64 蘭方医 村田良庵
茶屋に着くと、先客がいた。
塩大福と目つきの悪い無愛想なオッサンが、まったり茶を飲んでいる。
(てか、オッサン、頭、デカっ!)
ポニャポニャ笑顔の老中はそつなく朝のあいさつをしたあと、
「調練に参加する人数もだいぶ増えましたゆえ、おひとりでの指導は難儀でございましょう?」
唐突に切りだした阿部は、となりの男に目を転じた。
「侯にも手伝いが入り用かと存じ、適任の者を探してまいりました」
「伊達伊予守さま御雇、村田良庵と申します」
オッサンはそのデカイ頭をさげて、そう名乗った。
村田……良庵?
小柄で色黒。
頭もデカイがデコもひろい(前線が後退してるだけ?)。
そして、顔に妙なデジャビュ感……。
だけど、そんな名前、聞いたことないし。
「村田は、かつて適塾の塾頭もつとめたほどの秀才。一時、国許で蘭方医をしておりましたが、いまは宇和島藩に籍をおく傑物。必ずや侯のお役にたつものと存じます」
阿部は不自然なくらいほめそやす。
役に立つって???
こんな時代に、陸上競技指導者なんているのか?
つーても、俺だってただ部活やってただけで、ちゃんとコーチングの勉強をしたわけじゃ……、
ん!?
こいつ、医者っていったよな?
―― あっっ!!! ――
もしかして、医学に基づいた科学的アスリート育成ができるってことか?
なるほど、そっちからのアプローチか!
……それは盲点だった。
じゃあ、駒澤大のO監督(会津出身)や東洋大のS監督(福島県出身)クラスの『神』指導者なのか!?
この時代の蘭方医っていったら、蘭学者でもある。
外国文献からヒントを得て、人体を効果的に鍛えあげる独自の方法でもあみだしたのか?
そうか……そういうことか……そうにちがいない!
そんな指導者なら、ぜひうちのクラブにおむかえしたい!
「では、よろしく頼みいる」
阿部もたまにはイイ仕事するな。
「侯もごいっしょに?」
村田の表情がわずかに変化した。
会津侯も指導対象なのにおどろいたようだ。
なに言っちゃってんの、この人?
俺が走りたいから、ランニングクラブ作ったの!
俺だって、当代一の監督から一流の指導を受けたいじゃないか。
教え方がうまけりゃ、陪臣だろうが医者だろうが関係ねーし。
「うむ。遠慮なく指導してくれ」
監督の片眉がピクリと上がる。
「遠慮なく……指導?」
「特別あつかいはなしだぞ、村田先生」
「先……生?」
ったりまえだろ?
身分うんぬんより、江戸ナンバーワンのカリスマ監督には礼をつくさなきゃ。
「なれば、本日は、侯の調練を拝見させていただきます」
険悪な目つきがすこしやわらぐ。
「のちほど講評を聞かせてくれ」
「はっ」
「話はまとまったようにございますな?」
俺たちの話が一段落すると、阿部はいつものうさんくさい笑みで念押し。
「では、本日は総登城日にございますれば、それがしはこれにて」
ああ、今日は嘉祥御祝のイベントがあって、在府中の大名は登城しなきゃいけないんだっけ?
