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54 押込

 四月一日 払暁

 

 和田倉屋敷 御寝之間



 褥周辺では、主君の起床にそなえ、小姓組がこそこそ活動中。


「……む……?」


 目をあけた瞬間、


「おめざめにございまする!」


 この一声で、藩邸の一日ははじまる。



 待ってましたとばかりに運びこまれる洗面道具。


 主君の身支度のため、かいがいしく立ち働く小姓たち。


 部下そいつらに的確な指示を出し、作業をすすめる大野。


 その男を何度もチラ見する俺。



「……冬馬……」


 小姓頭はうながすように、やさしく見つめ返す。


「今日の……登城……」


「なさらずともよろしゅうございますっ!」


 俺の言葉を若干キレ気味にぶった切る小姓頭。


「よいのか?」



 意外……『サボるな!』って叱られると思ったのに。



「むろん! 御身、大切にございますればっ!」と、憎悪のこもった目で江戸城方向をにらむ。



「さようにございます」


「あのような恐ろしいところ」


「ふたたびお怪我をなされては一大事」


「「「行くとおっしゃられても、みなでお止めいたしまするっ!」」」


 その他の小姓連中もつぎつぎに唱和。



「そなたら……」


 いい家臣やつらだなぁ(ぐっすん)。

 


 今日は、あの一件以来はじめての総登城日。

 気まずくて、ちょっと行きづらかったんで、ラッキー!



 あの日、失神した容さん()は、ふたたび中之口より緊急搬出されたらしい。


 帰邸後、駕籠から転がりでた主君の姿に家中騒然。


 髷も衣装もぐちゃぐちゃ。

 おまけに自慢の美貌が台なしの鼻血つきの惨状に、家臣一同絶句。



 幕府側は、


「会津侯は、拝謁直後突然昏倒。顔面を強打」と、弁明したらしいが、着衣をぬがせてみると、そこには腹パンチの痕がくっきり。


 発狂する家臣団。


「かような狼藉をっ!」


「誰がっ?」


「許せんっ!!!」


「「「必ずや仇をっ!」」」と、大興奮。



 当然、目をさましたとたんに、俺への尋問がはじまった。



 腹パンチも裾ふんだのも、たぶん……、


『犯人は、塩大福こと老中首座・阿部正弘!』



 だが、それは口がさけても言えない。

 言ったが最後、まちがいなく『大手門外の変』だろう。



「……失神前後のことは、ようおぼえておらぬ」


 心ならずも大福をかばうハメになる俺。



 ギラギラした空気が充満しはじめる。


 険悪なムードにつつまれる御寝之間。


 なのに、俺はさらなる爆弾をかかえてる!


 こいつらにアレを話さないと――『版籍奉還』、すなわち会津藩解散を!



 失業する藩士たちへの報告と謝罪。


 いったい、なんて言えば……?


 にしても、この事態を引きおこした張本人(容さん)の気配はどこにもなく、目下トンズラ中。

 わずらわしいお片づけは、他人(ひと)に丸投げする気マンマンだ。


 っきしょー、相かわらず勝手なやつめーっ!



 殺気だつ家臣団に、おそるおそる事の顛末を説明。



 話し終わるやいなや、


「ご乱心じゃ!」


 はげしい非難と敵意のこもった複数の眼。

 家老の西郷親子と一部の上士たちだ。


「自ら領地返上を願い出るとは! さような暗君にはもはや従えぬ! かくなる上は押込おしこめしかあるまい!」



 きたー! 押込ーっ!



 押込とは、バカ殿を家老たちが結託して監禁すること。


 とはいえ、藩主側に非があるケースばかりでもなく、行きづまった藩政を立て直すため勤倹節約・冗費節減などで必死に改革しようとする殿様が、既得権益を守ろうとする守旧派からやられることも少なくない。


 まさにそんな目に遭ったのが、名君中の名君・第九代米沢藩主・上杉鷹山で、彼も押込ギリギリだったとか。



「あの昏睡以来、殿はすっかり変わられた。おそらく病により正気をうしなわれたに相違ない!」



 おい、版籍奉還言いだしたのは、俺じゃないぞ!

 昏睡以前からの容さん(ヤツ)だからな!



