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73 大奥



 御納戸口を出た俺と阿部は、天守台を左前方に見ながら北進。


 めざすは銅塀のむこう ―― 魅惑のハーレム・大奥!



 理不尽な説教をはきまくる大福老中の後ろをとぼとぼ歩くうち、目的地 ―― 大奥正門・御広敷門に到着。


 ゴージャスな門と、その両側につづく塀がわりの長屋。

 長屋ここは、警備担当の伊賀者、広敷添番の控え所だ。



「お見まわりでございますな?」


 門番が、阿部に声をかけた。


「本日はおふたりにございますね?」


「うむ。こちらは大政参与の会津侯だ。こたび、公方さまの命によりお連れした」


「うかがっております。どうぞ」


 顔見知りらしき伊賀者ガードマンはあっさりと許可。




 大奥は、本丸御殿全体の約六割をしめる将軍私邸部分。


 男子禁制のイメージがつよい場所だが、じつは、大奥勤務の男性職員も少なくない。



 大奥は、『御殿向』『長局向』『広敷向』の三つにわかれる。


『御殿向』は、将軍正室・御台所、子どものいる側室・御腹様おはらさま、将軍生母などが住む空間。

 将軍が大奥ですごす居間・御小座敷(いつもの奥・御小座敷とは別)や御仏間もここにある。


『長局向』は、大奥ではたらく奥女中の居住区。

 子どものいない側室はこっちで生活する。


『広敷向』は、警備・管理の広敷役人(男)がつとめる役所。


 御広敷門周辺のこの一画は、男だけのエリアで、当然、ここと大奥は厳重に隔てられているが、役人が仕事で御殿内に入ることもある。


 そのほか、御三家・御三卿、将軍子息で他家に養子に出た者、九歳以下の奥女中関係者は、男子でも出入り可能。

『大奥は男子禁制』といいながら、実際は、将軍以外の男もけっこう入れるみたいだ。



 そして、老中には、月に一度、大奥での仕事がある。


 それが『老中見まわり』


 老中が警備上のチェックのため大奥に入り、年寄・中年寄などの事務方と面談してくるというものだ。



 今回、大政参与の会津侯()は、老中見まわりに同行するという形で大奥ここに潜入する。



 大奥解体作戦本部長の家定は、大奥担当の塩大福に、


「国事多難の折から、今後、老中首座の伊勢守(阿部)には国務に専念してもらいたい。

 いずれ大奥担当は、大政参与に交代させる。

 よって今回、実習がてら肥後も同行してほしい」と、依頼。


 もちろん、将軍命令を断れるはずもなく、阿部は俺のガイドをつとめるハメになったのだ。


 俺が、自分の権力基盤を破壊する工作員だとも知らずに。




 御玄関に入った阿部は、添番に脇差をあずけ丸腰になった。


 大福の指示のもと、俺もそれにならう。



 内部は、夏の昼下がりとは思えないほどうす暗い。


 式台につづくみじかい廊下は広敷添番詰所をかねており、男の役人たちがうろうろしている。



 つきあたりは、監視所兼守衛所の伊賀者詰所。


 やはり、警備は厳重だ。



 詰所前をとおり、ようやく大奥エントランス ―― 御錠口にいたる。


 幕閣来訪の連絡をうけ、伊賀者のひとりが奥の杉戸を引く。


 御錠口は、外界と女護島にょごのしま(女性ばかりの場所)との封彊。


 頑丈な引き戸が開ききると、奥の戸もゆっくり動きだす。


 杉戸が開くにつれ、濃厚な薫物たきもののにおいがひろがる。



 御錠口、全開。


 むこう側には僧形の人影がひとつ。


 これは御坊主という、大奥における将軍世話係で、剃髪し男の着物を着ているが、れっきとした女だ。


 江戸城では、この御坊主だけが大奥と表御殿を自由に行き来できるらしい。



「どうぞ、お先に」


 阿部は、白いぽっちゃり顔に妙な笑みを浮かべて、うながす。


「大奥見まわり。お若い侯には楽しみなお役目にございましょう?」


「…………」



 なに、それ?


