78 褒美
嘉永七年 葉月(陰暦八月)下旬
タイムスリップ以降、決してしあわせいっぱいとは言いがたかったこの七カ月。
そして現在、憑依後最大の不幸にみまわれている俺。
神さまは、ホント気前よく試練をあたえてくれる。
≪不幸その一≫
八月に入ってすぐ、飛びこんできたひとつの訃報。
「て、TERU殿が!?」
なんと、婚約者TERU姫がまさかのご逝去!
この夏、江戸では麻疹が大流行。
夏バテで体力のおちていたTERUは、侍女のひとりから麻疹をうつされ、あっけなくアボン。
この時代、麻疹は『命さだめ』といわれ、致死率の高い病気のひとつだった。
(……終わった……)
心を餓死風なみの冷気が吹きぬけていった。
ホモ疑惑を払拭する唯一のチャンスが…………永遠に失われた。
将軍専属特命係就任による労災、すなわち『色小姓・寵童』の汚名。
これをそそぐには、「容ママの喪が明けしだい速攻ゴールインし、周囲がオェッと胸やけするくらいベタベタの新婚夫婦になるしかない!」と決意したのに。
ついでに、こんど開港される箱館の視察行とかフかして公費でちゃっかり新婚旅行 → 『日本初の新婚旅行!』の名誉を坂本龍馬から取りあげる、という俺の目論見も完全に潰え去った。
ふたりで立待岬にたたずみ、海にしずむ夕日をいっしょに見ようと思ったのに。
そうしたら、岬には『日本初新婚旅行の地』の碑とともに、打ちたい放題の愛の鐘、俺たちの顔出し観光看板くらい設置されたはずだ。
そして、岬のみやげ物屋はじめ箱館市内の随所には、『容さん♡TERUさん』印のクッキー・チョコ・チーズ鱈があふれ、あわよくばその横に、べこコボストラップとキーホルダーなんかもちょこっと置かせてもらったりして。
そんな夢、すべてがボツ。
TERU、ゴメン。
いまさらな後ろめたさで、悔悟の大洪水。
ハンドメイドを重いなんて言っちゃって、ゴメン。
条約交渉前、「うっかり訪問して、和歌の居残り補習でもくらったらダルイし!」と会いにもいかず、ゴメン。
(てか、その後も行ってねーわ!)
「TERU……TERU……TERUぅーーーっ!」
後悔と絶望。
くりかえされる慟哭に、邸内は完全に葬儀場の様相。
≪不幸その二≫
訃報後におきたある事件により、わが会津松平家は家庭崩壊中。
於:和田倉上屋敷御座之間。
事態打開のため派遣した家臣が、いま俺の前で平伏している。
「利はいかに?」
返り申しする大野に、急きこんで質問すると、
「伺候早々、文箱がとんでまいりました」
「文箱が!?」
文箱は書状などを入れておく調度品のことで、利ちゃんが使っているのは、蒔絵・螺鈿がほどこされたうつくしい漆塗りのもの。
大きさはB4サイズ、厚さ六、七センチくらいで、そこそこな重さがある。
しかし、俺が一番気になるのは、
(あんな高価なものを投げただとーっ!?)
それで傷がついたら、骨董屋に持ちこんだとき、査定額がガクっと下がる。
全藩あげてキツキツ耐乏生活敢行中なのに、ふざけやがってーーーっ!
「頭部めがけ、みごとな正確さにて」
イラつく主のようすなど委細かまわず、たんたんと状況説明をつづける近臣。
「それがしでなければ、おそらく致命傷になるほどの一撃でございました」
致命傷っ!?
相かわらずコントロールいいな、利ちゃん。
「怪我はないか?」
「幸いにも」
(反射神経バツグンのやつを行かせてよかった)
思わず自分をほめてやりたくなった。
「で、首尾はいかに?」
「『兄上にもその使者にも、金輪際会いとうないっ!』、だそうにございます」
「そなたを!?」
近侍歴十四年の、このコワモテ・イケメン上士を、パシリよばわりするとは!