「さほど性急に事を運ばずとも……」


 もうひとりの江戸家老・山川兵衛が、いきりたつ西郷をなだめた。


「殿の言にも一理ござる。藩財政は、幕命による長年のおつとめと凶作ですでに窮迫。これ以上の負担にはもはや耐えきれぬのも事実。蝦夷への大規模派兵など、とても……」



「金のことを口にするは武士の恥!」



 金がなくて戦争できるか!


 バッカじゃーねーの?



「それがしはもうがまんならん!」


「それがしも同様にございます!」


 先日、俺に恥をかかされた西郷の息子も、オヤジを強力に応援する。

 

「殿は即刻押込。利姫さまの御婚儀および御夫君の養子縁組願をすぐさま申し立てる。裁可がおりしだい、殿にはご隠居していただく!」



 とうとう本音が出やがった。


 この西郷親子は、俺のやることなすことすべてに反発反抗する。



 神奈川出張の間、俺は留守番組にひとつのノルマを課した。


『家宝・什器・調度類の徹底処分命令』だ。



 じつは、在府三藩邸にはいろいろな物が保管されている。


 二百余年の間に将軍や他家からもらったグッズの数々。

 年に一度使うかどうかの茶器・掛け軸・屏風等々。

 かなり高額そうな骨董品類などなど。



 ってことで、『売って売って売りまくり作戦』発動!


 たしか、年号が嘉永の次の安政にかわってすぐ、江戸で直下型巨大地震がおこるはず。


 藩邸倒壊や火災になれば、どんな財宝トレジャーもアボン。

 そうなったら商品価値はゼロだ。


 なら、さっさと売り飛ばして現金化しとかなきゃ!



 あっちの世界の『容保』は養子だから、こんな思い切ったことはやれなかっただろう。


 でも、こっちの松平容保(容さん)は直系。

 先祖伝来の品をたたき売っても、子孫だから大丈夫じゃね?


 殿様()が放蕩する金じゃなくて、財政補填のため……だから、いいよな?



『善は急げ!』ということで、勝手方を呼び、まずはレクチャー。


「かならず複数の商人に鑑定させ、一番高値をつけたところに売却。

 買い手のつかない品でもあきらめずに数軒営業をかけ、それでもダメなら質入れ。

 どんなに由緒ある品も例外ではない。

 什器・調度類は、生活に最低限必要な物以外全部売却対象。

 とにかく一文でも高く売れ!

 販売成績がよかったやつは今後取り立ててやるから、みんなガンバレ!」と、はっぱをかけて送り出した。


 ところが、ご家老一味は事あるごとに妨害し、売却は難航。


 帰府後、その報告を受けた俺はブチ切れ、懐刀・大野冬馬を前線に投入した。


 日に日に積みあがる小判の山。

 日に日に悪くなる西郷の機嫌。


 そして、とうとう保科正之の甲冑で全面戦争に突入。



「鎧兜は武士の魂。しかも藩祖の甲冑を売れとは。藩財政が立ちいかぬなら、年貢をふやせばよいのです!」


「土津公はたいそう慈悲深い領主であられた。かの御方ならば、民に苛税を課すより甲冑を売るを是とする!」



 ってさぁ、保科正之は家光の弟だろ?


 そのころにはもう合戦なんかほとんどなかったじゃん。


 あ、島原の乱?


 でも、保科正之は行かなかっただろ?


 戦闘時着用のものならまだしも、完全にお飾りだもん。

 有名スポーツ選手のお宝グッズだって、使用品の方が未使用品より評価が高いんだぞ。


 それに、黒船来航のおかげで、いま世間は空前の甲冑ブーム。


 二百五十年間、太平の世がつづき、戦闘がなくなった武士たちは、数百年前に固定された給料(家禄)で困窮するあまり、ついつい甲冑を質入れしたり売却したりしていた。


 そこへもってきて、去年と今年、米国艦隊がアポなし来日してきやがった。


 そうなると、戦闘員である武士たちに動員がかかるのはあまりまえ。


 で、「非常呼集のとき、着ていく鎧がないっ!」と、あせったお武家さま方が古道具屋や質屋に殺到中なのだ。



 つまり、いまこそ売りどき!

 これを高値で売って、アームストロング砲購入資金の一部にでもした方が、土津さまもよろこぶってもんだ!