 人のこと、まるでサカリのついたケモノみたいに!


 うわっ、感じ悪ぅー!



 そりゃ……多少期待してるけどさ……多少は。


 だって、そんなささやかな楽しみでもなかったら、こんな密使、やってられっかよ!?


 いいだろ、キレイなオネーサンで目の保養するくらい!



 てか、聞いたぞ、塩大福。


 あんた、最近、俺と容さん(俺ら)より若い側室ができたんだってな?


 超年の差か。いいよな。


 どこで見つけるんだ、そーゆーの?


 俺なんか、側室オネーサンどころか、毎晩、オス型酸素カプセルと寝てるんだぞ!


 ちくしょーめ!


 こっちにスリップして以来、接するメスつーたら、愛馬の風ちゃんくらいだ。


 来る日も来る日も、ヤローどもに囲まれてトレーニングと仕事にはげむ超ストイック生活。



 で、ようやく、女の園に入るチャンス!と思ったら、その解体作業だ!


 むなしいよ!

 かなしいよ!

 やるせないよ!



 なに?


「侯もこれを機に、たまには女子にも目をむけられませ」だと?


 はぁ?


『たま』ってなんだ、『たま』って?


 それじゃ『いつもは』オトコにしか興味ないみたいじゃないか。


 俺だって、オトコよりオンナの方がいいに決まってんだろ!


 なんだよ、なんだよ。

 好きで禁欲生活してるわけじゃないのに!



 ショーグンからの命令で粉骨砕身する中間管理職()が、なんで毎日側女ネーチャンとイチャイチャしてる部下てめーから、そんなイヤミ言われなきゃいけないんだ?


 俺、あんたになんかしたか!?



 くそ、いまに見てろ、ロリコン野郎め。


 そんな風にほざいてられるのも、いまのうちだ。


 この礼といっちゃなんだが、あんたの支持母体、もうすぐ粉々してやるからな!


 老中・阿部正弘を強力に支えてきた影の組織は、まもなく終了~だ。


 けっけっけ、ざまーみろ!!!




 暗いよろこびにひたりつつ、御錠口に入る。



「こちらに」



 御坊主は、俺たちをすぐ前の座敷に案内。



 通されたのは、御広座敷と呼ばれる広間。


 この座敷は、表役人と大奥事務方との面会所になっている。


『見まわり』といいながら、俺たちが入れるのはここまでだ。




 御坊主が入側の襖をあけると、室内にはすでに六人の奥女中がスタン……バイ……。



(…………)



 …………俺は、どうやらひどい勘ちがいをしていたようだ。



 大奥は、将軍専用のハーレムだと思ってた。


『日本一の美女千人が集うオトコの楽園〛だと。



 だが……どうもそうじゃなかったらしい。



 うす闇の中に浮かびあがる、まっ白な生首六個。


 眉のないのっぺりとした白いキャンパスに描かれた真っ赤な口唇。


 そこからのぞく漆黒のブラックホール。



 大奥とは、将軍専用化物屋敷ホーンテッドマンションだったのか!



 ギャーーー!!!


 でたーーっ!!!


 こわいぃぃ!!!



 俺、数あるアトラクションの中で、ホラー系だけはどうしてもダメなのーっっっ!


 T●Lでも、空飛●ダンボとかイッツ・●・スモールワールドとか、かわいい系にしか乗らない人なのー!


 カリブ●海賊でギリギリ、シンデレ●城はアウトなのー!



 家定さん! 全然、話ちがうじゃねーかっ!


 俺は、相手が人間だと思ったから引き受けたんだ!


 もっといえば、キレイなオネーサンが千人って聞いたから、なんとかモチベーションを保ってたんだ!


 なのに、人外魔境で、化物相手に丁々発止の交渉?


 マジでありえねーし!


 絶対ムリだから!


 また、家定にだまされたーっ!