利姫、おそるべしっ!!!
「殿のおかげで、咎なきそれがしまで。とんだとばっちりにございまする」
「わ、わわ、わたしのせいなのか? わたしが悪いのかっ!?」
「そうは申しませぬが」
がっつり言ってんじゃねーかよ。
「なれど、今後はご自分で対処していただきとうございます。
それがしはいくつも仕事をかかえ、殿と違うて大そう忙しく」
「相わかったっ!」
万策つきて、なにとはなしにあたりを見まわす主君から、必死に眼をそらす小姓組一同。
最後の切り札・大野冬馬でも好転しなかった難局。
もう俺に使える駒はない。
ぐっすん。
なんで、いつもいつも、俺ばっかこんな目に?
秋風がふく庭では、ピンクの百日紅が散りはじめていた。
ことのおこりは、九月一日の学問所開校も決定し、その準備に追われていたある日のこと。
件の老中見まわりから約一ヶ月半が経過し、大奥解体作業もいよいよ終盤にさしかかっていた。
大奥廃止および学問所設立というこの歴史的大改革は、老中・阿部正弘ら経験豊富な実務者たちが合流したとたんサクサク進展し、阿部は原案どおり、二の丸・桜田屋敷にも『美女五十人センバツ』命令を通達した。
すると案の定、リタイア組の中から、旧幹部ら貯蓄額の高いオバチャン連中がぞくぞく退職し、さらに、もと側室 ―― 『汚れた者』軍団も収容所からつぎつぎに撤退していった。
お手つき連中は容姿にすぐれた者が多いため、シャバに出ても縁談には困らないのだろう。
そんなこんなで、残った奥女中は現役・OGあわせて百人ちょっととなった。
この中から裁縫が得意な者十人を呉服之間に異動し、学問所入所の最終メンバーが確定した。
一方、阿部は、奥女中のふるい落としとともに、キャンパスの整備にも着手し、まず、ふたつの桜田御用屋敷のうち、療養所のある方に大奥長局を移築した。
といっても、四棟の寄宿舎を建てるには敷地が足りず、隣接する大名屋敷を接収しての大工事となった。
もうひとつの御用屋敷は、学問所として大規模改修し、こっちは『桜田学問所』と名づけられ、徳川幕府初の洋学校として生まれ変わった。
それにともない、嘉永二年に出されていた『蘭学翻訳取締令』も廃止された。
これは、西欧文献に対しておこなわれていた翻訳・刊行に関するきびしい規制のことだ。
天保十年におきた蛮社の獄といわれる言論弾圧は、老中水野忠邦が失脚したあとも形をかえてつづけられ、洋学・蘭医学は、漢方医などの政治工作などにより徹底的に押さえつけられていた。
嘉永二年、幕府医師の蘭方使用が禁止され、同時に、漢・洋とわず全医学書は漢方医所管『医学館』の認可が必要となった。
さらに翌三年には、蘭書輸入は長崎奉行の許可制に変更。
諸藩に対しては、当時翻訳中の書名の届出義務を課し、複写一部を天文方に提出するよう通達が出され、これによって蘭書の出版は困難となり、蘭学の自由な研究は制約を受けることとなった。
しかし、今回、官営の洋学所が設立されたことで、いままでかけられていた規制は全廃され、『御文庫』(紅葉山文庫)に所蔵された各藩提出の翻訳本は、学問所蔵書として閲覧可能となった。
この流れで、あっちの歴史ではあと四年後になる幕府医師の和蘭兼学も認められ、江戸蘭方医界のドン・伊東玄朴と戸塚静海らの奧御医師登用も決定。
また、蘭医学界長年の悲願・江戸における種痘所開設も許した。
この洋学・蘭方医学の解禁、医療改革は、
「病弱な家定公には、いまから最高の医師団を用意し、最新医療体制を整えといた方がいいかもー!」という考えからゴリ押しさせてもらった。
これは言うまでもなく、三十代半ばで急死予定の、家定早逝フラグを折るための布石なのだ。
未の刻(八つ)
大老・老中の退庁時刻
上御用部屋を出た大政参与を、ひとりの奥小姓がよびとめた。
「公方さまの御召?」
こうして、下城する閣老どもから切り離された俺は、御錠口から中奥へと連行された。
イケメンニーチャンに案内されたのは、将軍用レセプションルーム・御座之間。
「大奥の儀、大儀であったな」
御前で平服するなり、慰撫の言葉が降ってきた。
「もったいのうございます」
「その方の格段のはたらきにより、長年の懸案であった膨大な掛もなくなり、学問所開設の目処もついた。ときに ――」
慈愛にみちた表情で、しずかに語る家定さん。
「その方、近ごろ許嫁をなくしたそうだな?」
「よく御存じで。なれど、それは私事。つとめに支障はございませぬ」
(御庭番、しょっちゅう来てるなー!)
