56 賢侯
「な、なにゆえ、薩摩守が?」
面会の約束……は、してないよな?
「いやはや、助かりました~」
石化した主をよそに、ナリさんはニコニコしながら、御座之間にズカズカ侵入。
「下城途中、和田倉御門にさしかかったあたりでにわかに腹がさしこみ、急きょ、こちらで用場(厠)を」
おい。嘘ついてんじゃねぇぞ。
お友だちの役宅は御門のすぐ外。御門内の会津藩邸より、あっちの方が断然近いわ!
ガチでせっぱつまってたんなら、ふつうは阿部邸でトイレ借りるだろうが!
これはあきらかに、悪徳セールスマンが使う手口。
「ごめんね、おばあちゃん、ちょっとトイレ貸してもらっていい?」などと、言いつつ強引に上りこみ、高額リフォームや浄水器を売りつける場合にアリがちな手法だ。
だれだ? こんなミエミエの手にひっかかりやがって!
邸内に不審者を入れるなっ!
それにしても、目的はなんだ?
いきなり押しかけてきた目的は?
一番ありそうなのは……阿部に依頼された、か?
二回連続総登城欠席だし、蝦夷の件もイマイチ進展していない。
「あいつ本当に病気なのか、ちょっと偵察してきて~」的なお願いをされて、俺の真意を聞きだそうってハラか?
あるいは、デカくなったうわさにビビって、代理人を通して弁解でもする気なのか?
腹パンチは容さんが錯乱して刃傷沙汰一歩手前だったから、わからんでもない。
だが、裾ふみ行為だけはゆるせない!
どんな言い訳してきても、絶対にゆるさんっ!
ギンギンの警戒光線をあびながらも、オッサンは春風駘蕩。
さすが島津斉彬、ただ者じゃねぇ。
こんなアウェイな空気をも斟酌しない精神力!
「あ、そこな、お小姓!」
茶をおいて退出しかけた浅田くんは、超大物からのよびかけにギクリ。
「小腹がすいた。湯漬けを一杯所望したい」
―― ! ――
お、おまえ、さっき、腹が痛いってふいたばっかで……。
どんな修行したら、ここまで厚顔無恥になれるんだ!?
対座からの冷ややかな黙視の中、オッサンは悠然と湯漬けを食す。
「ふむふむ、ウワサどおり玄米と雑穀か。菜はぬか漬け。しかも、椀や膳は相当年代物の会津漆器か」
あ、すいません、ボロくて。それ、大処分市でも売れ残ったやつで……じゃねーしっ!!!
なに品定めしてんだよ!?
訪問目的は『となりの○ごはん』か?
こっちも忙しいんだ。用があるならさっさと済ませて、とっとと帰れ!
「ふぅ、馳走になり申した」
満足そうに箸を置いたナリさんは、
「それにしても、すっかりよい陽気になりましたなぁ」と、湯呑を手に、南庭をまったりながめはじめる。
完全に長居モードに突入だ。
「ときに、横浜では異人相手に大そうなご活躍と聞きおよびましたぞ~」
は? 活躍?
交渉内容は、いまの時点ではまだ国家機密扱いのはずだが?
もしもーし! 外様に機密漏れてますよーっ!
「だれがリークした?」などと、聞くまでもない。
どうせ、あの塩大福だろう。
「恩をきせるわけではござらぬが、米国供応用の豚肉を提供したのはわが薩摩藩でしてな。かなりの量を短期に用意せよとの仰せで、たいそう難儀いたしました」
これ以上ないくらい恩きせやがって。
にしても、あの豚肉は、やはり薩摩産だったか。
例のペリー一行送別会で、豚の生姜焼きをメニューに入れようと考えたものの、この時代、表向き肉食はタブーだったため、大量の豚肉が用意できるか、正直心配だった。
そこで、江戸面に手紙で問い合わせたところ、「全~然、ダイジョウブ!」との頼もしい返信。
(へー、江戸時代なのにそんなことできんの? やっぱ、腐っても徳川幕府、力持ってんなー!)と、感心したものだが、陰に薩摩がいたのか。
塩大福め、ますますアヤシイ!
重要な場面で薩摩にポイントを稼がせて、やがては幕閣にでも押しこむつもりか?
そして、外様を幕政に引きこみ…………。
その先はどうするつもりだ?
まさか……幕府内部から倒幕工作……ではあるまいな?
薩摩ならそれくらいやりかねないが、阿部家は代々老中を輩出した譜代の名門。
錦の御旗が出たあとならともかく、この時期に倒幕などたくらんではいまい。
なら、なにが狙いだ?
