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79 松平肥後守異母妹 利姫

 帰宅後、重箱とともに藩邸奥・利姫居室にわたる。


 大名家では、ある程度の歳になると、家族といえども屋敷内別居が原則だ。


 いつもは家族それぞれがちがうエリアで生活し、会いたいときはアポを取る。

 夫が妻と一夜をともにしたくても、昼までにリザーブしなければ断られる。


 とはいうものの、容さんと利ちゃんは異母兄妹なので、いっしょに暮したことは一度もないらしい。



「兄上、ようこそのお運び」


 大野ら数人の近習をしたがえて座敷に入ると、妹姫はじめ、お付きの奥女中オバチャンたちがザザーッと平伏。


 ナリさんに『むさくるしい』と評された武骨な会津藩邸も、ここだけは女の子っぽい華やぎがある。


「じゃまをするぞ。どうだ、利、近ごろ具合は?」


「おかげをもちまして」


 初対面のとき、骸骨なみにやせ細り、コワイくらい病的だった利ちゃんだが、例の食事療法により、容さんだけでなく利ちゃんもみるみる元気になった。


 そして、いまや年頃の女の子らしいぽちゃぽちゃのお肉もつき、健康そうな(容さんの美貌には遠くおよばないが)かわいいお姫さまに変身している。



「こたびの功績により、公方さまより褒美を賜った。ともに食そう」


 大野が捧げ持つ重箱が、オバチャンの手に渡される。


「公方さま御手作りのカステイラにございます」


「「「まぁ、ありがたいものを!」」」


 金蒔絵つき漆塗御重を拝みはじめる奥女中たち。


「あな、うれしや。近ごろ家中は『倹約』『節減』ばかりで、御膳も貧しげな雑穀と菜のみ。久しく菓子など口にしておりませぬなあ」


 にっこり笑いながら、オバチャンに重箱を開けさせる妹姫。


「兄上は吝嗇にございますゆえ」


 放心する兄の前で無邪気にニコニコ。


 たったいますごい毒をはいたとは思えない可憐な笑顔。


(け、吝嗇ケチぃ!?)


 

 おい、どの口が言ってんだっ!


 たしかに、全藩邸あげての食生活改善と菓子類全面禁止は、容さんの肉体改造が目的ではじめたものだが、それだけじゃなく、利ちゃんをなんとか健康体にしてあげたいという思いもあったんだ。


 健康のため導入した『玄米雑穀食推奨、肉魚卵タンパク質摂取応援、野菜どっさりビタミン惣菜』という、栄養学的に百点満点の献立の数々。


 そして、脚気防止策として諸悪の根源たる激甘菓子の追放令。


 この食事療法のおかげで、あんたもそんなに元気になれたんじゃねーの?


 その恩恵をこうむっておきながら、よくそんなことが言えるな!


 それに、菓子は嗜好(しこう)品。

 日常生活において絶対必要なものではない。


 目下、全藩あげての超緊縮政策やってるさなか、藩主の妹が高級菓子食いまくってたら、下に示しがつかないだろうがっ!


 許容のキャパを超え、呼気を荒くする()


 それを平然とながめる(利ちゃん)



「あの大病以来、兄上はすっかり変わられましたなぁ」


(ぎくぅぅぅっっ!)


「まるで別人のようじゃ」


 俺の深淵につき刺さる、最も効果的な口撃!


 す、するどいっ!


 女の勘は、あなどれん。


 このまま長居したら、中身ソフトがすり替わってるのがバレるかも。


 秘密が露見する前に、さっさと退散しなきゃ!



 冷や汗ダラダラで目をおよがせていたそのとき、一匹のネコが、ゆっくり座敷を横ぎっていった。


 そして、ネコの下に出現するテロップは……、


「おお、サトか!」


 よし、こいつをネタにちょっと世間話したら、即帰ろう!


 ところが、


「【サト姫】にございますっ!」


 ブチ切れる利ちゃん。


 サト……姫!?


