72 醜聞
ということで、ついにむかえたXデー。
大奥解体作戦、開始(涙)。
大福老中にともなわれ、本丸御殿にそって進む。
めざすは魔窟・大奥。
「肥後守」
全身を陽に焼かれ、ヘロヘロ状態の俺に声をかける阿部。
眉間にしわをよせ、めずらしくご機嫌ななめ。
「例の件、たしかに言上してくだされましたか?」
んだよ、クレームかよ?
今日は勘弁してくれよ。
それでなくたって、すでにメンタル持ってかれてるんだから。
「むろん。毎日のように申しあげておる」(じつは言っていない)
「ならば、なにゆえ改善されぬのです? 侯は事を甘く見ておいでか?」
「甘くなど……」
「なれど、公方さまにおかれましては、いまだ奥泊りがございませぬ!」
奥泊りとはいうまでもなく、将軍が大奥にお泊りして、女と一夜をともにすること。
こっちの世界の家定公は、将軍就任以来一度も奥泊りをしていない。
「…………」
そんなこと、おまえが直接言えばいいだろ?
十代の俺が、三十すぎのオッサンに、んな話できるかよ。
「大奥であんなことやこんなことして、せっせと子づくりしてこい!」なんて。
純情可憐な青少年に、なに言わせる気だ?
あっちの世界だったら、大問題になるぞ!
ところが、
「公方さまの閨房から国政全般まで掌管するが、大政参与のお役目。奥泊りをおすすめするも、大事なつとめにございまする!」
憮然とする上司に、部下であるはずの大福はクドクド説教。
「ったく、都合のいいときだけ『大政参与』『大政参与』ってさー! 俺にイヤな役ばっか押しつけんな、このクソ塩大福!」
(なんて、言えっこないけど……)
オッサンは俺が反論しないせいか、どんどんヒートアップ。
相当不満がたまっていたごようす。
「であるにもかかわらず、今朝も登城早々、ふたりきりで御小座敷にこもり……猥りがわしゅうございまする!」
み、猥……っ!?
って、まるで、ボクたちが朝も早よからイヤラシイことしてたみたいに。
んなワケあるかーっ!!!
たしかに、ここのところ毎日、登城するやいなや奥小姓に拉致られて、家定私室に放りこまれてるけど、あれは大奥解体作戦の最終チェックだっつーの!
(……とは、がっつり口止めくらってて、弁明できませんが)
「衆道は武家のタシナミとは申せ、ほどほどになされよ! お世継ぎづくりに差しつかえるなど言語道断!」
はぁぁぁーっ!?
「ほどほど」って、なによ? 「ほどほど」って!?
力関係上、つれこまれてるのは、あきらかに俺の方だろ?
なのに、どうして俺が主犯みたいになってんだよ!?
それもこれも、あんたが、俺を公方さまに差し出したからじゃねーか。
手ごろな、茶飲み友だち兼便利な介護ロボットとして!!
(ま、実際は公方さまにハメられたっぽいけどな、大福)
そして、バリバリの衆道認定。
(っきしょぉーーーっ!!!)
じつは、大政参与内定直後から世間はそのスキャンダルで持ちきり。
三十一の家定と十九の容さん。
たしかに、後見人というより、どこから見ても将軍と御小姓。
容さんの超絶美貌ともあいまって、ちまたでは、
「大政参与なんて聞いたことない役職、会津侯としけこむためにこじつけたんじゃね?」とヒソヒソ。
口さがないヤツらは、『寵童』『色小姓』とまで。
一方の家定は、
『大猷院(家光)さま以来の、完璧なガチホモ!』の称号を獲得。
モ~ホ~といえば、歴代将軍の中では、美形小姓井伊直政(あのメタボオヤジの先祖が!?)を愛でた家康、柳沢吉保を寵愛した綱吉、間部詮房を重用した家宣などなど、そっち系のニオイただよう御方も複数おいでだけれど、彼らは大奥にも通い(家康時代は大奥はまだなかった)、将軍としての義務ははたしていた。
家定のような奥泊りなしの超本格派は、かの家光公以来二百年ぶりの降臨らしい。
いわれてみれば、ここ半月、人払いした御小座敷で、ふたりっきりで密議につぐ密議。
これがまた、うわさに強烈な説得力をもたせ、その信憑性を裏づけた。
家定の計画にまきこまれたせいで、松平容保のピュアなイメージが壊滅状態だ!
せめて、事が成就したら、今回の精神的慰謝料として大加増しやがれ!
それにさぁ、タシナミって、なんだ? タシナミって?
俺は、そんなアヤシイ世界、タシナミたくないわい!
容さんには、TERUっていう、かわいい(か、どうかは不明だが)許嫁がいるんだぞ。
もし、衆道疑惑がもとで、破談になったらどーしてくれる?
責任とってくれるのか!?
容さんの人生、めちゃくちゃじゃねーか!
(以前は、「破談になんないかな?」と思ったこともあったけど、この大逆風の中、TERUに逃げられたら一生嫁がこない気が……)
言い返すこともできず、屈辱感にまみれながら、必死にたえるケナゲなボク。
そんな幼気な若者を、老中首座阿部伊勢守は執拗になぶる。
「このまま将軍家に御世子誕生なくば、いかがなさるおつもりか? 長きにわたり大君守護に尽力なされた侯のご先祖方もお怒りになられましょうぞ!」
オッサンからの恫喝で完全に涙目。
(世子誕生だと?)
俺だって、そこは、最初に確認しましたよ、最初に!
