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65 総登城日 

 嘉永七年 六月十六日

 

 朝練を終えて帰宅すると、膨大な書類が俺を待っていた。


 国許からとどいた稟議書の束、家臣間の婚姻・養子縁組の認可願、新規事業の企画書等々。


 それらにじっくり目をとおし、担当者から報告と説明を聞き、いくつか指示を出し、OKの花押サインを書き……藩主業もけっこう忙しいのだ。


 たまった仕事をガシガシさばいていたら、あっというまに午の下刻(十三時)に。


「殿、そろそろ昼餉を」


 そううながされ、やっと遅めの昼休み。



(明日から登城かぁ……)


 雑穀粥の椀を手に、なんとなく放心。


 大政参与――ふつうの大老職にくわえ、将軍個人の後見だって?


 確実にふえるよなぁ……登城日。



 大名の登城日は、基本、式日と月次御礼だけ。

 溜詰はプラス月に4~5日の出仕。


 一方、老中・若年寄などの幕閣は毎日出勤する。

 でも、老中は複数いて、仕事も月番制や、海防担当・財務担当など専任っぽくなるときもあるから、ひとりが内政から外交、将軍の私生活まで全部ひっかぶるということはない。


 ところが、大老はひとり。

 月番も担当もない。

 そのうえ、今回は【大老格】&【後見役】。


 家定さんは、

「参与なんて方便だから、全然心配ないし~」

 って言ってたけど、()()塩大福のことだ、絶対そんなわけない。


 確実なところでは、


 ・アメリカの条約締結を聞きつけた列強諸国が押しかけてきたときの交渉役


 ・手がすいたときには、外交文書の英文和訳、洋書の翻訳


 ・蝦夷地分領六藩のまとめ役――北方総監的業務


 そのほか、一番うるさい水戸のジジイはいなくなったものの、三百諸侯からのクレーム処理・紛糾調停役なんかで目いっぱい使いたおすつもりだろう。

 ヘタしたら相当な激務かもしれない。



 後世、幕末動乱が本格的にはじまったといわれる嘉永七年(この年)

 幕府は文字どおり内憂外患状態で、老中ら首脳部は俺にガーデンパーティ直後から出仕してほしかったらしい。


 だが、それをこの一ヶ月、なんだかんだ言ってたくみに回避してきたが、今朝大福老中にしっかり言質を取られたから、楽しい長期休暇ロングバケーションももう終わりだ。


 あ~、ダルイな~、登城。


 登城は大名にとっての最重要任務とはいうものの、ホントめんどくさい。


 だって、登城には、どうでもいいシキタリや細かい決まりがいっぱいあるんだもん。


 たとえば、

「公式拝謁のとき、会津藩主の定位置は上段から畳何枚目」で、そこにすわったらすわったで、「畳目何列目に手をついて頭をさげろ」だの

(どこで手をつこうが、いいじゃねーか!)


 拝礼の際、ハプニングで烏帽子がずれ落ちようものなら、目付からぎちぎち居残り説教だの

(カブリモノがぬげたくらいでさーっ!)

 武士社会は繁文縟礼まみれだ。


 それもこれも泰平の世が長くつづきすぎたせいで、生きるか死ぬかの戦場なら、こんな虚礼ばっかの儀式ごっこなんんて絶対ありえない。


 とにかく、かったるい!

 総登城なんて制度、なくなりゃいいのに!



 …………ん!?

 

 総……登城……日……?


 ……ってことは?

 ってことは!?

 ってことはー!


 あいつが……来る……。

 きっと……来る。

 きっと来るーっ!


 脳内にこだまする、リング風の不気味なメロディー。


 超ド級の恐怖に、総毛だってフリーズ。


「中屋敷にまいるっ!」


 箸を放りなげ、そのまま玄関にむかってダッシュ。


 やばいっ!

 逃げなきゃっ!

 速攻でーーーっ!


「と、殿!?」

「まだ、昼餉の途中で……」

「なにゆえ?」

「いずこへ?」

「「「お待ちくだされ!」」」


 わけがわからず小姓たちもあたふた。


 俺が先導する小集団は、屋敷内をバタバタ爆走。



 ――シュッ――



 真横をすり抜けるなにかの影。


「お待ちを」


 回廊中央で膝をつき、進路をふさぐひとりの男。


「さきほどから雨も降ってまいりました。乗物の支度をいたしますゆえ、いましばらく御座之間にてお待ちください」


 ななめ下から照射される、有無を言わせぬ苛烈な直視。

 背後の近習たちから、安堵のため息がもれる。


「な、なれど、急ぎ出立したいのだ!」


「かくも唐突に仰せられましても、大名の他出には種々支度が要りまする。さような気随は、まわりの者が迷惑いたします」


 いや、あんたの言いたいことはわかるよ、大野さん。

 でもね、いま、そんな余裕はないの!