 ショックで、半気絶状態。


 まばたきすらできず、乾いた眼球がヒリヒリピクピク。



 一方、阿部ぽにょは、


「これは、みなさまおそろいで。相かわらずおうつくしゅうございまするな」


 甘ったるい裏声でのたまう。


「おや、姉小路さまがいらっしゃらぬようですが?」



 えっ!? あんた、見わけられるのか、この妖怪どもを?


 俺には、どれも同じ白塗りオバケにしか見えねーぞ?



 さすが、幕末一の名宰相・阿部正弘。


 この六体の亡霊ゴーストを完全に識別できるなんて!


 ヒヨコ鑑定士なみの眼力をもつ化物鑑別師スペシャリストだったとはな!




 ガクッとへたりこむ容さん()をよそに、名宰相プロフェッショナル奥女中モンスターどもは、ウフウフキャイキャイやけに楽しげだ。



「姉小路さまは、本日のお見まわりを心待ちにしていらっしゃったのですが」


「あまりに気が高ぶられ、昨夜来お熱をだされまして」


「それはいけませぬな」


「なにしろ、日の本一の美丈夫・前田犬千代さまにうりふたつの肥後守さまがお見まわりと耳にされてより、異様なほど盛りあがられて」


「いままでは『伊勢さま』一筋でしたのに」


「部屋にはお手製の『伊勢さま』人形を飾られて、朝な夕なに着せ替えを」


「なんども脱がせたり着せたり」


「その人形も、ここ数日は手にも取られず」


「いまや、すっかりお心うつりなされて」


「『肥後さま』『肥後さま』とうわごとのように」


「そのあげく、熱を出されるほどの気合の入れようにて」



 ちょ、待て待て。


『姉なんちゃら』とかいうオバチャン情報、家定さんから聞いてるぞ!


 大奥一の要注意人物として。




 大奥の最高実力者、上臈御年寄・姉小路。


 上臈御年寄(略してジョーロー)とは、大奥における最高位ポジションながら、ふつうは実権をもたない名誉職だといわれている。


 上臈は、将軍が京都からむかえる御台所とともに下向する公家息女が就くポストで、職務は将軍・御台所の相談相手、礼儀作法指導、儀式典礼のコーディネーター役だとか。


 通常、大奥での実権は上臈ではなく、その下の事務方トップ・御年寄がもつらしいが、姉小路は名実ともに大奥のドン!


 十二代将軍家慶ヨッシーの世嗣時代、京より輿入れした御簾中にしたがって西の丸大奥に出仕した姉小路。


 一時、オットセイ娘の嫁入りにつきそって大奥を出たが、姫君アボンで復帰。

 徐々に後宮フィールド内を制圧し、将軍代替わり後は支配体制確立。


 その強烈なキャラと押し出しのつよさは、ときの老中・水野忠邦さえかる~く蹴散らし、大奥緊縮プランを粉砕。


 さらに、それをたくらんだ水野を失脚させ、政界から駆逐した暗黒街のボス。


 いまや姉小路アネゴのパワーは広く知れわたり、みな願事があるときは、姉さんに巨額のワイロつきで将軍への口利きをたのむ裏ワザが常態化。


 こうして、アネゴのもとには菓子折りに入った現ナマ、いわゆる『黄金色の菓子』がしょっちゅう届けられるとか。


(「そちもなかなかのワルよのぅ」のアレだな?)



 家定は、この腐敗しきったザマをずっと苦々しく見てきた。


 昨夏、家定父・ヨッシーが急逝。


 それを機に、アネゴも引退宣言。



『大奥は一生奉公』


 よくそういわれるが、じつはそうでもない。


 将軍代替わりの際には、大規模なメンバーチェンジがある。


 そのとき、御手付以外の『おきよの者』は大奥を出ることができる。


(一度でも御手付になったオネーサンは、懐妊しなくても一生徳川の施設から出られない)


