81 真相
「とくとご説明いただこう」
ドスまみれの声が周囲を圧倒する。
「それは……」
会津家臣団による又一包囲網はすでに完成し、招かれざる客は、その中心でオロオロ。
いつもの沈着冷静な吏才ぶりもどこへやらだ。
「「「なにゆえ、御公儀はわが殿を除こうとなされる!?」」」
会津側からの無数の敵意は、するどい不可視光線となって闖入者に注がれる。
「保科松平家は、藩祖以来二百十余年の長きにわたり、つねに将軍家の藩屏として忠勤をはげんできた家柄。
その末裔たるわが主も、大樹公をお支えし、これまで一心にお仕え申しあげてきたはず。
にもかかわらず、かくも卑劣な手段にて御連枝を亡き者にせんとされるはいかなる御所存か!?」
えぐえぐ言う主君をかき抱き、はげしく詰問する大野。
「け、決してさような……」
完璧四面楚歌の小栗くんは、らしくなくシドロモドロ。
「公方さまにおかれましては、侯を二なき臣と思しめし、厚くご信頼――」
「いつわりを申すなっ!」
家禄三百石の陪臣が、知行二千五百石取りの直参を面罵する。
斬り捨てられてもしかたないほどの非礼だ。
「下賜されたカステイラにて、当家のネコが死にかけた。謀はすでに露見しておる!」
「ネ、ネコが!?」
わななく青年旗本。
「死にかけた、ということは助かったのか?」
「殿もネコも、あいにくとな」
皮肉たっぷりの回答に、又一は安堵のため息をつく。
「それはなにより。なれど、まことに毒などでは……」
「口にしたとたん全身が硬直し悶絶するものを毒といわずして、なんと呼ぶのだ!」
「えぐえぐ!」(そうだ、そうだ!)
「あれは、いささか刺激のつよい、と申すか、尋常ならざるシロモノ、と申すか……」
「先ほど貴殿は『無事』『まにあった』と申されたではないか。毒と知ったうえでの言であろう?」
「えぐえぐ!」(いいぞ、いいぞ!)
「さよう。本日は仕事が立てこんでおり、カステイラの件を耳にしたはつい先刻。祈るような思いで、こちらに馳せ参じたしだい」
「それでも毒ではないと?」
「毒……ではない、正確には」
「この期におよんで、まだ言いのがれを!」
「人払いを……人払いを願いたい!」
又一はしぼりだすように呻いた。
「すべてお話し申しあげる。だが、これはごく限られた者しか知らぬ秘事。ゆえに、侯おひとりに」
「できぬな」
凄絶な笑みとともに拒絶する大野。
「わが殿は命をねらわれ、あやうく難を逃れたばかり。さしずめ、貴殿は大樹公の密旨を受け、その死を見届けんがため遣わされたのであろう。
ならば、味方をよそおい、こちらが油断した隙に、御命を奪うことも十分ありうるではないか」
「ちがう! それがしは密使などでは……」
暗くなった部屋に、小姓の浅田が灯を入れる。
たよりない橙の照明が、かえって闇と緊張をきわだたせる。
「当家の山川、横山両家老と、小姓頭のそれがし三名が同座させていただく。それがならぬと申されるならば、早々にお引き取り願おう。そして、わが殿にはただちに職を辞していただく」
「侯が、大政参与を辞される!?」
ゆれる灯火のもと、又一の目がおよぐ。
「それは困る! 侯の改革は、心ある多くの幕臣たちの希望。いま幕閣から降りられては、これまで行ってきた施策も頓挫してしまう!」
え? けっこう期待されてるんだな、俺。
「なんと申されようと、殿には引いていただく。忠義をつくす主君に命を脅かされる御役目など、なにゆえつづけねばならぬのか。殿が否と申されても、われら家臣一同、腹を切ってでもお諫めいたす!」
俺だってヤダよ、こんな3Kポスト!
又一が泣いて頼んでも、絶対辞めてやるー!
「そうまで申されるならば、いたしかたない」
スーパー官僚は、苦悶の表情で妥協案を呑んだ。
「山川さま、横山さまをお呼びいたせ」
大野の判断で、じいと横山を緊急召集することになった。
家老の横山主税常仁は、ご栄転になった西郷の後釜として、会津から召請された七百石取りの上士。
じつは、国許で若年寄に昇進したばかりだったが、江戸家老に欠員が出たので急遽抜擢されたのだ。
大野情報によると、事務処理能力・対外交渉力・企画調整力etc. ―― どんな仕事を任せても大丈夫なオールマイティー侍なんだとか。
「「お呼びにございますか」」
近習が呼びに行ってほどなく、江戸家老ふたりが座敷に伺候。
「ひっく!」
「殿の一大事にございますれば、お二方にもぜひ同座していただきたい」
号泣後しゃっくりが止まらなくなった主君にかわって、大野が説明する。
「「一大事とは!?」」
顔色をかえる二家老。
「では、うけたまわろう」
酷薄な笑顔でうながす小姓頭。
「じつは、公方さまは……味覚が、その、常人とは異なっておられ……」
「「味覚? 常人?」」
「ひっく?」
「つづきを」
「ゆえに、御手ずからおつくりになられる折は、御好みの味になされるのだが……それが、まことにこの世のものとも思えぬほどに……まずい、らしい」
「「「まずい?」」」
つまり、超味覚障害ってこと?
