59 遭遇
吹上曲輪は、西を半蔵濠、東は道灌濠、南方を桜田濠に囲まれた一郭。
曲輪内にはふたつの林泉廻遊式庭園と、築山・松林・竹林・梅林、複数の茶屋・四阿・腰掛などがあり、徳川本家専用ガーデンとなっている。
その一方、騎射馬場と数か所の馬場、弓・鉄砲射場といった設備も点在し、吹上御庭はみやびな苑地だけではなく、将軍や近習たちが武芸をみがく鍛錬の場でもある。
(いいよなぁ、ここ)
又一の後ろを歩きながら、眼前にひろがる広芝にうっとり。
(思いっきり走れそう)
騎射馬場は約四百五十メートルの直線コースで、一周四百メートルの陸上トラックとほぼ同じ距離だ。
ということは、タイム測定やインターバルトレーニングにも転用可能ということ。
そして、アップダウンの多い構内は、クロスカントリーにもってこいだ。
インターバルトレーニングは、速いペースと遅いペースを交互に繰りかえす練習法で、全力疾走 → ゆっくり → 全力疾走という反復運動によってフル稼働した心肺が強化され、また、つよい負荷がかかった筋肉もスピードとスタミナが養われる。
一方、クロカンは、トラックや舗装道ではない自然の野原や丘を走る練習法。
自然の野原や丘――つまり、足元が不安定なコースを走ることで、バランスのいい走り方が身につき、斜面を登り下りするときの負荷で心肺機能を向上させるトレーニング法だ。
(たまにでいいから、使わせてくれないかなぁ)
以前、乗馬練習で吹上御庭を使わせてもらったが、あれは対米交渉前の特例として許可されただけで、条約締結も終わったいま、会津侯が好き勝手に使うことはできない。
(ああ、走りてぇ……)
というのも、最近、めちゃめちゃ体調がいいのだ。
ラジオ体操どころか、直立二足歩行すらまともにできなかった、あの絶望的身体が!
霊長類ばなれした、あの超虚弱体質が!
なんかイイ感じに仕上がってきてる~!
これは、もちろん地道につづけてきた肉体改造の成果で、スクラップ&ビルド計画始動から早四ヶ月、和親条約締結のころには従来のトレーニングメニューでは物足りなくなるほどに容さんは進化したのだ。
そこで、「そろそろ筋トレもいけるんじゃね?」と思いたち、ある日、小姓たちに相談してみた。
「だれか、手を貸してはくれぬか?」
体幹をしっかりつくるには腹筋背筋のトレーニングも必要で、そのためのパートナー募集だ。
「「「なにをなさるおつもりですか?」」」
いぶかしげなお小姓衆。
「運動を行う間、両足首が動かぬようしっかり押さえていてほしい」
「「「足首を?」」」
「腹と背の筋肉を鍛えたいのだ」
「鍛錬ですか? ならば、剣術の手ほどきをいたしましょう」
それまで無言で聞いていた剣の達人・大野冬馬がおもむろに提案してきた。
「いや、いい」
剣道と陸上長距離では使う筋肉がちがう。
ちがう競技の練習をして、へんな筋肉がついてしまったらむしろマイナス。走りにも影響してしまう。
大野の進言は、皇居ランをもくろむ俺としては全力でスルーしたいところだ。
「朝夕素振りをなさいませ。さすれば腹と背のほか腕も強くなりましょう」
「……それはまた別の折に」
「殿は勤倹尚武の会津松平家当主。剣術をお厭いになるのはいかがなものかと」
だから、そーゆー問題じゃなくて!
「なにを申す? 黒船を見てもわかるように、今後、勝敗を分かつは銃・大砲の性能と数。となれば、当然、戦方もかわる。もはや剣の時代ではないのだぞ? これからは上級武士とて自ら銃を手に、一隊を率いて野山を駆けまわることもあろう」
反論するやいなや、大野以下、全小姓は硬直。
「じ、銃は……銃は足軽雑兵らの得物にございます。なにとぞ剣術を」
めったなことでは動じない大野が、蒼白な顔で声をふるわせる。
「そうまで申すならば、わたしは剣術ではなく砲術を習うとしよう。ライフル片手に匍匐前進もやってやろうではないか!」
いい加減しつこいよ、おまえも!
