58 蒸気機関車
「伯父上! 犬千代さま!」
ふたりにむかって猛ダッシュ。
この人たちの近くにいれば、もう安心だ。
「おお、金之助殿っ!」
密接距離に入ったとたん、オジキから熱烈なハグを受ける。
(オ、オジキ、人前でこれはヤバいって!)
「父上、みなさまの目が!」
頬を赤らめたアニキが、あわてて注意喚起。
「いかん、いかん。やっと登城できた金之助殿がケナゲでいじらしゅうて、つい」
「げほっ、げほ……」
咳きこむ俺の背をアニキがやさしくさすってくれた。
「相かわらず実の兄弟のようじゃな」
超美形青年たちをうっとりながめるオジキ。
「眼福とはまさにこのことよ ♡」
(……ブルブル……)
「金之助さま、もう機関車はご覧になりましたか?」
アニキはうつくしい顔をひきつらせながら、懸命に話題を転換する。
「異国では実際にあのようなものが走っているのでございましょう?」
「ええ。しかも、あれは実物の1/4の模型ながら、動力などの仕組みはほぼ同じでございます」
ペリーがくれたのはかなり精工なミニチュアで、本物と同じように石炭を燃やして水を沸騰させ、蒸気を発生させるスグレモノ。
機関車が今もレール上を爆走中で、諸侯は大盛りあがりだ。
「わが邦でも走らせることはできましょうか?」
ただでさえキラッキラの瞳をかがやかせ、ぐーっとせまってくるアニキ。
「むろん可能ではございましょうが……」
たしか、すごく高かったような気がするけど。
清水のウンチク集『文明開化編』によると、明治政府の鉄道敷設予算は五十万両くらい。
そりゃ、物流面から考えたら必要だけど、とにかく、いま幕府には金がない。
それに、これから混沌の幕末動乱がはじまるとしたら、大枚はたいて敷設した鉄道が爆破テロの標的になる可能性も高い。
そうなったらドブに金を捨てるようなものだ。
だとしたら、当分やめといた方がいいんじゃね?
ところが、アニキはすっかり機関車トー●スに魂をもっていかれたごようす。
「とても速いそうですね? 巨大な箱を機械が引くのですね? 中はどうなっているのでしょう? 乗り心地は? 中に入って息苦しくはないのでしょうか? ひどく揺れるのでしょうか?」
せきこんで矢つぎ早に質問。
(アニキ、鉄ちゃんだったのか?)
「乗ってみとうございますなぁ」
(『乗り鉄』?)
「馬よりも格段に速うございますぞ」
「なんじゃ、そなた乗ったことでもあるような?」
オジキのするどいツッコミ。
―― ぎくぅぅぅ ――
『乗ったことあるような』?
なに言っちゃってんの、ばりばりっすよ!
磐越西線C57-180『SLばんえつ物語』号に何回も乗ってるもん!
なにしろ『ばんえつ物語号』は、会津若松から新潟まで、土日祝日走ってますから。
あれは阿賀川(=阿賀野川)沿いをずっと走るから景色はサイコーだし、途中停車が十回あって(帰りはなぜか九回)写真もバンバン撮れるし、車内販売してる『雪だるま弁当』は貯金箱にもなるんだぞ。
「へっへっへ、いいだろ~?」とは、言えないが。
「ははは、伝え聞くところによりますと、にございまする」
「父上ぇ~、わが領内にも造りとうございますぅ~」
アニキが妙に色っぽい目つきでおねだり開始。
周囲に紫色のフェロモンが飛び散る。
(ア、アニキ……?)
「かようなものができれば、参勤交代の旅程もみじかくなりまするぅ~」
(金沢と江戸が鉄道でつながるころには、参勤交代自体がなくなってるって!)
「そなたに頼まれるとイヤとは言えぬのぉ~」
目じりをさげ、デレデレするオジキ。
(おい! 高価なオモチャをポンと買いあたえるのは、子供の教育上よくないぞ!)
「鉄道はまだ時期尚早では?」
(そんな金があるなら、会津藩に貸してくれ!)
「なんじゃ、金之助殿。犬千代がほしいと申しておるに、なにゆえ水をさす?」
オジキの眼孔からつよい殺人光線が放たれる。
(こ、怖ぇーよー! 殺されるー!)
「お、おそらく異国は、車両本体のみではなく、鉄道の運営方法一式で売りこんでくるものと思われますゆえ……」
現代でも、各国が海外へ高速鉄道システムを売りこむときはコレ。
車体のハード面と運用システムのソフト面をセットで売る方式だ。
ハードの初期投資費用より、メンテナンスで長期にもうけた方が収益的にはおいしいらしいのだ。
「それのなにが問題なのでしょうか?」
後方にひかえていた又一くんが突如割って入る。
(又一くん、なんで出しゃばってんの?)
「つまり鉄道を一度売りつけてしまえば、不具合が出る都度、高額な修理代金を請求できるであろう? そのうえ、実際の価より高く求めても、その技術をまったく持ちあわせておらぬ側は、言値どおり払うほかないではないか?」
足元見てふっかけ放題だもんなぁ。
「『時期尚早』とおっしゃるからには、いずれはとお考えなのですね?」
ニイチャンの目がさぐるように細められる。
「物流の点から言えばいますぐにでもほしいところだが、鉄道は国家規模・統一規格でおこなうべきだ。
各藩がそれぞれ異なった方式で導入してしまったら、のちのち全土をつなぐ鉄道網整備が困難になるからな」
「「「国家規模? 鉄道網?」」」
場に居あわせた全員が絶句する。
あれ、俺、なんかヘンなこと言った?