ギラギラした目で、「大奥ぶっ壊す」声明を発した将軍に。
「いやいやいやいや、ちょっと待てよ。
大奥をそんなにサックリ廃止しちゃったら、あんた、ムラムラしたとき、どこであんなことやこんなことやるつもり?
あ、まさか、吉原?
ダメダメダメダメ。あそこは、梅毒とか淋とか結核とかコワイ病気だらけだよ!
J●N先生いないから、ペニ●リンは作れないよ。絶対治せないからね!
第一、世継ぎはどうするつもりだよ?」
俺が必死に反対すると、
「案ずるな」
ギラギラから一転、からりと笑いとばす公方さま。
「美女が何千人いようとも、予に子ができることなどないっ!」
おそろしいくらいきっぱり断言。
(そ、それって……)
つまり、オトコとしていろいろ残念っていうか……医学的にっていうか……ムリ的なっていうか……的なアレ的な……アレですかー!?
ひぇーーーっ!
これ以上、つっこめない~!
(てか、あんた、そんなにさわやかに笑っていられる状況じゃねーだろ?)な、屈託ない笑顔の将軍は、
「予の世継ぎとして、紀州慶福を養君とする」
と、さらなる決意表明。
将軍継嗣問題は、あっというまのスピード決着。
「一橋はあまりに虚弱ゆえ、いたしかたなかろう?」
「……はぁ」
幕末ナンバーワンの火種も一瞬で鎮火。
「めでたく継嗣も決まった。よって、予に大奥は不要。膨大な掛をかけ、残すはムダというもの」
(めでたく?)
ときに、いま大奥は将軍正室の『御台所』がいない。
家定は世子時代、二度結婚したらしいが、ふたりともとっくの昔に逝去。
そして、将軍継嗣問題がないこの世界では、島津斉彬が一橋慶喜プッシュの後宮工作をする必要はなく、その結果、家定に島津家姫君を娶せる縁談もなく、今後、結婚の予定は一切ないらしい。
さらに大奥につよい不信感をいだく家定は、西の丸時代から現在にいたるまで、ひとりの側室もつくらず(ってかムリっしょ?)、大奥に行くのは将軍の日課・朝の位牌拝礼で『御仏間』に通うときだけ。
こうして、現在、世継ぎ製造の役割を喪失した大奥は負債そのものとなっている。
家定がいうまでもなく、幕府の財政難は外様大名にさえバレてる深刻なレベルで、家康~家光までにつみあげた金銀財宝はすでになくなり、貨幣改鋳の際に生じる差益でやっと帳尻を合わせてきた財政もそろそろ限界に達している。
大胆な財政改革が必要なこの時期、もし宮廷費がゼロになれば幕府としてはすごく助かるだろう。
それに、あっちの世界では、幕末ころになると大奥は規律がゆるみ、江戸城にとって超有害エリアと化す。
明暦の大火で焼失した本丸御殿は、二年後の万治二年に再建され、それから百八十年以上大切に使われていたが、天保十五年(1844)、大奥から出火した火災で本丸御殿が焼失した。
これは一説によると、天ぷらを揚げていたときの失火によるものと言われている。
そして、いまの御殿はこの火災後に再建したものだが、たしか数年後には現在の建物も焼けてしまい、再度建てた本丸も文久年間に焼失するはずだ。
文久時に本丸を失った江戸城は、財政難・幕末動乱などで再建されないまま大政奉還をむかえる。
本丸御殿は官公庁部分の表と私邸部分の大奥が一体となっているため、大奥から出火すると、全御殿が延焼してしまうのだ。
つまり、国政をつかさどる役所が、オバチャンたちの失火で灰になるということだ。
しかも江戸城は、堅固な警備が仇となり、火消がすみやかに火災現場に入れず、初期消火が困難という致命的弱点がある。
きびしい財政運営がつづく幕府にとって、城再建はハンパない重荷。
それなのに、綱紀のゆるんだ大奥ではボヤをふくめ、大小の火災がたびたび発生している。
大奥は人件費・維持費だけでなく、こうしたハード面でも財政を圧迫する要因になりうるのだ。
また、大奥では風紀上の問題もてんこ盛りで、一番の原因は、女ばかり千人も閉じこめておくことで一種異様な精神状態が生じるため。
閉鎖的空間におかれた女たちの間では、日常的にイジメが発生し、それによる殺人事件、代参時の寺社坊主との乱交、女同士の●●などなど。
家定はこうした陰湿な犯罪行為の温床である大奥を嫌悪しているのだ。
ほかにも、奥女中外出時においては、御用商人によるはげしい接待合戦が起こり、奥女中の口利きで相場よりかなり水増しされた請求書がまかりとおり、公金がムダにつかわれる結果にもなっている。
そして、最大の問題は、本来『表』の政治にタッチできないはずの大奥が、幕末ころには一大抵抗勢力となり、幕政改革を潰すことが多くなる点。
水野忠邦の天保の改革も、大奥の反対によって頓挫したのは有名な話だ。
なので、家定のいう大奥廃止が本当にできたら、徳川政権にとって、大きな慶喜(よしのぶではない)となるのはまちがいない!
つーのを、大福老中にぶちまけられたら楽なんだけど。
まさに、「王さまの耳はロバの耳!」な心情!
とはいえ、職務上知りえた家定の個人情報。
しかも、オトコ的には、たいへん微妙すぎる事情。
ならば、主君の名誉のため、歳出削減のため、歯を食いしばって『衆道』の烙印にたえるのみ。
そうはいっても、やっぱ、キツイっすよ、公方さまーっ!
ひょっとして、『松平容保』には、その出自にかかわりなく『不幸・理不尽・過酷』の三点セットがもれなくついてくるのか!?




