49 日米和親条約締結
超多忙の会津侯はつぎのお仕事へ。
昨日につづき、米国艦隊旗艦ポーハタン号に出向き、ペリーに面会を申しこむ。
おとずれた提督室には、ペリー親子だけがいた。
[大佐、昨晩は馳走になった。その礼をしたくてな]
そう言って、持参した贈物――家臣に持たせた漆塗りの広蓋をテーブルの上に。
[オリバーの母君はアメリカ一の美女と聞いた。ナイトガウンがわりにでもしてくれ]
これは大奥から調達したキンキラ打掛。
緋色の地一面に細かい金糸の刺繍がほどこされている芸術品だ。
ちなみに、広蓋は衣装ケースの蓋部分で、だれかに着物をプレゼントするときは、これに入れて贈るのが正しい作法とされている。
そして、ナイトガウンというのは寝間着の上にはおる部屋着のこと。
十九世紀後半、日本の開国によって、ヨーロッパでは日本趣味が一大ブームとなる。
その影響を受けたフランス印象派の画家クロード・モネは、着物をはおった女の絵『ラ・ジャポネーズ』を描いた。
だから、あんな風にナイトガウンとして着れば、着付けのできないガイジンさんでもOKだろう。
ついでに、ペリー家からのクチコミで流行れば、アメリカでの販路ができるかもしれない。
着物でガッポガッポのため、頼むよ、ペリー一家!
[ナイトガウン?]
妻を全米一の美女とほめられ、やに下がっていたペリー提督が、ふと、われに返る。
[閣下はずいぶんと、欧米の風俗にお詳しいのですね?]
ふふふふ。
[それよりオリバー、これをおまえから母君に渡してくれ]
別の家臣に持たせた木製の大きな箱をオリバーの方へ押しやる。
とにかくアメリカ人には、妻や母――身内の女性への贈答品&サービストークが有効なのだ。
[これは、いったい?]
箱から出てきた一体のお小姓人形に、オリバーくんも目をパチクリ。
[交渉の合間、手遊びに作った子供だましだ。ほれ、こうして……]
人形がささげ持つ盆に湯呑を置くと、ペリーにむかって自走しはじめる。
[そのカップを取ってみよ]
(???)状態のペリーが湯呑を持ち上げると、人形はその場でピタリと停止。
[カップをトレイにもどせ]
小さい盆の上に茶碗が置かれるや、ターンして帰ってくる小姓人形。
[[なんですか、これは!?]]
オリジナル茶運び人形に度肝をぬかれた親子のハモる声を聞きながら、内心ニヤリ。
さぁ、ここから全力でハッタリ開始!
[ただのカラクリ人形ではないか? 子供のころ、よく作ったであろう?]
[[こ、これを、子供が?]]
[日本の子供ならみな作るぞ。わたしも十歳のとき最初のからくり人形を作った]
[[…………]]
十歳でコレ作れたら、レオナルド・ダ・ヴィンチも土下座っすよ。
[昨年亡くなった母が、わたしの作った人形をとてもいつくしんでおられてのう]
[[……閣下……]]
親子愛秘話Ⅱ・容ママ編に父子ともどもウルウル。
[親友オリバーの母君もよろこんでくれると思うて、久しぶりに作ってみたのだ]
[[閣下っ!?]]
そっくりな顔の、そっくりなリアクション。
[閣下のハンドメイドとは! 先日の短刀とともに、子々孫々までわが家の家宝といたします!]
いや、ホント、大事にしろよぉ! 作るのにすんごい苦労したんだから!
カラクリ人形作成にあたっては、まず和田倉屋敷に『カラクリなんちゃら』さんとかいうスペシャリストを招請し、やけに熱く濃ゆーいレクチャーを受けた。
あっちで理科や技術家庭を教わった俺は、仕組み自体はまぁまぁ理解できた。
ところが、作成段階になったとき、この身体の新たな欠陥が判明――容さんは運動神経だけではなく、かなしいくらい手先が不器用だったのだ!