「けなげなことを」
目に同情するような色がうかぶ。
「大政参与就任以来、予の意に沿い、よくはたらいてくれた」
「ありがたきお言葉」
「よって、こたび、暇をあたえる」
「暇? では、国許に下向してもよろしいのですか?」
「いや、数日のみじゃ」
苦笑する家定公。
「一年も去られては困る。数日、屋敷でゆるりといたし、傷心をなぐさめるがよい」
「はっ」
ちぇ、数日かよ。
ま、それでも、全然ないよりはマシか?
なにしろ、奥女中という会津藩の上得意さまが失職してしまい、今後の経営戦略を急いで練り直さなきゃならない現況。
一度、藩士とゆっくり販売促進対策会議を開きたいと思ってたところだ。
んじゃ、オフの間に、大奥にかわる新たなターゲットを模索し、それに合わせた新商品の企画・開発、販売方法の工夫などなど、家中一丸となって知恵を出しあい、せめる営業を……(ブツブツ)……。
「肥後、その方、菓子は好きか?」
どっぷりトリップ中の俺を、家定は意外な言葉で覚醒させた。
「か、菓子にございますか? きらいではございませぬが……」
「そうか。それはよかった」
なぜか満面の笑み。
「では、これをつかわす」
家定が合図すると、御小姓がみごとな漆塗りの重箱を運んできた。
会津侯の前に重箱を置くとき、そいつの白い指先がはげしくプルプル。
(……え……?)
「これは先ほど予が作りし菓子だ」
「公方さま御自ら!?」
「うむ。予は菓子や煮物を料るのが好きでのう。まわりはとがめるが、やめられぬ」
(こんな時代に、しかも武家のトップが料理好き!?)
「開けてみよ。こたびはいままでの中でも最高の出来じゃ」
「はっ」
黒光りする重箱のふたを取ると、中にはおいしそうなキツネ色のカステラがぎっしり。
「これはみごとな!」
いや、お世辞じゃなく、マジで!
前に近所のオバチャンから長崎みやげでもらったのと同じくらいうまそう。
「かように、たんといただいてもよろしいのですか?」
「うむ、かまわぬ。褒美じゃ。家中の者どもと食すがよい」
「これは良きみやげができました。わが妹や家臣たちとともにありがたく頂戴いたしまする!」
「予もうれしいぞ。なにしろ、近習どもはそろいもそろって左党(=酒好き)ばかりでな。右党(=甘党)がおらぬゆえ、せっかく作ってももらい手がなくて困っておったのじゃ」
「ほう、さようにございましたか」
ふいに、複数の、強烈な視線を感じた。
その方をうかがうと、居ならぶ御小姓全員が蒼白な顔でいっせいに首をブンブン振った。
(な、なに?)
「下がってよい」
こうして俺は、最後まで超御満悦の笑顔に見送られ、モヤモヤしつつ退出したのであった。