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75 叫喚


 衝撃の事実に、脳貧血発症。


 はげしいめまい。

 高まる動悸。

 切迫する呼気。



 お、俺は……俺は、なんということをーっ!


 大恩ある大口顧客を、おとしいれようとしていたとは。


 奥女中オバチャンたちがクビになったら、会津は巨大な購買層を失う。


 そうなったら、やっと軌道に乗りはじめたビジネスが……。


 藩の総力をあげ、全員でがんばってきたこの二カ月間の血と汗と涙の成果を……俺自身が、つぶす役まわりだったとは!



 なんで、こんなことに加担しちゃったんだ、俺は!?


 本当に……バカだ。

 俺は、救いようのない大バカだ。



 藩士なかまひとりひとりの顔が脳裏にうかぶ。


(みんな……)


 熱い泪が、ほほをつたう。


(ゴメン)


 みんなの気持ちを、努力を裏切る結果になってしまって。



「公方さま、お許しを……、ぅわーーーん!」 


 自責の念に耐えきれなくなり、突っ伏して号泣。


「言えませぬ……わたしには……言えませぬ!」


「「「肥後さまーっ!?」」」


 殺到する白塗眉無オバチャンたち。


「「「どうなされたのですかーっっっ!」」」


(おい、こら、ドサクサまぎれにヘンなところを触るな!)



「かようにすばらしき……(金払いのいい)……奥女中たちに、わたしはなんとむごいことを……」


「いかなることですかな?」


 阿部の声には、いらだちと怒りがこもっていた。


「わ、わたしの口からはとても……」 


 ふるえる指で懐中をまさぐり、一通の書状を取り出す。


「こっ……(えぐえぐ)……これを……」



 塩大福にさらわれた奉書紙が、カサカサとかわいた音をたてる。


「……っ!」


 はっと息をのむ阿部。



 この直書は、責任重大な交渉に際し、俺がテンパって、あわあわカミカミになる事態ことを想定して、家定(上司)が持たせてくれた直筆の通達書で、そこには、大奥に対して、ある依頼が書かれているはずだ。


(ってか、書類一枚ですむんだったら、最初から、俺、いらなくね?)



「伊勢守殿、なんと?」


 姉小路ボスが気づかわしげに問いかける。


「公方さま……より、直々の御沙汰にございます」


 かすかなとまどいの色がにじむ低い声。


「わが邦には今後、異国の領事館が置かれることと相なりました。そこで……」


 ゴクリとツバをのむ音が、やけにデカくひびく。


「邦の威信をかけ、とびきりの美女五十名を選抜し、各領事館づき女官とする、と」


「「「はて?」」」


 チラリ。


 阿部が女たちのようすをうかがった。


「よって、大奥より美女上位五十名を推薦するように、との御掟にて」


「「「ヒィーーーーー!!!!!」」」


 つんざかんばかりの黄色い絶叫。


「異人の相手など、イヤでございます!」


「さような辱めをうけるならば、死んだほうがマシ!」


「人の肉を喰らうという洋夷に仕えるなど」


「恐ろしゅうございます!」


「なにゆえわれらが」


「さようなけがらわしいお役目を」


「それは遊び女にでも」


「「「とにかく、お断りいたしまするっ!」」」


(ということは、オバチャンたち、自分はまちがいなくベスト五十に入ると思ってるんだね?)



「かたがた、落ちつきなされ。全員ではござらぬ」


 パニくる妖怪とはうらはらに、なぜか冷静さを取りもどしていく塩大福。


「【とびきりの美女】五十名【だけ】にございまする。ご安心めされい」


「「「…………」」」



 この計略は、八代将軍吉宗の成功例をもとに家定が考えだした大奥リストラ策。


「有徳院さまの先例にならい、考えてみた」


 計画を打ちあけるサダっちは、底光りするコワイ眼でそう語った。



 有徳院こと暴れん坊将軍吉宗さまが将軍職についたのは、嘉永七年いまから約百四十年前。


 開闢から百年以上たったこのころ、幕府の財政は早くも窮迫しはじめていた。


 改革に燃える暴れん坊さんは、歳出の約一割をしめる宮廷費の削減を決意。


 そこで考案したのがコレ。

 

 まず、


「奥女中から、美人を五十名選出するよう」に通達。


 すると大奥では、


「新将軍の側室候補でしょでしょ?」と、女性陣の期待感はマックスに。


 後日、暴れん坊の前には、自薦他薦であつまった女たちがずらり勢ぞろい。


 将軍さまは、美女軍団をながめまわして、おもむろに、


「おまえたち美人だし、大奥ここやめても、いい縁談や働き口、見つかりやすいよね?

