52 帰府
樺太千島の北方領土問題、および対中・朝対策につきましては、三田弾正さまより的確かつすばらしいアドバイスをいただきました。この場をお借りして、あらためて御礼申しあげます。ありがとうございました!
嘉永七年三月十八日(グレゴリオ暦1854年四月十五日)
米国艦隊は豆州下田にむけ出航。
交渉団団長・林以下、井戸・伊沢らは送別会直後すでに帰府しているため、交渉団後見役という名のクレーム処理係兼通訳の会津侯は、ひとりそれを見送った。
遠ざかる船影
押しよせる達成感
『初出場校、箱根駅伝本大会でシード権』レベルのよろこび!
周囲の家来どもがいなかったら、万歳三唱ものだ。
まさか、こんなにうまくいくとは……。
徳川斉昭の陰謀で後見役を押しつけられたとき、「とりあえず不平等条約・金流出だけは阻止」と誓ったが、こうして終わってみれば、
・アメリカ・オランダとの対等な条約締結と同盟関係構築
・通商開始前に通貨交換レート対策をし、金流出防止の道筋をつけた
・会津の未来を左右する吉田松陰のアメリカ派遣で、ひとまず最大の危機は回避
・藩財政立て直しのビジネスモデル=特産品販売事業の策定
予想をはるかに超えた大成功!
それもこれも、俺を推挙してくれた烈公ちゃんのおかげ♡
よもや、水戸老公から(クソジジイ)のルビが取れる日が来ようとは。
いや~、『人間万事塞翁が馬』っすね。
海面を見つめてほくそ笑む主君に、随行員もドン引き。
ということで、つぎはいよいよ財政再建。
家臣達、覚悟しとけよ。
死ぬほどコキ使ってやるからな!
いろんな意味で今日は最高の船出だ~!
だが、うかれきっていた俺は、すっかり忘れていた。
『塞翁が馬』の故事は、禍 → 福 → 禍……という意味だったことを。
約一か月半ぶりの江戸は春まっさかり。
八重桜・カリン・モクレン・ヤマブキ。街をいろどるはなやかな色彩に、心もウキウキ。
帰府数日後、登城要請の通達がとどく。
将軍じきじきの招請らしい。
(解団式ってこと?)
そして、その出頭日。
大名の正装・長裃スタイルで御城に伺候する。
ところが、
(あれ、ほかのやつらは?)
通された黒書院に林たちの姿はなく、下段之間には容さんと四人の老中だけ。
ほどなく、第十三代将軍家定公が御出座。
事前に、『今日のコレは公的儀式だから、直答は不可』とガッツリ釘をさされているので、無言のまま平伏。
老中・松平乗全が条約調印が滞りなく終わったことを報告し、会津侯の尽力を称賛するが、その間、俺はずっとカエルのようにひれ伏しつづける。
「役目、大儀。切腹にはおよばぬ」
頭上に降る本日初の公方さま肉声。
――!――
そのひとことが聞きたかったんっすよーっ!!
家定公のことだから、よほどのポカでもやらないかぎり切腹はないと信じてたけど、きっちりはっきりそう言いわたされ、わずかに残っていた不安もきれいに霧散。
謝意をあらわすため、いっそう深く平伏する。
「肥後は礼を申しております」
俺はなにも言っていないのに、老中は返事をねつ造。
だが、これが本来の拝謁儀礼なのだ。
公式対面では、尊い将軍さまに対して必要以上に頭をあげたり、勝手に声を発する行為は厳禁とされている。
だから、後見役就任時の対面が、どれほど家定さんの好意的な配慮のもとでなされたか、いまになってじわじわしみてくる。
会津侯がはいつくばっている間に、式はさくさく進行。
今回の功労に対し、名刀と金子が下賜され、官位も従四位下左近衛権少将から従四位上左近衛権中将へ異例のランクアップだぞ~と告げられる。
従四位上・中将は会津松平家の極官。
容さんは藩主就任二年目にして、早くもそこに到達したことになる。
「メリケンからの献上品、近々みなに披露することと相なった。その方もまいれ」
その御言葉を最後に、公方さまは衣ずれの音とともに退出。
謁見はつつがなく終了した。
大名的オシゴトが終わり、とりあえず溜間に移動。
そこに阿部正弘ら四老中も合流。
「こたびはお骨折りでございましたな」
老中首座阿部伊勢守正弘が、一同を代表して慰労する。
「なれど、異人相手に一歩も引かず、じつにみごとな応対であったとか。まことに感服つかまつりました」
またまた、そんなお世辞ブッこいちゃって~。
「いえ。これもひとえにご老中方をはじめ、多くの方々のお力添えがあったればこそ。あらためて御礼申しあげまする」
まじめな表情をつくり、深々と一礼。
老中たちには今後もなにかと世話になりそうだし、かわゆくヨイショしとかないとね。
「とくに伊賀守さまにお借りした書は、まことに役立ちました。ご高配かたじけのうございます」
やっぱ、今回ナンバーワンのネタ元は『オランダ風説書』だよな。
そこに気づいた忠優さん、マジ天才、ガチ賢侯!
