆な猛々しくギラギラした侵略国家だった。
かつては、広大な植民地を有する大国として『海上帝国』とまで称され、世界に君臨していたオランダ。
しかし、現在(1854年)のかの国は、利益より駐留経費だけがかさむ植民地と、数度におよぶ対英戦争で縮小した版図、あげくのはては、フランス軍の侵攻により本国までもが消失 ―― 昔日の威容はナリをひそめ、欧州内の綱引きのオコボレで、なんとか四十年前に立憲君主国として再興したばかり。
いまや東南アジアの植民地と、対日貿易がメインの中堅国に転落した弱小国となり果てているオランダだが、過去のかがやかしい栄光があるからこそ、日本にもつけ入るスキがあるのだ。
オランダは、前回の対米、今回の対露と、やけに協力的だが、なにも長年のつきあいによる友情やら義理やらで日本に肩入れしているわけではない。
国家間の外交において、そんな幻想を抱いたら、あっという間に足元をすくわれる。
オランダの行動の裏には、もちろんしたたかな計算 ―― 打算があるのだ。
(でも、蒸気船一隻をポーンとプレゼントしてくれたのは意外だったけどな)
一時は『海上帝国』として繁栄しながら、いまはちょっと残念な立ち位置のオランダさん。
でも、チャンスさえあれば、ほかの列強諸国を押さえ、トップに返り咲こうという気はマンマンだ。
日米交渉の際、なんとしてもオランダを味方につける必要があった俺は、対日同盟締結のメリットを提示し、その歓心を買った。
オランダの野心を煽り、なおかつ日本の国益にかなう好条件をご用意して。
それが次の五カ条
一)通商開始にそなえ、貿易による国内物価の変動を見るため、オランダとの貿易量をふやしてモニタリングをおこなう。
(「いままでより貿易額ふえるから、絶対もうかるよ」と解説)
二)下田・箱館につぐ貿易港として、新たに横浜開港を計画している。
ついては、ここのインフラ整備にオランダの技術・資金両面での協力をもとめたい。
出資金はオランダからの借款とし、今後想定される各国との条約締結で領事館・商館が置かれたとき、その敷地に対して相応の地代を徴収。それをオランダへの返済にあてる。
(「ね、これなら貸し倒れとかないし、安心安心」と説得)
三)横須賀に鉄工所と造船所の建設。
こちらにも資金・技術面の支援を要請。
これも借款とし、オランダ船以外の船から得た修理費で返済する。
(「横浜近郊に船渠も必要でしょ? オタクの船が壊れたときは最優先で修理するし」と説明……本当は、あっちと同じようにドックはフランスに造ってもらって、ミニ・ツーロン軍港ぽいのにしたかっ……あわわわ、なんでもありません!)
四)海軍創設の一環として、築地に海軍伝習所と医学伝習所を開設。
そのための講師派遣を要請。
この講師陣には講師料を支払う……けど、ちょっとだけまけて?
(「うちもオランダさんが困ったとき助けてあげたいの! お役にたてる人材を養成しないと!」と説伏)
五)横浜のオランダ領事館完成まで、以前からオランダ商館長参府の際の定宿・長崎屋を仮庁舎とする。
長崎屋は日本橋近くにあり、江戸随一の商業地 ―― つまり超一等地!
ちなみに、アメリカ領事館は、江戸から遠く離れた下田に設置予定。
これは日米和親条約の中にがっつり明記している。
このあからさまな待遇差!
ね、優越感、くすぐられるでしょ?
これはオランダさんへのごほうびだからね!
(「だから、アメリカもオランダも、九条『最恵国待遇条項』なしにしてよかったでしょ? じゃなかったら、アメリカも長崎屋に同居だったわけだし」とたっぷり解義)
―― というオイシイ言葉で口説きまくり、「阿蘭陀、レート差益でウマイ汁吸ってたでしょ?」で、十分脅したうえで、例の「出島から出てって」発言を投下したのだ。
この最後の一押しで、クルチウスは日蘭同盟を決意した(めでたし、めでたし)。
早い話が、オランダ商館長をうごかしたものは友情でも義理でもなく、日本に協力して得られる『利』と、「二百五十年間独占してきた既得権をアメリカにうばわれるかも!?」な危機感だったのだ。
そして、今回の交渉でもオランダの協力は必要不可欠 ―― ってことで、俺は長崎到着早々、ずっと待ちぼうけを喰らわされているプーをガン無視し、出島のオランダ商館に直行した。
ところが……なんと予想外の事態が!
対露交渉に、オランダは全然乗り気じゃない!
てか、むしろパスしたい気持ちがありありと見える。
なんでも、現オランダ国王ウイルレム三世のママは、現ロシア皇帝ニコライ一世の姉 ―― ウイちゃんはニコちゃんの甥だったのだ!
おそるべし、ヨーロッパ王室の血縁ネットワーク!!!