結局、この人形はスーパー近習・大野冬馬製だが、仕組みについて質問されてもほぼ答えられるから、そこはだいじょうぶだろう。
ペリー親子は、角前髪・会津葵つき裃姿で容さん似の人形がいたくお気に召したらしく、目を♡型にして、かわるがわるナデナデしている。
そんな日米歓談の最中、
――カッカッカッカッ――
遠慮がちなノックのあと、ドアがそっと開き、
[大佐……]
微妙な表情のマックルーニー艦長が小声で呼びかける。
[日本側交渉団の方々がお見えになりましたが?]
[交渉団? 今日、公式会談の予定はないぞ?]
容さん人形を抱っこしたまま、眉をひそめるペリー氏。
そんな部屋の主をよそに、団長の林、井戸、伊沢、戸田、岩瀬、中浜の六人は委細かまわず、ずんずん入室し、おもむろにテーブルにつく。
(はい、お待ちしておりました~!)
[こら、勝手に入るな!]
意表をつかれ、あたふたするペリー。
それをしり目に、交渉団一行が着席したのを見とどけた俺は、ペリーに笑顔をむけ、
[では大佐、そろそろはじめようか?]
[は? なにを?]
いつもの威厳はどこへやら。テンパりまくるアメリカ海軍大佐。
[なに、だと? 和親条約の細則に決まっておろうが?]
[細則? それは下田で行うことになっていたのでは?]
ここの世界でも、基本条約締結後、下田で細則を話しあうことになっていた。
だが……、
[申しわけないが都合が悪くなった。いまここで決めてしまおう]
どうせ江戸から遠い下田で、なんかしようとたくらんでんだろ?
条文の中に、こっそりヘンな文言を仕込むとか、英語がわからない役人相手にうまく言いくるめるとか?
だが、そんなことさせるもんか!
ってことで、昨日のうちにこの突撃交渉計画を岩瀬と相談しておいたのだ。
その作戦とは、
「会津侯との時差訪問で、ほのぼのからガビーンにつき落とす → 相手がこの落差で動揺してるスキに、こっちのペースで交渉をがんがん進める」というもの。
それに、ここはパラレルワールド。
やっとこさ吉田松陰を片づけたのに、あっちにはいなかった第二の松陰もどきがあらわれたら目もあてられない。
そんな密航予備軍を米国艦隊に近づけないためにも、さくさく調印して、すみやかに帰ってもらわなきゃ!
[急にそのようなことを言われましても、困ります!]
[おや?]
思いっきり皮肉な笑みをうかべる。
[昨夏、大佐は離日する際、『一年後にまた来る』と言い残したにもかかわらず、たった七ヶ月でもどり、交渉開始を強要したのではなかったか?]
[し、しかし……]
[わたしたちはずっとそちらのわがままにつきあっている。たまにはこちらの都合にあわせてくれてもよいではないか?]
[だが、あまりにも突然で……]
[アメリカも毎回、突然あらわれるがのう]
[…………]
俺たちのやりとりは、中浜万次郎が逐一通訳し、幕臣たちはウィンブルドンさながらに、沈黙をまもったまま、左右に首をふって観戦している。
[こたびオランダを説得し、わが国初の条約締結国の栄誉はアメリカに与えたのだぞ?
商館長もあまり長く長崎をあけるわけにはゆかぬ。この細則がすぐ決まらぬのなら、最初の条約国はオランダになってしまうが、それでもよいのか?]
[そんな!]
[それに、内戦間近の貴国が、いつまでも東洋の小国にかかずらわっていて大丈夫なのか?]
[は? いま、なんと?]
一瞬で色を失うアメリカ海軍大佐。
[なんでもアメリカでは、南北間の対立が深まっていると聞きおよぶが? どこぞの外国資本が南部にこっそり資金提供をおこない、亀裂をひろげる裏工作をしているそうではないか?]
アメリカの南北戦争は、1861年~1865年だが、この内戦の背景になる南北の対立はかなり早い段階から芽ばえていた。
ペリー提督は、立ち位置的には北部側。
南部にきな臭い謀略の手がのびていると聞けば、心中おだやかではないはずだ。
[どこが、南部に資金を?]