だって、いま各藩バラバラにちがう規格ではじめちゃったら、あとで鉄道網つなげようとしたとき困るんじゃないの?
それに、どうせ急いで導入する必要ないなら、このミニSLをサンプルにして研究させ、純国産機関車を作ればいいんじゃね?
そうすりゃ外国にボラれることもないし、国内で修理もできるから、ムダ金使わなくてすむし。
で、うまくしたら逆に輸出できるだろ?
そうなったら、夢の外貨ガッポガッポじゃん!
「ならば、侯はまずなにをなすべきだと?」
なんだよ、又一。さっきからやけにカラんでくるじゃないか。
「むろん、国土防衛であろうが?」
「そのためにはどうしたらよろしゅうございますか?」
「海軍創設と、電信機による全国哨戒システム構築……あたりか?」
「「「「――――」」」
「ほれ、献上品の中に電信機もあったであろう? それをとりあえずは江戸・大坂間にでも敷いてみれば、かなり便利になると思うが?」
「「「――――――」」」
電信機は、アメリカの南北戦争ではずいぶん有効だった。
リンカーンは戦場から遠く離れた場所にいながら、これのおかげで刻々とかわる戦況を把握でき、戦いを有利に運べたという。
前線から首都まで張りめぐらした電信網があったからこそ、戦局の変化に即応でき、兵力や武器を効率的に投入していったおかげで士気では劣っていた北軍が勝ったのだ。
つまり、最新の情報が戦争の帰趨を決めたってことだ。
1854年現在、日本のおかれた状況を考えると、この成功例はすごく参考になるはずだ。
金のない幕府。
一方、虎視眈々と日本を(正確には、世界一の保有量をほこる金・銀を)狙っている諸外国。
欧米列強の侵略にそなえるとしたら、あっちの世界でやったみたいな無計画な台場建設は意味がない。
長い海岸線をもつ日本の国土は、いくつ台場や砲台を造ったところで焼け石に水なのだ。
なにしろ、砲台に乗っかってる大砲が旧式だし、陸からじゃ敵艦に届かない。
逆に、黒船の艦砲射撃くらったら、台場ごとイチコロ。
むしろ、リンカーンがやったみたいに、国中に通信網を敷き、効率的に海軍を運用するべきだ。
軍艦は、平時には人員輸送とか別の用途にもつかえるし、ムダにはならない。
もちろん、電信網も軍事以外に利用できてお得だし。
いまできる最善の海防策ったらコレしかないだろう?
「国産黒船実現のため、製鉄所と造船所建造こそ急務。このふたつは軍事のみならず近代国家建設においては絶対必要になる」
「「「――――――――」」」
なんで君たち、さっきからシーンとしてんの?
だってコレ、だいたいはウンチク集のパクリだけど、清水も佐久間象山の資料あたりからパクってきたみたいだし。
この時代のやつだって、ふつうに考えてたことじゃないのか?
そんなフリーズされるほど画期的な案じゃないだろう?
まぁ、南北戦争ネタはウンチク集じゃなくて、アメリカで聞いた話だけど。
「すばらしい!」
思わぬ方角からの称賛。
オッサンにしては軽すぎるこの声は……。
「そのお話、もそっとお聞かせくだされ!」
ふ、不覚! 背後を取られた!
イヤイヤふり返ると、そこには案の定、妙な笑みをたたえたむき卵面が。
(……島津斉彬……)
そして、そのとなりにはシャープなイケメンと小柄なニイチャンも。
瞬時にあらわれた字幕に、俺の背筋は凍った。
《伊達伊予守宗城・宇和島藩主》
《山内土佐守豊信・土佐藩主》
一橋派そろい踏みかよーっ!!!
(や、やばい、バックれよう)
俺が全力で逃走準備に入ったとき、
「お話し中、おそれいりまする」
小走りによってきた裃姿の男が、又一になにやら耳うち。
「肥後守さま」
又一は表情をあらため、俺の方に向きなおった。
「将軍家のお召しにございます。こちらへ」
公方さまの?
「金之助殿、なにをしておる。急ぎ伺候せねば!」
オジキが強い語気でうながす。
「はっ! 伯父上!」
よっしゃ、これで一橋派とバイバイできる。家定さん、今度はガチで感謝ですぅ。
「なんだ、いいところだったのに、つまらぬの~」
不服そうに口をとがらせるナリさん。
へへへ、残念でした~!
「しかたがない」
ゆで卵がニコリと笑った。
「肥後守さまの屋敷で、お戻りをお待ちいたそう」
……はい……?
「それがしもごいっしょしてよろしいですか?」
だ、伊達……おまえ、なにを言いだす?
「ならば、わたくしも」
こら、山内っ!
「ほかに和田倉屋敷に行きたい者はおらぬか~?」
「では」
「それがしも」
「ぜひわたしも!」
「よいよい、みなでうかがうとしよう」
あ、こら、勝手に『この指とまれ』をやるなっ!
「肥後守さま、お早く」
又一が、真顔でせかす。
「疾く、金之助殿!」
オジキがすごむ。
となると、ひさしぶりの登城で疲れて帰宅したら、こいつらがお出迎えってこと?
おい、マジかよー!?
今日は……藩邸に帰りたくない……。
帰宅恐怖症におちいりながら、俺は又一のあとを追った。