「以後、気をつける。ゆえに、そこをどけ!」


「いえ、どきませぬ。しかも、あのように食事を中断なされるはいかがなものかと」


 キィー! 男のくせに、いちいち細かいな!


「もう二度とはせぬ」


「当然です」


「だが、いまは……あとにせよ!」


「おや、とても反省されている態度ではございませぬな?」


「つづきは戻ってから聞く!」


「なりませぬ」


「先を急ぐ」


「話はまだ終わってはおりませぬ」


 ギャーギャーギャーギャー押し問答。



 と、そのとき、


「お出迎え、いたみいります~」


 式台のむこうからわき上がったコワイくらい軽薄な声。


 し、しまったーっ!



 いつのまにか横づけされている豪華な乗り物。

 長柄にうかぶ丸に十字の家紋。

 傍らにひかえる雨具着用の供侍たち。


 そして……駕籠から降り立つ染帷子麻上下。


 薩摩守島津斉彬公、ご来駕!



 ほらーっ! モタモタしてたから、つかまっちまったじゃねーか!



「伊予守もお着きですぞ~」


 がっくり肩を落とす家主にむかって、にこやかに引導をわたすナリさん。


「…………」


 視線の先には、いままさに屋敷門をくぐりぬける竹輪笹に雀紋の長柄。


 ダテね。ってことは、もちろん……。


 宇和島紋の乗り物につづいて、土佐柏紋の駕籠も到着。


 やっぱ、山内もかよ。


 が、後続部隊はまだ途切れない。


(あの見慣れない家紋は?)と思った瞬間、《黒餅紋 福岡黒田家》というフラッシュが出現。


 だれだよ、黒田って?


 そのつぎは、《細川九曜紋 肥後細川家》。

 有名なドキュン四天王・細川忠興の子孫だ。


 邸内は、参集したオッサンどもにより、平均年齢もぐぐーっと上昇。



 くそーっ! また、勝手にぞろぞろ引き連れてきやがって!


 前回は、いつものダテ・山内プラス上杉と南部だったし。

 ったく、とっかえひっかえあちこちからつぎつぎとーっ!



「みな、おそろいかな? ささ、むさくるしいところですが、ずずずいーと奥へ」


 む、むさ……く……!?


 てっめぇーっっっ!!! 今日という今日はもう許さん!

 たまりにたまった苦情、全部吐きだしてやるーっ!



 四月ころから、総登城日には必ず昼メシを食っていくようになったナリさんは、あの園遊会以降、今度は集団訪問にシフトした。

 どうやら、会津藩邸ここを集合場所に指定し、ほかのオッサンたちと待ち合わせているもよう。


 そして、今日のような総登城日にはこうして大挙して押しかけてきて、ご友人たちとの楽しいランチタイムをすごしていかれるのだ。

 まるで、幼稚園の弁当なし早帰りの日、園でガキんちょを引き取ったあと、近所のファミレスになだれこむオバチャン連中さながらに。



 おい、うちはガ●トでもロ●ホでもねーんだっ!

 そっちがそーゆーつもりなら、一食一両くらい取るぞっ!

 ひと月で二、三十両、かる~くかせげるわー!


 おのれー、島津斉彬めーっ!

 最初は洗練されたスマートなオトナだと思ったのに、仲良くなったとたん、ぐいぐい詰めてくる『距離なしさん』だったとは!


 距離なしさん一行は、賢侯好きのじいに導かれ、奥へと消えていく。


 その背を見送っているうち、うっすら涙が。



 なんで、ここまで理不尽な目に合わなきゃいけないんだ?


 ここ……ボクんちなのに……じいのせいで居留守もつかえない。

 オッサンどものたまり場にされて……でも、殿様同士だから、簡単にキレるわけにもいかないし。

 だって、ヘタにこじれたら刃傷沙汰だから、「帰れ!」とも言えず、時間を拘束され、客がいるから外出もできやしない。

 いやいや同席させられたうえ、つまらないオヤジギャグに愛想笑いをもとめられて。

 しかも、毎回、きわどいエロ話ばっか!

 オッサンどもは俺の反応見て大ウケで、さんざんイジられまくったあげく、ときどき反射炉とか長沼流軍学とか、わざとワケのわからないイジワルな質問してきて……ヘンな答えを返すと、頼みもしないのに、よってたかってしつこくしつこくレクチャーしてきやがって!



 もー、やだー、こんな生活ーーっ!!!



 しのつく雨音につつまれて、ほの暗い廊下でほほを濡らすしかない無力な俺。



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