 たかがニャンコに、『姫』だと?


 ププッ、なにそれ?


 せいぜい、薬屋の前にいるオレンジ色の象と同じ『サトちゃん』で十分だろ?


「まこと腹のたつ……『サト』などと、そのあたりの畜生同然に……わたくしの大事な……」


 マジギレした利ちゃんは、イッちゃった眼でぶつぶつ。



 あれ? この話題、地雷だったのか!?


 やばい、やばい。


 めんどうなことになるまえに、話かえて、さっさと帰らなきゃ!



「と、ときに、利、学問所にはいつ入るのじゃ?」


(うん、これなら大丈夫だろ)


「その儀はなんどもお断りしたはず!」


 むしろ、利ちゃんの機嫌は急速に悪化。


(ぇえー、なんでー?)


「が、学費ならば、遠慮はいらぬぞ? それくらいなら、なんとか捻出して……」


 さすがにCRCじゃない利ちゃんの学費は免除にならないだろう。


 でも、会津藩うちはケチケチしてるけど、教育への出費は惜しまない方針だから。


「遠慮などしておりませぬ。さようなところ、行きとうはございませぬ!」


(ど、どうして怒ってんの?)


「な、なれど、このままでは、時代に取り残されるぞ? 大奥の女子らも学問所にて学び、外交の場をはじめ、異国への留学など世界で活躍するキャリアウーマンめざして勉学にはげんでおるに……」


「異国の言葉や究理・舎密など、絶対にイヤでございます!」


(理系も語学もイヤって。あんた、就職氷河期のつらさ、知らないから……)


「さように意固地にならず、新しき学問にも目をむけてみよ。

 ご老中伊賀守さま御子息、和泉守さま御弟君、黒田さま御縁者など、大名家からの入所申出も多数あるのだぞ?」


「わたくしは会津二十三万石、御家門松平家の姫。下々の者と机をならべるなど、まっぴら御免でございますっ!」



 新しくできた桜田学問所では、『三奪法』が採用される。


 これは、身分・学歴・年齢など従来の上下関係をなくし、学生すべてを実力本位で評価する方法のこと。


 といっても、別に俺のオリジナルではなく、半世紀ほど前、どっかの商人の私塾ではじめたものらしい。


(※豊後国御用商人・広瀬淡窓の『咸宜園』ですぞ~)


 なので、二十三万石の姫君だろうが、ビンボー御家人の娘だろうが、農民出身だろうが、学問所内の評価は成績により公正・公平になされるというわけだ。


「よいか、利。いずれこの邦の仕組みもかわる。そして、大名だ、旗本だ、などと、いつまでも高等遊民を気どっていられなくなる時が必ずくる。こののちは、女子が家族を養うくらいの気概をもたなくては、な?」


 やさしくアドバイスしてあげたのに、利ちゃんの目には憎悪の炎がメラメラ。


「毎回毎回、学問をしろやら、白粉は身体に毒だから使うなやら、グチグチグチグチと。小言はもうたくさんじゃ! 部屋にこもって、ヘタな歌でもつくっておればよいものを」


 なぞの怨嗟ツイート。


「む? いまなんと? 歌がどうした?」


「なにも申してはおりませぬ! とにかく、茶を飲んだらお帰りください! 最近、兄上は口うるそうございます!」


 ま、まさか、ボク、すごーくきらわれてる?


 え? 

 え? 

 なんで?


 俺、ひとりっ子だから、そのへんのビミョーな機微とか、よくわからなくて……。



 兄妹のあいだにたゆたう不穏な空気。


(い、息苦しい……)


 なぜか、となりの大野が懐から鉄扇を取り出して、ギュッとにぎりしめる。


「サト姫」


 ニャンコが利ちゃんのひざにじゃれついた。


「【そなたは】かわいいのう。【そなたは】わたくしの傍におるのじゃぞ?」


 なんなの、この遠まわしなイヤミは?