[さあな。裏工作と言ったではないか。すぐ露見するような下手はうつまい。だが……]
このへん完全に未確認情報によるバクチでーす!
[当然、南部と利害関係にある国か、北部と対立する勢力であろう]
[イギリスですか!?]
ペリーのくちびるがわななく。
[ふふ、わたしはどことは言っていないぞ?]
静寂につつまれる室内で、あやしくほほえむ容さん。
イギリスはアメリカにとってトラウマレベルの宿敵。
米英戦争やそれ以降の英国を中心とした欧州圏との貿易摩擦もあり、「イギリスが陰でオイタしてるかもよ?」なささやきはかなり効果的なはずだ。
(南北戦争のとき、南部はフランスから国家として承認されたみたいだけどね。ダメじゃん。そーやって英国を色眼鏡で見ちゃ~)
[ああそういえば、わが国は近々、ロシアとの和親条約交渉に入るが……]
また爆弾、投下しまーす!
[最近合衆国内に組みこまれたカリフォルニアにも、かつてはロシアが進出していたとか。そしてアラスカは、いまだかの国の支配下にあるらしいな?]
[そ、それが?]
[惜しいのぅ。あのように地下資源豊富な土地をみすみす……]
[――っ!?――]
はい、資源調査なんかしてません。100%ハッタリです。
[大佐、わが邦は鎖された未開の地ではない。大々的に交易をおこなっていなかったこの二百五十年の間も、ひそかに国内外の情報を収集し、それを詳細に分析してきた。しかも、国民の潜在能力は他国にぬきんでて高い!]
日本国民のポテンシャルうんぬんをかますために、ヒーヒー言いながらあのからくり人形を作ったんだ――まぁ、俺は作ってないけど。
[この情報収集能力と高い技術力。どうだ、わが邦と手を組まぬか? アメリカにとっても決して損な話ではないはずだが]
[手を?]
延々俺のターンで、オッサンの目はずっと泳ぎっぱなし。
[対等のパートナーとしてだ。こちらとしてもロシアの南下を防ぎたい。アメリカも太平洋でロシアが自由に行動しては面倒なのではないか?]
[それは、たしかに……]
[しかも、もし内戦の直中に、ロシアに国土の一部をかすめ取られでもしたら、まさしく『泣き面に蜂』であろう?]
[!!!]
そう、第二次世界大戦終戦時の北方領土みたいにね。
[アメリカの態度しだいで、こちらも対露政策を決めねばならん。もっとも、そちらに拒まれても、わが邦はイギリス・フランス・オランダと共同するつもりゆえ、困りはせぬが]
(アメリカとの同盟成立しても、つぎはイギリス・フランスともしっかり条約・同盟を結ぶつもりだけどね)
[わかりました。しかし同盟の前に、まずは細則から……]
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嘉永七年三月三日(1854年3月31日) 日本國米利堅合衆國和親條約締結
この条約は、基本条約・細則すべてが横浜で話し合われたため、『横浜条約』とも呼ばれるが、当初は無名の横浜ではなく、一番近い宿場町・神奈川の名を冠して、『神奈川条約』にしようという意見もあった。
しかし、交渉団団長・松平肥後守の、
「ダメダメダメダメ! 今後、開港地問題で絶対もめるから、神奈川って地名はあまり前面に出さないほうがいいって!」というなぞめいた主張から、この名に落ち着いたという。
開港地問題でもめるウンヌンというのは、日米修好通商条約で、開港地を神奈川にすると決めたものの、後から「通行量の多い東海道の宿場町・神奈川でガイジンさんたちがウロウロしてたら、絶対攘夷浪士に襲われる! かといって、完全に警備するのもムリ! 殺傷事件が起きたら、欧米列強からインネンつけられて、清国みたいに侵略されるのは確実!」と危惧する声があちこちから上がり、「ド田舎の横浜ならいいんじゃね?」と、日本側から相手国に申し入れたところ、「やだよ、そんなヘンピなところ! 約束守れよ!」と反論され、もめにもめた後日譚があるのでございます。