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51 金流出問題

「肥後守さまっ!」



 浦賀奉行所与力の呼びかけで、物思いから引きもどされる。


「異人が先ほどからさわいでおります。お頼み申しあげまする!」



 やれやれ、またかよ。



 ブンむくれながらついていくと、そこにはもうすっかり見なれた光景が。

 応接所内に設置した両替窓口では、大柄な赤毛オヤジがエキサイト中だった。

 

 今日は警備巡回と、この両替所でのクレーム処理で殺人的ないそがしさなのだ。



[いいから早く換えろっ!]


 オヤジのさけぶ声が建物中にとどろきわたる。


[じゃなければ、この貨幣コインのまま買い物するぞっ!]


 

 はいはい、毎度おなじみのクレーマーさんね。



[その銀貨ではダメだ。受け取れるのはメキシコ銀貨ドルのみ。それがないなら金貨を出せ!]


 酒でほんのり赤くなった顔をねめつけながら、一喝。


[飲食は無料タダなんだから、わがままを言うなっ!]



「「「肥後守さまー!」」」


 役人たちからそそがれる熱視線。


「「「男前~ ♡♡♡」」」


 

[なんで、ダメなんだ!? 他国よそではちゃんと通用するぞ!]


 メロメロのおサムライさんたちとは対照的に、オヤジはさらに激昂し、カウンターに置いた銀貨の山を強引に押しつける。



[そんな悪貨は受け取れん! 比較的品位の高いメキシコ銀貨ドルしか受け取らんと言っただろうが!]


 毅然とした態度で銀貨を突き返すと、勢いあまって下に落ちた数枚が、金属音をまき散らしながら転がっていった。


[品位? おまえらのような未開の民族にそんなことがわかるはずがない!]


[はぁ? 日本人なら楽勝なんだよ! じゃあ、うそだと思うならこの問題を解いてみろや!]


 ハッタリかましのため、つねに持ち歩いている数学問題集をたたきつける。


 これは、江戸の数学塾や神社に奉納された算額(数学問題の額や絵馬)からあつめた幾何問題を編集したもので、正直いって俺にはほとんど解けない。



日本人(俺ら)はガキのころからヒマつぶしに和算を楽しんでるんだ。貨幣の銀含有率くらい、ちょちょいのちょいで簡単にはじきだせるわい!]



 これはハッタリではなく本当の話。


 去年、初来航したペリー艦隊だが、帰路につく際、食料等の必需品を日本で購入したのだが、その支払いに使われた貨幣はすぐに江戸の金座銀座にもちこまれ、徹底的に分析された。


 優秀なスタッフがそろばんパチパチで測定した結果、やつらは日本人をなめていたらしく、世界で一般的に通用しているメキシコドル銀貨ではなく、低品位の悪貨を使ったことが判明したのだ。



(日本人、さすがっ!!)



 なので、「これからはメキシコ銀貨ドルしか受け取らないようにしよう!」と、阿部たち幕閣とも合意しており、今度開港される下田・箱館両港に急使を立てるときも、これもガッツリ盛りこむよう言ってある。



[★▼◆■!]


 観念したオヤジはとても和訳できないような汚い言葉とともに、ポケットから金貨を数枚投げてよこした。



(持ってんじゃん、ケチ!)



 金貨を受け取った役人は青ざめつつ、それを日本の一分銀と交換する。



[おい、すくなくないか?]



 またもや強烈に抗議するオヤジ。


[日本で硬貨を交換すると得だと香港で聞いてきたんだ! なんでこれしかないんだ?]


[どこでなにを聞いたかは知らないが、おまえらの国とはちがい、日本ではより進んだ管理通貨制度をとっている。

 だから、日本での両替時の交換レートは金1:銀5で、銀貨に政府信用を乗せて、諸外国より高く評価しているのだ。

 外国との商取引をはじめていない現在、わが邦で外貨を交換したいのなら、この比率にしたがってもらう。 

 ただし、両替は金貨から銀貨への交換しか認めない。銀から金の交換には絶対に応じない!]