最近登城してないから、すぱーっと忘れてたよ、はっはっは。
「ときに肥後守」
立ちあがりかけた阿部が、ふいにその動きをとめた。
もちもちの頬肉にうまった目はこわいくらいするどい。
「蝦夷の件も決着がつき申した。いい加減、鯱病が快癒してもよきころかと」
まぁ、たしかに蝦夷領は希望どおりの場所にしてもらったけどね。
ジャガイモ・ニンジン・トウモロコシがバカスカとれそうで、なおかつ優良炭鉱がありそーな良さげーな場所に。
「品川台場への将軍家上覧も、公方さまは『肥後が随行できるまで延期する』と仰せになられ、今日まで日延べされたままにございます」
昨年六月、江戸湾内奥ふかく侵攻してきたペリー艦隊。
突如目の前にあらわれた軍艦に、幕府ははじめて、
「メリケン、きたー! でも、江戸、丸裸じゃねー!?」と、気づいた。
そこで、同年七月、手薄だった首都防衛のため、急きょ対艦砲台建設を決定した。
同年八月下旬、品川第一~三台場の築造開始。
今年五月三日、約九か月の突貫工事で、第一~三台場竣工。
各台場の守備担当は、
第一台場 武蔵国川越藩
第二台場 陸奥国会津藩
第三台場 武蔵国忍藩
例の『御固四家体制』のうちの三家が、またビンボーくじを引かされることになったわけだ。
そして、完成披露試射会こと将軍家台場上覧が、五月中旬に予定されていたのだが、いまは六月中旬。
将軍上覧には、担当藩主が随行しなきゃいけないらしい。
会津侯がずっと公式行事サボりまくりなんで、この公務が無期限延期されてるんだとか。
(俺ぬきでやってくれて全然かまわないんっすけどね)
でも、家定さんは、藩主不在の第二台場に将軍が行ったら、俺が自責の念にかられると心配して ――(じつは、まったくかられないのだが)―― 延期しているようなのだ。
やさしいからな、公方さまは。
「また、大政参与の任命式もすんでおらず、諸事とどこおっておりまする。そろそろ登城していただけませぬか?」
んだよ、うらみがましいなぁ!
もとはといえば、あんたらが会津に屯田兵やれとか言いだしたからだろ?
ちぇっ、しゃーねーな、もう。
「相わかった。明日、公方さまの御前に伺候いたそう」
あんたのためじゃなくて、お世話になってる家定さんのためだからね!
「それは祝着至極。なればお待ち申しあげておりまするぞ」
毎回俺をもやもやさせるご老中は、言いたい放題言って、さっさと退出。
むむむ、いいように誘導されたみたいな気が……。
あー、むしゃくしゃするーっ!
「みな、鍛錬をはじめるぞ!」
こうなったら、身体うごかして、発散させるしかない。
本日の朝練も無事終了。
「村田先生、いかがかな?」
ときどきなにかメモを取りながら熱心に見てたし、監督、引き受けてくれるかな?
「さよう、なかなかに悪からず、ですな」
お、ほめられちゃった。
「では、われらをご指導いただけようか?」
マジで頼むよ! 強いチームを作りたいんだよ!
「なれど」
カリスマ指導者は、憂鬱そうに眉をよせた。
「はじめにひとつお伺いしておきたいのですが……」
「なんだ?」
法外な報酬……とかじゃないだろうな?
それは、ちょっと困る。
会津も幕府も金はない。
とくに、こんな遊びに使える多額の金は。
と、悩んでいたら、
「これは、会津一藩のためになさっておいでなのですか? はたまた、徳川将軍家の御為に?」
(……へ……?)
意外な質問に思考停止。
「…………」
あっっっ!!!
俺の、主将としての資質を問われているのか!?
身内オンリーの度量がちっちゃい男に、重要なポジションはまかせられない、みたいな?
日本ラグビーチームの大黒柱・あのリーチ●マイケルのような、藩どころか民族のちがいを超越するほどの圧倒的キャプテンシーがおまえにはあるのか?、と聞かれているんだな!?
くそ、しょっぱなから核心ついてきやがった!
「いや、決して会津や徳川のみでは……(ごにょごにょ)……」
これは、俺が立ちあげたチームだ。
意地でも、主将の座はわたせねー!
美辞麗句・偽善・タテマエ・ウソ八百ならべたててでも、これは死守するっ!
なにしろ、大手町でアンカーがゴールしたあと、監督のつぎに胴あげされるのは主将。
俺も主将として、大手町の空に気持ちよく舞ってみたい!