だが、松平伊賀守はなぜかかなしそうに目をそらす。
……???……
「さて、肥後守」
阿部の塩大福のようなモチモチほっぺに、うさんくさい笑みがうかぶ。
「こたび、会津はご加増となります」
「ご、ご加増!?」
まぶたの奥がじんわり熱くなる。
ヤバッ、うれしすぎて泣きそう。
官位や名刀もいいけど、やっぱり経済的褒賞が一番!
(これですこしは会津藩も楽に……藩士にもちょっとは報いてやれる)
先日、大野の長時間労働を知ったとき、「それじゃ、ブラック企業になっちゃうじゃん!」と、あせった俺だったが、あとからわかったのは会津藩はとっくの昔にブラックだったという衝撃の事実。
藩上層部はたび重なる財政難に、『半知借り』という禁じ手を使っていたのだ。
これは、名目上、藩が家臣の知行の半分を『借りる』ものなのだが、将来的に返すアテもつもりもない。
つまり、実質給料50%カットということだ。
約束した報酬を払わず、しれっと働かせる――立派なブラック企業だ。
まぁ、この時代、けっこうどの藩もやってたみたいだが。
でも、そんなビンボー藩にもやっと春がくる!
どうせだったら、海に面した領地がほしいなぁ。
内陸部の会津は、物流面が弱い。
二十一世紀になっても、豪雪に見まわれると陸の孤島になることもめずらしくないくらいだ。
江戸時代は、阿賀(野)川の舟運があるらしいが、海運による大規模な物流ルートが使えれば、特産品の販路や出荷量が格段に増え、財政再建の大きな原動力になる。
人や物の流通がさかんになると、商業も発達する。
今後取り組もうとしている課題――『コメ中心から商業経済への脱却』も、新領地が商取引の中継基地になってくれればもう夢じゃない!
「して、どちらに?」
思わずぐいぐい前のめり。
「蝦夷です」
「蝦夷?」
あそこにある領地っていったら、ひとつしかないでしょ?
「松前領か?」
松前領は北海道渡島半島あたり。箱館があるところだ。
んだよ、会津からずいぶん遠いな。
いや……待てよ。箱館が開港されたら、貿易でもうかる。
うん、悪くない!
でも、藩主の松前さんはかわいそうだなぁ。
あの人、幕命で去年あたらしい城を造ったばかりなのに。
さんざ大金使わされたあげく、完成した城と領地を会津に取られちゃうのか。
うわー、めちゃめちゃうらまれそう。
「いえ、かの地はいずれ天領となります。こたびの条約により箱館が開港されれば、松前一藩ではとても警備しきれませぬゆえ」
……はい?
「では、どこに?」
だってこの時代、松前領以外、北海道はまだ未墾の大地。
領地っていっても…………。
――!!!――
「ま、まさか……」
「会津はかつて樺太・蝦夷への派兵も経験しており、その精強な兵をもって北方防衛と開墾を同時におこなっていただきたい」
呆然とする俺にむかって、塩大福はこともなげにさらりと言い放つ。
原生林が生いしげる寒冷地で、開拓と対ロシア防衛をおこなう任務つきの領地ですが、ヨロシク?
――それ、『屯田兵』っていうんじゃないの?
蝦夷への大規模派兵と長期駐屯?
あんな寒いところに領地もらって藩士を常駐させるなら、防寒設備ばっちりの頑丈な兵舎を建てなきゃならんだろ?
プラス……開墾。
木を伐り、土地を耕し、畑から収穫できるまで、ずっと本藩から仕送りしてやらなかったら藩士全員餓死確実だ。
自給自足できるまで……って、どれくらいかかるんだよ?
それじゃ、ご加増どころか実質減封。
こっちにとっちゃ完全にマイナス。ほとんど懲罰じゃねーか!
今回の外交交渉がどれだけ画期的かつ偉業だったか、おめーら、本当にわかってんのかっ!?
あっちの世界じゃ、この不平等条約解消にずっと苦労したんだぞ!
それに、たまたま決裂・砲撃にはならなかったけど、一歩まちがえばどうなっていたか……。
そうなったら、真っ先に殺られるのは最前線にいた容さんと哨戒中の藩士たちだ。
危険と背中合わせで、こんなすばらしい成果を勝ち取ってきた会津藩に対する褒美がこれ?
会津の命の対価が、褒美どころか制裁かよ!?
っがーっっっ! ざけんなー! もう許せん!
こうなったらあとさき考えず、がんがん文句言ってや………。
(――?――)
「」の用法につきましては、おにぎりさまよりたいへん懇切な助言をいただき、このたびそれを参考にさせていただきました。ありがとうございました!