「「「一軍の将たる御方が、匍匐……?」」」
一同、涙目で沈黙。
「……承知いたしました」
ややあって、大野は頬をぬらしながら、俺の足首を押さえた。
どうやら、大野たちは、「やはり脳の病で妙な妄想が? だとしたら、逆らっちゃイケナイ……」と、あきらめたようだ。
ドクター松本の診断以降、こいつら、俺が容さんなら絶対やりそうにない行動をとるたび、「ああ、また病が進行してるっ!」と言わんばかりに、悲痛な表情でメソメソ。
そんなこんなで、小姓どもの涙目に見守られつつ筋トレをはじめ、時間があるときは乗馬のお散歩でインナーマッスルを鍛え、ビンボーと陰口をたたかれた雑穀食と甘味厳禁の食事療法も継続。
そのかいあって、身体はぐんぐん変化した。
容さんは俺と同じ遅筋系の体質らしく、鍛えても外見は細いままだが、襦袢の下の腹筋は美しく割れ、背中の広背筋と脊柱起立筋もばっちり。
そのうえ体力もアップし、近ごろは病気で寝こむこともなくなった。
そして、身体ができあがってくると走りたくなるのは、ランナーとしての悲しい性だ。
そんなこんなで、かるくジョグでもしてみようかな~と、じいに持ちかけてみたのだが……、
「ご自分の足で走る? 会津二十三万石の殿が? 徒士のごとく?」
一気にまくしたてるじい。
「ああ、それがしの傅育がいたらぬばかりに、さような世迷言を……。かくなるうえは、御前にて諫め腹をいたし、あの世にて亡き大殿におわび申しあげまする!」
殿さまが馬にも乗らずランニングというのは、じいが憤激で割腹するほどの妄挙らしい。
じいの、あまりの剣幕にその場は平謝りでおさめたが、俺の血はたぎったままおさまらず。
ところが、気のすすまないガーデンパーティに出てみれば、絶好の練習場を発見!
まさに窮すれば通ず!
吹上御庭なら、じいにも絶対バレやしない!
あとは、なんとかここの使用許可を取るだけだ。
(拝謁ついでに、ちょっくら公方さまに頼んでみるか?)
登城リハビリのためって言えば、ワンチャンいけそうな気がする。
又一に導かれ、家定のもとに急ぎながら、俺の胸は期待にふくらんだ――己の身にせまりくる波乱を知る由もなく。
将軍御座所は広芝横の茶屋に設えられていた。
座敷から涸山水をながめられるよう、障子は大きく開け放たれている。
戸外からながれこむ新緑の気と、座敷の青畳のにおいがないまぜになった独特なかおり。
そんな室内には、高価な香をたきしめた貴人たちが多数集結していた。
「それへ」
貴人中最高位の男が命じる。
その言葉をうけ、容さんは前に進むフリだけして敷居際にとどまる。
これは典型的な繁文縟礼で、貴人に対し言葉どおり前にでるのはNGなんだとか。
この時代、ホントめんどくさい作法ばっか!
「近う」
再度のもとめに、膝行三度。あらためて平伏する。
「よい、面をあげよ。今日は無礼講じゃ」
そううながされ、しずしず顔をあげると、正面には床の間を背にしてすわる家定の姿が。
今日の家定さんの御召し物は黒縮緬の無紋の羽織。パーティのわりにはジミだ。
それに……なんだかスゲー居心地悪そう。
その証拠に、緊張したときにおきる例の不随意運動が、この前より一段とはげしい。
なんで?
将軍家に同座しているのは、徳川ファミリー。
家臣に会うより親類縁者に囲まれてるほうが落ち着かないの?