 そういえば、神奈川宿で大成功をおさめた特産品販売会でも、上士たちに妨害されたな。


 最初の物産展が予想以上の盛況で、赤べことおきあがり小法師のストックがほぼゼロになったとき、


「えー、せっかくの主力商品がーっ!」と、あせる主君をよそに、中堅以下の家臣たちは国許の家族に内職要請。


 くわえて、各藩邸では自発的に製造班を結成し、せっせせっせ。

 神奈川同行組内の有志も、時間があけばせっせせっせ。


 おかげで、第二回販売会は、十分な数のご当地マスコットを用意でき、ガッポガッポにつながった。


 しかも、「会津から漬物を取りよせ、小分けにして売ろう!」と、提案してくれたのも下士たちだった。


 主家の窮状。それを見、半知借りにも文句を言わず、全面協力してくれた下級藩士。



 それに引きかえ、西郷ら上士は、「武士がさようなことを! みっともない!」と、ギャーギャーギャーギャー。


 手伝うどころか、ヘンなことをはじめた主君と、懸命に協力する下士をボロクソにこき下ろし、みんなのモチベーションを下げるだけだった。



 なにもしないなら、せめてだまってろっ!!!

 


 というわけで、目下わが家中は、中堅以下の支持をあつめる改革派の藩主グループと、家老の西郷を中心とした反容保守旧派上士連中の対立で、藩内抗争に発展しつつあるのだ。


 そして今回、いままでくすぶっていた火種が、版籍奉還宣言で一挙に爆発。


 西郷派にしてみれば、前例・常識をやぶりつづけるバカ殿を『押込』たうえ、意のままにあやつりやすい婿養子を新藩主にすえたいところ。


(いうても、鷹山公は婿養子だったけど、けっしてあやつりやすくはなかったけどな)



 版籍奉還を告げたあと、両派の対立で場はピリピリギスギス。



 と、


「さすが、ご家老!」


 よく通る声が緊張を破った。


「お家のため、わが身を犠牲になさるお覚悟とお見受けいたしました!」


 家禄三百石の上士・大野冬馬が、その怜悧な眸を西郷にむけ、『いいね!』認定。



「な、なんのことだ?」


 思いがけない人物からの、思いがけない称賛に、とまどう家老一派。


「殿がご公儀に異をとなえたは、金策のみならず、かような北辺にわれらを送るは不憫と思し召してのこと。

 なれど、ご家老が幕命に従えとおっしゃるからには、私費を投じ、ご一門総出にて、かの地に渡られるおつもりなのでございましょう。

 やはり、ご家中一の名家! それがし、いたく感じ入り申したっ!」


「い、いや、それは誤解だ」


 藩重鎮は、はげしく動揺。



「そうであったか!」


 大野の意図を察し、俺もサクッと乗っかる。


「西郷、すまぬ。そなたの真意、くみ取ることができなんだ。許せ」


「なんと!」

「すばらしいお覚悟」

「臣の鑑にございます」

「お家大事とつねに申されておりましたゆえ」

「「「感服つかまつりましたっ!」」」


 ほかのやつらも口々に賞揚ヨイショ


「わたしは良き家来をもった。そなたにはいままでの知行にかわり、かの地に二千石をあたえよう!」


 当分コメ採れなそうだけど、がんばってねっ!


「おお、三百石のご加増ですな! 祝着至極に存じあげまする」


 まじめくさって一礼するイケメン小姓。


「「「祝着至極に存じあげまする!」」」


 満場一致で賛成。


「ば、ばかな! なにゆえ、さようなことにっ!?」


 西郷に同調した上士たちにも気前よく加増したうえ、ご栄転決定。



 気づいたら抵抗勢力が一掃されていた。


 一滴の血も流さずになしとげた粛清っ!


 この難業をあざやかに成功させた男は、すずしい顔で俺の傍らに端座している。



 こ、怖ぇーーー!

 

 こいつだけは、絶対敵にまわしちゃイケナイ……。




 会議終了後、会津藩から幕府へ文書おてがみを送付。


『昨日は慮外のお沙汰に動転し、惑乱のあまり妄言をはいてしまいました。

 版籍奉還、撤回しまーす!

 蝦夷の件、拝領する土地によっては再考したいと思います。

 ただし、当方手元不如意のため、幕府が資金を貸してくれれば、ですが』



 数日後、幕府から会津藩への返信。


『もうそれでいいから、領地返上とかホント勘弁して!』


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