61 乖離
水戸老公が謹慎蟄居どころか押込になったといううわさは、またたくまにひろがった。
あっちの世界で徳川斉昭が謹慎になったのは安政五年(1858)。
つまり、四年も早く失脚したわけだ。
一方、御不興コンビの片われ松平慶永は、家定公初怒声にビビりまくり、現在引きこもり中。
これは将軍からの処罰ではなく、自発的謹慎だ。
というか、ジジイの押込も水戸家内の仕置きで、将軍命令によるものではない……タテマエ上は。
こうして見てみると、『安政の大獄』に似ていなくもない今回の帰結。
モヤモヤモヤモヤ。
これ、ちょっとまずくないか?
だって、この異世界とあっちは、いままでは容さんの血統以外ほとんどいっしょだったのに、
・お子ちゃま慶喜くん ―― あっちの慶喜より十歳ちかく若い
・あっちの世界の『松平容保』と思われる人物の転身 ―― 会津藩ではなく御三卿の清水家を相続し、名前も『徳川慶誠』となっている
・斉昭・慶永の四年も早い失脚
・こっちの松平容保の大政参与拝命
ここへきて、いろいろ予測不能な展開になっている。
これ以上歴史が変わってしまうと、今後あっちの幕末史とはかなりちがってくる。
俺の唯一のアドバンテージである未来知識が無効になったら、賢侯の魔法は解け、会津侯は残念な大名に逆もどりだ。
それはそうと、気になるのは俺のメンタルがふっ飛んでいた間におきた一連の顛末。
そこで、家臣に命じて探らせたところ、あのときの状況が徐々にわかってきた。
つーことで、再現VTRスタート ――
* * * * * * * * * *
「よい、面をあげよ。今日は無礼講じゃ」
―― 好意的なお言葉にうながされ、顔をあげる俺。
その後、ボーっと徳川一族を観察しはじめる。
「肥後、こたびはよういたした。格別のはたらきであった」
―― ありがたい称賛をぼんやり聞きながす俺。
条件反射で黙礼する容さん。
「ふん!」
いまいましそうに鼻をならす水戸老公。
―― このころ俺は、慶喜坊やに気づき、トリップ状態に突入する。
「なにゆえあの者は腹も切らず、のうのうとしておるのか」
ひとりごとにしては不自然なほどの大音声でブツクサ。
「英語が堪能なことを秘していたとは、じつにあやしいっ!」
「……水戸殿」
おだやかにたしなめる家定さん。
「なれど公方さま、この者は流暢に英語を話し、夷狄と友誼をむすんでいたそうですぞ!」
「それは交渉を有利にはこぶための調略じゃ」
「はたしてそうでしょうか?」
ここで、春嶽こと越前守慶永も参戦。
「十日あまりで異国の言語を修得するなどありえませぬ。ましてや、あの肥後守が!」
不審感てんこ盛りでディスりはじめる春嶽。
「もしや、かの中浜万次郎を通じ、以前よりメリケンと密約でも交わしていた、ということはございますまいか?」
「いかにも!」
ジジイは、御家門一のインテリをバックにつけ、アクセル全開。
「先般、肥後守は『尾張水戸玉砕』などと、おだやかならざることを申しておった。さらに横浜では、他藩兵に供応をおこない、そやつらの歓心を得ようと画策しておったとか。
こやつは、ひそかに逆心をいだき、異国に内通した上で、徳川一門を葬ろうと謀っているのではないか?」
「やめよ」
家定さん、キレ気味に制止。
なごやかなパーティムードが一気に緊迫。
「肥後は予の役に立ちとうて、懸命に修得したと聞いた。さように悪しざまに申すものではない!」
御心内部にイライラが増殖。
「伊勢」
下座にひかえる老中首座・阿部伊勢守正弘は、そのよびかけに叩頭。
「水戸・越前はこう申すが、その方はなんと見る?」
「おそれながら、それがしが拝見いたすところ、肥後守は稀にみる偉才。こたびの交渉にて示された海防戦略は、凡夫の理解をこえております」
「「ぼ、凡夫っ!?」」
いきりたつジジイたち。
「「われらを愚弄するか!?」」
「いえ、おふた方のことにはあらず。それがし自身のことにございます」
まったりほほえみつつ、かるくいなす塩大福。
「「小賢しい口を!」」
「かまわぬ。つづけよ」
「はっ。こたびメリケンとむすびましたる条約は、清はじめ近隣諸国がむすばされたものとは雲泥の差にございまする。通商を退けたのみならず、最恵国待遇条項もまぬがれました。しかも――」