居並ぶ徳川ファミリーは全員字幕つき。
そのメンバーは、はるか上座から毒まみれの視線をなげかけてくる水戸老公こと《徳川斉昭・水戸前藩主》をはじめ、
《徳川慶福・紀伊藩主》
《徳川慶篤・水戸藩主》
《松平慶永・越前福井藩主》
《徳川慶頼・田安家当主》
《徳川慶喜・一橋家当主》
《徳川慶誠・清水家当主》
うわ、豪華~!
御三家・御三卿・御家門筆頭越前松平家の面々は、無紋・黒羽織の家定とは対照的に、三つ葉葵の錦繍をご着用。
それに、全員みごとなまでに『斉』か『慶』つきのお名前。
これは『偏諱』という風習によるもので、なんでも身分の高い人が家臣に自分の名前の一字をプレゼントするならわしがあるらしく、みんなもらった字を諱に使用しているからこのような現象がおきてしまうのだ。
といっても、だれでももらえるわけではなく、御三家御三卿と越前松平家のほかは、加賀前田家、米沢上杉家、仙台伊達家、肥後細川家、長州毛利家、薩摩島津家など大藩だけの特典だ。
対する容さんの会津松平家や井伊家は偏諱をいただける家格ではなく、そのかわりに会津藩主は三代正容以降『容』の字を、井伊家では戦国時代から『直』を代々受けついでおり、これは『通字』というらしい。
ちなみに、『斉』は十一代将軍オットセイ家斉さん、『慶』は十二代ヘンタイ家慶さんに由来する字で、家斉の字をもらったのは、
水戸のジジイ・徳川斉昭
島津家は斉彬と、そのパパ・斉興
オジキこと前田斉恭さん
ほかにも細川さんや、仙台伊達さんは三代連続当主の諱に『斉』がついている。
一方、『慶』は、
紀州の徳川慶福ちゃん
ジジイの息子・徳川慶篤と慶喜
尾張の徳川慶恕
松平春嶽こと慶永
前田のアニキ、前田慶泰さん
長州の毛利慶親
御三卿の田安慶頼と清水慶誠もたぶんそうだろう。
ったく、まぎらわしい!
パッと見、だれのことかわかりにくいじゃねーか!
とはいえ、ついにウワサの一橋慶喜にご対面か~。
松陰以上の幕末キーマン、ジジイの息子・生慶喜っ!
へー、どれどれ?
(…………)
あれ?
教科書でもおなじみの、あのふてぶてしい面がまえがどこにも…………いない?
でも、さっき、たしか、字幕出たよね?
(……んん……?)
御三卿席の真ん中、血色の悪いお子ちゃまに、再度テロップが……?
え? うそ?
七、八歳の、健康状態もよろしくないようなガキんちょが?
は? 高そうな絹の三つ揃いがブカブカの、この坊やが慶喜?
って、だれよ、この子?
これ、いつもの誤作動?
だよね? どう見ても、御三家の慶福ちゃんと同年くらいだし。
だって、十四代将軍継嗣問題で一橋派は、「多事多難なときに将軍が幼少じゃ乗り切れない!」って理屈で、家定に血筋のちかい慶福より、九歳年長の慶喜を押したんだもん。
だから、慶喜がお子ちゃまなんてありえないだろ?
慶福と慶喜、どっちも子どもとかは……。
たしか慶福くんは、いま数え年九歳。
極端な細面。
肌つやは良く、こっちは健康状態もまぁまぁよさそう。
……あれ? お子ちゃまたち、顔似てない?
よく見ると、家定さんにもちょっと似てるような気が。
すくなくとも、ジジイや慶篤、写真で見た慶喜の顔とはまったく似てないんですけど?
(――――)
どこかで「腹を切れ」「攘夷」「国賊」と叫ぶ声が聞こえる。
でも、いまは、そんなのにかまってられない。
こっちは、目下それどころじゃ……。
ふと、だれかの視線を感じ、思わずその方向――慶喜ちゃんのとなりに目をむけた瞬間、
時が…………止まった。
風景が消え、音も、その男以外、世界のすべてが消失した。




