92 客夢
ぬくぬくぬくぬく
あたたかい布団を堪能する、至福の彼は誰時。
それに、なんでだろ? この、久々の爽快感は?
(~極・楽・極・楽~)
心ゆくまでダラダラうとうとしていると、
「よう眠っておられますな」
だれかが頭上でヒソヒソ。
(森……粂之介?)
「それにしても、昨日は突如半狂乱になられたかと思うと、いきなりの寝落ち。殿はいかがなされたのでしょうか?」
「あれは疲労が限界に達したとき特有のおふるまい。よく覚えておけ」
自信満々に語る低音。
「「そうなのですか!?」」
感心する複数の声。
「「さすが近侍歴十四年の古参っ!」」
「なにが『さすが』だ! おまえたちがついていながらどういうことだ!? 日々規則正しい生活をおさせしていたのか?」
「も、もちろん、毎夜決められた時刻には、御寝あそばされて……」
おろおろ消え入るような弁明。
(この声は……浅田?)
「では、昨日のあれはなんだ? ずいぶんとお疲れがたまっていたようだが?」
ネチネチネチネチ詰問の連射。
「そういえば、数日前より目の下にクマも。それに、ここのところずっとイライラなさっておいででした」
思いっきり地雷をふむ森。
「む、まちがいない。殿はご心労のあまり、熟睡なさっていなかったのではないか?」
(いわれてみれば、最近やけに身体が重ダルかったような……?)
「も、申しわけありませぬ。それがしがいたらぬばかりに」
「しっかりいたせ、浅田! いまはおまえが小姓頭なのだぞ!」
「な、なれど! 今朝はよくお休みのごようすにて」
険悪ムードを必死につくろう粂之介。
「……昨夜は、大野殿が添い伏しされたゆえ……」
じめっとした口調で、浅田がボソボソ。
「やはり、それがしに大野殿のかわりは……(ぐちぐち)……」
(ありゃ?)
ブータレてる? いつも温和な浅田くんが?
「し、しかしながら、それがしとて!」
(こ、壊れた!?)
「誠心誠意(ひっく)懸命に(ぐすぐす)お仕え(ずび)つもり(うぐ)……うわーん!」
錯乱する浅田くん。
「大声を出すな! 殿が起きてしまわれるではないか!」
(浅田より、おまえの方がうるさいよ)
「も、もも、申しわけ、あり、あり……あ゛あ゛ーーーっ!」
「どうしたのです? なにかあったのですか?」
「じ、じつは……ぅぅぅ……」
部下のいたわりに、嗚咽をもらす浅田。
「寝不足なのは、殿より、むしろそれがしの方にて」
「「???」」
「なにしろ、毎夜、寝ぼけた殿が……」
「「殿が?」」
「親指をチュバチュバ吸いながら、わが褥にゴソゴソ潜りこんでこられて……」
「「な、なんとっ!?」」
(――っっっ!)
や、やってねー! そんなこと、絶対してねーし!
でも、もし……もし、それが本当だとしたら……犯人は容さんだーっ!
俺が寝てる間に、あいつが勝手にぃ!
(@&#*$ーーーッ!)
「それは由々しき事態!」
ブチ切れる元・小姓頭。
「あれほどチュバチュバ厳禁と、つねづね申しあげておるものを!」
「そこですか? 夜這い自体は問題ないのですか!?」
「粂之介! 夜這いとはなんだ! 夜這いとは!」
そーだ! そーだ! 失礼だぞ!
「殿はオコチャマゆえ、昔から独り寝が苦手なのだ。チュバチュバは禁止だが、添い伏しは御意あらばお受けすることになっておる。これは小姓頭にあたえられた大事な御役目である!」
「さ、さようにございましたか」
「おまえとて、いずれこの御役目を引き継ぐのだぞ!」
げっ、森が添い寝!?
……マジ勘弁。
だって、こいつ、主君そっちのけで朝まで爆睡しそうだもん。
そしたら、夜中トイレに行くときどうすりゃいいんだ?
平成生まれはポットン便所が苦手なんだ!
とくに真夜中のポットンはーっ!
「な、なれど……」
現・小姓頭は、なおもベソベソぐずぐず。
「夜な夜なあのうるわしき顔にぎゅっとひっつかれ……一晩中耳もとでチュバチュバチュバチュバ……気になって一睡もできず……もう、もう身体がもちませぬーっ!」
「身体がもたぬ!?」
上司の切々たる訴えに、なぜか粂之介のトーンが変化。
「では、いまからきたえて……(ぶつぶつ)……」
(……こら……)
「さいわい昨日は、殿が大野殿に抱きつかれたまま爆睡され、十日ぶりに夜伽から解放され、ぐっすり――」
「泣き言を申すな!」
「よ、夜伽!?」
浅田ーっ!
ややこしい単語、つかうんじゃねーっ!
森も、そっち方向の語ばっか抽出しやがって!
「小姓頭たる者、殿のいかなる御意にもお応えし、翌日にお疲れを残さぬことこそ大事! 己が快眠できるかどうかなどどうでもよいのだ!」
「御意!? お応え!?」
ヘンなところで、いちいち反応するな、森っ!
