95 ロシア帝国海軍中将 エフィム・B・プチャーチン
そんなこんなで、ようやく長崎奉行所に到着。
長崎奉行所といっても、じつは二か所にわかれていて、ここは長崎奉行所西役所。
文禄元年(1592年)、豊臣秀吉によって本博多町に設置された長崎奉行所は、約四十年後の寛永十年(1633年)、徳川政権下で奉行職が二人制になり、役所も東・西ふたつの屋敷にわけられた。
翌十一年(1634年)、外浦町南側海中に出島の築造開始。
その二年後に、出島が完成。
寛文三年(1663年)、寛文の大火により焼失した奉行所を出島前に再建。
延宝元年(1673年)、東屋敷が内陸部に移り(東役所)、出島をのぞむ敷地全域が西役所となった。
―― な~んてウンチクは、この際どうでもいいんだけどね。
(「んだとー! この数行のため、アタシがどんだけ時間と労力かけて資料漁ったと思っ……#$@%★ーッ!」)
な、なに、いまの???
ぇ、え~と、ようするに、ロシア使節との会談は西の方で…………。
エントランスで供とわかれた俺は、大野・水野とともに奥にむかった。
陪臣の大野は、通常ならこんなところまで入れないのだが、密航発覚後、又一の差配でなぜか俺の副官兼英語通詞あつかいになり、常侍が許可されている。
うす暗い廊下をとおり、交渉団控室の書院之間に入る。
二間つづきの座敷には、先着の幕臣が整然と居並び、全権の着到を待っていた。
「みな、大儀」
上座からそう労うと、官僚たちは一斉に平伏。
今回の日本側使節は、
前任の対露全権、大目付・筒井政憲
勘定奉行・川路聖謨
儒者・古賀謹一郎ら応接掛にくわえ、
別件で長崎滞在中の目付・永井尚志
蝦夷から招喚された函館奉行・堀利煕
全権特使随員兼目付の小栗忠順
同・岩瀬忠震
プラス昌平黌塾頭林大学頭お墨つきの秀才カルテット ―― 栗本瑞見、田辺太一、木村喜毅、池田長発のヒラ随員にくわえ、甲府徽典館(昌平黌分校)学頭・矢田堀景蔵がアドバイザーとして列座し、長崎奉行・水野忠徳と、同・荒尾成充のふたりが交渉全般をサポートする。
そして、中島三郎助、小野友五郎ら理系スタッフは技術面での諮問にこたえるべく、つねにスタンバイしている。
まさに、『ザ・TOKUGAWA最強官僚軍団』!
「おいおい、こんな精鋭ばっか派遣しちゃって、江戸の行政は大丈夫なのかーっ?」なこの顔ぶれをみれば、阿部ら幕閣が、全力で俺を支援しているは一目瞭然。
無理難題をふられた同僚に対するオッサンたちの心づかいがビシビシ伝わっ……、あ、あれ? なんか、ちょびっと涙が……。
ち、ちきしょう、オッサンたちがあんまりやさしいもんだから……(ずびっ)……みんな、ありがと……(ぐしゅ)……ホントありがと……(ぐすん)……今生ではもう会えないけど……(ぅううぇっ)……俺、あんたらのことは一生……(えぐっ)……忘れないから……(ううう)……ほんと……(ひっくひっく)……。
んじゃ、そろそろそのご厚意にお応えしないとな。
決意を新たにしたとたん、脳内で鳴りはじめる『ワルキューレの騎行』風旋律と、体内をかけめぐる大量のアドレナリン。
最後の駅伝以来のハンパない高揚感!
「今交渉は、本日中に決着をつける。みな、頼むぞ!」
声も高らかに闘魂注入。
「「「はっ!」」」
一発気合を入れたところで、そろって会談場に移動する。
ロシア使節との会談場は、西役所内対面所。
ロシア側はこの畳敷きの広間に勝手に椅子を運び入れ、日本政府交渉団が入室したときには、すでに着席してお待ちかねだ。
[宰相閣下!]
