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55 鯱病

 

 登城をサボった日の午後、つねに冷静沈着な小姓頭が、あわただしく伺候。


 なぜか、先日前田家からもらった九谷焼の壺をかかえている。



「加賀守さまならびにご世子さま、お見えにございますっ!」


 そう取りつぎながら、床の間に壺を設置。


 ―― した直後、御座之間前の回廊に人影が出現。



「金之助殿ーっ!」

 

 言うが早いか、オジキはガーっとかけより、両手で顔をはさんだ。


 頬をギューっとされ、完全にタコ口。


「顔にけがをしたと聞いたぞ!」


 オジキは、けわしい表情で容さん()の顔をしげしげと観察。


「あとは……残っておらぬようじゃな」


 ほっと肩をおとし、つづいてはげしくハグ。


「怖かったであろう。かわいそうにのぅ」



 い、いったい……なに……???



「なんの遺恨かは知らぬが、かようにか弱きおのこをおそうとは。そなたが鯱病しゃちびょうになるのも道理じゃ!」

 

 ますますキツくなる締めつけ。



 ところで、『鯱病』とは、鬱の一種。


 江戸時代は二世紀半にわたる平和な時代。

 と同時に、きっちりかっちり構築された身分社会でもあった。

 

 このため、社会全体の閉塞感はハンパなく、異例の出世をした人・目立つ人物などへの嫉妬や足の引っぱり合いがいろんな組織で多発した。


 これは江戸城におつとめの公務員オサムライさん内でも例外ではなく、職場内のイジメやイビリが多かった。


 そんなウンザリな職場にお勤めの幕臣さん。

 日々の出勤途中に、各城門の屋根に乗る『しゃちほこ』を見た瞬間、「はぁー、今日も憂鬱な一日がはじまった……」と、一気にテンション降下。 

 また、気鬱が高じて登城できなくなる人も続出し、これが『鯱病』といわれる由縁だとか。



 にしても……鯱病って?


 あ! もしかして、例の表坊主情報か!?


 

 坊主たち、容さん()がオッサン四人に囲まれて、ボコされてるのを目撃して、また拡散したのか?


 オジキが聞いたところによると、松平容保はなにかの逆恨みでボコボコにされ、そのショックで登城できなくなった……らしい。


 阿部はともかく、ほかのオッサンたちはとんだとばっちりだ。



 それはそうと、


(オ、ジキ……くる、しい……。し、死、ぬ……ぅ)



「ぐぇ~」


「父上、金之助さまが事切れそうにございます」


 笑いをこらえたかろやかな美声が聞こえた。



 その方向を見た瞬間…………フリーズ。



 か……容さん……?

 あんた、一卵性双生児だったのかーっ!?


 オジキのむこうにいたは、イヤになるくらいよーく知った顔の男。


 それは、毎朝、鏡の中からこっちを見ている顔 ―― 容さんそっくりの美男子が、俺の数メートル先にすわっていた。



「金之助さま、お久しゅうございます」


 キラッキラのまばゆい青年が、優雅に一礼。

 

 体表三センチの厚さで全身を取りまくエア金粉層。



(だ、だれ? それに、この金粉は? 人間?)と、テンパっていると、


《前田筑前守慶泰よしやす・幼名:犬千代・加賀前田家世子・従兄》の字幕が。



「おお、すまぬ!」


「……ゲホッ、ゲホ」


 強烈なハグからようやく解放された。


「御城でそなたの話を聞き、仰天してしもうてな」


 オジキは照れたように、首筋をモミモミ。



 そういえばふたりとも、加賀梅鉢紋入りの長裃姿。

 どうやら、総登城の帰りらしい。



「父上は、金之助さまが大のお気に入りですからね」


 華麗にほほえむ従兄はよく見ると、容さんより五、六才上っぽい感じ。


 でも、顔立ちといい、痩身の体つきといい、草食系の雰囲気といい、まさに双子レベルのソックリさん!


 今にして思えば、溜間で会った尾張藩主・徳川慶恕は容さんになにひとつ似ていなかった。

 やっぱり、この世界での相関関係は、あっちとはまったくちがうようだ。



「金之助殿はそなたにうりふたつ。いとしいに決まっておろうが」


(オジキ、親バカなのか?)


「われらはともにお祖母さま似でございますゆえ」


(……マザコンでもあるのか)


「それに大事な妹の忘れ形見でもある。わしが守ってやらねばっ!」


(さらにシスコン!?)



 ふと、照明が暗くなったような空気感に目をこらせば、オジキの背後に、突然、黒いほむらがゆらめく。  



「かわゆい甥……なぐる……百万石……威信……闇に葬……目にもの見せ……(ブツブツ)……」



 な、なんか……いまとてもオソロシイつぶやきを聞いたような……(ブルブル)。


 すごく頼りになる人だけど、もし、俺自身が逆鱗にふれるようなことでもしたら……(ブルブル)


 

 一方、加賀の金箔王子は、父親のフォローのためか、青ざめる従弟に柔和な笑顔を見せ、


「叔母上の喪があけましたら、また歌会でもいたしましょう」

 

 あきらかに傷心の従弟をはげますための、思いやりあふれたお誘い。


 とはいうものの…………歌会?


 ムリムリムリムリ。五七五はとにかくムリっ!


 俺は、古文とか和歌は全然ダメなの!