 つまり、兄ちゃん()はかわいくない。


 兄ちゃん()は出てけ、ってことだよな?



 ―― ギスギスギスギス ―― 



 俺の小姓、利ちゃんのお付き、双方に緊張がはしる。



 と、


「そなたもほしいか?」


 いきなり、利ちゃんはカステラをちぎって、サトちゃんにポイ。



 あーー-っ! 公方さま手作りのありがたいカステラをー!



 三センチ四方のカステラを、サトはためらうことなくパクリ。



 うわー、マジかよーっ!


 こんなネコにー!


 ありえねーーーっ!



 突如、四肢を硬直させ、ケイレンするニャンコ。


「「「キャーーーッ!」」」


「わたくしのサト姫がー!」


「薬師を!」


「だれか、いそぎ連れてまいれ!」


「死んでしまう!」


「サト姫さまー!」



 阿鼻叫喚。


 大混乱。


 バタバタ駆けまわるオバチャンたち。



 つぎの瞬間、ネコはぐちゃぐちゃのなにかを、オエッ、ペッ!


 そして、ぐったりへたりこみ、苦しそうにゼイゼイハアハア。



 静まりかえる室内。



「……あ、兄上……」


 青ざめた利姫が呆然とつぶやく。


「わたくしに……毒を?」


「「「ひぇーっ!?」」」


「お殿さま!?」


「まさか、利さまを亡き者に?」


「「「なんということを!」」」



 オバチャンたちのはげしい糾弾。


 ヒソヒソささやかれる疑念。


 おびただしい仇視の集中砲火。



「い、いや、ち、ちがう! ちがうのだっ!」


 強烈な敵意にさらされ、テンパりまくる俺。 


「わ、わたしにも、なにがなんだか。こ、ここ、これは、まこと公方さまより賜った菓子で……」


「鬼ぃーっ!」


「あな、おそろしや」


「かような非道!」


「ただひとりの御妹君に」


「毒を盛るとは!」


「「「なにゆえにございますかー!?」」」


 女たちは完全に殺人鬼を見る目つき。


「兄上の、兄上の顔など、もう二度と見とうないっ!」


 憤怒の表情で、すっくと立ちあがる利ちゃん。


「帰りゃーーー!!!」



 おもむろに立ち上がった姫君は、オーバースローで脇息を投擲。


 標準はピタリと俺の頭部に。


(ナイスコントロール!)


 つい場ちがいな称賛が出るほど、すばらしい制球力で。



 超豪速で接近する凶器。


 確実に顔面直撃コース。


 フリーズ中の俺。


 ポカンとそれを見つめるのみ。


 絶対不可避!!!



 ―― ビシッ ――



 眼前をかすめた影が、脇息を叩き落とした。



 ガラン。



 殺傷兵器は真っ二つに割れ、俺の膝下に転がった。



「お戯れもたいがいになさいませ」


 鉄扇をしまいながら、利ちゃんをねめつける大野。


「出過ぎたマネを!」


 かんざしをゆらして地団駄ふむ姫君。


「ご不興をかいましたゆえ、われらはこれにて」


 忠臣は腰のぬけた主君を抱きあげると、すみやかに危険地帯から離脱。




 藩主御座之間にむかう回廊は、すでに夕焼けの朱に染まっていた。


 大野にお姫さま抱っこされながら、容さん()の涙腺は全開中。



 あまりにデカすぎる衝撃。


 ひとつの言葉が、エンドレスで駆けめぐる。



 あの公方さまが…………毒を……。


 いつもやさしかった、あの家定さんが……俺を……毒殺しようとした! 



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― 新着の感想 ―
[一言] 読み直し中♡ 確かに戯けてるよな?この小娘。たしかに会津藩の姫君だが、正嫡ではなく側室腹。その時点で藩主である異母兄とは全く立場が違う。今回のように悪意を持って怪我をさせた場合、言い訳無用で…
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