71 台命
(やばい。マジで……やばいっ!)
あれから半月。
月もかわり、暦の上では秋、文月。
グレゴリオ暦ならたぶん七月末~八月初旬ころ。
御納戸口から一歩外に出たとたん、襲いくる強烈な熱波。
はげた頭頂部に、中天をすぎた灼熱光線がジリジリ。
(ヤバイって、この紫外線!)
美白が気になる青年の横で、ぽっちゃりオヤジは泰然。
皮膚がんのリスクも肌の老化も意に介さず、炎天下にゆるゆる歩をはこぶ。
(いいよな、塩大福はノンキそうで)
そこへいくと、俺なんて……。
こっちにスリップしてからこのかた、いいことなんてひとつもありゃしない。
面倒くさいことばっか、つぎつぎと……。
のほほんとお散歩中のあんたが、ホントうらやましいよ。
それに、この身体は他人様からの借り物。
美容と健康にも気を使わなきゃならないし。
がんじがらめだよ!
息苦しいよ!
やってらんねーよ!
「はぁーーー」
文字どおり青息吐息。
(……泣きたい……)
大政参与として初登城したあの日。
将軍私室で言いわたされた衝撃の業務命令。
そのときはじめて知ったこの職務の苛酷さ。
―― 大政参与 ――
タテマエ上は、将軍後見役つき大老。
しかして、その実体は……『家定専属特命係』
その記念すべき初ミッションが、『毒殺暴殺てんこ盛り、江戸城一の暗部『大奥』の解体』!
もしもーし、家定さん。
一歩まちがったら、ボク、闇にほうむられたりしませんか?
だって、昔、いたらしいじゃないっすか?
大奥で行方不明になった大名が!
嘉永七年から約二百年前。
江戸の大半が消失し、死者十万人ともいわれる記録的都市災害 ―― 明暦の大火のとき。
この火災では、江戸城の本丸・二の丸・三の丸・天守閣も焼け落ち、天守閣は二度と再建されなかった。
そして、このとき奥女中らを避難誘導するため、ひとりの大名が大奥に入った。
だが…………男は、忽然と消息を絶った。
焼死体はもとより、その痕跡は一切見つからず、文字どおり迷宮入りに。
ところが、この事件については、ある妙なウワサが流れた ―― お殿さまは女たちに拉致られちゃったのだと。
でも、なんのために?
(……●●●のオモチャ代わり……?)
ぎゃー!
ホラー!
男にとって、血も凍る恐怖の逸話っ!
コワイ(K)、(メンタル)けずられる(K)、金輪際ごめんですぅ(K)!
大政参与が、こんな3K職だって知ってたら、全力で断ったわ!
にしても、大樹様、参与任命時、俺になんて言ったっけ!?
「大政参与は、おまえを庇護するための方便」って言ったよね?
あのときは、「こんなにいい人をだましてるボクはなんてイケナイ子なんだ」と、良心の呵責にさいなまれたけど……。
なのに、これが『庇護』!?
こんな危険きわまりないミッションを平気であたえるとか、あんた、ホンマもんの鬼だわ!
ブラックすぎるー!
「守ってやる」って言った、あの言葉はウソだったのか?
とはいうものの、まったくのウソじゃないのかもしれない。
近ごろ気づいたことがある。
又一以外のSPやCRCメンバーに、やけにかろやかな幕臣がチラホラいることに。
これって、もしかすると……御庭番!?
そういえば、最近、周囲は無人なのに、ときどき妙な気配を感じるときが。
家定さん、国費割いてまで、護ってくれなくていいですよ!
家臣最高位のポストなんていりませんから!
最大限譲歩して、ただの茶飲み友だちならギリギリガマンしますよ。
だけど、あんた専属の特命係だけはゴメンです!
これなら、邪推まみれ・悪意たっぷりの池田説=「優越感にひたるため」の方がよっぽどマシだわ。
もう……もう……宮づかえ、宮づかえなんてイヤーっ!
版籍奉還したい……(うぐうぐ)……させて……(うぐうぐ)……お願い……。
あのふたりきりのティータイムで、
「将軍位ゆずりたい」だの「毒殺」だの、思わせぶりなつぶやきに度肝を抜かれてるスキにあれよあれよで……。
こっちは協力すると言ったおぼえもないのに、一方的に語られた大奥廃止プラン。
それを聞いた瞬間、俺は完全に石化した。
「い、伊勢守にも、又一にも秘し……わたくしひとりでやれ、と?」
視界が白っぽくなりはじめる。
またもやホワイトアウトの予感。
「なにゆえにございますか? なにゆえ、伊勢守や又一の手を借りてはならぬのですか?」
「伊勢はかねてより大奥の支持を背景に政をおこなってきた。
この企て、かの者に知れたが最後、必ずや潰されよう。
そして又一は旗本。奥づとめの多くは旗本の娘。親類縁者がだれぞおるやもしれぬ。
よって、この難業、われらふたりで成しとげねばならぬのだっ!」
高らかに宣言する公方さま。
(……われら?)
あんたは後方で作戦をたてるだけ。
前線でやりあうのは俺ひとり。
危険度が、全然ちがうじゃないか!
家定いわく、
「千人(人数はいささか誇張あり)の魔物が住むダンジョン」に、
「勇者が単身潜入」し、
「ラスボスを倒して、ハッピーエンディング」
―― を完遂するのが、俺の役目なんだとか。
ムリムリムリムリーーー!!!
なに言っちゃってんの、この人はー!?
水戸老公とちがって、家定、なまじイイ人なんでホント始末が悪い。
しかも、相手は、二百年間、会津藩をパシリにしてきた大君一族。
「力、貸してくれない?」と、いちおうお伺い立てる形だったけど、断れる空気じゃない。
保科、あんたがヘンな家訓つくるから、こんなハメに……。
ばかやろー!
責任取れーっっっ!!!