 上臈ら幹部は『お清』なので、希望すれば退職OK。


 アネゴのように、現役時代しこたま貯めこんだオバサマは、外界で悠々自適ライフを楽しめるのだ。



「これでやっと、綱紀粛正できるー!」と、よろこんだ家定さま。


 ところが、老中首座・阿部が慰留。


『お清』は希望退職できるが、逆に、残るのも可能。


 千人の巨大組織上層部が総入れ替えになっては、次代の運営が円滑にいかない。


 そこで、代替わり後も、幹部数人は大奥にとどまることになっている。


 そんなこんなで、よわい六十をむかえる姉小路アネゴは、以前から協力関係にある阿部の依頼を受け、次世代大奥への引き継ぎ要員として残留決定。


 家定公、いたく落胆……というしだい。



 というわけで、今回の大奥解体計画は、


「阿部に計画を知られたら、必ず潰される!」と確信した公方さま。


 大福老中に悟られぬよう、特命係の俺とふたりきりで、秘密裡に準備を進めてきた。


(がっつり衆道ホモ認定される二次被害までは、家定さんもまったくの想定外だったようだが)


 しかし……六妖怪コレをはるかに上まわる、最恐の奥女中?


 家定さん、あんた、人選まちがったわ。


 この仕事、俺の手にはあまりまくりですっ!!!


 特命係なんて、やっぱムリでしたー!


(……ぶるぶる……速攻帰って、解任してもらおうっ!)



 ひそかに、そう決意したとき。 



 ぞくぞくぞくぞく。


 どこからともなく押しよせる、すさまじい瘴気!



 刹那。


 襖、オープン!


「伊勢守殿!」


 一体の白塗りお歯黒妖怪、出現!


「あ、姉小路さま……」


 一瞬の動揺ののち、うやうやしく頭をさげる塩大福。


「もうお加減はよろしいのですか?」


「かようなときに休んでなどおられようかっ!」


 バケモノはすごい勢いで突進。



 な、なんと……!


 さっきの六体とはケタちがいの超ド迫力!


 まちがいねー!

 これこそ、この大奥ダンジョンのラスボスっ!!!



 姉小路モンスターは、鮮血色の長い裾をさばきながらぐいぐい接近。


「こちらが大政参与の肥後守殿か?」


 緋の口腔が笑みの形に変化。


「ほほほほ、うわさ以上の美貌ではないか」


 その距離、約三十センチ。


「で、ございましょう?」


 塩大福が心底うれしそうにうなずく。


「今後、大奥見まわりは、大政参与のお役目となりまする」


「「「きゃ~、楽しみにございますぅ」」」


 七体の妖怪と塩大福のあいだに交わされるほほえみの応酬。



 一方の俺。


 はた目には優雅に端座。


 そのじつ、完璧に腰がぬけていた。


 フリーズする青年に、なおも迫るラスボスの鬼面。


 距離、約十五センチ。


 ダメ……これ以上来ないで……。

 チビリそう……マジで……。


「伊勢守殿、礼を申しますぞ」


 シワだらけの白壁がニタリ。


「あのとき引退せず、ほんによかった」


 アネゴの手が、容さん()の頬をスッとなでた。


(ギャャャーーー!!!)


 虚脱する身体ハード

 遠のく意識。

 かすみゆく視界。



 ふと。



 …………!



 ホワイトアウトしかかった視覚が、ある物体ものをとらえた。


 そのあざやかな色彩が、心を現世につなぎとめる。



 俺を失心からすくったもの。


 それは、姉小路ラスボス筥迫はこせこ(懐中用ミニバッグ)につけられた深紅の根付だった。



老中の『大奥見まわり』ですが、そうした役目があったという説がある一方で、なかったとする有力な説もあります。

(『旧事諮問録』など。いろいろ調べてみましたが、あったという文献を見つけることができませんでした。大学教授にも確認しましたが、やはり『老中見まわり説』には否定的でした)


ということで、あまり使いたくなかった最後の手段を……。


「このパラレルワールド幕府には、このオシゴト、あったんです!」


なさけのうございます (ノД`)・゜・。



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