歓喜の声とともに、勢いよく立ちあがったオッサンは、ロシア帝国海軍中将にして、露国全権エフィム・ヴァシリエビッチ・プチャーチン提督。
プー提督は満面に笑みをたたえ、すさまじい速さで歩みよってきた。
ちなみに『宰相』とは、俺が初日の自己紹介でテキトーにフカしたハッタリだが、会津侯は現在、従四位上左近衛権中将で、将軍後見役の大政参与。
よく考えたら、ほとんど宰相同然だから、今回は、そんなに盛ってない。
[閣下との再会を、心待ちにしておりました]
至近から、ねっとりした秋波を送ってくるプーさん。
(再会って、おとといも会ったろうが?)
ウザい口上にへきえきしていると、プーの手が躊躇なく俺の右手をキャッチし、鍛えぬかれた握力で、華奢なお手々をギリギリ絞めつけてきた。
ぃててててぇーっ!!!
おい! こら! すこしは手かげんしろ、無神経オヤジ!
容さんは『深窓のお坊ちゃま仕様』で、各パーツとも超繊細なんだ!
てめーのバカ力で、白魚のごとき上肢が破損したらどーすんだ!
と、
「下郎、そのきたない手を放せ」
真横から湧くダークな呪罵。
視野の端で、大野が会津拵えの愛刀に手をかける。
「いつでも殺れます」な上意討モードだ。
オヤジのにやけた眼が、歩く刑具をとらえた瞬間、
「――!!!――」
はじかれたように後退る白くまプーさん。
敵意と悪口は言語を超越して伝わるという通説がここでも証明されたようだ。
「図に乗るな、この魯戎め」
能面のまま吐き捨てる副官と、青ざめるロシア使節一同。
(英語ベラベラなのに、なんで日本語?)
あっ!
言質とられないように、か?
さすが、大野。ケンカ売るときも万全だな。
(にしても、たしかに調子こいてんな、プーのやつ)
ジンジンする手をさすりながら、再度ムカムカ。
こっちの許しもなく、下位者が上位者の手をつかむなど、とんでもない非礼だ。
大政参与出席の対露会談は、今日で三回目。
過去二回の親善ムードが、どうやらオッサンをつけあがらせたようだ。
(くそ! フレンドリー作戦がアダになったか)
嘉永六年七月(1853年八月)、ペリー訪日に触発され、アメリカ艦隊から遅れること一ヶ月半、四隻の艦隊で初来日したプチャーチン提督は、威嚇射撃バンバンで江戸近郊での交渉をもとめたペーとはちがい、日本の慣行どおり長崎での交渉開始を辛抱づよく待ちつづけた。
嘉永七年一月(1854年二月)
こんどはプーに出し抜かれることをあせったペーが、予告より半年ちかく早く再訪し、またもや「交渉地は江戸じゃなきゃイヤー!」とゴネまくって、横浜村での交渉をムリムリ承諾させ、日米和親条約締結に成功した。
それに対しプーは、1853年三月にはじまったクリミア戦争(ロシア対トルコ・イギリス・フランスほか)の余波で、中国付近をウロウロするイギリス艦に見つからないようコソコソ来航・退去をくりかえした。
国際的に不利な状況下、それでも条約締結に執念をもやすプーのもとに幕府応接掛が到着したのは、ペー再来日と同じ嘉永七年一月。
しかし、はかばかしい返事はもらえぬまま、ふたたび離日することに。
ということで、いまだ条約締結にはいたっていないプチャーチン提督だが、自己中ヤンキー野郎とは対照的に、日本のルールを尊重するロシア使節に日本側の好感度はアップしている。
初代対露全権の筒井・川路も提督ファンで、着任早々の俺に、「プーさんにはやさしくしてあげて」と、リクエストしてくる始末だ。
ってことで、前二回の会談はオッサンどもの顔を立てて、友好路線で進めてきたわけだが、友好ムード、プラス宰相じきじきの出馬という超破格待遇にはっちゃけたプーは、斬捨て御免レベルにまで増長しちまったらしい。
だがなぁ、せっかく築きあげた仲よし関係に水をさすようで悪いが、お友だちごっこはもう終わりだ。
なにしろ、露西亜の狙いは『通商』と『樺太をロシア領とみとめる国境画定』。
んなの、認めちゃっていいの?
いんや、ダメに決まってんだろ!