人当たりのいい笑みをうかべ、よどみなく語るご老中。
「メリケンに北方への野心をかきたて、わが邦との同盟のもと、その領有をはたらきかける巧妙さ。これは、わが邦がロシアに不当に占拠されたる樺太領奪還の布石ともなっており、メリケンの武力を背景に、対露交渉にいかす思惑かと」
「ばかな! あの肥後守がさような大略を考えられるはずがない!」
「侯いわく、目下ロシアは欧州で大戦の最中にて、終結までにはあと数年かかるであろうと。もし、いま日米協働での挟撃ともなれば、欧州・極東、二正面の敵と対峙せねばなりませぬ。ゆえに、ロシアも条約交渉において譲歩せざるをえないであろうとの読みにございます」
日露間の領土紛争は、十八世紀末からはげしさを増した。
日本の北方領有は、中世より松前家の祖が、近世以降は松前藩を中心に、しだいに実効支配を強めていった。
慶長 三年(1603年)松前藩、宗谷に役人を常駐させ、樺太・利尻・礼文を管理
寛永十二年(1635年)松前藩、国後・択捉・千島列島などをふくむ蝦夷地の地図を作成
延宝 七年(1679年)松前藩、樺太・大泊町に陣屋をもうける
天明 六年(1786年)千島列島探検中の最上徳内、得撫島に上陸
寛政 十年(1798年)近藤守重が択捉島に『大日本恵土呂府』の標柱をたて、日本の領有を示す
寛政十三年(1801年)富山元十郎らが得撫島に『天長地久大日本七属島』の標柱をたてる
文化 三年(1806年)ロシア船員が樺太に上陸し、大泊の松前藩会所を襲い(文化露寇)、樺太占拠を勝手に宣言
文化 四年(1807年)ロシア、択捉・大泊・利尻をつぎつぎに襲撃(文化露寇)このとき会津ほか奥州諸藩に警備のための出動命令下る
嘉永 六年(1853年)ロシア、一方的に樺太全島の領有を宣言
これが、阿部のいう『樺太領不法占拠』のイキサツだ。
「おふた方は先ほど来、あの肥後守と仰せられますが、それがしは侯のいままでの失態の数々は、われらを幻惑するための芝居ではないかと推察いたしております」
「虚言を申すな!」
阿部発言に逆上するジジイ。
「そのような戯れを……あきれたぞ、伊勢守!」
越前守もクレーム。
「いえ、虚言でも戯れでもございませぬ。思いますに、侯は国政にかかわるを厭うておられるのでしょう。昨今の国難、才あるを知られれば、政の中枢に引きだされるは必定。それを逃れるための擬態ではありますまいか」
「そうではない! あやつは簒奪をもくろむ大ウツケじゃ!」
「会津は強兵を擁し、哨戒中の他藩兵まで手なずけんとしました。さらに会津は、先代容敬のころより開国をとなえつづけておりまする。メリケンとのつながりは存外深いやもしれませぬ。疑わしき点があまりに多すぎます。秘めたるは才ではなく、叛心でありましょう!」
「やはり攘夷しかあるまい! 国賊にたぶらかされるでない!」
「しかと詮議をおこなうべきかと!」
―― このころ『容保ショック』で滂沱の涙真っ最中の俺。
はた目には、ジジイたちにイジメられて泣いているかわいそうな青年。
と、涸山水側で騒動勃発。
「金之助殿がーっ!」
庭からようすをうかがっていたオジキがブチ切れる。
「わしのかわゆい甥が、水戸と越前にいじめられておる!」
「父上、なりませぬ!」
われを忘れて座敷に踏みこみそうな父親を、アニキは体を張って制止。
「犬千代、放せ! 金之助殿、いま助けにゆくぞーっ!」
「お静まりください、父上!」
「それにしてもひどい物言いじゃの~」
前田親子の横でぼやくナリさん。
「琉球を失わずにすんだは、侯のおかげぞ」
「才ある者は、俗人の嫉みを買いまする。ゆえに、侯はいままで愚鈍なフリをしておいでだったのでしょう」
とんだ勘ちがいヤローの山内豊信。
「かくもはかなげな美丈夫をいたぶるとは……うつくしさに対するひがみにございましょうか?」
(……ダ、ダテ……)
全然気づかなかったが、このオッサンたちは広芝からずっと俺のあとをついてきたらしい。
当然、ジジイと春嶽のイビリと容さんの哀れな姿をしっかり目撃し、その大人げない態度に、ゾロゾロくっついてきたほかの諸侯もドンビキ。