「その礼というのもなんですが、ぜひ交渉の苦労話などをうかがいたい!」
はずむようなテノールに、昏い想念をやぶられる。
つややかなゆで卵顔にうかぶ、はちきれんばかりの好奇心。
「いえ、わたしなどなにも。交渉をまとめたのは大学頭ら幕臣ですので」
「またまたそんな~ぁ。意地悪なことをおっしゃらず教えてくだされ~」
いい年したオッサンがくねくねオネダリ目線。
ぇえっ!? 島津斉彬って、こんなキャラだったっけ?
語尾に♡をつけるようなチャラい……。
「と、申されましても、機密にかかわる内容は一切お話しできません。船上晩餐会の話でもいたしましょうか?」
なんとか無難な話でごまかそう。
「晩餐会ねぇ」
モロぶーたれまくるオッサン。
「…………」
この人、本当に俺の世界の島津さんと同じ人?
見た目はウンチク集の写真のまんまだけど……なんかやけに軽くないか?
幕末一の賢侯とは言いがたいというか、違和感だらけというか……。
不満顔のオッサンと根気強く雑談後、なんとかお引き取りいただくことに成功。
最後まで阿部の釈明も弁護もないまま辞去する島津斉彬。
(……で、結局なにしに来たんだ、あいつ?)
丸に十字マークの乗り物を見送りながら首をかしげていると、
「純粋に殿に興味がおありだったのでは?」
背後霊がボソッとつぶやいた。
(なにも言ってないのに、おまえはサトリ妖怪か?)
「なんでも薩摩守さまは大の賢侯好きだとか」
情報通の大野がそう言ったとたん、
「【賢侯】っっっ!?」
横にいたじいが絶叫。
「オクテの金之助さまが、当代一の賢侯薩摩守さまから【賢侯】とみとめられたのですかーっ!?」
キラキラ星でいっぱいの目から噴出する滝涙。
感涙にむせびつつ、さくさく退出する山川兵衛。
「ど、どうしたのだ、じいは?」
老人とは思えぬ高速で遠ざかる後姿に思わずクギづけ。
「あちこちで自慢するおつもりなのでしょう」
「自慢?」
「山川さまは傅役となられて以来、常に忸怩たる思いを抱えておいででしたから。殿が世の賢侯といわれる方々と肩を並べられ、狂喜なさったのでしょう」
「…………」
大野によると、ナリさんこと島津斉彬公は大藩の殿様にしてはフットワークの軽い御方で、「コイツいいんじゃね?」と、お眼鏡にかなう人物を見つけると、無性に話がしたくなり、早朝だろうとなんだろうと、お目当ての屋敷に押しかけるんだとか。
(とんでもなく迷惑なオヤジじゃないか)
ちなみに、阿部もナリさんにチェックされているひとりで、当然ここにも頻繁に出没中だそうだ。
しかも、朝五時から!
老中は、毎日午前十時ごろに出勤し、午後二~三時ころ退庁するが、ナリさんは、早朝から押しかけ、阿部が出勤したあとも老中役宅にいすわり、そこで帰宅を待つらしい。
そして、帰宅後にはまた長話。
前代未聞のあつかましいオヤジだ。
だが、世間では、『ナリさんの突撃を受ける=いま一番旬の賢侯認定』で、イマドキの大名にとって、最高の名誉なんだとか。
「それで、じいはあんなに……」
じいは先代容敬公から大事な世継ぎの傅育をまかされたものの、いつまでたっても容さんの残念ぶりが改善されず、ずっといたたまれない年月を送ってきたらしい。
それが今回、高性能賢侯探査レーダーを持つ薩摩侯が容さんをチェック。
「いままでの苦労がようやく報われたーっ!」と、完全にはっちゃけたじい。
今日は長い侍人生最良の日。秘蔵のいい酒あけて大宴会♡気分で、そそくさ帰ったらしい。
つまり、容さんはナリさんの『お気に入り』登録されたってこと?
うげぇ、勘弁してくれ~。
もし朝五時に来やがったら、マジで殺すぞ。
にしても、常溜の会津侯が、一橋派の島津斉彬とかかわりあうって、なんかヤバくね?
それにあっちのメンバーつーたら、水戸のクソジジイにガチホモ臭のする伊達、イヤミな岩瀬にずうずうしいナリさん……みんなクセありそうなヤツばっかじゃねーか。
しかも、薩摩藩邸で酔っぱらったとき、マズイことを口走ったような気もするし。
できたら、疎遠にしておいていただきたいですぅ。
―― と切望した俺だったが、そんなささやかな願いは、ついにかなわなかったのであった。
最近、眼精疲労がひどく…今回、少々みじかめになってしまいました。
すいません。