 自分で詠めない以上、いつものようにだれかのをパクらなきゃいけない。


 そうなると、当然、この時代以降のじゃないとマズイだろ?


 でも、俺が知ってるのは、例の『柿』と『やわ肌のあつき血汐に』くらい。


『柿』にいたっては、和歌ですらない!


 唯一知ってる和歌の『やわ肌の~』…………待てよ?


 よく考えたら、字数こそ三十一だけど、これ、和歌というより近代短歌じゃね?

 


 とにかく、「やは肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや 道を説く君」なんて前衛的なのをいきなり詠んじゃったら、相当ムラムラがたまってるって思われる。


 こんなの歌会で発表できないし。


 明治以降に詠まれた花鳥風月っぽいのは記憶にありません。


 パクリたくても、ネタがない!


 だから、絶対にムリっす!



「いずれ……」


 やばい、やばい。

 歌会の話題は早く流せ。


「と、ときに、伯父上。その節は貴重な洋書をお貸しいただき、かたじけのうございました」


 暗い目でブツブツつぶやきつづけるオジキに話をふる。



「おお、わしの洋書が役立ったか!?」


 オジキは即座に覚醒。


「それは重畳」


 鷹揚にうなずくオジキの目が、床の間に釘づけになった。


「これは! わしの壺をかざっておるのか! まこと、金之助殿はかわゆいのぅ」



 ―― !!! ――


 あっぶね~っ!


 前田さんの九谷焼、売却リストに入れてたよ!


 大野が全力でとめてなきゃ、いまごろは……(ブルブル)……あの世ゆき。



 自分の壺がディスプレイされているのにすっかり気をよくしたオジキは、さくっと立ちあがった。


「金之助殿。また困ったことがあらば、いつでも申しこすがよい」


「わたしにも頼ってくださいね」


 オジキとキラキラアニキは、ありがたい言葉を残してご帰宅。

 

 忠臣のおかげで命が助かった瞬間だった。





 四月十五日


 今日も月例御礼の総登城日。



「届はすでに出してございます。屋敷でゆるりとカンパニーの構想でもお練りください」


 小姓頭がにこやかにサボリを教唆。


「うむ!」


 にしても、さっそく英語なんか使っちゃって、おちゃめなんだからぁ。



 じつは、長期出張中から、俺は家臣たちに乞われて、英会話教室を開講しているのだ。

 

 もともと文系人材は豊富な会津藩。

 漢文の素養があるせいか(構文がすんなりわかるらしい)、みんなかなりの吸収力でめきめき上達中だ。


 とくに大野は、日新館はじまって以来の秀才といわれるだけあって修得も早く、日常会話程度ならもうバッチリだし、それ以外にも熱心なやつが多くて、英語通詞を量産できそうないきおいなのだ。


 

 そして、カンパニー構想とは、やがて来るはずの通商開始にそなえ、神奈川滞在時からあたためはじめた考え(もの)


 版籍奉還騒動のときには、失業する藩士の受け皿として、会社立ちあげが切実な課題になった。


 さいわい、今回は改易をまぬがれたものの、もしかすると今後、大政奉還・版籍奉還・秩禄処分というあっちの世界と同じ流れになるかもしれない。

 そうなったときに備え、いまから考えておいても損はないと思ったのだ。



 それに、蝦夷領については、カケヒキ上しばらく登城をひかえ、幕閣やつらの出方も見たい。


 そのためには、『鯱病』で登城拒否をつらぬき、いい条件を引き出すネタにするのが上策だろう。



 てなことで、今日も有意義なオフ日。



 じつは、引きこもってみると、登城というのが殿さまにとって、いかにムダなオシゴトだったかよくわかった。


 非生産的な拘束時間がなくなり、思索にふけりたい放題。

 国許からの決済申請もサクサク片づいて、大名業のほうも順調そのもの。

 

 登城拒否バンザイ!



(金の流出をとめるだけじゃなくて、これからは外貨獲得。逆に外から金をよびこまなきゃ)


(資源の少ない国でもうかる商売って、なんだろ?)


(藩校で英語の授業でもはじめるか? で、世界中に藩士ばらまいて、商社的なの作ってもおもしろいかも。めざすは『東洋のヴェニス』な~んてね)


(って、そこそこ軍備もやっとかないと、日本自体が占領されちゃったらオシマイだしなぁ)


(やっぱ、造船業はせっせとがんばるよう、幕府には言っとくべきか)


(できたら、幕府には留学生をいっぱい、『長州ファイブ』じゃなくて『徳川ファイブハンドレッド』くらいやってもらいたいが、そのへんは阿部たちがやるだろ。俺は藩の立て直しを……)

 


 考えることは山ほどあるが、藩内の抵抗勢力もなくなり、心はればれ意欲フツフツ、ってなもんだ!


 

 そんなうきうき楽しい春の(旧暦ではもう夏だが)ひとときだったのだが……。


 

 御座之間で、ひとり楽しくプランニングをしていると、急に南面からの光線がかげった。


 目をあげると、そこには和田倉上屋敷ここにいるはずのないやつが。



 裃につけられた丸に十字の家紋。

 むきたてのゆで卵のようなつややかな顔にうかぶ、意味深なほほえみ。



 外廊下にいたのは、ナリさんこと一橋派不動のセンター・島津斉彬公だった。



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