 じゃ、そういうことで!」


 と、あっさり解雇通告。



 リストラされた女たちは『美人』と持ち上げられて、反論もできず、泣く泣く退職していった。



 正規雇用者五十人をリストラすれば、その下に仕える陪臣も召し放ちになるので、数百人規模の大リストラ成功というわけだ。



 家定公の大奥解体プランは、これをもとにしたリメイク版だ。


 奥女中は、将軍・御台所・世継ぎ・将軍生母、それぞれに仕える正規職員と、その奥女中に仕える陪臣で構成されている。


 いま大奥に御台所・世継ぎはなし。


 家定ママは去年末、体調をくずして急死している。


 現在いるのは将軍づきの奥女中百三十人ほどで、その過半数はお目見以下のペーペーなので、つよい発言力をもつ(= 声のデカイ)幹部をなんとか切り崩せば、大奥解体も可能になる。

 

 しかし、大奥と大名(とくに家斉の子女を養子・嫁にむかえた家)・公家は、太いパイプでつながっているので、うまくソフトランディングしないと、諸侯を巻きこんだ騒動になるのは確実。

 なぜなら、大名は、大奥を通じて、たえず幕府情報を収集しており、人脈・利権が複雑にからみ合っているからだ。


 だから、廃止に際しては、上から一方的に解雇するのではなく自主退職のかたちに持っていくのが望ましい。


 ということで、今回、架空の転属命令を発し、異人への恐怖心・嫌悪感を利用して、奥女中が逃げだしたくなる状況を作ったわけだ。


 あとは、なんとか大嘘コレを信じこませるのが、俺の役目だったのだが……。



(なんか……ダメっぽい……)



 俺の任務が、会津うちのビジネスにとって大打撃だとわかった瞬間、完全にメンタルふっ飛んだし。


 そもそも、俺みたいなガキんちょが、強烈な奥女中モンスターとしたたかな政治家しおだいふくをだますなんて、どだいムリだったんじゃね?



「と、とは申せ、お世継ぎはいかがなさるのでございましょう?」


 ひとりがおずおずと質問した。


「お世継ぎとして紀州慶福さまを御養君に定めた、とあります」


 塩大福は、そっけない口調でばっさり。



(……え……?)



 オッサンのあまりの豹変ぶりに、思わず顔をあげ、まじまじ。


 そこには、ついさっきまで奥女中こいつらにおもねっていたとは思えない冷ややかな表情の男が。


「なれど、御褥御免おしとねごめん以上の女子には関係ありますまい?」


 若干余裕を取りもどした姉小路が反撃する。


 御褥御免とは、三十歳以上のオネーサンに適用される大奥のルールで、この年齢になったら、どんなに将軍の寵愛がふかくても、寝所にはべれない決まりなのだ。


 医療技術がすすんでいない時代。

 高齢出産によるリスクを回避するため、自然とそういうことになったらしい。



 ラスボスのナイスな指摘にホッとする、アラフォー世代のオバチャンたち。


「肥後守、いかが?」


 こっちにふってきたオヤジは、おそろしいくらい冷めきっている。


「…………」


 その冷気に、しばし言葉を失う俺。


「い、異人の中には『老け専』という、あえて成熟した年増の美女を好む者も多いそうだ。

 ゆえに、うつくしければ、歳は不問……」


 これは、家定とふたりで考えた想定問答どおりの返し。


「ふ、『老け専』!?」


「成熟!」


「うつくしい年増!」


「美女! 好む?」


「「「年齢不問っ!?」」」



 再度パニックにおそわれる御広座敷内。


 それを他人事のようにながめる老中。



 おい、塩大福、大奥は、あんたの支持基盤、かつ最大の支援団体じゃなかったのか?