「なれど、日々の供御はふつうに召しあがっておられるのであろう?」
「ご一同も存じおるように、公方さまや大名がたは御膳についてはなにも仰せにはなられぬゆえ」
「「「なるほど」」」
「ひっく!」(そうなんだよーっ!)
将軍や大名なんて、わがまま放題好き勝手やってると思われがちだけど、とんでもない!
逆だよ! 逆! 逆っ!
俺たちVIPの食事は、毒だけはきっちりチェックするけど、そのほかはかなりアバウトだ。
だから、食事への異物混入なんて、文字どおり日常茶飯事。
髪の毛、小石、はてはネズミの糞まで。
日々いろんなものが入りまくっているから、ときどきワザとじゃないかと疑いたくなるほどだ。
味つけだって、「げっ! あきらかにまちがっただろ、コレ!?」なときも文句ひとつ言えない。
だって、そんなこと言ったら、『賄方責任者・お詫びのハラキリ』になっちゃうし。
なので、異物があったら、近習に気づかれないようこっそりピックオフ。
ありえない味つけは、涙目でゴックン。
会津藩邸食生活改善計画が実施できたのなんて、ほとんどミラクルだ!
(ま、これはじいのおかげだが)
ようするに、家定さんは毎日、自分的には激マズ料理を必死にゴックン。
趣味の料理のときだけ、サダちゃん好みの味にできるってこと?
「なれど、味のみでネコが瀕死となるであろうか?」
横山が首をかしげる。
「げに」
じいも納得がいかないようす。
「まだなにか隠しておられるな?」
大野は疑わしげにジロジロ。
「まことだ! まことに毒など入ってはおらぬ!」
追いつめられた又一が絶叫する。
「毒などまったく入ってはおらぬはずなのに……味つけの妙というか、なんというか……ご、ごく稀に……身体に障りをおこす場合が……」
「「「身体に障り?」」」
「ひっ……く」(お、止まった!)
「小児・老人・病人・小動物などには、ときとして毒のごとき症状をおこすことが……」
「「「毒のごとき症状!?」」」
おい、又一! 世間では、それを【毒】って言うんじゃないのか!?
「と、とは申せ、運しだいでは助かるゆえ……」
『運しだい』って、どんなロシアンルーレットだよ!
「「「なにゆえ、さようなことに?」」」
呆然とする会津側一同。
「それが、いまだ解明にいたらず」
完全泣き目の小栗。
「ただ……」
「「「ただ?」」」
「公方さまには不可解なクセがおありになられて」
「「「クセとは?」」」
「料られる途中、御指を中に……」
「「「指?」」」
「カステイラのタネでも、粥でも、芋の煮汁でも、すべてに御指を」
「「「…………」」」
「みな、これが因では、と」
又一によると、家定の劇物料理の謎をとくため、何度か近習たちが家定といっしょに、同じ材料・同じ器具を使い、同じメニューを作ってみたらしい。
そのとき、近習が作ったものには異常がなかったのに、家定特製を食べた者たちははげしい嘔吐と下痢におそわれた。
でも、当の家定にはなんの症状も出ず、その後、体調の変化もなかったとか。
ということで、結局、単に激マズだけなのか、本人以外に作用するなんらかの物質が食品に混入しているのか、まったく謎のまま検証は終了し、そんなこんなで、家定の汚料理・汚菓子の毒性はいまだ不明らしい。
(指先からO―157かノロウィルスでも出せるのか、サダっち?)
だから、近習たちはなんだかんだ理由をつけて、毎回懸命に実食および持ち帰りを拒否しつづけ、生命の危機に瀕している幕臣さんの中で、勇気ある数名がこのパワハラを家定パパ・家慶に直訴したものの、家慶は、
「いいかい、将軍世子からだと、下の者はキライなものでも我慢して食べなきゃいけなくなるよね? 今後、下賜はやめなさいね?」と、『叱らない子育て』風に戒めたらしい。
だが、息子が傷つかないよう配慮しすぎたため、家慶はサダっちの身体から毒物が出ている可能性には言及しなかった。
(てか、そこが一番大事なところだろーが! 無責任だなっ!)
とはいえ、注意されて以降は自己消費オンリーにとどまっていたサダっちだったが、最近、さほど身分差のない、会津侯という専任子分ができた。
「下の者ってほど下じゃないし、甘党だったら下賜してもいいよね? うるさい家慶はもういないし」という流れで、今回の毒カステラ事件発生だったそうだ。
(だから「菓子は好きか?」って聞いてきたのか! ちきしょう!)
大政参与 ―― 家定専任子分であり、将軍直結特命係 ―― 思っていた以上に、苛酷なポストだった。
家定公が毒物を分泌していたというのは、完全なフィクションですが、調理の際、指を入れていたのは史実で、目撃者がいます。
(『旧事諮問録』元奥女中の証言。粥をつくるとき直に指を突っ込んで、冷め加減をみていたらしい)