 

 金貨と銀貨の交換――これこそが、幕末一の経済クライシス・金流出問題なのだ。


 これのなにが問題だったかというと、日本国内では諸外国にくらべ、金に対する銀の評価が異様に高かった。

 逆な言い方をすれば、金が極端に安かったということだ。


 そうなった理由はいろいろあるようだが、とにかく二十一世紀の日本で原価数十円の紙切れに一万円の価値をもたせているのと同じことが、江戸時代の銀貨に対してもおこなわれていたらしい。


 つまり、本来なら銀の含有量の多寡がその貨幣の価値と等しくなるはずなのに、日本の場合は原価プラス幕府の与えた評価――政府信用が上乗せされて、国外より金貨に対する銀貨のレートがお得だったのだ。


 早い話が、発行元への信用が通貨の価値を決める『管理通貨制度』をとっていたというわけで、この時代、こんな進んだことをやっていたのは、世界でも日本だけ。



 幕末期、日本では金貨1に対して銀貨は5という評価だったが、国際相場は1:15。


 だから、通商をはじめると各国はこぞってこのレート差を利用し、銀貨を金貨に両替するだけでボロもうけできたのだ。


 こうして日本の金が不当に安く国外に持ちだされてしまったのが、金流出問題なのだ。

 これは、欧米にくらべ、制度が進みすぎていたゆえの悲劇だった。



 というわけで、この問題点に気づいた以上、この世界(ここ)ではバッチリ管理された両替システムによって金流出をふせぎ、国内では外貨は一切通用させないことにした。


 外国との取引で得た外貨は、幕府が一元管理し、国際取引をするときに使用するか、鋳つぶして使うつもりだ。


 今回の条約では、まだ通商は認めていない。

 今後あっちと同じような流れになり、通商条約を結ぶことになるとしても、あと四、五年の猶予はあるはずだ。


 これから先の通貨政策は、勘定方や老中が相談して国内に混乱のない方法を考えればいい。

 それは、あっちの世界でやったような国際相場に近い金含有量が少ない貨幣を発行するか、もっといいやり方を見つけるのか、ここから先は俺のあずかり知らぬこと。


 まぁ、せいぜい阿部ちゃんたち政治家にがんばってもらおう。



[そうは言ったが、ここでの交換レートは1:5だが、おまえらの船が寄港地で補給するとき、銀貨使用に際しては、国際相場で支払ってもらう。

 おまえらは日本にムリヤリ開国を迫ったんだ。交換レートも日本が損をしない率を適用する! 交換差額でもうけようとしてもムダだ!]


 突然『国際相場』とかまされ、オヤジは(???)状態。


 それでも期待していたオイシイ話ではないと察したらしい。



[しかし、オランダは得していると聞いたぞ!]


[心配するな。日蘭和親条約を機にあちらにもこのレートを適用する]


[…………]


 

 ちなみに、この青空市場にオランダ人はいない。


 オランダ商館長クルチウスは、対米交渉のプレッシャー役としてしっかり働いてもらったあと、さっさと江戸に追っ払っておいた。


 いつまでもこの近くにおいておくと、米・蘭間でヘンな情報交換をされそうでヤバそうだからな。



 いまクルチウスはオランダ人の定宿・長崎屋に逗留しながら、幕閣と『日蘭和親条約』締結にむけた話しあいをしているはずだ。


 オランダとの条約交渉はだいたい横浜ここで終わってるし、成文化に際しての注意点は江戸にちゃんと知らせておいたから、たぶん大丈夫だろう。



 さて、こっちのクレーマー米国人は、どうネバってもダメだと悟ったようで、やっと交換した一分銀を受け取った。



[会津うちのブースもあるから、よろしく~!]


 グローバルスタンダードの美貌でニッコリ。


 オヤジはガックリ肩を落としながら、売店コーナーへ去って行った。



 ヘイ、一丁あがり!



 小さくガッツポーズする会津侯()の横で、岩瀬がふたたびニヤニヤ。


「異人相手にはかように頼もしき侯が、なにゆえ伊沢殿の追従口にやすやすと籠絡されるのか。まことに見ていてあきぬ御方ですな」


 

 な、んだとー?



 あんた、したり顔でいろいろほざいてるけど、例のTさん冤罪事件の黒幕って、林さんの兄、つまりあんたの実の伯父らしいじゃないか!? 


 それに例の在米領事の件じゃ「妙に手際がいいな~?」と思って調べてみたら、松ちゃん、江戸城一のセクハラオヤジとして有名で、職場でも相当イヤがられてたらしいな!?


 他人()の策を利用して、まんまと厄介払いしやがってー!



 岩瀬忠震こいつ、まちがいなく要注意人物だな。

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