「では、この日ノ本すべてのために?」
日本って……いきなりデカくかましてきやがったなー、監督。
「む、むろん、日ノ本のためだ。徳川や会津のみがつよくなっただけでは意味がない。すべて一様に強化せねばならぬ」
なんたって、箱根駅伝は全国の陸上少年たちのあこがれの的。
ジュニアのころから全国的にレベルアップすれば、優秀なランナーもたくさん育つはず。
そして、津々浦々から集まった速い選手が競いあうのが、箱根駅伝の醍醐味なのだ。
「その中には、長州や薩摩も?」
山口と鹿児島?
うん。いい選手、よく出るよねぇ、あの辺も。
あ、もしや、監督が考えてるのは、藩対抗駅伝大会か?
あっちの世界の都道府県対抗駅伝みたいな?
なるほど、たしかに!
まだ大学なんてない時代だ。
対抗戦つーたら、藩単位の方がピンとくるかもしれない。
「申すまでもない。長州も薩摩も土佐も、全藩を一堂に集め、よき戦いをしたいものだ」
いいね、いいね、日本初・藩対抗駅伝大会かぁ~。
いや~、なんか燃えてきたっすよ、監督!
「全藩……集め……戦い? ならば、いずれ異国と戦う日のために、こうして調練をなさるのですな?」
い、い・こ・くぅーっ!?
おぉぉぉーーーっ!!!
国内大会じゃあきたらず、さらに高みを!?
藩対抗のつぎは、一気に世界!?
マラソンの世界大会で、金メダルまでねらうつもりなのか!
すげーっ!
めざすものがデカイ!
デカすぎる!!
デカイのは頭だけじゃなかったっ!!!
十九世紀もまだ半ばだっていうのに、世界に挑戦か。
江戸時代の日本に、こんなチャレンジャーがいたとは!
感動したよ。
箱根が最大の目標だった俺なんか、あんたの足元にもおよばねぇ。
「そうだな。日ノ本の力を結集し、いずれ異国勢をなぎ倒そう!」
当面は藩対抗駅伝でみんなのモチベーションを刺激し、全体の競技レベルを底あげして、その中から世界で戦える選手を育成していくってことだな?
よし、わかった!
マラソンで、金・銀・銅全表彰台、日本が独占してやろうじゃねぇか!
「日ノ本を……結集……」
自分で言っときながら、なんで呆然としてるの、監督?
ああ、松平容保がここまで本気だとは思わなかった?
いや、俺はやるよ。
あんたといっしょに、世界の頂点めざすよ!
アフリカ勢に負けない、無敵の長距離王国を築きあげようぜ!
「わかりました。となれば、わたしは持てる知識のすべてを出しきり、最強の陸軍をつくってごらんにいれましょう!」
陸軍???
……ああ、よく強豪校のことを『常勝軍団』とかっていうもんね。
《陸》上競技の《軍》団で、陸軍ね?
もう、おちゃめな造語はやめてよ。ビックリするじゃないか。
だけど、あんたの意気ごみはよく伝わってきた。
監督、俺はどこまでもあんたについていくぜ!
(ときどき会話が微妙にズレてるような気もするけど、きっと気のせいだろう)
かくして、俺たちは村田監督の指導のもと、きびしいトレーニングにいそしむこととなった。
監督の練習メニューは、とにかく独創的かつ斬新。
なぜか、射撃訓練を多用したり、二手にわかれた模擬戦、匍匐前進、銃をかついだ行軍練習等々。
すこし軍隊っぽい練習だけど……カリスマ監督に疑問なんか持っちゃイケナイ。
おそらく医学的な裏づけがある、オリジナルトレーニングなんだ。
ただ、監督がいつまでたっても『藩対抗駅伝大会』について言及しないのはなぜだろう?
いや、なにか深い考えがあってのことにちがいない。
だから、たぶん、そのうち、きっと……。
あと、ちょっとウザイ事象が起きてしまった。
外野が俺たちCRCを『幕府歩兵部隊』などとトンチンカンな呼称でよびはじめたのだ。
おいおい、勘弁してくれよ。
全然そんなんじゃないからね!