 なのに、なんで「オレには無関係で~す!」みたいな顔してるんだ?



(だって、これじゃ、まるで……)


 まるで、大奥の解体をのぞんでいるみたいじゃないか?



「し、しかし」


 アネゴは、なおもしつこく食い下がる。


「お世継ぎはともかく、公方さまの御伽はいかが相なりまする!?」


「公方さまは、女子らに無体なお役目を与えるをじ、以後は精進潔斎、生涯女色を断つご所存」


 俺が最後の望みを打ち砕くさまを、大福はけぶるような笑みで静観する。


「…………」


 フリーズする大奥幹部たち。

 

「し、しかしながら……」


(なんでだ? こんなの想定外だよ!)


「異人はわれらにくらべ体躯も大きく、精もつよい。ゆえに、身体のよわい女子には、異人の相手はつとまらぬ。

 よって、宿下がりをのぞむ病弱・蒲柳の者は、いくらうつくしくともムリに出仕させるわけにはゆかぬ」


 意外な阿部の態度に、集中力も急降下。


 いまが一番大事な場面なのに、オッサンが気になって、ついついチラチラソワソワ。



「ならば、選別する折には、宿下がりをのぞむ者は除かねばなりませぬな?」


「さ、さよう」


 俺のカマシに、絶妙なアシストをかます阿部。

 まるで、事前に打ちあわせたかのようなドンピシャなタイミングだ。



「「「宿下がり!?」」」


 ひと声さけぶやいなや、オネーサマがたは俺たちを置き去りにしたままバタバタ逃走。


 本日の老中見まわりは一瞬にして散会となった。



「それにしても」


 最後尾の奥女中が消えるやいなや、オッサンははれやかな顔でふり返った。


「それがしは侯を、いや、公方さまと侯を少々見あやまっておりました」


「なんだと?」


「ほめているのですぞ?」


 というわりには、まったく好意的でないまなざしだ。


「ふふふ、あれほど迫真の芝居ができようとは。

 悲嘆にくれる侯の御姿に、老獪な奥女中どももすっかりあざむかれたようす。

 まことにおそれいりました」


「――――」



 芝居じゃねーし!


 俺は、ガチで泣いてたんだ!


「さしずめ、公方さまの御指図にございましょうが、いずれにせよ礼を申しあげておきまする」


「礼、とは?」


「昨年、姉小路さまの引退を慰留したはそれがしにございます。

 なれど、そろそろお引きいただきたいと思うていたところ、かような首尾に相なり、まさに渡りに舟とはこのこと。くっくっく」


「なにゆえだ? そなたと奥女中どもは、一蓮托生ではなかったのか?」


 あんたは長年、大奥とズブズブだったじゃないか!


「姉小路さまをとどめたは、水戸老公を掣肘するため入用であったゆえ」


「掣肘? 入用?」


「水戸さまは大奥の女子どもにうとまれております。

 公私にわたり、なにかと強硬なおふるまいの多い老公。

 かの御方を好き放題させぬ具として用いるべしと思うておりましたが」

 


 ようするに、水戸斉昭ジジイのストッパーとして大奥オバチャンたちを利用しようとしてたけど、ジジイが勝手に自滅したんで、大奥のドン・姉小路はもう要らなくなった?


 どうやって捨てようか悩んでいたら、ちょうどいいタイミングで将軍と大政参与(俺たち)が解体作業に入った、と?



 全身に寒気を感じた。


 となりに座したままの男が、ぐいぐいのしかかってくるような錯覚をおぼえた。

 

(じゃあ……)


 大奥解体に協力したってことは、家定に世継ぎができないことも、当然……。



 圧倒される。

 かなわない。

 俺なんかとは、全然ちがう。

 これが、オトナの、国政をになうサムライの迫力、なのか? 



「どうぞこれからも大政参与として、将軍家の御為にご尽力くだされ」


 もちもちのほほに刻まれる酷薄な笑み。


 真夏の午後、俺はえもいわれぬ恐怖につつまれ、ただただ身をふるわせていた。



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