[さてと]
しびれる右手を優雅にふりながら、対面を凝視する。
グローバルスタンダード版超絶美形から注がれる熱いまなざしに、みるみる赤化するロシア人四人。
[では、本題に入ろうか?]
四人の中にはオランダ語通訳官もいるが、英語なら通訳なしで提督に通じる。
なにしろプーは、十数年前イギリスに派遣され、蒸気船購入やさまざまな交渉をやっていたので、英語は堪能なのだ。
―― ほかのメンバーはどうだか知らないが。
[いつまでも提督を引きとめては、皇帝陛下に申しわけがたたぬからな]
[申しわけ?]
[おや、欧州で大規模戦闘中の貴国にとっては、たとえ一隻の艦船といえども貴重な戦力であろう?]
プー提督は、前回引きつれていた三隻を東シベリア沿岸防備のため母国に残し、今回は旗艦ディアナ号一隻で来航している。
最終的に九隻の大艦隊で圧力をかけてきたペリーにくらべると、やはりインパクトは弱い。
[よ、よくご存じで……]
気まずそうに口ごもるプー。
[しかし、そのようなお気づかいは無用[しかも!]
相手の言葉を思いっきりさえぎり、
[『貴国の要望には一切応じられぬ』とは、まことに申しわけないかぎりである]
手袋を投げつけるような挑発行為。
[なんですと!?]
紅潮したほほが、蒼白にかわるロシア全権は、
[話がちがう! 通商はともかく、筒井・川路ご両所との話しあいで、『樺太では国境を画定せず、これまでの慣習のまま共同管理』という内容で合意間近だったではないか!]
[これまでの慣習? 『それぞれの国民が住む地が双方の領土』ということか?]
後世、「このとき国境線をあいまいにしたため、あとでさまざまなトラブルを引きおこした」と酷評されるこの合意だが、実際は、軍事力において圧倒的に劣勢な立場で、大国ロシアからここまでの譲歩を引き出した交渉力はなかなかのもの。
幕府外交の面目躍如ともいうべき快挙 ―― だったのだが。
二国間で取り決めたこの合意は、結局、ロシアが武力で日本人を居留地から追い出し、なし崩し的に樺太全土を占領してしまう。
太平洋戦争末期、日本の敗戦が決定的になったとたん、どさくさにまぎれて火事場泥棒みたいに北方領土をかすめ盗ったソ連と同じやり口で、ロシアも樺太を分捕ったのだ。
ようするに、あの国の伝統的手法なんだろう。
しかも、いまから七年後、やつらはこの友好ムードを利用して、「ロシア、トモダチ!」とか言いながら、強引に対馬を割譲させようとしたのだ。(『ポサドニック号事件』)
いや、ホント、このときはガチでヤバかった!
ほとんど乗っ取られかかったのを、幕府がイギリスに泣きついて、白くまどもを「しっしっ!」してもらってギリギリセーフだったという為体だ。
幕府のみなさん!
ロシアは信用できるオトモダチなんかじゃありません!
だから、ここはひとつ踏んばらないと、ですぞ!
[樺太は日本固有の領土である。この儀、一片の妥協もできぬ!]
むっつり黙りこむロシア側の異様な雰囲気に、幕臣たちもザワザワ。
「大野殿、肥後守さまはなんと仰せられたのだ?」
切迫した口調で問いただす川路。
幕臣たちは英語が理解できないのだ。
「殿は『樺太は日本の領土である』とご説明なさっただけです」
マイルドに加工する能面英語通詞。
「ふむ、たしかに」
岩瀬が真っ黒な笑顔でクスクスほくそ笑む。
えっ? わかったの、いまの会話?
英語、いつマスターしたんだよ、あんた?
昌平黌教授、パねーな!
まぁ、そのことは今度聞くとして。
「冬馬」
「はっ」
「お通しせよ」
「御意」
颯爽と退出した副官は、ほどなくある男を伴って戻ってきた。
[御足労だな]
[いえ、なんの。侯のお役にたてるのであれば、いずこなりとまいりますぞ]
にこやかにそう答えたのはオランダ商館長のクルチウスだった。
【上意討―主君の命により、罪人などを斬ること】
【斬捨て御免―江戸時代、武士に対して無礼なふるまいをした下士・百姓・町人などは「斬っちゃってもいいっす!」な特権のこと】




