88 会津藩御家訓
四つ半(約午前十一時)
大政参与・老中・若年寄二名は、うちそろって執務室入り。
ふたりの若年寄は次御用部屋、大政参与・老中はその奥の上御用部屋に入る。
本来若年寄は、老中より早い朝五つ(午前八時)登城なのだが、新人若年寄・池田因幡守と浅野安芸守は俺の補佐役として入閣しているため、俺の登城時間に合わせて、ほかの若年寄より二時間ほど遅く出勤しているのだ。
池田・浅野両外様大名の若年寄抜擢 ―― この人事、じつは俺が将軍に頼んで実現したもの。
(てか、全部大野の入れ知恵なんだが)
例の毒殺未遂事件があり、江戸城内におけるより厳重な危機管理と補佐役が必要になった会津侯。
かつて、護衛役だった又一は、奥右筆改革のあと本格的に幕府の組織改革に取り組みはじめたので、最近は朝練にも来れないほどの多忙ぶり。
このため、会津侯SP役は有名無実化したうえ、自分の仕事が忙しすぎて、俺の業務補助まで手がまわらない状態になってしまっている。
そこで、大野はこの人事案 ―― 「有能な幼なじみを幕閣入りさせ、城内では公私ともにひとつよろしく!」プランを考えて、俺に提案した。
なにしろ、若年寄執務室は上御用部屋のとなりにあり、仕事上はもちろん、個人的に困ったときにも頼みやすい環境だ。
気心の知れた幼なじみに、公私両面サポートさせようということらしい。
(とはいえ、俺がサダっちに推薦したのは、浅野だけだったんだけど)
それは、将軍の内諾を得、外桜田・安芸広島藩上屋敷を訪問したときのこと。
たまたま浅野の藩邸に遊びにきていた池田は、いくら俺が「人払いを!」と叫んでも、いっこうに出ていく気配もないKYぶりで、しかたなく池田は無視して、浅野に若年寄就任の内示を伝えたところ、
「むふふふ、金之助は相かわらず天邪鬼よのぅ」
なぜかうれしそうにほくそ笑む従兄。
「まことはわたしを推したいのであろう?」
……はい……?
「いきなりでは恥ずかしいゆえ、まず定之丞に声をかけ、本命はあとから、ということか」
ちょ、言ってる意味がよくわからないんですけど……?
「よいよい。そなたのことはすべて承知しておる。あまり気はすすまぬが、そうまで乞われれば出ざるをえまい」
こ、乞う!?
「喬士郎さまとごいっしょならば、わたしも心強うございまする!」
無邪気にほざく浅野くん。
「うむ、まかせておくがよい。定之丞、金之助、そなたらの後見はこの喬士郎が引き受けた!」
後見!?
いや、待て待て待て待てっ!
おめーの起用なんてまったくの想定外だ!
公方さまの許可なく、勝手に決めんなーーーっ!
……と、錯乱する俺をよそに、
「外様のわれらが幕閣入りとは、大樹公も思い切ったことを」
「金之助さまの抜擢といい、こたびのご決断といい、公方さまはじつに開明的君主であられますな」
「ふむ、ちと見直したわ」
「たしかに、昨今の情勢をかえりみれば、われら諸侯の意見を幕政に取りいれ、従来の譜代・旗本のみが国政を担当するしくみを変革なさるのでしょう」
「『公議輿論』というやつだな?」
「まさに」
「「となれば、われらも邦のため、会津とともに尽力せねば!」」
見当ちがいな解釈をし、盛りあがるふたり。
そして、サダっちはあっさりコレを追認し、外様雄藩当主の若年寄就任が決定。
そんないきさつで決まった人事だったが、思わぬ収穫もあった。
もともと神童浅野くんはかなり使えそうだと踏んでいたが、意外にも池田は数字にあかるかった。
これは大名としては、けっこうめずらしい才能で、こいつにはおもに勝手方(財政)関連の業務がまかされることになった。
文字どおり、ひょうたんから駒!
ってなことで、政務は新戦力投入のおかげで事務処理能力も大幅アップ!