ふたりにとって、これ以上ないくらいのイメージダウンになったようだ。
「水戸老公といえば、御三家一の知恵者」
「越前さまも賢侯と評判の御方」
「その方々が……あれはござらぬな」
「いささか引きもうす」
「ありえぬ~」
「偏狭、狭量、老醜をさらすとは、まさに老公こそ――」
「薩摩守さま! あちらに聞こえまするぞ!」
「なんの、聞こえるよう言うておるのだ」
「おやめなされ!」
「いやじゃ! 老醜! 老醜! 超老醜!」
「金之助殿ぉーっ!」
「父上っっっ!」
「しのび泣く御姿もまたいちだんと……♡」
「ひかえよっ!」
御不興炸裂。
―― 的流れだったらしい(再現VTRおしまい)
修羅場後、ひとり別室によばれた会津侯。
「許せ」
公方さまからの思いがけない謝罪のお言葉。
「その方の功績を、わが一門の前で賞してやりたかったのだ」
家定の顔が悔しそうにゆがむ。
「つらい思いをさせてしまった」
「いえ」
「参与の儀は、その方に事前に告げてからと思うておったのだが、つい……」
思いつめたような目をして凹む公方さま。
キレたことを恥じているらしい。
「なれど、わたくしのような者が、大老格の要職など……荷が重すぎまする」
いやもうホント、勘弁して。そんなの、マジでムリだからーっ!
「大政参与か。これはその方を庇護する方便ゆえ、気にするな」
「ひ、庇護? 方便?」
「伊勢の発案だ。その方の鯱病、城内で攘夷派におそわれたことが因だそうだな」
は? ジョ、ジョーイ派って、なんのこと?
「狼藉をはたらきし者はいまだ不明。よって、奥にてその方の身を守ることとしたのだ。後見役となれば、奥への出入りも容易。また大老ならば、城内においても護衛を配してやることができよう」
伊勢 ―― 阿部伊勢守の発案、だと?
狼藉って……裾ふんで顔面強打させ、腹パンチした犯人は、自分じゃねーかよっ!
なに白を切ってんだっ!?
さては、情報操作しやがったな?
俺が腹パンチされた松の廊下は、真昼間でもうす暗い。
A内匠頭刃傷事件で有名なあの松の廊下だが、時代劇では陽ざしたっぷりの明るい空間として登場するが、実際は真逆なのだ。
あの廊下は、中庭に面する開口部がなぜかいつも閉めきりで、外光がほとんど入らない。
だから、目撃した坊主も人数まではわかったものの、だれとまでは判別できなかったのか?
それとも、阿部が口止め料をはらってだまらせたか?
「かの出来事があってより、伊勢には内々に探らせておるが、なかなか証拠がつかめぬそうだ」
あぁ、それで!?
塩大福め、俺が攘夷派におそわれたと吹きこみ、ジジイや春嶽の屋敷に間者を潜入させたんだな。
そのとき、うまい具合に、家定に対する誹謗中傷批判ねつ造満載の手紙・日記類を発見して、公方さまに報告・連絡・相談のフリしてチクったのか。
ついでに、それを利用して最近自分の方針と合わなくなったジャマな水戸老公を排除しようと画策して、まんまと成功ってことか?
自分の暴行を隠ぺいすると同時に、攘夷派にヌレギヌをきせ、政界から追い落とす材料に……?
こっ、怖ーっ!
ポニャポニャモチモチの見かけとちがって、相当したたかだな、塩大福っ!
「予がその方を条約交渉役に任じたゆえ攘夷派の標的となり、かような憂き目にあわせてしまったのかもしれぬ」
真摯な態度で臣下にわびる最高権力者。
阿部の意図はともかく、家定さんは純粋に容さんを守ろうとして大政参与にしたの?
だとしたら、やっぱ、家定さんって、いい人 ♡
「かくまでご心配いただいていたとは……あらためて御礼申しあげまする」
「いや、礼にはおよばぬ。それより、いまは病を治すことに専念せよ。ムリに登城せずともよい」
思いやりいっぱいのお言葉に、良心もチクチク。
大福ほどのワルじゃないけど、なにしろいろんな計算の上でのサボリだったし。
「とはいえ、いつまでも登城せぬわけにもゆくまい。つらいであろうが、徐々にならしてゆけば、いずれ鯱病もいえよう」
お!? いいタイミングで、ソレっぽい話に!
「なれば、そのためにもお許しいただきたき儀がございます……」
てな感じで、登城リハビリを口実に、練習場確保!