「しかしながら、それがしでは殿にご満足いただけぬようで……。事実、大野殿が同衾されたとたん、かように満ちたりたごようすにてスヤスヤと」
「同衾っっっ!」
おい、殴られたいのか?
「それにしても、なにゆえ殿はだれよりも信をおかれる大野殿をあえて小姓頭から外されたのでしょう? 大事な御公務を前に、かような人事刷新がまことに必要だったのでしょうか?」
「「たしかに。近ごろの殿は少々おかしい」」
森の意見に、新・旧ふたりの小姓頭も同意。
(……ぎ、ぎくぅ……)
だって……だって、勘のいい大野が傍にいたら、すきを見て逃亡するのはむずかしいだろ?
だから、亡命を阻止されないよう、人事異動でこいつを近習から外して、同行させないようにしておいたんだ。
なのに、なんで、ちゃっかり乗船してんだよ!?
俺の『大脱走』計画、早くもヤバくなってんじゃねーか!
う~、まずい、ホントにまずい。
「件の大病以来、殿におかれては、公の場にてはめざましいお働きなれど、その反面、以前よりあきらかに幼児返りされておるな」
俺の動揺をよそに、十四年のベテラン小姓がグサッと指摘。
「まことに。大殿御逝去後、藩主となられてからは自らを律し、しばらく添い伏しはおやめになられておりましたものを」
「命にかかわる大病をなされ、独り寝が不安になられたのであろうが」
「「おいたわしい」」
「なれど、ふたたび御召しがあったときは、妙にうれし……(ごほごほ)……いや、なんでもない」
「「…………」」
(…………)
にしても、この時代の成人式=元服後も、ずっとボンヤリだった容さん。
だが、父親が急死して(まぁ、暗殺みたいなもんだが)、自分が藩主となり、その双肩に何万人分もの生活を負う立場になってからは、さすがにアイツも、
「もう甘えられない」
「立派な藩主にならなくちゃ」
と、遅まきながら自覚したらしい。
そして、「脱オコチャマ」のため、御城での迷子(とくに『奥』への不法侵入)・添い寝・チュバチュバ等々残念行動をやめて、立派なトノサマになるべく彼なりに努力していたここ数年。
ところが、思いがけず俺と同居することとなり、
「おー、大名業丸投げできるじゃん!」で、じわじわ逆もどり ―― って感じなのか?
だとしたら、俺が憑依したせいでせっかくの決意を……。
(だったら、すまん、容さん)
「とは申せ、こたびの抜擢は殿じきじきのお声掛。しばらく辛抱いたせ、浅田」
寝たふりしながら、ひとり悶々と反省する俺の傍らで、小姓どもは相かわらずコソコソヒソヒソ。
「しかしそれを言うなら、大野殿は江戸留守居役に栄進されたはず。かようなところにいてよろしいのですか?」
浅田にしては、めずらしく上役に反論。
「主命にそむいたうえ密航とは……大胆な」
「殿より、いかなるお咎めが~」
飄々と脅す森。
「案ずるな」
インパクトのあるテノールが余裕でうそぶく。
「この儀、ご家老さまも承知のうえ。さらに仮養子・清水慶誠さまの内諾も得ている」
「「ご家老と、清水さまのっ!?」」
な、なんだとー!?
清水慶誠、仮養子の分際でー!
今回の海外出張にあたり、会津松平家では仮養子を立てる必要にせまられた。
とはいえ、容さんの肉親は利ちゃんだけ。
若い近親といってもアニキと池田くらい。
それで、このたび利ちゃんのフィアンセ・清水慶誠が、急きょ松平容保の仮養子となったのだ。
本来なら、御三卿当主が格下の松平家養子などありえないが、そこは将軍さまの『鶴のひと声』で、後継者(仮)問題もさっくり解決……したのだが。
この養子話が決まったときから、なぜか胸さわぎが止まらない。
だって、俺がこのまま帰国しなかったら、あっちの世界の『容保』激似男が、こっちでも会津藩主になるわけで。
それがきっかけで、ここの時流があっちと同じになったり、とかはないんだろうか?
俺がいままでフラグ折るためにがんばってきたことが、あいつが藩主になったら全部ムダになる、なんてことに……。
もしや……もしかして、歴史が必死に揺り戻しを……?
いわゆる『復元力』ってやつで……。
まずい。
あの激似『容保』藩主のもとで、こっちでも会津戦争がおこったら、すべては水の泡。
かといって、あのメンヘル生活にもどることは、絶対に避けたい。
じゃあ、どうすればいいんだ?
ここの歴史を……もっともっと変えれば。
修復不能なくらい、あっちとこっちが乖離しちゃえば、そうすれば、あいつが藩主になってもなんとかなるんじゃないか?
だとしたら、こんどの外交交渉がターニングポイントかもしれない。
もし、俺が、あっちの世界じゃありえない条約を締結すれば ―― 未来は確実にかわる!
同じ歴史になりようがない!
なら、やるしかないだろ?
自由を手に入れるために!
ギギギギ。
船が大きくかしいだ。
すこし風が出てきたようだ。
「本日中には長崎に到着する。殿の大事な御公務に支障をきたさぬよう、おまえたちも心してお世話申しあげよ」
「「はっ!」」
いまだに上司ぶる大野の激励に、近習ふたりは条件反射で返事をした。