丸投げ要員も増え、それ以降、俺的には将軍後見役以外の仕事は順調そのもの。
そして、これには思わぬオマケもついた。
ツンデレ喬士郎は、オットセイの外孫とはいえ前田家四男。
本来なら、アニキの補欠として一生実家で部屋住みだったはずなのだが、
「将軍さまの孫が厄介というのも、どーよ?」という幕府のよけいな気づかいで、たまたま若い当主が無嗣のまま亡くなった鳥取藩池田家に養子入りとなった。
とはいえ、ねじこまれた方の池田家サイドでは、
「ゼイタク三昧のあのオットセイさまの孫でしょ? しかも、百万石金満前田家のボンボン! とんでもない浪費家かも!? うわ、迷惑ーっ!」と、歓迎ムードとはほど遠いジト目の家臣団。
さすがの鉄面皮も居心地の悪さを感じるほど、ピリピリした藩主生活がスタートした。
ところが今回、喬士郎くんが幕閣入りしたことで、参勤交代は当分停止となった。
ツンデレの領国・鳥取は江戸から片道百八十里(約720㎞)、二十二日の行程。
三十三万石の鳥取藩クラスとなると、行列規模は七百人前後。
経費的には、現在価格に換算して二億円以上、しかも毎年。
(※ 参勤=江戸へ。交替=国許へ)
それが、藩主が若年寄になったことで江戸滞在を義務づけられ、莫大な旅費がゼロに。
「当家初の幕閣入り!」
「しかも勝手掛は、賂ウハウハのおいしいポスト~♡」
「従弟の会津侯が推薦してくださったそうな」
「わが殿はよい引きをお持ちで」と、喬士郎の株は一気に急上昇。
最近は、家臣全員ニコニコ顔で、不気味なほどやさしいらしい。
むむむ?
おい、池田、まさか計算ずくの『就活』だったんじゃ……?
若年寄二名とわかれ、俺たちはとなりの老中執務室 ―― 上御用部屋に入室する。
上御用部屋は奥手前にある約十五畳ほどの座敷で、部屋の中央には一年中大きな火鉢がおかれており、その中には夏でも灰が貯えられている。
この火鉢、もちろん寒いときは暖を取るために設置されているのだが、なぜ一年中置かれているかというと、国政全般をまかされている老中たちは、外部にもれたらマズイ㊙の打ち合わせもあり、とくに重要な話は、火鉢の灰を使って筆談をおこない、終わったら表面を均して消すという方法で、情報漏洩を防いでいるのだ。
これなら、御用部屋内をウロウロしている坊主どもに盗み聞きされることもない。
御用部屋の奥方向は中庭に南面した開口部がある。
その手前には、せまい縁側がもうけられていて、縁側はとなりの若年寄部屋とつながっている。
各老中は中央の火鉢をはさんで向かいあうように座り、正面奥に月番老中、その右手側に主席老中という配置だが、現在は大老格の大政参与がいるので、この席次は通常とは若干ちがっている。
ふつうなら、大老は御用部屋上座を太鼓張り障子(組子両面に紙を張った障子)というパーテーションで仕切って、大老専用執務室をつくるのがデフォなのだが、今回それはせず、フルオープンのまま、オッサンらの顔を見ながら働かされている。
俺としては、昼食後かるくお昼寝できる個室がほしかったが、
「不要だ」
塩大福のひとことで、個室設置はあえなく却下。
「なまじ隔てると、肥後守は老中にかくれ、また良からぬことをたくらまれるでな」
はぁぁぁ???
良からぬって、なにっ!?
それに、なんでおめーが決めんだよ?
俺には発言権もねーのかーーーっ!!!
―― ってことで、中庭を背にした最奥が俺の定位置になったのだ。
その指定席についてまもなく。
「肥後守さま」
室外からよびかける奥小姓。
「公方さまの御召にございまする」
げっ、さっそく?
「相わかった」と、立ちあがると、
「では、それがしも」
おもむろに右隣の大福も席を立った。
「あ、いえ、御召は肥後守さま一人にて……」
「肥後守の了承は取りつけておる。大事ない」
おい、こら! 俺は了承なんてしてねーぞ!
大事だらけだわ!
「さ、さようにございまするか、なれば……」
ニイチャンは阿部の気魄におされて、制止を放棄した。
俺たちは案内役にしたがい、土圭之間口奥から官邸部へ入る。
横目でにらむ上司などものともせず、大福はゆったり。
「先ほどの芝居、余人はだませてもそれがしには通じませぬぞ」
ふいに、阿部は俺の耳元でボソボソ。
「なんのことだ?」
「とぼけてもムダですぞ。侯が痴態を演ずるとき、必ずやその裏にはなにか謀がござる」
「痴態?」
さっきのオコチャマ修羅場か?
っくしょー、容さんのせいで、とんだ赤っ恥だー!
塩大福め、どうせそれをネタにネチネチいたぶる気だな?
が、阿部が口にしたのは予想外のセリフだった。
「すべて看破しておりますぞ」と、ニヤリ。
背筋も凍る老獪なほほえみだ。
(……へ……???)
「あれは、池田・浅野両外様起用に異をとなえる者への擬装ですな?」
なんのことっすか???
「こたびの抜擢、幕臣譜代の中には外様の幕閣入りを快く思わぬ者も多うございます」
え、そうなの?
「いくら文恭院(家斉)さまの御世に外様の出雲守(立花種周)が若年寄となった前例があり、池田・浅野二侯が外様とはいえ、御血筋は文恭院さま御孫君にして、公方さまの御従弟君でも、得心のいかぬ者もすくなくはござらぬ中……」
まぁ、たしかに、いままで幕政は譜代大名と旗本がずっと独占してきたから、やっぱ外様の幕閣入りにはけっこう抵抗感あるのかも。
「なれどっ!」
阿部の突然の雄たけびに、奥小姓もフリーズ。
「肥後守がかくも不様な姿をさらせば、御両所は補佐のため幕閣入りしたという体裁がつくろえまする。さすれば、登用の言い分も立つというもの」
ぶ、不様っ!?
なんだなんだ、ホント失礼なやつだな!
でも、完全に自分だけの世界に沈溺中の塩さんは、プンプンの俺などガン無視で、
「侯のねらい、それすなわち『いずれ薩摩守らを幕閣に』でござろう?」と、ドヤ顔でほえる。
「…………」
話が……全然、見えないんだけど。
なんで、ここにナリさんの名前が出てくるの?
「いやいや、なにもおっしゃられるな。その深慮遠謀ゆえ、上屋敷にたびたび諸侯を招いておられることは、とうに承知しておりまする」
「……は……?」
ウソだろ? ナリさんたちは勝手にタマってるだけなのに。
それじゃまるで、俺が『賢侯サロン』を主催して、使えるオッサンを発掘してるみたいじゃねぇか?
盛大に錯誤しやがってーーーっ!!!
「それがしも、以前より『外様の英主を老中に』と思うておりましたが、長き慣例を破るはなかなかに困難。どういたせばよいか考えあぐねていたところ……」
俺の滝汗など意にも介さず、大福は言いたい放題。
「そんな折、こたびの二侯登用で腑に落ち申した!
『愚者を介助する幼なじみ』……たしかにこれならば文句のつけようもございませぬ。
こうして外様幕閣入りの前例を積み上げ、薩摩守・肥前守・伊予守・土佐守らを迎え入れる道筋をつけておられるのですな?」
なぜか、ひとり「うんうん」納得している塩大福。
(……ぐ、愚者……)
おい、ふつう、そこまで言うか?
容さんがすこし赤ちゃん返りしちゃっただけなのに。
……ま、まぁ、その前にちょびっとだけ、ダダこねたかもしれないけどさ。
(どのへんからどのへんまでが自分だったかわからない感じになってるから、妙に傷つくし)
「とは申せ、侯にしてはヘタをうちましたな?」
凹む俺に向けられるやけに好意的なまなざし。
「ヘ、ヘタ?」
「先ほどは少々わざとらしゅうござった。以後、気をつけられよ」
わざとらしい?
「いい年をして迷子だの、毎度厠に脇差落下だの、赤子のごとく大泣きだの、あまりに常軌を逸しておられる。そこまでやられては、せっかくの擬装も見ぬかれてしまいますぞ?」
ブッ飛んだ妄想をはきまくり、『ダ・メ・だ・ぞ ♡』と教えさとす大福。
(あ、そういえば……)
阿部正弘は、二十五歳で老中になった並はずれてデキる男だ。
こいつの尺度では、容さんの残念エピソードや、あのオコチャマ号泣状態は理解不能な事象のはず。
だからこいつは、いままで目にし、耳にした醜態の数々は、全部演技だと解釈したのか?
つまり、松平容保が前田利常みたいにおバカなフリをしてきた、と。
「こののちは、あのような芝居は無用にござる」
俺の疑問を裏づける、たっぷたぷの余裕発言。
「侯の目指すところは、まさしくそれがしと同じもの。ゆえに、ひと声命じていただければ、それがしが諸事万端ととのえまする!」
(……マ、マジだ……)
こいつは、真性残念青年のレジェンド級の奇行が、天然なわけないとガッツリ思いこんでる。
世の中には、自分の想像を超えた残念な人間がいるという事実を認めないつもりだ!
つまり、容さんを全否定っ!
(……惨め……)
泣き目の俺をじっとり見つめる塩大福。
「ふっ、ようやくお覚悟を決められたようですな」
俺の涙をどうはき違えたのか、鷹揚にうなずく陰険オヤジ。
「覚悟?」
「げに。これまで侯は頑なに国政から逃れようとなさっておいででした」
「逃げる?」
「察するところ、侯は権を争う醜き姿、殺伐としたかけひきがお嫌いなのでありましょう。
ゆえに、才長けた実像をかくしつづけてきたものと推察つかまつります」
「ち、ちがう、決してさようなことは……」
つぶやく俺を眼だけで制するご老中。
「会津藩御家訓では、『将軍家の御為に尽力せよ』と謳われておるのではありませぬか?
これよりはその才幹、御公儀の御為にいかんなく発揮されよ。それがしも助力つかまつりますゆえ」
「!!!」
い、いま、会津藩御家訓って言わなかった?
(――――)
これって、すごくイヤ~な流れじゃないか?
なにしろ、あっちの容保が京都守護職を受けざるをえなかったのは、政治総裁・松平春嶽が、将軍に絶対を誓う会津の家訓をタテに就任を迫ってきたからで。
いま、塩大福が言ったのは、あっちの世界で松平春嶽がやった勧諭とほとんどいっしょで……。
なんか……急に背筋がゾワゾワしてきたような……。




